Text by 後藤美波
Text by 鈴木みのり
「これはぼくだけものものじゃない。変化を求めつづけたすべての人たちのものだ」。今年2月、『全米映画俳優組合賞(SAGアワード)』でアジア系俳優として初めて助演男優賞を受賞したキー・ホイ・クァンは、声を震わせながらそうスピーチした。映画『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』で、主人公の夫ウェイモンドを演じた彼は、今後、MCUの『ロキ』シーズン2に出演することが決まっている。
1980年代に子役として人気を博すも成長するにつれて出演機会に恵まれず、一時は裏方に専念していたクァンは、本作でカムバックを果たした。冒頭の言葉の背後には、ハリウッドでアジア系俳優が置かれていた不均衡な状況がある。
今回CINRAではクァンにリモートで取材を敢行。本作に込められた重要なメッセージや、ハリウッドへの問題提起、変化を後押ししてきた先人たちへの感謝の思いなどを真摯に語ってくれた。インタビュアーを務めた鈴木みのりによる本作のレビューとあわせて、クァンの言葉に触れていただければ幸いだ。
『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』あらすじ:経営するコインランドリーは破産寸前。ギリギリの暮らしを送る主婦・エヴリン(ミシェル・ヨー)。ある日、そんな彼女のもとに「別の宇宙から来た」と名乗る夫・ウェイモンド(キー・ホイ・クァン)が現れる。「全宇宙を救えるのは君だけだ」と突如世界の命運を託されたエヴリンは、啞然としながらも夫に導かれマルチバースへジャンプ。「別の宇宙を生きるエヴリン」が持つさまざまな力を得て予想も常識も遙かに超えた壮大な闘いに挑んでいく。
全米で1億ドル以上(約136億円)の興行収入を樹立した大ヒット作『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』。「アジア系」や「家族」とまとめられる人々のなかにある、世代、言語、ジェンダーやセクシュアリティといった差異と、それによって傷つけ合う可能性を認めながらも、互いを慈しみあえる希望を描き出そうとしている祝福の物語だ。ステレオタイプや偏見などの規範をズラしながらも、これまでも存在していたけれど、白人中心的なアメリカ社会では不可視とされてきた多様な人々に光を照らす。
そんな本作で、ミシェル・ヨー演じるエヴリンの夫ウェイモンド役としてスクリーンにカムバックした51歳のキー・ホイ・クァンは、『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』(1984年)のショート・ラウンド役、『グーニーズ』(1985年)のデータ役として、1980年代を代表する子役だった。そんなホイ・クァンに、2月末に話を聞く機会を得た。
ポッドキャスト番組『Happy Sad Confused』にゲスト出演した際クァンは、『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』の撮影後、コロナ禍というパンデミックになり、オーディションにも落ち続けて、10代20代の頃と同じような経験だったと吐露していた。しかしわたしには、本作が公開されて高い評価を得ているいま、クァンの経験が、劇中のアルファ・ウェイモンド(※)がエヴリンに「君の失敗が別のエヴリンの成功に枝分かれする」と声をかけてエンパワーしようとするエピソードと重なって見えた。
キー・ホイ・クァン
1971年、ベトナム生まれ。両親は中国人移民。ベトナム戦争後の混乱から逃れて、1979年からロサンゼルスのチャイナタウンで暮らす。そこで、『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』(1984)でハリソン・フォードと共演する中国人少年のオーディションが行なわれ、見事に抜擢される。続く『グーニーズ』(1985)で一躍人気子役となり、『キー・ホイ・クァンのドロボーズ』(1986)、『パッセンジャー 過ぎ去りし日々』(1987)、『炎のマーシャルアーツ』(1990)、『原始のマン』(1992)などに出演。その後、俳優業を休止し南カリフォルニア大学に進学。卒業後、『X-メン』(2000)の武術指導アシスタントや、『2046』(2004)の助監督を務める。そして再び原点に戻ることを決意、本作のオーディションを受ける。
