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クルアンビンの音楽に宿る魔法は、どこから生まれる?ライブ空間での人と人の交感がもたらす魔力を語る

2023年03月24日 09:00  CINRA.NET

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Text by 松永良平
Text by 山元翔一

COVID‑19によるパンデミックが世界中で猛威を振るって丸3年。2023年現在、海外アクトを多数含む大型フェスのラインナップが続々と発表され、音楽の世界ではパンデミック以前の日常が少しずつ戻りつつある。しかしなぜ、私たちは「ライブ」の場に繰り出すのか、そしてそこには何があるのか。以前には考えもしなかったことにも思いをめぐらせてみたくなる。

2022年11月、およそ3年ぶりとなる来日ツアーを実現させたKhruangbin。大観衆を前にその一人ひとりと心を通わせるようなライブをする3人には、COVID‑19による突然のライブ活動休止を通じてあらためて気づかされたことがあった。ライブを通じてまるで魔法のような時間をつくりあげてきた3人にとって、それは音楽活動の核心とも言える大切なことだった。

Khruangbinのライブに宿る魔法は、いったいどこから生まれるのだろうか。直前の韓国公演も含む来日ツアーの体験記とともに、松永良平によるメンバー全員インタビューをここに記録する。

Khruangbin(クルアンビン)
左から:ドナルド“DJ”ジョンソン、ローラ・リー、マーク・スピアー
ヒューストンを拠点とするトリオ。バンド名はタイ語で「Engine Fly(=空飛ぶエンジン、飛行機)」の意味で、1960年代のタイのファンクから影響を受ける。2015年に『The Universe Smiles Upon You』でアルバムデビュー。2019年には東京・大阪での初来日ツアー、『FUJI ROCK FESTIVAL '19』出演と二度の来日を果たす。2022年11月にはおよそ3年ぶりとなる来日ツアーが開催された。

─2019年にKhruangbinは2回来日公演を行ない、日本の音楽ファンを魅了しました。ところが、翌20年の春から世界中がパンデミックによるロックダウンに見舞われ、ライブ活動休止を余儀なくされましたよね。いまはこうして元通りになりつつありますが、この3年をあなたたちは何を感じ、どのように過ごしていたのか、あらためて聞きたいです。

マーク(Gt):俺にとっては、この3年はとても薄気味悪い時間だった。ロックダウンになるまで、俺たちは世界中あちこちをツアーしてずっと働きづくめで、それこそ休暇になるのを待ち遠しく思ってたくらいだった。だけど、ようやく訪れた休暇は、世界の終わりみたいなものだったんだ。

はたしてまたツアーに戻ることなんかできるんだろうかと思った。コロナ禍の最初のうちは「9月にはこのパンデミックも終わるから、そのあとはまたツアーに戻れるよ」って言うやつらもいた。だけど、俺にはそう簡単にいくとは思えなかったな。アメリカ中でたくさんの人が感染に苦しんでいたということもある。でも、なんていうか、とにかく不気味で現実感がない状況がそう思わせていたんだ。

ローラ(Ba):私はパンデミックのあいだは、できる限り地元にいることにしてた。私たち、パンデミックの真っ只中に3rdアルバムを出したでしょう? あれもすごく不思議な経験だった。

ローラ:それまではアルバムを出したらツアーして、ファンのみんなと音楽を分かち合って楽しんでいたのにね。ニューアルバムをみんながどう思ってるのか、ヒットしているのか、なにがどうなっているのかもわからなくなった。

でも、2021年の春からアメリカを中心に少しずつツアーを再開していったら、みんなにまた会えるようになって、こうして日本に来ることもできた。それはいいことだよね。

DJ(Dr):俺にとって、このパンデミックとは、多くの人に自分自身の内面を見つめ、当たり前だと感じていたことに感謝する時間をくれたものだった。

みんなで集まったり、一緒に音楽を楽しんだりしていた、そんなシンプルな喜びが奪われてしまったんだから、すべてが変わってしまったと思った。いまはこうして以前のようなツアー中心の活動に戻って、日本でこうしてライブができる。ありがたいよ。

左から:マーク・スピアー、ローラ・リー、ドナルド“DJ”ジョンソン

─とはいえ、コロナ禍以前のライブやツアーとの違いも感じていますか?

