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【伊集院静さんが好きすぎて】気鋭の放送作家・澤井直人が語る “聖地巡礼旅” そこで思うこと

2023年03月07日 08:31  リアルサウンド

リアルサウンド

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 私生活のすべてが伊集院静「脳」になってしまったという放送作の澤井直人。彼がここまで伊集院静さんを愛すようになったのは、なぜなのか。伊集院静さんへの偏愛、日々の伊集院静的行動を今回もとことん綴るエッセイ。


■これまでの内容はこちら
【独白】私生活のすべての思考は「伊集院静ならこの時どうする?」気鋭の放送作家・澤井直人がここまでハマった理由


【伊集院静さんが好きすぎて。】「伊集院さんの「食」の流儀」


【伊集院静さんが好きすぎて。】「伊集院静さんと野球」


【伊集院静さんが好きすぎて。】「伊集院静さんと先生」


【伊集院静さんが好きすぎて。】「伊集院静さんと“ゼロイチ”」


【伊集院静さんが好きすぎて。】「“眺めのいい人”」


【伊集院静さんが好きすぎて。】「“二拠点生活”」


  伊集院静さんの大ベストセラーエッセイ“大人の流儀”を読んでいると、贔屓にしているお店がいくつか登場する。紙上で読んでいるだけでは、気持ちが抑えられず、“聖地”に足を運んでみることにした。


  今回向かったのは、“大人の流儀~別れる力~”に登場する池袋にある手打ちうどん『立山』さん。ここは、エッセイ中にも登場するが、伊集院さんの同級生のお店だ。


 お店には、長嶋茂雄氏、堀内恒夫氏など蒼々たる球界の顔ぶれの写真が並ぶ。店内は奥に長い縦長構造で、厨房を囲む大きめのカウンターと4人がけテーブル席、奥にはお座敷みたいなのもある。


 オーダーをとろうと店員さんを呼ぶが、店長さんの姿が見えない。「もしかして引退されたのかな……」少し肩を落とし、若い男性店員さんにオススメのメニューを聞いて、かけうどん&カツ丼セット(850円)を注文した。


 「これは美味い」うどんのコシも、洗練された出汁も好み。セットでついてくるカツ丼もボリュームでお肉が柔らかい。


  伊集院さんと店主のY山さんが出逢ったのは、立教大学の野球部のセレクションだった。ふたりは合格し、入学の前から埼玉の志木にある野球部の寮へ入学した。今の時代よりも厳しかった野球部の練習に必死で食らいついた。二年の夏、退部を決めた伊集院さんにY山さんだけは、親身になって残るように説得してくれたという。


 その後、ジャイアンツに一位で指名を受けたY山さんは契約金の3分の2を家族に、3分の1は自分の飲み代にしたという。七年の現役生活でプロを去り、第二の故郷である池袋でここ、うどん屋「立山」をはじめたのだ。


 しかし、お酒を多く飲む生活を続けた結果……肝臓の癌を患い、余命3カ月を医者から宣告された。


 ある年の瀬に入院先から伊集院さんのところに連絡が入った。


 「おお、おまえ、俺はもうダメらしい」


 「何がだ?」


 「死ぬらしい。やはり肝臓の癌がひどい。肝臓の中に百を超える癌巣がある。あと三か月だと医者に言われた」


 「ただ助かる方法がひとつあるかもしれんのだ」


 「それは何だ?」


 「生体肝移植だ」


 躊躇なく自分の肝臓を渡そうとした伊集院さんに対し「バカを言え。おまえみたいな酒飲みの肝臓だと、それこそ死期が早くなっちまう」


 そのときふたりは自然と電話ごしで笑っていた。


 人間とは奇妙なもので真剣、深刻な状況の真ん中にいると笑い出すことがあるという。
 今回このテーマを伊集院さんのエッセイにしたのは理由があった。


 先週、大学の同級生の美優(女性)が自宅に遊びに来た。私の家人も同期なのもあり、三人が揃うのは久しぶりだった。私はその後、テレビ局で対面の会議があったので話し足りないとは思いつつも……急いで家を出た。


 帰宅すると、家人が深刻な顔で「亡くなっちゃった……」と言ってきた。私が自宅を出た後、美優から聞いたのだという。
 
 まだ私が20歳くらいの頃だろうか。大学の同級生だった、Nちゃんという同級生がいた。明るくて、いつも僕をイジっては笑ってくれる愛嬌のある子だった。(私、家人、Nちゃん、美優は仲が良かった)


 家人と最初に付き合ったのも同じ20歳の頃、このNちゃんのアシストなしにはなかったことだ。


 以前、家人にこう言われたのを覚えている。「Nちゃんと久しぶりに電話したらね。癌と闘病中だって……。何て言葉をかけてあげていいか分からなくなって。でも、Nちゃんのテンションは昔と変わらずに明るいの……」


 家人とNちゃんは、東京と関西で離れていながらも、たまに電話やLINEで連絡をとっていたのだ。


 家人は闘病の話を聞いて以降、Nちゃんのことが心配で小まめに連絡を入れていたのだが、プツンと連絡が途絶えていたという。
 
美優によると……


 亡くなる直前まで、旦那さんが目の前で我慢できずに涙を流して哀しんでいる中「私はやりたいことも出来たし、好きな人とも結婚出来たし」と言って、人前では涙を見せず明るく振る舞い続けていたという。


 それから、Y山さんは執刀医のいる京都へ行き、手術を受けた。店が何十年も続いたのは、彼の奥さんのA子さんのお陰である。Y山さんの体にはA子さんの肝臓が入って、底力になっている。女性の肝臓の一部でこの大男の肝機能が回復し、働き続けることは千にひとつだった。


 しばらく、うどんを食べていると……店内の奥の方に人の笑い声がする。覗いてみると、そこにいたのは紛れもなくY山さんだった。椅子に腰掛け、常連客であろう方と笑顔でお話をされていた。


 その笑顔を見たとき、「生きていることが嬉しい」そう聞こえてくるような気がした。


 今、私には1歳半になる娘がいるのだが、その娘を公園に連れて行ったら二時間休む間もなく歩き続けている。


 「わたしは自由を手にした~!」という表情でこちらに向かって走ってくる。


 “歩くのが嬉しくてたまらない。”のが伝わってくる。それをジッと見ていると不思議と涙が出てくる。


 若くして事故や病気でなくなったことを「不幸だった」で終わらせるのではなく「どんな人にも、生きている輝かしい時間があった」そう思うようにしている。


 「出逢えば別れは必ずやってくる。それでも出逢ったことが生きた証であるならば、
別れることも生きた証なのだろう……」


  伊集院さんの言葉を噛みしめながら、店を出た。