「パンデミックを経験して、世界中が非常に苦しみましたよね。自分たちがはたしてこの状況を抜け出せるのか、誰もがわからなかったから、悩みと不安があった。そんななかで、誰かのせいにしようとする動きもたくさんあったように思います。
でも、それでも人間というものはやはり、何かがあってもそこから立ち上がることができる。忍耐というか、回復力というか、力強さというか、最後までやる気持ちというか……そういう気持ちを持っているんだっていうことを(この作品や俳優業へのカムバックで)見せることができたように思います。いろんな問題を乗り越えていけるんだ、大丈夫だよ、と」(キー・ホイ・クァン)
クァンは、「そういう気持ち」を英語で「レジリエンス」(resilience)という言葉で表していた。これは「脆弱性」(vulnerability)という言葉の逆の概念で、脆弱性とは、社会構造で弱い立場に置かれ、その生命や生活に価値があると見なされにくく、さまざまな機会を遮られたり、差別や偏見からときには暴力を受けたり、そうしたことから能力を発揮できなかったりもする人々や状態に対して使われる。
クァンの言う「そういう気持ち=レジリエンス」は、厳しい状況下で自発的に回復しようとする力、セルフヘルプによって築かれるが、周囲との関係性も影響する。つまり、さまざまな困難のなか、すれ違いや差異もありながらも、サポートし合ったり勇気づけたりする、本作で描かれるテーマとも通じ合っている。
支え合うといえば、本作でキー・ホイ・クァンが助演男優賞を受賞した『クリティクス・チョイス・アワード』の授賞式があった1月15日、同じく同賞で主演男優賞を受賞したブレンダン・フレイザー(『ザ・ホエール』)にハグをするニュースを見て、わたしは心打たれた。
フレイザーは、1990年代に人気を博したが、2003年に『ゴールデン・グローブ賞』主催団体の元会長からセクシュアルハラスメントを受けてから仕事ができなくなった、ということを、「MeToo」以降の2018年にやっと語りはじめた。一方クァンは、1990年代後半に俳優活動をやめ、映画を学んだ南カリフォルニア大学を卒業してからは、香港の映画監督・アクション監督の元で働いたり、ウォン・カーウァイの『2046』で助監督を務めたりしてきた。ふたりの再会は、1992年に公開された映画『原始のマン』以来だったそうだ。
キャリアをストップせざるを得なかった同世代のふたりが、同じ年に高い評価を受けて「復活した」と言われる一方で、こうした経験の背景には、異性愛主義や白人男性中心的な規範意識のある、ハリウッドにおける就労の問題が横たわっているようにわたしは思った。クァン自身は業界の就労機会についてどう考えているのだろう。
「やはり大きなインパクトを持つ変化が起きるには、とても時間がかかると思います。一夜ではこういうことは叶わない。でもぼく自身は楽観主義的ですごく希望を持っています。そして、アジア系の俳優だけでなく、いろんな立場・属性の人々やグループのために平等な機会をつくろうと一生懸命に前に進めようとしてきたすべての人に、本当に大きな感謝の念を抱いています。
でも、もちろんここで終わってはいけない。やっぱりこういう対話を続けることがものすごく重要だと思うんですね。例えばいま、あなたが質問してくださっているのも、対話ですよね。とても素敵なことだと思うし、こういう質問をしてもらえてすごくうれしかった。
まだまだやらなければいけないことはたくさんあるんだけど、ぼくたちがしっかりとこうした話し合いを続けていければきっともっと変わっていく、そう思っています」(キー・ホイ・クァン)
『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』 © 2022 A24 Distribution, LLC. All Rights Reserved.
