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【連載】『機動戦士ガンダムZZ』は本当に“見なくていい”作品なのか? 第二話で気づいた『ワイルド・スピード』との共通点

2023年02月27日 09:31  リアルサウンド

リアルサウンド

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■第二話 シャングリラの少年のあらすじ


 サイド1に位置するシャングリラコロニーでジャンク屋として暮らす少年、ジュドー・アーシタ。グリプス2での攻防で傷ついたアーガマが入港してくるのを横目で見つつ、彼は宇宙空間でモビルスーツの脱出ポッドを回収する。


(参考:【写真】アムロやカミーユと同じ食事ができる! 「ガンダムカフェ」があのシーンの料理を完全再現


 ポッドの中で気を失っていたのは、ティターンズのパイロットであるヤザン・ゲーブルだった。気絶から覚醒したヤザンはジュドーと仲間の少年達を焚きつけ、アーガマのモビルスーツの強奪を企む。精神崩壊を起こしたカミーユ・ビダンとファ・ユイリイを人質にとりつつ格納庫へと侵入したヤザンとジュドーらは、損壊したZガンダムを目撃。人質を盾に突入し、大混乱となる。


 混乱の中、ヤザンはプチ・モビルスーツでアーガマのクルーであるサエグサに重傷を負わせてしまう。「人殺しはしない」という約束を破られたと思い怒ったジュドーは、Zガンダムに乗りこみヤザンを捨てて格納庫からの脱出を図る。


 逃げるジュドーのZガンダムを追うヤザン。シャングリラのジャンクヤードで対決した2人だが、ジュドーはヤザンの乗ったモビルスーツを撃破。追跡してきたブライト・ノアからも、仲間と共に逃げ去るのだった。


■光る富野監督の手腕


 「富野監督はアニメの第一話を作るのがメチャクチャうまい」というのは、よく知られた話である。実際おれも『機動戦士ガンダム』の第一話を見ると、いまだに「よくもまあ20分強にここまで情報を詰め込めたもんだなあ……」と毎回感心してしまう。


 そんな富野監督の初回のうまさは、『ZZ』でも健在だ。とにかく情報が圧縮されて詰め込まれており、「今回の主人公であるジュドーはどういう人物か」「グリプス戦役に直接関係がなかった人々はどう暮らしていたのか」「なぜヤザンとジュドーの思惑が食い違ったのか」「ジュドーはニュータイプなのか」といった点を、絶妙なテンポで視聴者に飲み込ませる。


 『ZZ』の物語が始まるのは、前作『Z』の最終決戦の直後。アーガマはボロボロでクルーは怪我人だらけ、前作主人公のカミーユに至っては精神が崩壊したまんまという、ド修羅場から幕を開ける。ガンダムは第一話で強奪されたり素人が乗り込んだりするものだが、『ZZ』では「クルーもモビルスーツもボロボロで細かいことに構っておられず、ゆえに部外者の侵入を許した」という流れでZガンダムが奪われる展開に説明をつけている。激戦の後でいきなりヤザンに付け狙われたアーガマのクルーにはお気の毒だが、「最新兵器のはずなのに、警備がザルすぎない?」というガンダムの第一話につきまとう疑問の回答としては、かなりスマートだと思う。


 ジュドーは、ガンダムシリーズの主人公として初めて現れた「不良少年」である。アムロは機械いじりが趣味の内気そうな少年だったし、カミーユは両親との不和を抱えたキレやすく不安定なティーンエイジャーだった。それに比べると、ジュドーは圧倒的に陽性、なおかつ不良の主人公である。


 まず冒頭、プチ・モビルスーツでジャンクを回収するシーンからジュドーの人物像は説明される。仲間のイーノ・アッバーブの「やったねジュドー。スーツなしでさ」という呼びかけに対して「スーツなんかなくたって、この程度の仕事ならできるさ」と答えるシーンがそれだ。プチ・モビルスーツのいかにも頼りないキャノピーでしか真空の宇宙と隔てられていないにも関わらず、ノーマルスーツなしでジャンク探しに飛び出すという行動からは、「無鉄砲で、多少の無茶ならなんとも思わない」というジュドーの性格が見えてくる。キャラクターの説明として、全く無駄がない。


 その後も、ジュドーに関する説明が、ストーリーの流れを阻害しない形で何度か挟まれる。妹思いな少年であることは妹のリィナとの会話や随所に挟まれる「山手の学校に妹を入学させるために金が必要」であるというセリフで説明。ロクに学校にも行かずに窃盗やジャンクの転売で金を稼いでいるが、そういった不良っぽい行動にも戦争とスペースコロニー在住というふたつの要因が絡んでいることは、ファとの会話で説明される。これらの説明の最中も、ジュドーたちはひたすら移動し続けており、どんどんZガンダム奪取へと向かっていく。ストーリーのスピード感とキャラクターの説明を両立する、惚れ惚れするような手際だ。


 主人公が「機械いじりが趣味の内気な少年」であれば、初めてガンダムに乗ってそのまま操縦できてしまうことにも多少の説得力はある(実際には、複雑な兵器を初見で即動かすことは不可能だろうが)。しかし、ジュドーは妹思いで無鉄砲で陽気な不良という、ほとんど『ドラえもん』のジャイアンのようなキャラクターである。


 そんな彼をモビルスーツに乗せるために捻り出された設定が、「ジャンク屋」だったのではないか。戦場から拾い集めてきた屑鉄やモビルスーツの部品を集めて転売するというこの商売は、不良っぽさやアウトローっぽさとマシンへの習熟というオタクっぽさを違和感なく両立できる、素晴らしい発明だ。


■浮上する『ワイルド・スピード』との共通点


 ジュドーや仲間たちの「不良でありつつもマシンに習熟しており、さらに家族思い」というジャンク屋的要素を進化発展させた先にあるのは、『ワイルド・スピード』シリーズのテイストではないだろうか。今でこそスーパーチンピラスパイ映画になっているワイスピも、元を辿ればクルマの運転がうまいストリートレーサーたちが大規模な窃盗にチャレンジする不良映画だった。考えてみれば、ドミニク・トレットも「妹思いな不良」である。「マシンに強い不良たちがチームを組んで活躍する」という点についていえば、第一話の時点から『ZZ』とワイスピはけっこう近い立ち位置にいるのだ。


 同時に、『ZZ』がガンダムシリーズの中でもちょっと異端視されている理由も、このあたりにあるのではないだろうか。メカと戦争とシリアスなドラマを期待していたのに「ノリが軽い不良の集団が活躍する、ワイスピみたいなガンダム」が出てきたのでは、確かにファンは戸惑うだろう。ましてや、1986年にワイスピは存在しなかった。その状態で『ZZ』をどう食べていいのかわからず、後続の作品への繋がりが薄い点も手伝って、結果的に「見なくてもいい」という判断に至った……というのは穿ち過ぎだろうか。


 しかし、今の我々には『ZZ』を読み解くためのサブテキストとしてワイスピがある。「ワイスピみたいなガンダム」だと思った時、『ZZ』の見え方はどのように変化するのか、第三話が楽しみである。


(しげる)