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第一印象は「無機質で色のない」街。10代の学生が見つけた、ネットでは遭遇できない有楽町の魅力

2023年03月14日 09:00  CINRA.NET

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Text by 森谷美穂
Text by 佐藤翔
Text by 谷口陽

有楽町の街を舞台にした編集のクラス「EDIT CITY 都市の探検と編集」に、10代の若者たちが参加して生まれた『10代がつくった有楽町の本』。

丸の内や大手町に隣接し、日本有数のビジネス街として知られる有楽町。その有楽町を10代の学生はどんな視点で切り取ったのか。このプロジェクトに参加した3人のメンバーと、講師を務めた編集者の山若マサヤに、有楽町を取材して見えてきた「街」について語り合ってもらった。

―まず、このプロジェクトについて教えていただけますか。

山若:10代のためのクリエイティブスクール「GAKU」が主宰する「EDIT CITY 都市の探検と編集」に、三菱地所が特別協賛というかたちで関わってつくられたプロジェクトです。

三菱地所は、「街の輝きは人がつくる」というコンセプトのもと、ものごとの原石が生まれ、磨かれる街へと有楽町が変革するため「有楽町micro STARs Dev.」という街づくりを進めています。その一環として、これからの未来を担う学生さんたちを応援するという意味でこのプロジェクトに共感し全面的に協賛してくれています。

そこに、日常を旅するための雑誌『MOUTAKUSANDA!!! magazine』を出版していた自分に講師として声をかけていただきました。有楽町の街が10代の学生にどう映るかをかたちにするために、プロジェクト前半に街の見方とZINE(ジン:個人で制作した冊子)制作、後半に本づくりの講義をやろうということになりました。

山若マサヤ(やまわか まさや)
(必ずしも)旅に出ない旅行誌「MOUTAKUSANDA!!! magazine」、フリーマガジン「TOKYO VOICE」編集長を務め、出版レーベル1.3h/イッテンサンジカンを設立。自身で書籍や雑誌を制作発表しながら、編集者として雑誌やウェブや広告の制作に携わる。石川県出身。

山若:ぼくは、旅というのはどこか遠くに行くことだけじゃなくて、自分の住んでいる街でも、視点を変えたり、少し奥に分け入って探検してみたりすることでもできるんじゃないかとずっと考えてきました。なので、今回のプロジェクトもそういう観点から、有楽町を探検しながら旅をするように遊び、本をつくろうということを話していました。

―学生のみなさんは、どうしてこのプロジェクトに参加したのでしょうか。

ありすいーつ(以下、ありす):私はこれまでを振り返って、唯一誇れるのがたくさん本を読んできたことなんです。本が好きで、一度本づくりをしてみたいと思い応募しました。

新谷りり(以下、りり):逆に私はいままであまり本を読んだことがなくて。ただ、デザインやクリエイティブ系の勉強をしていたので、この企画をきっかけに本づくりについて知ったり、自分でつくれたりしたらいいなと思って参加しました。

miyuwaki(以下、miyu):私の場合、このプロジェクトに関わる友人から声をかけてもらったことが参加のきっかけです。私は東京の東側に住んでいるから、有楽町はもともと身近な街でした。喫茶店も多くて映画館もありますし、交通会館や、今回取り上げた有楽町ビル、新有楽町ビルもよく散歩で来ています。

左から:ありすいーつ(大学1年)、新谷りり(中学3年)、miyuwaki(大学4年)

―miyuさんにとって有楽町は身近な街とのことですが、ほかのみなさんは、もともと有楽町にどんなイメージを持っていましたか?

ありす:私は有楽町に人や文化的な側面をまったく感じていませんでした。調べると「有楽町の世帯数は9世帯で、人口でいうと11人しかいない」とあり、とても無機質なイメージを抱いていましたから。

りり:じつは、このプロジェクトに参加するまで有楽町という街を知らなくて。ネットで調べてみたんですけど、街の写真を見てもあまりイメージが沸きませんでした。

―そんななか、本では有楽町のどの部分をテーマに取り上げたのでしょうか。

りり:最初は街中で見かける「有楽町」の字体に注目しました。ただ調べていくうちに、字体以外にも面白いデザインや取り上げたいものがどんどん出てきたんです。最終的には「有楽町ミステリーデザイン」をテーマにおいて、看板や標識や店構えにまで対象を広げていきました。

miyu:有楽町と聞いてすぐに頭に浮かんだのが、有楽町ビルと新有楽町ビルの2つで。今年取り壊されてしまうから、いまの姿をアーカイブしたいと思いました。

この2つのビル、外壁やエントランスの壁のデザインがすごく面白いんです。一つひとつとても手が込んでいるので、最初はそれだけに注目してつくろうとしていました。でも、ビルのなかをうろうろしてみたら、壁以外にも残したいものが出てきて。