DJ:それはそうだね。ツアーを再開したとき、俺たちは「バブル」のなかにいた。以前は、ツアーをすれば外を出歩いていろんな店に行き、その街を楽しんでいた。だけど、そんなことはもうできないんだとあのとき思った。つねに自分たちの楽屋に閉じこもって、ライブをする前には必ずPCRテストを受けていたしね。

ローラ:検疫、検疫、検疫。そればっかり。家族や友達との面会もなし。会えるのは私たちメンバーとスタッフだけ。ラッキーだったのは私たちみんなが家族同然であり友達だったってこと(笑)。でも、本当の家族には会えなかった。バブルのなかにこもって、あのツアーをやりとげなくちゃいけなかったから。

─アメリカ国内のツアーでも最初は厳しい制限をしていたんですね。

マーク:バックステージやホテルの部屋で友達に会ったり、レコードを買いに行ったり、普通にしていたことが一切できなくなったんだ。俺たちの地元のヒューストンですらそれは徹底してた。

ローラ:うん。両親や親戚とも会わなかった。窓越しに顔を合わせただけ。でも、そんな苦労はあったけど、ツアーを再開してみたら、みんなが生で体験する音楽を長いこと待ちかねていたことがわかったし、ある意味で重要な仕事をしてるんだと思えたかな。長いあいだみんなから奪われていたものを、また与えはじめている。そんな魔法的なフィーリングを感じていたと思う。

ローラ:もうひとつ興味深いなと思ったのは、ツアー中のバックステージに私たち以外誰もいないって状況。そのおかげで、私たち本当にお互いのことが好きなんだってあらためて思えたから。バックステージを自分たちの家と同じように大切に考えるようになって、自分たちのショーや演奏に集中できるようになった。それは、この災厄のおかげ(笑)。

─ツアーを再開してから、あなたたちの公式Instagramにショーごとに掲載されるライブを見ているお客さんたちの笑顔や、見に来たお客さんたちのポートレートをすごく心強く感じて見ていました。あの投稿には、この大変な状況を乗り越えて、またライブに戻ってきた人たちへの感謝の気持ちもあったんでしょうか?

ローラ:そうね。私たちのショーでは、オーディエンスは自分たちと同じくらい大事だからね。演奏してるときに私たちが目にしている光景って、お客さんには見えないものでしょ? だから、それをみんなに見てもらうのはいいことだなと思って。

─先週の土曜日、韓国のソウルでのショーを見たんです。ライブ中、マークさんがその2週間前に起きた梨泰院での悲劇的な事故(※)への気持ちを表していたように思える場面がありました。アンコールで、最初に韓国民謡“アリラン”をギターで弾きながら登場しましたよね。あのとき、自然と観客の合唱が起きました。

マーク:音楽がなにかの助けになることもあるかもしれないからね。でも俺は、言葉にしてそれを言ったりはしてない。ただ、韓国でもっともよく知られている曲を弾いただけだよ。俺には韓国語はしゃべれないからね。

─泣いてるお客さんがいっぱいいました。

ローラ:(あの曲で思いを)たくさん伝えられたんだよ。

マーク:とにかく、俺は特別なことは何も言ってないから(笑)。

─ぼくにとってそのソウル公演が3年ぶりに見たKhruangbinのライブだったんです。照明やセッティングも含めてさらにエンターティンメント度が上がったステージングはもちろん、3年前とは倍以上レパートリーが増えたヒップホップメドレーや、“People Everywhere (Still Alive)”に挟み込まれる四つ打ちのハウス名曲メドレー(“Rhythm is a Dancer”~“Gypsy Woman”~“Big Fun”)もすごかった。さらに先に進んだショーになっていて感激しました。

─リリース面でも、リオン・ブリッジズとの2枚の共演EP(2020年『Texas Sun』、2022年『Texas Moon』)や、つい最近もマリの伝説的ギタリスト、アリ・ファルカ・トゥーレの息子ヴィユー・ファルカ・トゥーレとの共演盤『Ali』(2022年)も発売されましたし。パンデミックでの停滞はあったでしょうけど、音楽的なアプローチの広さは相変わらずだなと感じてました。

マーク:俺にできるのは音楽を聴くことだけだからね(笑)

─この期間に、精神的かつ状況的に孤立を深めてしまった人もいると思うんです。断絶とか戦争とかもそう。でも、あなたたちは、むしろさらにオープンになった。それが大事だと感じてます。

マーク:音楽を聴くことは、旅をする方法にも似てる。小さな部屋に閉じ込められていて、そこから抜け出したいと考えるのなら、音楽は最高の手段なんだ。

DJ:2020年にアルバムを出したとき取材をたくさん受けたけど、ほとんどがリモートの取材で、コンピューターの画面を眺め続けることには、ほとほと疲れ切ってしまった。

