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アニメだけでなく、地元への愛も深い。ミーガン・ザ・スタリオンと南部ヒップホップの戦いの歴史

2023年03月07日 09:00  CINRA.NET

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Text by 山元翔一
Text by アボかど

今年の『SUMMER SONIC』では、ケンドリック・ラマーがヘッドライナーとして出演することが発表されているが、昨年のMegan Thee Stallion(ミーガン・ザ・スタリオン)の初来日は日本のヒップホップファンにとって最大のトピックのひとつだったといって差し支えないだろう。

日本のアニメに深い愛情を持つことでも話題を振り撒くMegan Thee Stallion(※)だが、本稿ではテキサス州ヒューストン育ちというその出自に注目したい。テキサスおよびヒューストンをはじめとしたアメリカ南部のヒップホップはかつて、ヒップホップ誕生の地であるニューヨークのそれに比べると正当に評価されてこなかった歴史があるのだという。

そんな地で育ったMegan Thee Stallionがラップスターにのし上がっていったことからは、どんなことが読みとれるのか。そしてその物語にはどんな背景があるのか。ヒップホップとテキサスという土地の関係に着目し、南部のヒップホップを愛するライターのアボかどに解説してもらった。

2022年は多くの来日公演が行なわれた。ヒップホップ/R&Bの分野ではブルーノ・マーズやKid Cudi(キッド・カディ)、Joyce Wrice(ジョイス・ライス)、Westside Gunn(ウエストサイド・ガン)やbilly woods(ビリー・ウッズ)などが来日。それぞれ大きな話題を集めた。

そんななかでも、現行のヒップホップで最も人気のあるラッパーのひとりであるMegan Thee Stallionが『SUMMER SONIC』に出演したことは大きな出来事だった。

Megan Thee Stallion(ミーガン・ザ・スタリオン)
1995年、アメリカ・テキサス州ヒューストン育ちのラッパー。大学で健康管理学を学びながら、SNSにラップを投稿したことがきっかけで脚光を浴びる。以来、ジェンダー、人種、性別、自立、ボディポジティブについて発信し続け、Cardi Bとのシングル“WAP”では女性の性ついての発言を表現し話題となる。『第63回グラミー賞「最優秀新人賞」』受賞。2022年8月には2ndアルバム『TRAUMAZINE』をリリースし、『SUMMER SONIC 2022』で来日も果たした。

アリアナ・グランデやBeyoncé(ビヨンセ)などとも共演するこのラッパーは、ヒップホップを熱心に聴くリスナー以外からも多くの支持を獲得している。

2021年の『第63回グラミー賞』では4部門にノミネートされ、そのうち最優秀新人賞を獲得。同部門での女性ラッパーの受賞は1999年のローリン・ヒル以来、22年ぶりとなる快挙で、そのほかにも『BET Hip Hop Awards』や『People's Choice Awards』などさまざまな賞にその名を刻んでいる。

また、客演で参加したCardi B(カーディ・B)の2020年のシングル“WAP”は初週ストリーミング数の記録を更新(*1)。Time誌が選ぶ「世界で最も影響力がある人物100人」の2020年版にもリストインするなど、単なる人気ラッパーを越えて現代を代表するポップスターのひとりといえるほどの活躍を見せている。

そんな華やかなイメージを持つMegan Thee Stallionの楽曲の方向性は、基本的には比較的ストレートなヒップホップ志向。ラップ自体もCardi Bのように強烈なキャラクター性で聴かせるタイプというより、詰め込み気味のたたみかけるようなラップを得意とする技巧派だ。

2022年にリリースした最新アルバム『TRAUMAZINE』では、ハウスに挑んだ“Her”やDua Lipa(デュア・リパ)と共演したポップな“Sweetest Pie”のような曲もあったものの、多くの曲はスロウでメロウ&ファンキーな路線やヘビーなトラップといった南部ヒップホップの伝統に沿った硬派なサウンドだった。

