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有村架純主演『ちひろさん』が示す、「らしさ」にとらわれない生き方。今泉監督と原作者・安田弘之が語る

2023年02月25日 09:00  CINRA.NET

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Text by 野中モモ
Text by 服部桃子
Text by 大畑陽子

海辺の小さな街にあるお弁当屋さんで働くちひろは、元風俗嬢。そのことに対して人はさまざまな反応を見せるが、彼女はいつもひょうひょうとしてマイペースだ。それぞれに孤独や居心地の悪さを抱えた人々はなぜだかちひろに惹かれ、ともに時間を過ごすうちに、ほんの少し気持ちが軽くなる。

漫画家・安田弘之の人気コミック『ちひろさん』が、ひとまずの最終話から5年を経て映画化された。メガホンを取ったのは『愛がなんだ』(2019年)、『街の上で』(2021年)、『窓辺にて』(2022年)など、話題作を次々に送り出してきた今泉力哉。主人公のちひろを演じるのは、アクターとして着実にキャリアを積み重ねてきた有村架純。監督とはドラマシリーズ『有村架純の撮休』(2020年)で組んだことのある彼女の魅力が、全編にわたって押し出された作品となっている。

映画と漫画、メディアは違えど通じ合うところの多そうな今泉監督と原作者の安田先生。ここではあらためて『ちひろさん』に寄せる思いから創作へのアプローチまで、自在に語り合ってもらった。

今泉:自分は普段、頻繁に漫画や小説を読むタイプではないので、不勉強ながら『ちひろさん』は存じ上げなくて。今回、プロデューサーに映画化のお話いただいたときに初めて『ちひろさん』の存在を知りました。それで漫画を読ませていただいて、「この物語を生み出した方に会いたい」と思ったんですね。

原作者の方とは脚本ができあがってから会うのが普通なんですけど、今回は不思議と、いろいろ話してみたいと思って、「一度安田さんに会わせてほしいです」とプロデューサーにお願いしたんです。「どういう映画にするか?」っていうよりも、人生相談じゃないけれどいろんな話をする、みたいなのが始まりで。「自分にとってのちひろさんみたいな人って、子どもの頃にいたなあ」みたいな話をした気がします。

今泉力哉

安田:今泉監督の作品は何本か観てたし、ぼくの好きなテイストを撮る人なんで、実際どんな人がこういった映画を撮るのかなあっていう興味はありました。

で、ぼくと話したいと言われたとき、こう思ったんです。脚本に入る前に、自分がどういう思いを込めてちひろというキャラクターを生んだのかとか、彼女たちに何を託したかとかは、全部伝えておきたい、と。物語を渡したら監督のものになるっていう前提で、こちらの意図はこうですということを、できるかぎり言葉で伝えたかった。それで、最初のご挨拶だけじゃなく、何回か会わせていただいて。

じつはその後、脚本があがってきたあと、何度か書き直しを相談したんです。ひどい目にあわせたと思ってます(笑)。

『ちひろさん』単行本一巻 ©2023 Asmik Ace, Inc. ©安田弘之(秋田書店)2014

安田弘之。当日はオンラインで参加 ©竹中智也

今泉:いえいえ、ぜんぜん(笑)。

安田:『ちひろさん』は、話の筋があるようでないお話なんですよ。自分で描いておいてあれなんですけど。今回はこうしました、ああしましたという回を積み重ねて、最終話は「いったんここで終わっときます」って物語なんで。自分がつくった筋も一応はあるんですけど、それを映画で忠実に追いかけてもらっても、たぶん別のものができちゃう。

だから、なるべく脚本の方も含めて、自分のなかにちひろっていうキャラが住んで勝手に動くような状態になっておいてほしかったんです。その状態でぼくがつくっていないエピソードとかはむしろ自由にやってほしい、ちひろを飲み込んだ監督から何が出てくるのか観たい、と。

それでできあがったのが今回の作品です。いや、痛快ですよ。試写のあいだじゅうニヤニヤニヤニヤしてたし、「うわ、すげえな」って。そう思えるものに仕上がっていたことは原作者冥利に尽きるし、自信を持っておすすめできる映画にまとめてくださったのは、ものすごく嬉しいですね。

今泉:今回、ちひろを演じてもらった有村さんは、ある種の暗さや孤独について、ネガティブなものととらえるのではなく、それらの豊かさとか良さを大切にできる人だと思っています。有村さんが完成披露試写会でも話していましたが、役をつかみきらずに演じているというか……。

『ちひろさん』 ©2023 Asmik Ace, Inc. ©安田弘之(秋田書店)2014

安田:その話を聞いたときに「この人ほんとすごいな」と思ったんですよ。つかみきらずに演じられるんですよ。実際そのように仕上がってますしね。ちひろも、自分自身のことをつかみきれずに、というかあえてつかまずに動いてますからね。演技勘っていうんですかね、肌で役をとらえちゃう人なんだろうなと思って。

今泉監督は、彼女と以前もご一緒したことがあったそうだから、そのとき、有村さんの演技力を体感したからこそ、すごく信頼しているんだろうね。

正直、最初にキャストを聞いたとき、有村架純さんのイメージってまったくなかったんですね。だからいま、『ちひろさん』のファンの人たちが「有村架純か~」みたいなリアクションをするのはわかるんですよ。でも、「いいから観ろ」と言いたい。絶対、想像を超えるから。

今泉:「人間の暗さ」を知っていることに加えて、もう一個演技の鍵になっているのが、有村さんの異常なまでの真剣さ、真面目さだと思います。有村さんと接すると「姿勢を正さなきゃ」ってなる。彼女と対峙したとき、ある種の怖さというか、「どう生きてきたんだろう?」みたいな気持ちになる。それってちひろさんにも通じる。

