あんまりこういうことは書きたくないんだけど、今年の大河にイマイチ身が入らない。松本潤主演の『どうする家康』。家康がまだ若く、優柔不断で臆病で、相手の気持ちを思いやり、理想と現実の間でいつも悩み、背負いたくない重荷を背負って苦悩する。そういう作風が、現在放送分までは時にコミカルに描かれている。
三河家臣団との関係性もちょっと複雑。まだ序盤なので家康のほうから壁を作っちゃっているといった段階。後の神君に成長するとはとても思えないレベルで、松潤家康の優柔不断ぶりに、ついついやきもきしているというのが、いち大河ファンとしての率直な感想だ。
それこそ、悩み、傷つき、また悩む仕草って、アイドルとしての松潤ファンにとっては目の保養になるんだろう。だけど大河ドラマで、しかも家康公を主役に立ててそれをやられてもなぁという気持ちになる。ただ、正直まだこの頃の家康は若くて未熟なので、ある意味では松潤家康は、しっかりとした芝居ができているとも思える。
だから松潤家康に関しては「まだこの段階ではこういうものだ」と納得ができる部分はある一方で別の部分に目を向けると、ちょっと「う~ん」ってなっちゃうことが。(文:松本ミゾレ)
史実にないのに無理やりエピソード創造って大河に必要なことなの?
ここ数年、大河ドラマが毎週日曜日に放送されると、ツイッターでトレンド入りするほど感想が書き込まれるのが恒例となっている。
昨年の『鎌倉殿の13人』に関して、2クール目以降は放送終了後には絶対トレンドとして話題になっちゃうぐらいに感想も白熱していた。しかし今年は少しパッとしない。
やっぱり視聴者を没頭させ、熱中させる要素が前作に比べると少ない。逆に目に付くのが「そんなことやるなら史実にあったことをドラマにすればいいのに」という架空のお話の多さ。
たとえば三河一向一揆直前には、三河家臣団らと共に家康自身が本證寺に潜入して、その内情を探るというシーンがあった。その際に、家康の妻である瀬名(演:有村架純)や、家康の実母である於大の方(演:松嶋菜々子)も居合わせて、賑わう寺の内部の街並みに浮かれるという描写があった。
そして実に多くの信徒でにぎわう中、都合良く家康と瀬名がばったり遭遇して「何でここに!」みたいな展開になっちゃってるのを観た時、シンプルに「そういう、絶対なかったって言い切れるレベルのオリジナル演出はいらないよ」と感じてしまった。
また、本證寺内部において、家康への敵対心を抱く松平昌久(演:角田晃広)と吉良義昭(演:矢島健一)がわざわざ入り込んで密談をしてほくそ笑むという光景も存在した。
アレも「なんで悪だくみしている人たちが揃ってそんな場所にいるんだよ」と思えてしまった。
なんか、視聴者に対して「コイツとコイツが悪い奴だから、おぼえてね」と気遣いをされているような気がして、「余計なお世話だなぁ」と感じてしまったのだ。
っていうか、敵陣に潜入してみたら自分の嫁さんがそこにいました! みたいな衝撃展開なんか別に欲しくないのである。実際、瀬名があそこにいたことで目新しい展開なんか別になかったし。
あれをやるぐらいなら一揆に加わってしまった家康の家臣団の面々をもうちょっと多く登場させて、この時点での一枚岩ではない状況をもっと前面に押し出した方が「どうする家康!」って思えたような気がしてならない。
今後は「どうする」の意味合いが変わってくるはず……
今のところ、本作は前作、前々作の大河ドラマと比較しても「キャストはいいんだけどね」という評価になってしまう。やっぱりタイトルの「どうする」に引っ張られて過ぎている部分が大きいし、まだまだ若い家康だから「どうする!?」と周りからせっつかれることが多いのもクドい。
それこそ今後、武田軍との戦いも描かれるが、ここで山県昌景(演:橋本さとし)らの猛攻を受けて窮地に陥る場面も出て来るだろうし、現在活躍中の家臣団のうち、数名がその時点で退場となる。
これまで家康に「どうなさるおつもりですか」と問いただした面々が減っていくので、家康は以降、周りから判断を問われる前に主体的に悩むことになるはず。そうして成長した家康を、きっと視聴者は見届けることになるんだろう、きっと。そうに違いない!
さらに言えば、やがて家康は信長を失い、秀吉とも水面下で対立し、秀吉亡き後は戦国時代の最終勝利者になるべく天下取りに打って出るようになる。
恐らく本作終盤ぐらいになるとそういった様子も描かれるはずだが、その頃には「どうする」の意味合いは、もはやかなり様変わりしているのではないかと予想する。
要は、これまで周りが「どうするんだよ、家康!」と頼りない殿のケツを叩くようなニュアンスだったものが、やがて老獪な五大老筆頭になる頃には「家康殿はどう出るつもりなんだ」と周りから警戒される……そういうニュアンスの「どうする」に変貌しているんじゃないか、と。
つまり『どうする家康』というタイトルの意味そのものが激変し、前半と後半とで全く印象は異なっていくんじゃないか? ということを、予想している。さすがに終盤になってもなお今と同じ感じで「どうする」と周りにせっつかれてる家康のままのはずがないので。
現状、Twitterでは手厳しい意見が多いし、Googleの「どうする」と入力するだけでサジェストで「どうする家康つまらない」が出てきてしまう。が、考えてみればこの周囲からの評価も、現在ドラマの中で、家康に向けられている周囲の面々からの視線に近しい。やがてドラマが進むにつれ、世間の松潤家康への評価が変貌している可能性。決してゼロじゃないはずだ! と思うのである。