テナントのドアノブやエレベーターへ誘導する小さい標識など、これからつくられる建物にはきっと存在しないような、レトロでユニークなものがたくさんあったんです。なので、壁はもちろん、さらに小さな部分からもビルの魅力を集めることにしました。

ありす:私がテーマに選んだのは「有楽町人物史」です。けれど、はじめは人物にフォーカスするつもりはなく、自分の直感を信じていいと思ったものをつくろうと思っていました。有楽町のことはまったく知らなかったので、手探りで自分の感覚に合うところを探していたんです。

それで、東京交通会館にある旅行かばん屋の「トコー」さんを取材してみたら、お話を伺った副社長の人間味にすごく魅力を感じて。お話を聞いていくうちに、人にフォーカスを当てて詳しくインタビューをしたいと思うようになりました。

山若:ありすさんは最初、「旅の予感」みたいなテーマでいろいろな場所を巡ろうといっていたんです。誌面のイメージも、スナップ写真にキャプションで少し補足するくらいのラフなものだったよね。でもトコーさんに取材に行ったら、副社長と1時間ぐらい熱く語り合い、お父さんの自伝まで借りていて(笑)。

それで「自分が本当に感動したことを素直に伝えることが一番面白いと思うよ」とアドバイスしたら、人にフォーカスしようとなりました。

―本という制限のあるフォーマットで、「有楽町エリアの街や人の魅力をどう伝えるか」という視点でまわると、新たな発見もあったと思います。本づくりのあと、有楽町のイメージに変化はありましたか?

ありす:有楽町は、知れば知るほど「色」があることに気づきました。インタビューをとおして人が街をつくっているなとすごく感じたというか、人を見たら街がわかったんです。

例えば、取材したお店が入っている東京交通会館は、とても商店街っぽい。商店街って、私は日本の伝統的な場所だと思っていて。個々のお店を営んできた人々の歴史が取材をとおして感じられ、「ここは商店街だ!」と思ったんです。だから有楽町は私にとって、日本を感じられる場所になりました。

ありす:JR線のガード下には「有楽町コンコース」というディープな飲食街もありますよね。そういうところって、守ろうと思わないとなくなっちゃうような気もしていて。人にフォーカスしたせいもありますが、人々の熱い思いがあるから街が存在しているんだなと思いましたね。

りり:大通りから怪しそうな細い路地に入ってみると、すごく面白い看板があったり、怪しいけどめっちゃ人がいるお店があったり。

ネットで調べただけのときとは印象がガラッと変わり、街を歩いていると「本当にここ有楽町?」と驚くことが多かった。自分のテーマに「ミステリー」という言葉を入れたのもこの経験からきていて、掘れば掘るほど面白いものが出てくるなと思いました。

山若:相当一緒に有楽町を歩き回ったよね。みんな、講義外でも各々が取材したりリサーチしたりして、ぼくが知らない面白いところを勝手に見つけてきていました。

―取材した内容を本にする作業は、いかがでしたか?

ありす:本づくりは本当に辛かった……。プロジェクトの前半ではZINEをつくったのですが、そのときは「どんなふうにつくってもいい」という手軽さがあったけど、本は別物でした。

私は人と話すのも文章を書くのも好きなんですけど、インタビューをして「わぁ楽しい!」と思ったことを読んだ人にも伝えられるように、どうかたちにするかを考えるのが本当に難しかったです。

りり:たしかに、多くの人に協力してもらって世に出す本だから、いろいろな人にわかってもらえるよう表現しないといけないというプレッシャーがあって、そこが大変でした。

miyu:ZINEは一人でつくるので、いろいろな人と調整する過程がないじゃないですか。私は過去に何度かZINEをつくったことがあったんですけど、この本づくりでは、山若さんやデザイナーさんなどとみんなでつくっていくところがいままでにはない経験でした。

山若:ZINEから一歩進んだことが、大変さの正体かもしれません。ZINEは基本的に、自分が面白いと思うものを好きなようにつくることがいいとされています。一方で雑誌や本などのメディアは、自分が面白いと思ったことに人を巻き込む工夫をしなければいけない。

