Text by 生駒奨
Text by 川井康平
世界でもっとも著名な日本ファッションブランドのひとつ「Yohji Yamamoto」。2023年1月の『パリコレクション』でジャニーズアイドルSnow Manのラウールがモデルとして起用されたことが話題をさらった。
近年の「Yohji Yamamoto」のショーには伊藤英明、大沢たかお、遠藤憲一、要潤、加藤雅也、生田斗真、竜星涼、城田優らがモデルとして起用されている。全世界に向けて発表するコレクションで日本国内での知名度が高い著名人を起用する意図はどこにあるのだろうか? その哲学と裏事情を服飾ライター・川井康平が紐解く。
「Yohji Yamamoto(以下、ヨウジヤマモト)」は1981年に『パリコレクション』でデビューして以来、1シーズンも休むことなく発表を続けてきた。新型コロナウイルスの影響を受けても、発表の場をデジタル、そして国内へと移しながらブランドの掲げる「反骨精神」の火を絶やすことなく示し続けている。
そして23-24秋冬コレクション、満を持して3年ぶりにパリの都に帰ってきた。
同コレクションは東京で行なわれた「Yohji Yamamoto POUR HOMME」23年春夏コレクションに引き続きSnow Manのラウールをモデルに起用。ジャケットやロングコートなどクラシカルな様相に、ジャカード織りやダマスク柄など民族的な要素を取り入れ、テーマである「中東からヨーロッパに移り住んだ移民」のキャラクター性を表現した。
時折、モデル同士がすれ違いざまに片方の手を衣服に突っ込んだままふり返り、挨拶とも威嚇ともとれる仕草をする。移民間の協調と対立の関係性が浮かび上がってくるようだった。
3年ぶりのパリでの発表に加えて、13年ぶりに「Y's for men」(※)がコレクション内で復活を果たしたほか、ラウールのパリ現地でのモデルデビューなど前向きな要素を多様に含んだコレクションとなり国内で大きな話題を呼んだ。
また東京・青山の本店地下1階で行なわれた23年春夏コレクションで遠藤憲一や大沢たかお、伊藤英明などといった俳優陣をモデルとして起用したことも記憶に新しい。大沢たかおに関しては1980年代ブランド初期のコレクション以来、約30年ぶりに「ヨウジヤマモト」のランウェイに戻ってきた。
彼らが招待客の目の前まで迫り、殴りかからんばかりの雰囲気で立ち止まったり、モデル同士がすれ違いざまに肩をぶつけながら虚な目でウォーキングしたり、配信用のカメラを睨みつけたりするような演出は、ブランドが表現する「反骨精神」や「危険な男」像を表現していた。
パリではなく東京だからこそ叶った豪華なキャスティング。全43ルックのうち、約3分の1を俳優陣が占めた同コレクションは、既存のファンにとどまらず、それまでブランド認知が低かった層など多方面から注目を浴びた。
ここ数シーズン、芸能人の起用にばかり目がいく「ヨウジヤマモト」だが、ここであらためてブランドの特徴や歴史を踏まえながら現在にいたるまでの軌跡を辿りたい。
1943年、山本耀司は百貨店に向けた惣菜を扱う卸し業を営む父と、それを手伝う母のもとに生まれた。日本は太平洋戦争真っ只中。父親は耀司誕生の翌年、戦地に出征し戦死する。母親は女手一つで幼い我が子を育てるため、自宅でも仕事ができるようにと、文化服装学院に通い洋裁を学んだ。
その後、母はオーダーメイドの衣服を手がける洋装店を開業。耀司は子どものため昼夜を問わず仕事に没入する母の背中を見て育った。
当時、耀司は母親に「遺族会にだけは入らないでほしい」と頼み込んだそうだ。「遺族であることを認めたら、戦争を受け入れたことになる気がする」と。理不尽に徴兵され、遺骨も残らなかった父の無念は誰が晴らすのか。このころから感じていた不平等に対する怒りや社会への不満・疑問が、後のブランドコンセプトとなる「反骨精神」を内に宿らせていった。
耀司は母親と同じく文化服装学院に入学する。在学中に『装苑賞』『遠藤賞』をW受賞し、1972年にはブランド「Y’s」を立ち上げるとともに、同名を冠した株式会社ワイズを設立した。
世界にヨウジ・ヤマモトの名を知らしめたのは「Y’s」1983年春夏『パリコレクション』だ。同コレクションには黒一色に染まったボロボロの布切れのような生地や穴の空いたデザイン、全体に空気を含んだような緩やかなシルエットが並び、「黒の衝撃」と呼ばれ現在にいたるまで語り継がれることとなる。Martin Margiela(マルタン・マルジェラ)をはじめとした後世のデザイナーにも多大な影響を与えた。
