ジェンソン・バトンは、2023年のル・マン24時間レースへ特別枠からの出走を目指すNASCARガレージ56プロジェクトへの“予想外の”参加について、その経緯を語るとともに、これを「本格的なレースに復帰するための第一段階」と考えていることを明らかにした。
1月28日に発表されたとおり、改造されたNext-Gen車両のシボレー・カマロZL1・カップカーのドライバーとして、バトンはジミー・ジョンソン、マイク・ロッケンフェラーとともに指名された。
ジョンソンとロッケンフェラーは昨年の開発開始以来、このプログラムに深く関わってきたが、バトンの参加はつい最近決定したことだ。2009年のF1ワールドチャンピオンは、デイトナ24時間レース直後の2日間のテスト走行で、初めてこのマシンのステアリングを握った。
■「レースに対する愛が戻ってきた」
バトンは、2022年12月にフロリダ州のセブリング・インターナショナル・レースウェイで行われたテスト走行に招待されたことが、このプロジェクトと出会うきっかけだったと明かした。
「彼らが『来てみない?』と言ったので、僕は(カリフォルニア州・)ロサンゼルスから夜通し飛んだんだ」とバトン。
「実際にテストに来ないかと言ったのはロッキー(ロッケンフェーラー)で、彼が(IMSAプレジデントの)ジョン・ドゥーナンに僕が来てもいいかと尋ね、ジョンは同意してくれた」
「それで僕はテストに向かい、その前にジミーに『テストを見に行くよ』とメールしておいたんだ」
「僕は(夜間のフライト後で)ちょっとだらしない格好だったし、少し疲れていたから、コースに出て、いたるところでマシンを見ていたんだ」
2019年にスーパーGT参戦を終えて以来、レースへのフル参戦をしていないバトンは、V8エンジンを搭載したシボレーがセブリングを周回する様子を見て、このスポーツへの情熱を再び取り戻したのだという。
「セブリングのサーキットに立って、子どもに戻ったような気分になったよ」とバトンは言った。
「それは、僕がモーター・レーシングに求めているものだ」
「僕はF1でキャリアを過ごしてきた。F1を引退したのは、レースで何か新しいことをしたかったからだ。他のことをやりたかった。だから日本でスーパーGTに参戦したり、ル・マンに出たり、GTレースでいろいろなことをやってきた」
「サーキットでこのマシン(カマロZL1・テストカー)を見たとき、満面の笑みを浮かべたんだ。レースに対する愛が戻ってきて、『契約先を教えてくれ、この人たちと一緒に仕事をすることにすごく興味があるんだ』ってね」
■見に来ただけなのに「乗ってみたらどうだ?」
バトンにとって驚いたことに、ヘンドリック・モータースポーツ競技担当副社長のチャド・クナウスは、そのセブリングテストの最中に、バトンにマシンをドライブしてみるよう、誘ったという。
「そのテストでは、単に彼らを見に行っただけなんだ」とバトンは詳しく説明する。
「ロッキーのドライビングを見たり、ジミーのドライビングを見たりしていたら、チャドが『クルマに飛び乗ったらどうだ?』って言うんだよ」
「僕は『飛び乗るってどういうこと? ヘルメットもスーツも持っていないんだ』と言ったんだ。でも彼らは『借りればいいじゃないか』ってね」
「僕は『いやいや、これは自分のヘルメットやスーツじゃない。このために準備しなければならないものなんだ』って言ったよ」
「でも、彼らは僕がクルマに乗ることに対してとてもオープンで、僕はそんなチームの雰囲気がとても気に入ったんだと思う。彼らは、自分たちの仕事にはとても真剣だが、自分たちのことを深刻に考えすぎないところが素晴らしい」
「これは本当にエキサイティングなプロジェクトで、ル・マンに行っても遅いということはないだろう」
「このクルマは競争力のあるものになるだろう。僕らは(特別枠での参戦なので)誰かと競争しているわけではないけどね。でも、他の競技者に会えること、そしてこの車両と僕らが達成しようとしていることについての、ファンの意見を知ることを、本当に楽しみにしているよ」
バトンは結局12月のセブリングではドライブせず、新たにヘッドライトを装着して走ったデイトナテストでステアリングを握った。
■「僕は43歳だから、キャリアはまだ何年もある」
43歳のバトンは、2018年にSMPレーシングのLMP1チームに加入し、ル・マンに1度出場した経験がある。2019年の復帰が決まっていたが、それが破談となり、ストフェル・ファンドーンへと交代した。
2019年の計画について、「まず実現しなかったのは、僕にはふたりの子どもがいて、幼い彼らが妻と一緒にいる家を、離れて過ごしたくなかったからだ」とバトンは語った。
「面白いことに、数カ月前に妻が『何かレースに出てよ。あなたは私を困らせている』と言ってきたんだ」
「彼女はその情熱を理解しているし、それが決して消えることはないことも分かっているんだ。 レースへの愛、競争への愛、ドライビングへの愛がね」
「これが僕の世界であり、決して僕から離れることはないものだ。欲望がまだそこにあり、リアクションがあり、健康な身体がある限りは……」
「僕は43歳だから、レーシングキャリアはまだ何年もある。これは、本格的なレースに復帰するための第一段階なんだ」