それで俺たち3人はしつこいくらい連絡を取り合うことにしたんだ。パンデミックのあいだ、俺たちはみんな別々の場所に離れていたし、お互いに気持ちが沈んだりしてないかチェックし合うことがいちばん大事だった。アメリカでは、たくさんの人が精神的におかしくなっていっただろ。

ローラ:あんなに長いことみんなが離れ離れになったことがなかった。こうしてツアーを再開してからは、(バブルのなかにいたため)一緒にいすぎたくらいだけどね(笑)。

ローラ:いま私は田舎のほうで暮らしてるから、ロックアウト中も屋外には結構出てて。周囲はみんな自分の家に閉じこもってて静かなものだったけど、私には外に出て、木々に囲まれて過ごす時間がありがたかった。Zoomを何時間もやらされるなんて、刑罰みたいなものでしょ。

マーク:まったくだ。

ローラ:遠くの人と話せても、その人には会えないし、そこに行くこともできないって思い知らされるんだから。刑務所に入ってるような、いやな感じだった。

マーク:ただ、作曲ではコンピューターを使うことが増えたな。ギターでちょっとしたパートを弾いて、それをサンプリングして曲に落とし込むようなやり方をしてね。俺とテクノロジーの付き合い方はそんな感じさ。

Zoomで4時間誰かと話したら、そのあとはコンピューターに向かって曲をつくる。曲づくりのほうが、Zoomで話すよりも外の世界に出られると感じていたんだ。

─だからこそ、こうやってツアーに戻れたのはうれしいことですよね。ソウル公演では、ステージや会場は大きくなったんですけど、3人の人間性が変わらないと思えたのがうれしかったんです。

マーク:俺たち、頑固者だからな!(笑) そのことについてはよく考えるんだ。物事が大きくなると、自分たちのコアにある意図が薄まって、方向性が迷走しがちになるだろう?

いま俺が出している音は自分の望むものになっていると思う。だけどもし、なにか新しいペダルをセッティングに加えたり、違うギターやアンプを使い出したらどうなるか。技術的には改善されたとしも、かつてあったサウンドのエッセンスはどんどん失われていくんじゃないかな。

つまり、そうやって出た音は、もはや俺の声ではなくなるということなんだ。だから俺はなにかを変えるということに対しては頑固である必要がある。

ローラ:世界が変化してゆくなか、私たちもいろんなところに旅をするでしょ。世界中のどこにいても、外の世界でなにが起きていても、ステージの横を向けばマークとDJがいつもと同じようにそこにいる。それがいい感じなの。いまはこれが最高。

Khruangbin / Photo by Kazma Kobayashi

DJ:俺もまったく同じことを思ってた。俺たちは自分らしくあることにこだわっているし、自分の意思にも忠実でありたいと願っている。それが俺たちのサウンドを際立たせている大きな要素だよ。自分たちが何者なのかを表現することが音楽になっているんだ。

─ソウル公演では、最後にDJさんがドラムセットから立ち上がって、両手で指ハートを作ってみんなに見せてましたよね。ああいうかわいらしさも、大事な個性のひとつだと思います。

ローラ:そうだったね(笑)。

マーク:初めてソウルでプレイしたのはジャズフェスティバルに出たときだったかな(2018年5月19、20日/『Seoul Jazz Festival 2018』)。そのときにK-POPのマナーだと教わって、俺が(指ハートを)はじめたんだ(笑)。

あれからどのライブでもやってるよ。ステージ上からある特定のオーディエンスに向けてウィンクするような感じだね。世界規模ではあれがハートを意味してることがすぐわかる人はまだまだ多くないけど、たとえばLAでプレイすると韓国人のオーディエンスがいたりするだろ。その子たちは「わ!」って驚く。その子たち限定だけどね。そういうのが好きなんだ。

─日本にはK-POPファンが多いから、みんな指ハートを知ってますよ。

ローラ:じゃあ、やらなくちゃね(笑)。

ローラ・リー(Khruangbin) / Photo by Kazma Kobayashi

─あのサインって小さいからいいんですよね。大げさなジェスチャーとは違うことに、逆に大切な思いがこもるんですよ。

マーク:フランスの文化では、小さいものこそ大切だっていうよね。いろんな国に旅すると、それぞれ全然違う体験をするし、いろいろなオーディエンスとコミュニケートする。その国や地域によって違う知見がある。それを知ることが俺は好きなんだ。

─自分たちが音楽を与えているだけじゃない。何か大事なものを受け取ってもいる、という感覚でしょうか?

