Text by 大石始
Text by 山元翔一
Text by 沼田学
ミュージシャンにインタビューをしていると、パンデミックの影響でツアーができなくなったことが新たなインプットにつながったり、自らの人生や自分自身を見つめ直す機会になったりした、という話を聞くことが少なからずある。それはきっと世界規模で私たち一人ひとりの身に起こったことなのだろうと思うが、本稿の主人公、Nosaj Thingも以下に続くインタビューで「パンデミックをきっかけに世界が静寂に包まれて、静かな時間を持てたことはとても大きかった」と語っている。
5thアルバム『Continua』のリリースインタビューにあたり、かねてよりNosaj Thingに聞きたかったことをぶつけてみた。ロサンゼルスを拠点にグローバルに活動するNosaj Thingの音楽のアイデンティティーを支えるものは何なのか? 生まれ育ったLAの街か、それとも自らの韓国系アメリカ人という出自か、あるいはそのいずれでもないのか……。
各種来日公演の再開とともにフィジカルな文化交流が促され、文化や時代が移り変わっていくであろうなか、地域と風土をテーマとする文筆家の大石始とともにNosaj Thingに取材した。
LAを拠点とする韓国系アメリカ人プロデューサー、ジェイソン・チャン。Nosaj Thingというアーティスト名で知られる彼の名は、2009年の1stアルバム『Drift』など自身名義の作品だけでなく、さまざまな作家とのコラボレーションを通じて広く知られるようになった。
Flying LotusらLAの先鋭的アーティストが出演し、同地のビートミュージックシーンを象徴するパーティーとなった『Low End Theory』周辺のアーティスト。プロデュースを手がけてきたChance The Rapperやケンドリック・ラマー。あるいはリミックスを務めたRadioheadやPortishead、ドレイク。そうした面々に加え、日本では真鍋大度との共演でも知られているはずだ。
Nosaj Thingの最新作『Continua』には、そうした華々しい活動からは見えてこなかった彼のパーソナルな一面が写し込まれている。
キーとなるのは、交流の深いToro Y Moiやジュリアナ・バーウィック、同郷のサム・ゲンデル、サウス・ロンドンのデュヴァル・ティモシーに加えて、さまざまなアジア系アーティストが参加している点だ。
1990年代から活動を続けるBlonde Redheadのカズ・マキノ。韓国を代表するインディーロックバンドとなったHYUKOH。フィリピンのベッドルームポップ系プロデューサー/シンガー、Eyedress。HYUKOHをフィーチャーした“We Are”では繰り返し「私たちは」と歌われる。「私たち」とはいったい誰のことなのだろうか?
ビートメイカーとしてアメリカのメジャーフィールドでも活動するNosaj Thingはいま、「声と言葉」によって何を表現しようとしているのか。そこにはLAに住むアジア系音楽家としての意識も反映されている。とあるプロジェクトのため来日したNosaj Thingに都内某所で対面取材を試みた。
Nosaj Thing(ノサッジ シング)
米・ロサンゼルスを拠点とする韓国系米国人プロデューサー/ミュージシャン/DJ。幼少より西海岸ヒップホップシーンの影響を受ける。2022年10月、5thアルバム『Continua』をリリース。
―以前、アルバム『Home』(2013年)のリリースタイミングでも『Wax Poetics Japan』という雑誌でメール取材をさせてもらったことがあるのですが、そのときあなたはこう発言していました。
「制作中に二度引っ越しをしたんだけど、どういうわけだかアルバムを作っている間も自分が住んでいる家が『Home』とは思えなくてね。まだ自分の『Home』を見つけられていないと思うし、だからこそこのアルバムタイトルにしたんだと思う」 - 大石始によるNosaj Thing『Home』インタビューより―その後「Home」は見つかりましたか?
Nosaj Thing:おかしな話だけど、ぼくはアルバムをつくるたびに引っ越しているんだ。ぼくはLAで生まれ育ったけど、これまでに11回は引っ越しをしているんじゃないかな。子どものころは両親の仕事の都合で何度か引っ越しを経験しているし、引っ越しを繰り返しながら「つねに変化することを受け入れる」ということを学んできたんだと思う。
―そこでいう「Home」とは単なる「住居」というだけではなく「精神的なよりどころ」を意味しているようにも感じます。そうした意味でもあなたは「Home」を探し続けているように思えるんですよ。
Nosaj Thing:たしかにそうとも言えるかもしれないね。ほとんどの人は「Home」に安らぎを求めていると思うし、ぼく自身もいま君が言ったような意味での「Home」を探し続けていると思うな。
Nosaj Thing:ちょっとダークな話になるけど、あのアルバムをつくっているときのぼくの家とは「壊れた家」だった。だからアルバムのカバーに破片が散らばっているんだ。その欠片を集めて、本当の意味での「Home」をつくりたい、探したいと思っていたんだろうね。物理的な意味での家ではなくて、精神的なよりどころと解釈できると思う。
―映画『アフター・ヤン』を監督した韓国系アメリカ人の映画監督、コゴナダとは面識がありますか?