その後は銀行や鉄道の制服デザインに加えて、北野武の映画『BROTHER』『座頭市』『TAKESHIS'』の衣装を手がけるなど幅広く活躍。順調にキャリアを重ねていった。
しかし、ある出来事がきっかけで大きな岐路に立たされる。2008年のリーマンショックだ。ヨウジヤマモト社の経営も大打撃を受け、2009年に民事再生法の適用を申請した。
その後、投資会社に事業を譲渡し、チーフデザイナーを山本耀司が務めるかたちでビジネスを再建。「Y's for men」を休止するなど事業整理を実施した。
苦しい経営状況のなか、コレクションブランドの発売周期だけでは売り上げを立たせることが難しくなっていく。また、高価格帯のゆえに若い世代にリーチしづらいという問題を抱えていた。
そこで比較的安価で直営通販サイト限定の「S’YTE」やラグジュアリー・アクセサリーライン「discord YohjiYamamoto」など多くのラインを新設していく。
とくにコマーシャルラインとして2014年に誕生したジェンダーレス・エイジレスブランド「Ground Y」は、これまでに『FINAL FANTASY』や『ONE PIECE』とコラボするなど多くの話題を提供。ブランドビジュアルに秋元梢やオダギリジョーなどの芸能人も積極的に起用し、若年層を中心に認知を広げた。2023年現在、ファッションラインは20以上におよぶ。
耀司は増えていくラインについて、ビジネスとしてブランドを存続させるには不可欠なことだと語っている。
「明日には死んでいるかもしれないから、後継者を育てていかないと。俺が死んだ後は、若手が継ぐと思うけど、俺のやっている仕事は一人では無理だと思う。複数の人が俺の役割を担うんだと思う。会社の立場で言えば、日本発の世界的なブランドになることを狙っている。俺は個人名では世界でも有名だけど、ビジネスとしての『ヨウジヤマモト』はまだ大きくない」 - (WWD JAPAN.com 「23歳の記者から山本耀司へ37の質問」 *1)耀司の原体験をもとに、ブランドコンセプト「反骨精神」を掲げている「ヨウジヤマモト」。それを表現するうえで、モデル選びにも一際こだわりを見せている。
1991年6月1日に「COMME des GARÇONS」と合同開催したメンズコレクション『6・1 THE MEN』にはプロモデルを起用せず、総勢50人のアーティストがランウェイを歩いた。
国外からは、元The Velvet Undergroundのジョン・ケイルや サックス奏者チャールス・ロイド、国内からは当時Blankey Jet Cityとして活動していた浅井健一、照井利幸、中村達也の3人やイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)の細野晴臣、先日急逝した高橋幸宏なども参加していた。
この特異なキャスティングの意図を、耀司は「モデルをミュージシャンにしたのは雑多な奴が集まりやすいから。粋と野暮。センスの良いところと悪いところを同居させる。髪が薄くなって細胞の破壊が始まった人のほうが良く見える」(*2)と語る。
耀司の前では若さや身長の高さは価値基準にならない。男性たちが醸し出す少しの憂いや哀愁にこそ値打ちがあるのだ。
キャスティング一つをとっても、西欧文化の統一された価値基準の「美」ではなく、それぞれが秘めた「美しさ」をとらえようとするアンチテーゼを表現している。
これらの背景を踏まえつつ、近年の芸能人の起用を紐解いていく。
上述したように日本で行なわれた「ヨウジヤマモト」23年春夏『パリコレクション』では遠藤憲一や加藤雅也、大沢たかお、伊藤英明などのベテラン俳優に加えて城田優、竜星涼、Snow Manのラウールらがランウェイを歩いた。
砂煙にまみれたようなメイクに、地毛ともとらえられる白髪と無造作なヘアスタイル。あえて残した個々人のシワさえも、綺麗さや若さだけでは表現できない男らしさと退廃的な美しさを映し出している。
しかし今回、23-24秋冬シーズンでパリコレデビューを飾った19歳のラウールは、先シーズンの「ヨウジヤマモト」23年春夏コレクションで起用された著名人のなかで最年長の遠藤憲一とは2倍以上、最年少の竜星涼とでさえ10歳以上の年齢差だ。これまで外見的な要素ではなく、内面や生き方に美しさを見出し、固定観念に反抗する意思をコレクションを通して示してきた「ヨウジヤマモト」にとってまだまだ少年性の残る彼の起用の意図とはなんだろうか?