ローラ:100%そのとおり。

マーク:そういう意味でいえば、俺たちはセットリストを毎晩ちょっとずつ変えている。曲順や曲目じゃなく、場所が変われば飾りつけもちょっと変えるという表現がいいかな(※)。

Khruangbin / Photo by Kazma Kobayashi

ローラ:オーディエンスから受け取ったエネルギーが私たちの演奏を変える、と言ってもいいかな。うるさいお客、酔っ払ったお客がいたっていい。みんな素敵。だって同じ人間なんていないでしょ。それぞれの楽しみ方があるんだから。

そういう違いは演奏を変える。それはどんな場所でも起きうる変化で、そういう意味では、ソウルのお客さんはとても静かだった。曲の終わりに拍手があがるくらいで、耳障りな歓声も聴こえなかった。

マーク:でも、あの静けさにはすごくリスペクトを感じたよ。君だってあのオーディエンスに反応したから、(アンコールで)ステージから降りて最前列を歩きながらベースを弾いたんだろ。

ローラ:そうね。あのリアクションには、アメリカ人のキャーキャーとは違う真剣さを感じた。アメリカ人って、うざいくらいやかましいから(笑)。でもあちこちで学ぶことは本当にあるよね。

Khruangbin来日ツアー東京公演より / Photo by Kazma Kobayashi

ローラ:ツアーって街から街へ毎晩移動だし、街で遊ぶ時間なんてないけど、会場に来てくれたみんなと気持ちを交わし合うことでその街がわかることがある。こうやって(取材場所の)バックステージに用意されているいろんなものからも伝わる気持ちがあるしね。

あなたはさっき「小さなものに大きな意味がある」って言ってたけど、そういうことを世界中どこに行っても私たちは感じているんだよね。

─かつては、あなたたちはいろんなタイプのバンドやシンガーのフロントアクトを務めて「わー、Khruangbinっておもしろいバンドがいるんだな」と思わせてきました。いまでは立場が逆転して、あなたたちがメインアクトになり、フロントでいいバンドをプレゼンしていますよね。そのことについてはどう思います?

マーク:新しい感覚だ。変な感じだよ。でも、自分が好きな人たちを紹介できるのは、いいことでもある。俺の気持ちはいまでもいろんなバンドのファンボーイだから。それに、自分が大物になった気もしてないからね。

ローラ:以前は、私たちが大きなバンドのフロントアクトを務めるときは、誰も私たちのことなんて知らなかった。でも、メインアクトの人たちが私たちを好きでいてくれて、大きなチャンスをくれていた。

いまは私たちが逆の立場で同じことをしたいから、フロントを務めるバンドは、なるべく私たちが決めるようにしてる。たくさんのオーディエンスの前で演奏するというチャンスを与えたいんだよね。

─今夜(11月15日)の豊洲PIT公演ではGliiicoがフロントを務めます。残念ながら出演中止になってしまいましたけど、大阪公演では坂本慎太郎さんがフロントを務める予定だったんですよね。

ローラ:彼が私たちのオープニングでプレイするはずだったなんて、すごく戸惑って。逆でしょ?

マーク:俺たちが何年も憧れてきたスターなのに。

ローラ:だって、彼は私たちにとっては神話の登場人物みたいな存在だし、演奏してくれるって話を聞いたとき「マジで?」って聞き返したんだから。

マーク:彼のためなら俺たちはいつでも舞台を用意するよ。

ローラ:よろしく伝えておいて。

─じゃあ最後に、いまあなたたちが日本のオーディエンスにおすすめしたい音楽があったら教えてください。

DJ:ハイチのギタリストで、Coupe Cloueだね。すごく昔のプレイヤーだけど。でも、勧めるとしたら、これじゃないかも。ちょっと考えるよ(iPhoneをスクロール中)。

ローラ:私は、Pearl & The Oysters。

マーク:俺がいまさっき聴いてたやつなら教えられるんだけどな。

ローラ:DJ、どれにするか決まった?