そう、変化は起きている。
『アカデミー賞』の前哨戦のひとつと言われる、『全米映画俳優組合賞(SAGアワード)』でキー・ホイ・クァンへの助演男優賞はもちろん、ミシェル・ヨーへの主演女優賞、ジェイミー・リー・カーティスへの助演女優賞、さらにキャストアンサンブルへの賞も授与された。つまり業界の俳優たちが、アジア人を中心とするこの作品のキャストたちを評価したということだ。
ただし、クァンが言うように「時間はかかる」。エヴリンの父ゴンゴンを演じたジェームズ・ホンは、同賞の授賞式で、約70年前にハリウッドで映画俳優としてのキャリアをスタートさせた当時のことをこう話した。
「アジア人ではダメ、興行的にもダメだとプロデューサーが言って、主役は目をこんな風に(キツネ目に釣り上げるように)テープで留めて演じていた」。アジア系の俳優に対する過小評価や偏見が長く続いてきたのだ。
「ジェームズ・ホンと話していたとき、1950年代にキャリアをスタートさせた当時、現場で名前を呼んでくれる人はいなかったと聞きました。むしろ、言うまいとされていた。ずっと『チャイナマン(China man)』というふうに呼ばれていたのだそうです。
例えば、『チャイナマン、現場に入ってください』『チャイナマン、現場でこれをしてください』とかいうふうに、ずっと指示されていたそうです。もちろんだいぶ昔の話ですけど、本当にとても悲しくなってしまう話ですよね」(キー・ホイ・クァン)
ある特定のカテゴリーに押し込められ、その役割を担わされ、自分が表現しているものは自分とは異なる属性のオーディエンスには届かないと言われる。そんな経験を、マイノリティ属性を持ち、日本で生まれ育ったわたしも何度も何度も積んできた。だから、『SAGアワード』で初のアジア系の俳優として助演男優賞を受賞したクァンがスピーチのなかで、画面の向こうにいる、葛藤を抱え、不可視とされている人々に向けて声をかけた「スポットライトはいつか当たる」という言葉に涙が止まらなかった。
「もちろんぼくの場合、(俳優としての仕事のなかった)当時といまでは状況も変わっています。でもこうやってカムバックできたのは、いろんな人々が輝ける機会をつくって状況を進歩させていこうと、とても尽力した方々がたくさんいたことの証明だとも思っているんですよね。
だから、こういった話は続けなければいけないと思うし、こういうかたちであなたとお話できてとてもうれしいです。だけど、さっき言ったようにやっぱり本当にインパクトのある変化が起きるには、時間がかかる。少しずつゆっくりと変化して起きるものだから、忍耐を持つことも重要だと思っています」(キー・ホイ・クァン)
『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』 © 2022 A24 Distribution, LLC. All Rights Reserved.
本作の革新性のひとつに、アジア系アメリカ人のレズビアンあるいはバイ/パンセクシュアル、つまり女性に惹かれる女性と、抑うつをめぐる物語が当たり前のように含まれている点がある。
アジア系の人々と同性愛に関する映画は、アリス・ウー監督による2004年の『素顔の私を見つめて…』と2020年の『ハーフ・オブ・イット:面白いのはこれから』といった女性(あるいは女性的なノンバイナリー、ジェンダークィアかもしれない人)たちの物語、そしてアジア系の男性が出てくる同性愛を描いたアン・リー監督の『ウェディング・バンケット』(1993年)が代表的といえるだろう。
もちろんこれは、日本に一般的に配給公開されている例に過ぎない。ミシェル・ヨーも出演し、キー・ホイ・クァンが俳優に復帰しようと決心したきっかけとなったブロックバスターフィルム『クレイジー・リッチ!』(2018年)や、『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』を配給したスタジオ「A24」の関わった作品だけでも、『ムーンライト』(2016年)、『ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ』(2019年)、『フェアウェル』(2019年)、『EUPHORIA / ユーフォリア』(2019年~)、『ミナリ』(2020年)といったアジア系、エスニックマイノリティ、同性愛、トランスジェンダー、移民、それらの複合的なマイノリティといったキャラクター・実存・テーマを扱った映画作品、ドラマなどが少しずつつくられてきたからこそ、切り拓かれてきた地平がある。
映画において多様な人々の存在が不可視とされてきたのは、これまでハリウッドでは(シスジェンダー・異性愛の)白人そして男性をメインとする、偏った欧米中心的な価値観が長く支配的だったからだと思う。本作のアジア系のレズビアン女性の物語、クィアな表象による強いエンパワメントの影響は計り知れない。
また、クィアカルチャーと切り離せないディルドやプラグのこの映画での使い方の斬新さに驚き、感動したと伝えると、キー・ホイ・クァンがすかさず言った。「ウエストポーチも忘れずに」。クァンが演じたウェイモンドは、ファッションやアクションなどで「アジア系男性」のステレオタイプ的な表現もありながらも、それを壊していく面もあり、非常にユニークなキャラクターとして拡張されている。
「ウェイモンドは、自分の脆さを人に見られること、他人に『この人ちょっと弱いとこあるな』と思われることをまったく恐れていません。怯まないんですよね。それは彼にとっては自分の人生において大事な女性を愛し、サポートしたいという気持ちの方が強いからなんだと思います。そこからぼくらが学べる点があるように思うんですよね。
いままでのハリウッドのスクリーンにおける男性の描写のされ方についての制限みたいなものをもう少し緩めて、いろんな描写をしていければなと。男性性・マスキュリニティとは、『どのくらい(強い)拳を持っているのか』『どのくらい二の腕が大きいのか』『どのくらい喧嘩に強いのか』」とかで定義づけられるものではないと思うんですよね。
実際ウェイモンドに関しては、ハリウッドで白人男性が演じてきたキャラクター、いままでスクリーンで見られていたようなキャラクター像に挑戦を突きつけるようなところがとても好きだという声を、観た人からいただいたりもしました」(キー・ホイ・クァン)
『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』 © 2022 A24 Distribution, LLC. All Rights Reserved.