なかでもその伝統の部分を強く感じさせるのが“Southside Loyalty Freestyle”で、近い世代のSauce Walka(ソース・ウォーカ)に加え、ベテランのLil Keke(リル・キキ)とBig Pokey(ビッグ・ポーキー)と地元・テキサスのラッパーを多くフィーチャー。

プロデュースにもテキサスのMr. Lee(ミスター・リー)とメンフィスのJuicy J(ジューシー・J)が関わっており、サンプリングされたThe Isley Brothersの“Let’s Fall In Love (Pts. 1 & 2)”は、テキサスレジェンドのFat Pat(ファット・パット)の曲と同ネタだ。

そもそもこういったマイクリレーは、テキサス産ヒップホップ、特にLil KekeやBig PokeyなどのDJ Screw(DJスクリュー)周辺ラッパー(=Screwed Up Click)の作品で定番の路線。イントロでMegan Thee Stallionが「リアル・マザファッキン・Hタウン・シット」と言うとおり、かなりHタウン(=テキサス州・ヒューストン)マナーに沿った曲なのだ。

こんなにも地元色を強く出すアーティストがメインストリームの中心に躍り出て、さらに来日して大きな話題を残せるまでにブレイクしたことは大きな出来事といえよう。

しかし、テキサスのヒップホップがここまで認められるまでには長い道のりがあった。今回はMegan Thee Stallionのキャリアとともに、テキサス・ヒップホップの戦いの歴史を振り返る。

テキサスは古くからヒップホップが盛んな地だ。以前『グラミー賞』授賞式のボイコットを呼びかけたJ. Prince(J・プリンス ※)が1980年代からレーベルの「Rap-A-Lot」を運営し、K-Rino(K-リノ)やラップデュオ・UGKなど実力あるラッパーが早くから活動していた。DJ Screwのような人気DJも生まれ、ロサンゼルスやニューヨークなどと並んで活気あるシーンが形成されていた。

しかし、初期のヒップホップシーンでは東海岸中心で、テキサスやほかの地域のヒップホップは軽視される傾向にあった。Geto Boysの曲“Do It Like A G.O.”ではメンバーのWillie D(ウィリー・D)が「東海岸は俺たちの曲を流さない」「ニューヨークが発祥の地だとみんな知っているんだからエゴは捨て去れ」とラップし、シーンの価値観に対して真っ向から反発。

そのほか西海岸のCoolio(クーリオ)も日本の音楽誌『bmr』が行なったインタビューで、NYヒップホップの象徴的存在であるNasのヒップホップ誌『The Source』における評価が過大であると語り、「Nas(ナズ)が5点ならOutkast(※)にも5点やるべきだ」と主張していた(*2)。

そのOutkastも1995年の『The Source Awards』で「最優秀新人ラップグループ賞」を受賞した際にニューヨークの観客からブーイングを浴びるなど、東海岸中心の価値観による軋轢がうかがえるエピソードは数多く残されている。

しかし、そんななかでもGeto BoysやUGKは成功を収めた。Geto BoysのメンバーだったScarface(スカーフェイス)は1994年にリリースしたアルバム『The Diary』がヒップホップ誌『XXL』で満点を獲得し、商業的にもプラチナセールスを記録。

さらにNasの1999年のアルバム『I Am...』収録の“Favor for a Favor”にも客演したほか、のちにKid CudiのようにGeto Boysから影響を受けたと語るラッパーも登場した。

1990年代後半には南部ヒップホップの時代が本格的に到来し、「Cash Money Records」や「No Limit Records」といったルイジアナ勢などがブレイクを掴んだ。しかし、それは南部のパイオニアたちのつくった土台の上にあるもので、その功労者のひとりがテキサスのScarfaceだったといえるだろう。

だが、南部ヒップホップの勢いが増しても、批評面での東海岸中心の価値観はすぐには変わらなかった。

たとえば『The Source』のレビューで満点を獲得した南部ヒップホップ作品は、(のちの再評価を除くと)1990年代にはOutkast『Aquemini』(1998年)のみだった。2000年代でもScarface『The Fix』(2002年)のみだ。西海岸ヒップホップ作品でも、Ice Cube(アイス・キューブ)『AmeriKKKa's Most Wanted』(1990年)しか満点をとっていない。

