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小説版『機動戦士ガンダム 水星の魔女』が拡張する物語世界 全体像を解き明かす鍵は“シェイクスピア”にあるのか

2023年02月28日 12:41  リアルサウンド

リアルサウンド

『小説 機動戦士ガンダム 水星の魔女(1)』(KADOKAWA)

 アニメの評判を受けて小説版が発売前から2度も重版された作品といえば『リコリス・リコイル』だが、『小説 機動戦士ガンダム 水星の魔女(1)』(KADOKAWA)も同じように発売前から2度重版されて、アニメ人気の凄さを改めて見せつけている。SF考証で制作に参加している高島雄哉が書いたこともあり、散りばめられている謎や、まるで見えない物語の行方に迫れるのではといった期待からの評判だが、2月25日に発売となった小説版は果たしてどのようなものだったのか?


(参考:【写真】『機動戦士ガンダム 水星の魔女』スレッタらの“制服コス”がハイクオリティ!


 2022年10月2日の『機動戦士ガンダム 水星の魔女』第1話「魔女と花嫁」を観て作品の存在を知り、ハマっていった人にとって『小説 機動戦士ガンダム 水星の魔女①』の始まり方は、少し面食らうものだったかもしれない。ガンダム・エアリアルと共にアスティカシア高等専門学園へと向かっていたスレッタ・マーキュリーという少女が、宇宙を漂っていたミオリネ・レンブランを助けるシーンから始まったTVアニメとは、まるで違うエピソードが綴られていたからだ。


 それが「PROLOGUE」。舞台はフォールクヴァングと呼ばれる小惑星フロントで、そこに拠点を置くヴァナディース機関によってモビルスーツのガンダムが開発されていたが、搭載されているGUNDフォーマット技術を危険視したデリングによって攻撃を受け、開発に携わっていた人たちが虐殺される悲劇が綴られる。スレッタは出てこず母親のプロスペラも登場しないが、代わりにまだ幼いエリクト・サマヤという名の少女と、その母親でテストパイロットのエルノラ、夫のナディムが登場して、エリクトの誕生日を祝おうとしていた。


 実はこのエピソードは、同じ「PROLOGUE」というサブタイトルでアニメになっていて、TVシリーズのスタートに先立つ7月14日に開かれたイベントで上映され、その後ネットでも配信された。モビルスーツをより自在に動かせるようになるGUNDフォーマットの技術が、人間の肉体に悪い影響を与える可能性が高いことや、宇宙で暮らすスペーシアンと地球を拠点にするアーシアンとの複雑な関係が示され、そこにガンダムが投入されることでパワーバランスが崩れる懸念が、デリングにヴァナディース機関の排除を決断させたことが伺えた。


 この「PROLOGUE」に触れないまま、TVアニメの第1話から見始めた人は、ミオリネの花婿がモビルスーツを使った決闘によって決められていて、そこに女子であるにも関わらずスレッタが参戦するという流れに、コミカルな展開を予想したかもしれない。そして、だんだんとシリアスになっていく雰囲気に驚いたかもしれない。そうした人が、「PROLOGUE」をあらかじめ観ていた人と同じだけの情報を得て、改めて『水星の魔女』の世界観を吟味する機会を与えてくれる構成に、小説版はなっている。


 添えられているイラストからスレッタがエリクトとよく似ていて、エリクトとエルノラが駆って逃げたガンダム・ルブリスも、スレッタが操るガンダム・エアリアルと似通っていることが分かる。そうした情報を読み込んでいけば、アニメより先に小説版を手に取る人も、そしてガンダムというものへの知識をそもそも持っていない人でも、『水星の魔女』という物語の世界に入っていける。


 アニメを「PROLOGUE」も含めてしっかりと観てきた人にも、追体験に留まらない新しい世界を見せてくれる。それが小説版オリジナルエピソード#1「ユーシュラーの遊園地」だ。アスティカシア高等専門学校に転入し、ミオリネとの関係を築き始めたスレッタは、ミオリネを訪ねて来たという少女、ユーシュラー・ミルザハニに興味を持たれたる。スレッタはユーシュラーによって、通りがかったメカニック科のニカ・ナナウラとパイロット科のチュアチュリー・パンランチと共にとある施設へと連れて行かれる。


 本編にユーシュアリーは登場していないし、彼女がCTO(最高技術責任者)を務めているラングランズ社がストーリーに関わっている節もない。本編への影響を避けながらも登場するキャラクターたちを楽しんで欲しいというサービスのように見える。その意味では、TVアニメの『リコリス・リコイル』で秘密エージェントとしての仕事をこなしていた錦木千束と井ノ上たきなの、アニメではあまり描かれなかった日常を取り上げたアサウラによる小説版『リコリス・リコイル Ordinary days』と位置づけ的に重なるところがある。


 もっとも、アサウラが『リコリス・リコイル』に原案として関わっていた以上に、高島雄哉はSF考証という役割を担って、『水星の魔女』の物語世界の根幹に近い部分を、監督の小林寛やシリーズ構成・脚本の大河内一楼らとともに作り上げてきた。何か思惑を持っていそうなユーシュラーの存在や、彼女がステッキをふるとチュチュの髪型とニカの髪型が入れかわってしまう魔法のような新技術が、4月以降のSeason2に関わって来ないとも限らない。チェックしておいて損はない。


 何よりSF作家として活躍し、パンデミック下でVR(仮想現実)やMR(複合現実)が発達した近未来を舞台にした『青い砂漠のエチカ』(星海社FICTION)などの著作を持つ高島雄哉の小説として、SF的なガジェットでありシチュエーションも楽しめる。遭難した小型連絡挺で救助を待つという実習でスレッタとミオリネが見せた振る舞いは、宇宙が舞台のSF小説に近い味わいがある。


 キャラクターのファンに対するサービスであると同時に、オリジナル小説を併載して物語世界を補完し拡張する役割も持った『小説 機動戦士ガンダム 水星の魔女』。本編がシェイクスピアの『テンペスト』から影響を受けていると言われる中で、同じシェイクスピアの『リア王』や『ジョン王』『空騒ぎ』、そして『トロイラスとクレシダ』が収録エピソードの冒頭に引用されているのも意味深だ。シェイクスピアに全体像を解き明かす鍵があるのか。そんな思いを抱きながら小説版を読み込み、やがて始まるSeason2を観てさらなる驚きを味わう。『水星の魔女』の楽しみ方は尽きない。


(タニグチリウイチ)