Nosaj Thing:その映画は見たことがないな。
―韓国生まれ、アメリカ育ちでLAに暮らすコゴナダ監督は、CINRAのインタビューでこう話しています。
「私は人生の大半をアメリカで過ごしましたが、アメリカでは『アジア的なもの』というのは、ある種の商品のような位置づけになっていると思います。『アジアらしさ』という曖昧な概念は、具体的なアジア人の生活、アジア人がつくりあげた文化を指すわけでなく、『つくりもの』のようにもなっています。
そうした環境のなかで、小さな頃から『自分のなかにあるアジアらしさとはなんなのか?』と悩みながら生きてきました」
- CINRA「『リリイ・シュシュ』との共鳴も。A24『アフター・ヤン』監督が語る、現代の孤独と『つながり』の重さ」よりNosaj Thing:なるほど。
―これまでの活動のなかで「自分のなかにあるアジアらしさ」について考えたことはありましたか? あるいは「アジアらしさ」という概念が活動の邪魔になることはありました?
Nosaj Thing:あまり考えたことはないかな。ぼくは幸運なことにLAという多様性に富んだ都市で生まれ育ち、子どものころからさまざまな人種とその文化に触れてきた。もちろん、いままで生きてきたなかで人種差別を経験したこともあるけれど、人種の違いをからかうような出来事はアメリカではわりと普通のことだから。
ぼくは自分の出自についてネガティブな面に晒されるよりも、ポジティブに受け止められるほうが多かったと思うな。それに、自分が聴いてきた音楽、それこそヒップホップにしろパンクにしろ、多様性や相違性をお互いに包み込む歴史があるし、そういったコミュニティーにおいては、誰もが自分の属する場所からなるべく距離を置くようにしていると思うんだ。そういうことをあえて語らないことが暗黙の了解というか。
Nosaj Thing
―それは興味深いですね。あなたの場合、むしろ「アジアらしさ」を意識しないでいられる場所に身を置いていたところもある?
Nosaj Thing:そうだね。ぼくはとても恵まれていたと思うよ。ぼくは若いころからレイヴパーティーにでかけていたけれど、そうしたパーティーは愛や結束を広める場所でもあった。そうしたLAの音楽シーンの引力に惹かれていたのかもしれない。
もちろん、歳を重ねるごとに自分の出自についてより深く考えるようにはなったよ。だから、意識的にアジア人のゲストミュージシャンを招いたり、アジア人アーティストを世に広めることに気を配るようにしているんだ。
韓国出身のHYUKOH、Toro Y Moi、それにカズ・マキノもそうだね。あくまでもあからさますぎず、自分にとって自然と思えるかたちでさまざまなミクスチャーを楽しめるものにしたかったんだ。
―あなたは近年パク・ヘジンとも共作していますが、彼女はアジア人に向けられるステレオタイプなイメージに囚われず、自由奔放に活動している印象があります。パク・ヘジンやHYUKOHのような韓国のアーティストに刺激を受ける部分はありますか?
Nosaj Thing:HYUKOHにはとても刺激を受けたね。彼らのことは母から教えてもらったんだけど、彼らの名前はいろいろなところで語られているし、友達のなかにもファンだというやつが何人もいる。
それでオ・ヒョク(HYUKOHのボーカリスト)にコンタクトを取ったんだ。そうしたら「あなたの曲はよく聴いていますよ」って言ってくれてね、彼らのリミックスをするところからはじまったんだよ。
Nosaj Thing:オ・ヒョクは韓国のソウル出身だけど、中国の高校に進学したんだよね。その経験があって異なるカルチャーが混ざりあった音楽をつくるようになったみたいで。そういう意味でも彼らはとてもインスピレーションを与えてくれる存在だね。
―新作『Continua』の話を聞かせてください。オフィシャルインタビューのなかであなたは「これは僕にとっていわゆるパンデミック・アルバムだ」と話していますが、パンデミックはあなたの創作にどのような影響を与えましたか?
Nosaj Thing:あまりこういう話をしたがる人は多くないだろうけど、ぼくにとっては貴重な時間だった。10年間ツアーを続けてきて少し疲れてしまったところがあったんだけど、制作に集中する時間が持てたからね。
ツアーに割く時間と、音楽をつくる時間のバランスをいかにしてとるか、時間の使い方というのはぼくにとっての大きな課題だったんだ。だから、パンデミックをきっかけに世界が静寂に包まれて、静かな時間を持てたことはとても大きかった。新作のビジョンを明確に描くことができたし、音楽をつくることに没頭できたからね。
―今回のアルバムは制作のプロセスもいままでとは違ったようですね。ジャケットにはロンドン出身の写真家、エディ・オッチェーレの写真がレイアウトされていますが、この写真から制作をスタートしたと。
Nosaj Thing:今回の制作プロセスはぼくにとっては初めての試みだったんだ。通常は曲をつくってからビジュアルのイメージを膨らませていくんだけど、今回はアルバムカバーの写真を最初に見つけて、それを軸にムードボードをつくり、どんなアーティストと一緒にやりたいかを考えていった。だから、ある意味ではとてもコンセプチュアルなアルバムになったと思う。
―ムードボードをつくったということは、エディ・オッチェーレの写真以外にもさまざまな写真をヒントに制作を進めていったのでしょうか?