それは、一方的に情報を投げるのではなくて、伝わるとはどういうことかを考えるということ。伝えるための工夫がめちゃくちゃ大変だと思うんです。

実際に何回も話し合ってコンテを描き直すこともありました。そうして同じコンテンツに何度も関わり工夫を凝らしていくうちに、つくり手自身がものすごく成長したり、変化したりする。つくり手にとっても新しい自分を発見するきっかけになるんです。その過程があるからこそ、読者にとっても面白いものになります。

自分が面白いと思ったことを損なわずに、人に伝わるようにする工夫というのは、本づくりに限らず、何らかの表現をするうえで非常に重要だと感じています。

山若:大人になると、どうしても計画とか予算とかの話ばかりになってくるじゃないですか。もちろんそれも必要なことですが、そればかりやっていると自分が「面白い」と感じたことを伝える意識が衰えていってしまうと思うんです。

計画や予算や損得とかから外れたところで、純粋に「面白い」と思ったことをやった軌跡が残っているのがこの本なので、大人が見たらハッとする部分もあると思います。

―コロナ禍でオンライン化が急速に進み、メタバースも台頭してきて、わざわざ街へ出かけなくても生活できるようになってきています。そんななかで、街はどんな存在になっていくと思いますか?

ありす:もしかしたら、ウェブが必需品で、街が遊び場、娯楽の場になっていくかもしれない。「Bondee(ボンディー)」(アバターを使ったメタバースSNSアプリ)があればメタバース上で友達とも話せますし。

「Bondee」画面

ありす:一方で、街に出ると想像していなかった面白いものがたくさん見つかります。さっきも近くのビルで3人の人が、ビルの壁にぶら下がっているのが見えてびっくりして。よく見ると掃除をしている人だったんですけど、ウェブ上ではそういった突然の出来事には遭遇しづらい気がします。

街に出かけて遭遇するさまざまな出来事は、私にとって全部シールのように感じられるんです。気に入った出来事を自分のなかのシール帳に1つずつ貼っているみたい。街で出会ったものは、大切にしたい宝物として残る感覚があります。

山若:予期せぬ出会いみたいなものが重要なのかもね。

ありす:よくインスタでいいなって思った画像や動画を保存するんですけど、どれだけ保存しても、ウェブ上のものって自分のものとして保存されていない気がします。

でも今回、有楽町でできた思い出、例えば取材で3回くらい行った「喫茶 ジュン」さんは、自分のなかにしっかり残っていて消えないんです。

りり:私の場合、小学校の卒業式あたりからコロナ禍になり、外出できなかったり、友達に会えなかったりした期間が多くありました。もちろんオンライン上で友達と話すこともできるけど、一緒に出かけて買い物をしたり、おしゃべりしたりする楽しさはまた違ったものです。

最近は、友達と近所を散歩するのがとても好きで。学校が終わったあとに、ちょっと遠くの駅まで歩いて帰っています。ただ散歩しているだけなんですが、それがリラックスできるというか。そんなふうに楽しめる場として街があるのはすごくいいかなと思います。

―偶然の出会いや友達と楽しめる場として、お二人は街に魅力を感じているんですね。miyuさんはいかがですか?

miyu:少し大きい話になってしまうかもしれないんですけど、いつの時代もカルチャーは、人間同士がSNSのフォロワー数とか関係なくやりとりできる街から生まれてきたと感じています。

例えば渋谷にあった「トランプルーム(TRUMP ROOM)」のように、実際に人が集まって、単純に人の魅力でお互いを刺激し合う場所があったほうが、カルチャーが生まれるんじゃないかと思うんです。人と人とが向き合える、数字とは関係ないコミュニケーションができる場所があるって、いいですよね。

miyu:今回の本づくりも街や場の持つ価値と同じで、数字を気にせずにつくり手の感性から始められたから、エネルギーが綴じ込められたのだと思いました。

山若:そういうエネルギーってすごく大事だよね。人のエネルギーもそうだし、miyuさんが本で紹介した、細部まで手の込んだビルの壁とか、すごくきれいにつくられた取っ手とか、ただ機能を果たすだけならこだわらなくてもいいような損得勘定じゃない部分にもつくり手のエネルギーが蓄積されて、街の歴史としてかたちに残っている。

素敵なこと、面白いことをやろうというエネルギーはずっと受け継がれていくはずです。古いビルがなくなるのがさびしいという気持ちはあるけど、そのエネルギーを受け継いで次につくられるものが、きっとまた、次の時代のビンテージになるんだと思います。