AAPIコミュニティー(アジア・太平洋諸島系アメリカ人)からも、このユニークなキャラクターへの愛がキー・ホイ・クァンの元に伝えられているそうで、なかには「自分の父を思い出させてくれるから、すごく好きなキャラクターだ」という声もあったという。
その一方で、現実のアメリカ社会では、AAPIコミュニティに対するヘイトクライムや、ステレオタイプ、偏見もまだまだ存在する。アジア系の人々に対する暴力や、コミュニティでの問題については、2021年の、アトランタにあるアジア系の女性が勤めるマッサージ店での銃殺事件や、去る1月の春節の時期に起きた、ロサンゼルス郊外のモントレーパークでの銃乱射事件(※)のような報道も、日本にもいくつか伝わってきている。一方で、まだまだ自分たちをアジアの一員だと自覚したり、自分とは異なるアジア系の市民の存在を肯定的に意識したり、国内の差別やヘイトクライムに関心を寄せたり、自分が民族・国家的なマイノリティになる可能性について考えたりするマジョリティの人々は少ない。
「この映画でとても重要なメッセージのひとつが、相手に対して親切な気持ちを持つということだと思うんですよね(筆者註:ウェイモンドが『Be kind.』と呼びかけるセリフがあり、それについては日本公式パンフレットで映画評論家の町山智浩氏が触れている)。
言い換えれば、共感力(エンパシー)を持つこと。そもそもぼくらはみんな同じ困難に対峙しているわけですから、ぼくはみんなが『me and you』──つまり『自分 対 他の人たち(me vs you)』ではなくて、『僕とあなた』『あるいは僕とあなたたち』っていうふうに考えられるようになったらいいなと思っています。
どのくらいの愛を持っているか。どのくらいの共感力を自分のなかに秘めているか、お互いにどのくらいのリスペクトを見せることができるのか。これが、ぼく自身がウェイモンドを演じて、一番大きな学びとして得たもの、あるいは大きな贈り物としてウェイモンドからもらったものです」(キー・ホイ・クァン)
『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』 © 2022 A24 Distribution, LLC. All Rights Reserved.
本作は、3月12日の夕方(日本時間13日午前)から授賞式が行なわれる予定の、『第95回アカデミー賞』で作品賞、ダニエルズ監督への監督賞、脚本賞、アジア系俳優初の受賞に期待がかかるミシェル・ヨーの主演女優賞、ヨー演じるエヴリンの娘ジョイおよびマルチバースで闘いを繰り広げるジョブ・トゥパキ役を演じたステファニー・スー、エヴリンを税の監査で苦しめる国税庁のスタッフと、マルチバースでは戦闘相手(ほか)になるディアドラを演じたジェイミー・リー・カーティスの助演女優賞など、主要部門含め最多11部門にノミネートされた。もちろんキー・ホイ・クァンも助演男優賞の候補に挙がっている。
「ぼくは若かったころ、ウェイモンドのように正直である勇気がありませんでした。でもこの映画が公開されてから、いろんなところで、自分のヒストリーや、アジア系の俳優である自分のいままでの苦労、ハリウッドで経験したことをお話しているんですね。この作品に関わったこと、あるいはもしかしたら苦しんだ時期も含めてなのかもしれませんけど、とにかく、いままでのこの長い人生という旅路はぼくにとってエモーショナルなものでした。
そのような経験や思いを正直に話すことで、アジア系の人に限らずハリウッドで仕事している役者たちなど多くの人から『本当にキーさんの話には共感できる。すごくインスピレーションを与えてくれます』と言ってもらえています。
そういった話を聞くとぼく自身も本当に、心からうれしいです。ぼくの道のり・物語を聞いたみなさんに、これからは自分たちも戦っていこうという希望を与えられているんだなと。本当にありがとうございます」(キー・ホイ・クァン)