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立花もも 今月のおすすめ新刊小説 瑞々しさを失わない新井素子のSFや宝箱のような短編など今読むべき4選

2023年02月20日 07:11  リアルサウンド

リアルサウンド

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 発売されたばかりの新刊小説の中から、ライターの立花ももがおすすめの作品を紹介する本企画。1977年デビューから瑞々しさを失わない新井素子の新作、倫理に関連するものなど、今読むべき注目作品を集めました。(編集部)


■『南海ちゃんの新しいお仕事 階段落ち人生』 新井素子


 まず何に驚いたって、1977年のデビュー以来、今なお新作を出し続けている新井素子の作家魂に、である。はじめて読んだのは『グリーン・レクイエム』、初版は1980年に刊行された作品だが、文体の瑞々しさが一切失われることなく、さらに古びることもない。すこし・不思議どころか、だいぶ不思議なSFストーリーを、令和のお仕事小説として調理する筆力。圧巻である。


 階段落ち人生、なんてサブタイトルがついているくらいだから、不運にまみれた女性がどん底から這い上がっていく物語なのかな、と思っていたのだが、文字どおり、本当に、階段から転げ落ちてばかりの女性が主人公だと知って、また驚いた。確かに、何もないところでよく転ぶ人というのは、いる。たいしておっちょこちょいというわけではなくても、なんでこんなところで?とスリップ事故が起きるのも、よくある話。それはすべて、常人には見えぬ時空のひずみが発生しているせいで、主人公の南海はそのひずみにことごとく足をひっかけて転んでしまう能力をもっているらしいのである。


 それだけならただの災害だが、南海がひっかかったあと、ひずみは消えてしまうらしい。さらにそのひずみを使って、南海は、どんなものでも〝修復〟することができるらしい……と気づいたのは、ひずみが靄になって見えるという大企業の御曹司・板橋。板橋に請われ、南海はある事業に協力することになるのだが、道理をねじまげてあらゆるものを修復していく南海の力は、人の心にわずかなひずみを生んでいく。人はどこまで〝神の領域〟に干渉することが許されるのか、倫理観を問う物語へと深化していくのも読みどころのひとつである。


■『植物少女』朝比奈 秋


 倫理とは、人の営みのなかで守られるべき道徳や善悪の規範だが、法律と違って明確な線引きがされているわけじゃない。曖昧で、状況次第で簡単にひっくりかえされるその規範を自分に向けて問うために、物語というのはあるのかもしれないと『植物少女』を読んで思う。


 美桜の母親は、美桜を生むときに脳出血を起こし、植物状態が続いている。美桜にとって母親とは、対話することのできない静かな存在だ。けれど、だからこそ美桜は、母親になんでも打ち明けることができる。母は、決して美桜を叱らない。否定しない。あるがまま、受けいれてくれる。たとえ美桜が、日常のうっ憤を晴らすように、虐待めいたふるまいをしようとも、母は抗わない。ただ静かに、美桜のそばにいる。


 そんな状態の母を「こんな姿で生きていたくないだろう」と言う親戚がいる。父や祖母も、二度と目が覚めることはないとわかっていながら、不意に元通りになる日がくるんじゃないかと、心のどこかで望んでいる。今の状態の母を、そのまま受け入れているのも、美桜だけだ。動かない。話さない。喜怒哀楽もない。だけど母は生きているし、からっぽなんかじゃないのだと、葛藤の果てに美桜だけが気づくことができる。


 相手が意思を示さない以上、美桜の母に対する感情も、解釈も、すべて自分勝手なエゴでしかない。けれど人と人との関係というのは、そもそもそういうものではないか。本当のこと、なんて想像するしかできないまま、相手が自分とは異なる生を歩んでいることを尊重して、慈しむことしかできないのだ。意味があろうとなかろうと、どんな姿であろうと、私たちは呼吸をする限りは生きて、止まる日までただ生き続ける。それがどういうことなのか、問いかけてくる小説である。


■『中庭のオレンジ』 吉田篤弘


 コロナ禍で私たちが突きつけられたことのひとつは「正解がわからない」ことの恐怖ではないかと思う。その行為に意味があるのかないのか、先々に役に立つのか立たないのか、効率を求めてしまうのは不景気ゆえの余裕のなさも多分に影響しているだろう。だからせめて、物語くらいは、要でも急でもなければ、わかりやすくもないものを大事にしたい。心をほんのちょっぴり浮遊させて、安らぎをとりもどしたい。そんなときにおすすめなのが本作である。


 単行本と文庫本のあいだくらいの大きさで、オレンジのたくさん成った樹のイラストが描かれた表紙とあわせて、造形がかわいらしく、手にとるだけで、幼いころに大好きだった童話を読みはじめるときのようなわくわくした心地がする。


 誰からも忘れられたような遠いところへ本を届けたい、と気ままに旅する古本屋。彼が出会ったお客が語る、戦火をまぬがれるため図書室の中庭に埋められた蔵書。その蔵書のうえに育った、物語の種がたくさんつまったオレンジの樹……。これは表題作「中庭のオレンジ」で描かれる情景だが、ほんの数ページとは思えないほど豊かな物語が、本作には21編もおさめられている。遠いかなたでひそやかに生きる誰かの、一瞬をきりとった物語。意味なんて、なくていい。だけどこういう美しくてあたたかい物語を読む時間こそが、生きる意味に変わっていくのだと、しみじみ思う。宝箱のような一冊だ。


■『ゴッホの犬と耳とひまわり』 長野まゆみ


 こちらも、効率やわかりやすさからはだいぶ遠い。物語の導入こそ、フランス製の古い家計簿に書き込まれたヴィンセント・ヴァン・ゴッホの直筆サインは本物かどうかを探る、というミステリ仕立てだが、怒涛の一気読み!とか、大どんでん返し!とか、歴史の隙間をついた新解釈!みたいな派手さを求める人は拍子抜けしてしまうくらい、脱線が多いのだ。


 遠い親戚である文化人類学者の河島が、主人公の「ぼく」に依頼してきたのは、家計簿に書き込まれた大量の書き込みの翻訳。サインの真贋を確かめるには細部の検証が必要だから、なのだけど、この河島による経緯の説明がまずもって、長い。たぶん私が「ぼく」なら「もうちょっと要領よくまとめてくれませんかね」と言いたくなるくらい。でも……不思議なことに、この脱線が、おもしろいのだ。ゴッホの話をしていたはずなのに、謎多き海外の絵本や、「ぼく」をはじめとする家族・親類たちのヒストリーに話が及び、物語にふりおとされないよう、追いつくのに必死。けれど、一見なんの関係もなさそうに見えたピースが集まって、最後にはひとつの絵画のようにぴったりとあわさり、収束していく。その構成力には、ため息しかでない。


 一読しただけでは理解が追い付かなかったので、くりかえし読んだ。そして思う。読書って、ほんとうに、コスパがいい。作者のとほうもない想像力をおすそ分けしてもらいながら、知識を得、未知なる世界を旅することができるのだから。ゴッホをモチーフにしたフィクションのなかでも、類をみない作品なので、ぜひ腰を据えて挑んでみてほしい。