Nosaj Thing:そうだね。(携帯に保存されている、イメージ画像のムードボードを見せながら)YMOのアートワークだったり、コム・デ・ギャルソンのクリエイティブディレクター、The Velvet Undergroundのドキュメンタリー、『天使の涙』(※)のイメージ、ロニ・サイズやUFO、Massive Attackのジャケット、真鍋大度と一緒にやったショウのビジュアルなどをインスピレーションの源にしながら、構築していった感じだね。
―ドラムンベース的なビートが下敷きになった“My Soul Or Something”あたりはちょっとロニ・サイズの雰囲気を感じたんですが、その理由がわかりました。
Nosaj Thing:ただ、エディ・オッチェーレの写真がメインになっていることはたしかだよ。エディはぼくにとってレジェンドともいえる写真家なんだ。アリーヤやビギー(The Notorious B.I.G.)、Wu-Tang Clan、それにGoldieをはじめとする1990年代のロンドンのジャングルシーンも撮影している。
彼が自分で撮影した写真をネットにあげていたから「この写真をテーマに音楽をつくりたいのですが」とコンタクトをとったんだ。彼は快諾してくれて、アルバムカバーになった写真のプリントを送ってくれた。パンデミックの最中、綺麗な空気を吸いたいと思ってスコットランドにドライブに行ったときに撮影した写真らしいよ。
Nosaj Thing『Continua』アートワーク
―ゲストアーティストの顔ぶれが大変ユニークですが、ボーカルやラッパーなど「声と言葉」を表現手段としているアーティストが多い点に興味を覚えました。いまのあなたは「声と言葉」に特別な力や意味を感じているのでしょうか?
Nosaj Thing:そうだね。『Home』以来、歌という表現手段に興味を惹かれるようになったところはあると思う。LAで車を運転することが多いんだけど、そういうときに歌の入った作品を聴くようになったんだ。
―それはなぜ?
Nosaj Thing:どうしてかはわからないけど……ドライブしながら一緒に歌えるからかもしれないし、個性的な声が持つ品格に惹かれたのかもしれない。あるいは単にぼくが歳をとっただけかもしれないけど、さまざまなボーカリストを迎えて実験的なことをやってみたくなったんだ。
ただ、そうは決めたものの、それぞれのアーティストにコンタクトをとるのが最初は恥ずかしくてね。HYUKOHやデュヴァル・ティモシーとは面識があったわけではなかったから。
―意外と人見知りなんですね(笑)。
Nosaj Thing:連絡先がわかっても、いざコンタクトをとるとなると緊張してしまってね(笑)。デュヴァルにはメールを1本送るのに1か月くらい逡巡してしまったよ。彼やサム・ゲンデルから前向きな返答をもらえてからようやく自信をもって連絡できるようになったんだ。
―各アーティストとはどのように作業を進めていったのでしょうか。
Nosaj Thing:もちろん一緒にスタジオに入り、ぼくの考えていることをしっかり説明してからレコーディングをはじめるのが理想だけど、今回はほとんどが海外にいるアーティストだからそれはできなかった。それで、なるべくFaceTimeや電話で話をするようにしたんだ。
そのうえでアルバムカバーの写真を送ってイメージを深めてもらった。ぼくは今回参加してくれたアーティスト全員のファンだったし、彼らのことをとても信頼していたから「好きにやってほしい」とお願いしつつね。
―HYUKOHとのコラボレーション曲“We Are”の歌詞は誰が書いているんでしょうか?
Nosaj Thing:オ・ヒョクだよ。
―「私たち」という言葉にはあなたとHYUKOHのあいだの精神的なつながりのようなものが感じられるんですよ。
Nosaj Thing:この曲が仕上がるまでには1年を要したんだけど、そこにはクレイジーなストーリーがあってね。多くは語りたくないんだけど、前のアルバムのあと、引っ越しをしたって言ったでしょ?
じつは空き巣に入られたから引っ越ししたんだ。アルバムのための素材もすべて失ってしまったし、貴重品から何もかも盗まれてしまった。いままでやってきたことを全部白紙に戻してイチからつくり直すのは至難の業だったし、何か月も落ち込んでしまった。
―それは気の毒な。
Nosaj Thing:机の上に小さなハードドライブが置いてあったんだけど、空き巣はそれに気づかなかったんだろうね。そこにはHYUKOHとの曲のスケッチが残っていたんだよ。
「ああ、これはこの曲を完成させろ(keep going)という知らせのようなものだな」と思って、そのスケッチをHYUKOHに送ったんだ。それから1年をかけて、ドラムのパートを変えたりしながら少しずつ進化していった。根気のいる作業だったけど、ようやく完成することができたよ。『Continua』というアルバムタイトルにも「keep going」という意味が込められているんだ。