なお『Aquemini』にはWu-Tang ClanのRaekwon(レイクウォン)、『The Fix』にはJay-Z(ジェイ・Z)、『AmeriKKKa's Most Wanted』にはThe Bomb Squadが参加していることからも、「ニューヨークの要素がなければ評価しない」といわんばかりの傾向が読みとれる。媒体の色といえばそれまでだが、当事者から不満が多く挙がっているのだから問題がないとはいえないだろう。

当時、南部ヒップホップが受け入れられづらかったことの要因として、東海岸との音楽的方向性の違いが挙げられる。

東海岸ではソウルやジャズなどのサンプリングによるビートメイクが主流だったが、南部では打ち込みやミュージシャンの生演奏を積極的に導入していた。これは「Stax Records」や「Hi Records」(ともにテネシー州メンフィス)など名門ソウルレーベルを多く擁する南部ならではの傾向だろう。

メンフィスのベテランラップデュオの8 Ball & MJGは、『NPR』のインタビューで「メンフィスにはディープで豊かな音楽の歴史がある。昔のバンドのメンバーの子どもがそこら中にいる」と話している(*3)。BPMも遅いものが好まれ、東海岸とは異なる発展を遂げてきた。

また、ラップ面でも東海岸がストーリーテリングやメッセージなどを重視する傾向にあったのに対し、南部ではアクの強いフロウやメロディアスなセンスなどに秀でたラッパーが多く活動していた。

2000年代半ばごろには南部勢の人気がかなり高まったものの、ニューヨークとは異なる方向に進化したそれらに対するリスナーからの反発もまた存在した。

2006年にはNasが『Hip Hop Is Dead』と題したアルバムをリリース。同作は多くの南部のラッパーの怒りを買い、2007年にはUGKがアルバム『Underground Kingz』に“Quit Hatin’ The South(南部を憎むのはやめろ)”という曲を収録した。名指しはしていないものの、恐らくこれは『Hip Hop Is Dead』を踏まえたものだろう。

しかし、2010年前後にはこの状況に変化の兆しが見えはじめた。このころには東海岸的なヒップホップと南部的なヒップホップ、どちらの影響も受けているようなラッパーが次々と登場したのだ。

たとえばMac Miller(マック・ミラー)は、ニューヨーク的なサンプリングビートを使いつつもテキサス名曲のDJ DMD“25 Lighters”のビートにも並行して乗っていた。ニューヨークから南部的なスタイルにアプローチしたA$AP Rocky(エイサップ・ロッキー)のブレイクもあった。

こういったラッパーがヒップホップ系メディア以外からも高く評価されたこともあり、このころから東海岸的価値観は少し和らいでいった。

テキサスからはTravis Scott(トラヴィス・スコット)を除くとスターは生まれなかったものの、アトランタ発のスタイルであるトラップがすっかりシーンの中核となり、2010年代における南部の勢いは増していく。

2013年にはアトランタのMigosがシングル“Versace”をヒットさせてブレイクを掴み、いわゆる「三連フロウ」を浸透させヒップホップを変革していった。しかし、そのことに拒否反応を示すリスナーも一定数存在していた。「トラップは全部一緒に聞こえる」というような意見は恐らく誰もが目にしたことがあるのではないだろうか。

そんななか、ニューヨーク出身のQ-Tip(Qティップ)は2014年のMigosのミックステープ『Rich Nigga Timeline』のリリース時にTwitterでMigosへの称賛を連投(*4)。南部ヒップホップ愛を示した。

さらに、Migosは2016年のシングル“Bad and Boujee”が“Versace”を超える大ヒットを記録。このころからヒップホップのセールスが過去最大のものになった(*5)。南部発のスタイルであるトラップがヒップホップのスタンダードになってからセールスが伸びたことは注目すべきポイントであり、それを牽引したMigosの功績は計り知れない。