それは、コレクションブランドとしての「ヨウジヤマモト」の立ち位置をあらためて彼のファン層に明示し、若年層向けのラインに取り込もうというマーケティング要素が大きいだろう。その証拠に「ヨウジヤマモト」2023-24秋冬『パリコレクション』にも起用されたラウールは、現地でInstagramアカウントを開設。わずか数日で100万フォロワーを獲得し人気ぶりを見せつけ、Twitterでは一時トレンドワード入り。話題づくりのコマーシャル的役割を果たした。
草木が芽吹き始めたかのようなラウールのフレッシュさは、奇しくも老いさらばえることさえも美徳とし、そこに美しさを見出す「人間賛歌」的な同ブランドの哲学を強調するかたちとなったのも事実。彼の存在が相対的に大沢たかおを筆頭としたベテラン勢の巨木のような重厚さを際立たせていた。
ここ3シーズンほど彼らを起用したことによって、国内から注目を浴びていることは間違いない。ビジネス的にも潜在顧客層へのアプローチやそれらの層に向けたラインへの誘導にも一役買っているだろう。
しかし、国外からの評価はどうだろうか。モデルの本来の役割は衣服の良さを強調すること。ここ数シーズンで多くの芸能人を起用してきたが、海外視点で見るとほとんど名の知れていない、モデルの1人にほかならない。
ビジネス再建のため会社を身売りした過去をもつブランドにもかかわらず、グローバルにアピールするにはほとんど意味を成さない、国内に向けたキャスティングとも言える。
過去のコレクションと比較しても話題づくりに躍起になっているようにもとれるこれらのキャスティングは、徐々にブランドの根底にあるコンセプトとブランドビジネスの解離を生み出していると感じざるを得ない。
山本耀司は今年で80歳を迎える。
耀司は過去のインタビューで「会社が潰れかけたときに手を差し伸べてもらったことで、デザイナーから文化人に成り下がってしまった。表現者は壊して壊して新たな発想を生み出す者。しかし壊すべき物もわからないいま、あのとき抵抗し逆らって死ぬべきだった」(*3)と現状の自身の立ち位置の苦しさを吐露した。
延命されたことでデザイナーとして「死にきれなかった」山本耀司。苦しみながら、そこに光を見出そうともがく姿は、奇しくも同氏が「ヨウジヤマモト」に求める男性像そのもの。人間としての弱さや苦しみ、哀愁、老いを美徳とする「人間賛歌」的な美しさを宿している彼自身がブランド「ヨウジヤマモト」を象徴する人物と言えるだろう。
複雑な胸中を抱えながらも、稀代のデザイナー・山本耀司はキャリアを続けていく。彼はこれからどんなクリエイションを生み出していくのだろうか。そして、仮に彼がブランドを去ったあと、「ヨウジヤマモト」のランウェイでは何が表現され、どんなモデルたちが起用されるのだろうか。ビジネスとコンセプトが調和し、ブランドが永続していくことを願ってやまない。