DJ:OK。これにしよう、Her'sだ。

約束の30分を少しオーバーして、インタビューは終わった。マークはおすすめを結局教えてくれなかったが、開演前に会場で流れていたBGMがあまりにワールドワイドかつダンサブルかつ刺激的で(Shazamしまくり)、これを彼らが選んでいるのだとしたら、自ずと最後の質問の答えになっているのかもしれないなとも思った。

インタビューでも言ったように、3年半ぶりの来日公演の直前に行われた韓国・ソウル公演(2022年11月12日)にもぼくは足を運んだ。10月29日にはハロウィンの夜にソウルの繁華街・梨泰院で多くの人が圧死する痛ましい事故が起き、渡航にあたっての動揺は小さくはなかった。

実際、事件から1週間は韓国全土が喪に服すと決まり、すべてのエンターティンメントが中止になっていたのだ。事故から2週間後に予定されていたKhruangbinの公演も、もしかしたら中止になるかもと不安になり、渡航前に何度も検索した。

結果的に、ソウル公演はスケジュールどおりに行なわれた。ソウルの街は、梨泰院周辺を除けば思ったよりもずっと平静で、マスク姿こそ目立つもののにぎわいは普通に戻りつつあることを強く感じた。満員の会場でライブも盛り上がり、アンコールの求めも熱狂的だった。だが、アメリカから来た彼らにも、旅行者であるぼくにも、この街に与えられた悲しみの本当のところはわからない。

Khruangbinがライブで放つエネルギーの大半は、快楽に直結したものだ。ギター、ベース、ドラムスによるシンプルなアンサンブルは、踊りと揺らぎの両方にダイレクトに作用する。3rdアルバム『Mordechai』(2020年)では歌詞のある曲も増えたが、それらはサウンドの一部として機能し、言葉の意味をメッセージとして前面に立ちはだからせはしない。

舞台袖からマークのギターが聴こえ、アンコールのはじまりを察知した観客がいろめきたつ。だが、そのメロディーがなにを奏でているかに気がつくと、場内は水を打ったように静まりかえった。そして水の波紋がゆっくりと広がるように、声を抑えた合唱が場内を満たしていた。

マークが弾いていたのは、韓国民謡“アリラン”だった。歌詞にはいろいろ解釈もあるそうだが、おおむね、愛する人との別れ(失恋や死別)を歌う意味合いで共有されている。セットリストには残らないインタールード的な選曲ともいえるこのパートに、マークは言葉にできない思いをしっかりと添えていた。悲しみを忘れて今夜は楽しもう、とスーパークールに押し切ることもできたはずなのに。

コロナ禍を経てふたたびツアーをはじめた彼らの演奏や立ち振る舞いに、彼らの人間的な部分が変わらず残っていて、さらにそれを前面に出すようなライブになっているのがうれしかった。

このインタビューはソウル公演の3日後からはじまったジャパンツアー(15日豊洲PIT、16日Zepp Haneda、17日なんばhatch)の初日開演前の、あわただしい時間に行なわれた。ヴィユー・ファルカ・トゥーレやリオン・ブリッジズとの共演盤のことも聞きたかったし、ほかにもいろいろ聞いておくべきことがあったはず。

だが、ソウルで聴いた“アリラン”のことが忘れられなかったこともあり、話題は自然と、ツアーを再開した彼らが自分たちの現状やオーディエンスとの関係のとらえ方が中心になっていた。過激なことはなにも言っていない。でも、何年かあとに読み返しても大事に思える、バンドにとっての気づきとこだわりを語ってくれた。

ジャパンツアーでも、東京2デイズと大阪、セットリストは少しずつ違った。YMO“Firecracker”のカバーがアンコールで演奏されたのは羽田と大阪。マークがステージから降りて演奏したのは豊洲。3公演のポスタービジュアルはすべて異なり、限定のシルクスクリーンプリントでポスターとして販売された。指ハート、手ハート、腕ハート、あらゆるハートで彼らは愛を投げかけ、大阪公演のラストでマークは「またすぐに逢おう」と言い残して、ギターを弾きながらステージを去った。

マーク・スピアー(Khruangbin) / Photo by Kazma Kobayashi

大阪公演を終えて、バンドはそのままオーストラリアに飛び、オセアニアツアー合計10公演を行なった。そして12月8日、ニュージーランドのオークランド公演で『First Class Tour』を終えると、ローラのInstagramで最大のサプライズが。じつは彼女は懐妊していて、その状態で4大陸32回のライブを行なってきたという。つまり、韓国でも日本でも彼女はお腹に赤ちゃんを宿して、あのすごいライブをやっていたのだ。まいりました。

そういえば、大阪公演のあと、お客さんが「コントみたいやったな」と笑顔でしゃべりあっているのが聞こえた。コントか、土地柄っぽい表現だな……。三者三様のキャラクターがあって、セットリストやメドレーという「台本」もある。だけど、最終的に残るのは、お客さんの反応も含めてどのようにでも変化するという意味での「人間」。舞台が大きくなればなるほど、私たちはもっとみんなと身近になれる。そんな逆説の実証を彼らはこのバンドで試し続けているのかもしれない。