安田:ちひろは、上手に演じてもらってもだめなキャラクターなんですよ。上手く演じられても困るっていうか、そこでは出てこないニュアンスみたいなのがあって。何を考えて生きているのか、どう育ってきたのかがぜんぜん見えてこない人間だから。

もちろん、それを演技で出せる人もいるだろうけど、それよりも、演じている人がもともと持っている空気というか、得体のしれない雰囲気がある人に演じてもらいたかったから、そういった意味でも有村さんのキャスティングは素晴らしかったと思いますね。

今泉:自分も、『ちひろさん』に限らず映画の監督をやるときは、主演の人が役をつかまえてないこととか、わからないままやることに不安はあまり感じなくて、むしろわからないで現場に来てほしいという思いもあります。そのほうが面白くなると思っているので。

安田:それは絶対あるし、監督の作品は、そういうふうに撮っているのだろうなと感じます。ぼくの漫画の描き方と同じなんですよね。

今泉:撮影現場に安田さんが見学に来たことがあって、そのあと、ちょっとだけTwitterのDMでやりとりしたんですね。そのとき、安田さんから「映画ってこんなにたくさんの人が関わって、一個一個カットも絵も大変ですね」って連絡をいただいたときに、俺は「いや漫画のほうが絶対大変ですよ!」みたいな(笑)。

こっちはいろんな人と協力して、風が吹いたりアドリブがあったり、偶然が合わさったときに自分の想像以上の仕上がりになるけど、漫画家さんは自分ひとりの頭で考えるわけじゃないですか。自分の想像の範囲内じゃない要素ってどう足せるんですか?

安田:ほんとにねえ。自分でもわかんない。

今泉:予想しないノイズを足すことは、映画より大変な気がします。

安田:キャラクターとシチュエーション、絡む相手とかを物語のなかに置いておけば、その人たちが勝手になんかつくるだろうって思ってるかも(笑)。「そのドキュメンタリーをぼくが撮るから、はいどうぞ!」ってやってるようなもので。ぼくがつくったプロットに従ってキャラクターを動かしちゃうとつまんないことになっちゃうから、自分自身びっくりしながらカメラを覗いてるイメージですね。だからどう転んでくかわかんないし、「ちゃんと今回もオチつけてくれるんでしょうね!?」って毎回怖い(笑)。

今泉:脚本を書いていて、たまにその感覚がわかるときがあります。書く前は、キャラクター同士を出会わせたらどんな会話をするのかまったく想像つかなかったけれど、いざ書き始めたら「うわ、こんなグッとくる会話するの!?」みたいになるとか。

安田:まさにそれなんですよ。ある日急に動いてくれるんですよね。逆に、「今日動かなかったね、なんにも!」っていうこともよくあって。自分が「このキャラはこうしてくれるかな」っていう無意識の期待をしてると、けっこう裏切ってくるんですよ。それが面白くて。

今泉:「どういう思考?」って思いますよね(笑)。

安田:いま、「女の人は女らしく生きるべき」「男の子は男らしく、こういうふうに生きるのが幸せな道」とか、これまで示されてきた嘘が次々暴かれています。まわりから人生の道筋を決めつけられてきたけれど、じつは嫌だったとか、実際その道を歩んでみたけれど幸せになれていないといった人が、大多数であることがわかってきた。

じゃあ、自分が自分として生きて、幸せになるためにはどうすればいいか、お手本を見せてくれる大人がいないんですよ。なぜなら、いま大人として生きている人の多くは、「男らしさ」「女らしさ」を吸収して成長していったから。

でも『ちひろさん』の感想を見たり、こうやって再度取り上げられているのを見たりすると、たぶんそういった悩みを抱えている人たちに受け入れてもらったのかなと思います。「私は女らしくないし、かといって男として生きるでもない。どっちの型にもはまらない人って、いまどういうふうに暮らしているのだろう」って、具体的な例を探している人にとって、ちひろは一つの見本になるというか。

今泉:いま、性差別やLGBTQなどの課題が表立ってきてはいるけど、実態はなかなか変わらなくて、「この問題いつまで続くの?」みたいな話があまりに多すぎる。「同性婚を認めたら社会が変わってしまう」みたいな発言とか。変わらなきゃいけないはずなのに。

ぼくは、究極『ちひろさん』みたいな作品が必要なくなる世界になってほしいと思うんです。でも、きっとまだまだ必要とされるでしょう。それくらいいまは、「大人はこうしなきゃいけない」「社会はこうあるべきだ」っていう枠組みが強いから。

でも、そういった世界だからこそ、ちひろという人物の豊かさが際立つんですよね。「こんなふうに生きていいんだよ」っていうひとつの指標になるというか。ちひろのような、「人と自分を比べずに、ただそこにいる人」はいま、どんどん必要になっている気がします。

もちろん「ちひろみたいには生きたくない」って人もいるでしょう。彼女の生き方は、絶対的な答えではなくて、選択肢が増えたり、視野が広がったりという、生き方の一つのヒントをもらえるということなのだと思います。

安田:ちひろに対してどういう感情を抱くか、この人の存在をどう思うかで、自分が見えるんですよ。鏡みたいな存在というか。

脚本に入る前、監督と「人生の道中において、変な大人と出会っておくってすごく大事なことだよね」とお話したんです。子どものとき親戚にいた、大人からはちょっと煙たがられてるけど、なんか面白い変なおじさんっていたよね、って。そういう人に出会うと、「大人のかたちってひとつじゃないんだな」ってわかる。そういう「変な大人」が、ちひろなんですよ。