そして2017年ごろにはCardi Bがブレイクし、女性ラッパーが活躍する道が拓かれていった。なお、Cardi Bはニューヨークのラッパーだが、その音楽性のメインはトラップでMigosとも関係が深い。MigosがいなかったらCardi Bの活躍はなく、Megan Thee Stallionもブレイクを掴めなかったかもしれない。

昨年、MigosのメンバーのTakeoffの訃報が届いたが、あらためてここでその功績を称え、追悼の意を示したい。

Megan Thee Stallionの名前が広がりはじめたのは、そんな“Bad and Boujee”の大ヒットやCardi Bのブレイクがあった2010年代後半のことだった。

Instagramにフリースタイルを投稿するなどしてラッパーとして歩みはじめ、2017年には地元色の強いメロウな“Last Week in HTx”が一部で話題となった。

2018年にはQ-TipがMegan Thee Stallionに接触し、契約には至らなかったもののメジャーレーベルに紹介(*6)。前後してMegan Thee Stallionは地元のレーベルの「1501 Entertainment」と契約し、EP『Tina Snow』(2018年)をリリース。収録曲“Big Ole Freak”がヒットし、2019年のミックステープ『Fever』ごろから本格的にブレイクを掴んでいった。

なお、『Fever』はテキサスだけではなくメンフィスのカラーも強い作品だった。メンフィスを代表するラップグループであるThree 6 MafiaはUGKやLil Flip(リル・フリップ)といったテキサス勢とたびたび共演してきており、『Fever』からはこのふたつの地のつながりが感じられる。

また以前紹介したとおり(※)、スケートビデオ経由でのTommy Wright III(トミー・ライトⅢ)のブレイクなどでメンフィスヒップホップ再評価の流れも2010年代を通して起きており、Megan Thee Stallionの成功は、さまざまな時代の流れが絡み合った絶妙なタイミングでもたらされたものだということがわかる。

Megan Thee Stallionはさまざまなテキサスの先人とゆるやかな縁を持ち、そして影響を受けているテキサスの正統派ラッパーである。

そのフロウは、南部のヒップホップシーンを代表するデュオUGKのメンバーでプロデューサーの故Pimp C(ピンプ・C)と近い部分があり、Megan Thee Stallionのオルター・エゴ「Tina Snow」はPimp Cのオルター・エゴ「Tony Snow」を名前の元ネタとしているのだという(*7)。

またMegan Thee Stallionを送り出したレーベルの「1501 Entertainment」のオーナーのひとりであるT. Farris(T・ファリス)は、テキサスの名門レーベルの「Swishahouse」でA&Rを務めていた人物だ。

Megan Thee Stallionの実母であるホーリー・トーマスはHolly-Wood名義でラッパーとして活動していたことがあり、K-Rinoの作品にも参加している。そのキャリアや関係者をたどると、テキサスのヒップホップ史における重要人物がかなり広範囲にわたってカバーできる。

南部という過小評価されてきた地をレペゼンするMegan Thee Stallionが高い評価に裏打ちされてスーパースター街道を歩んでいったことは、かつて東海岸的な価値観が権威的だった時代を思うとかなり大きな変化といえるだろう。

しかし、南部のヒップホップのパイオニアであるPimp CやDJ Screwはすでにこの世を去っている。その功績が生前に認められ、残した作品に見合った賞賛を得ることができなかったことは残念でならない。

ヒップホップ発祥の地であるニューヨークの重要性は否定できない。しかし、ブラックミュージックの本流であるソウルやファンクなどの聖地が多い南部のヒップホップが過小評価されてきたことは、より広い視点で見ると異様なことである。ヒップホップが生まれるよりも早くリリースされていたIsaac Hayes(アイザック・ヘイズ)の『Ike’s Rap』シリーズなどを踏まえると、ラップの中心が南部に移っていくことはむしろ原点回帰ともいえる。

Megan Thee Stallionのようなラッパーがシーンの顔になったことは、そんな時代への変化を象徴するような出来事だ。