2023年02月10日 08:11 リアルサウンド
ファンタジーは創作上における王道ジャンルの一つだ。古典的なところであれば『指輪物語』から現役連載作品なら『ブラッククローバー』、『マッシュル -MASHLE-』までファンタジーの例は挙げていくとキリがない。
さて、そのファンタジーの王道設定といえば「魔法、魔術」だろう。
作中において魔法や魔術は強敵を倒す武器になり、傷を癒す手段になり、日常生活をサポートするお役立ちアイテムになったりと万能ぶりを見せている。
魔法、魔術は今日の創作世界における常識であり、作中で魔法や魔術が働くメカニズムを詳細に設定し説明する作品(『魔法科高校の劣等生』などその顕著な例)はあっても、魔法や魔術が「そもそも何なのか?」を説明する作品はまずお目にかからない。
魔法や魔術の歴史に関する説明もまずお目にかからない。
しかし、創作は基本的に何もないところからは生まれない。
魔法、魔術にも現実世界に元ネタが存在する。
当たり前すぎて顧みる人は少数だと思うが、魔法や魔術が本来どのようなものであるか無謀にも紐解いてみることとする。
■魔法と魔術、呪術の違いは?
まず、熱心にファンタジーに触れてきた読み手たちならば疑問に思ったことがあるかもしれない「そもそも」の点を紐解いてみよう。
ファンタジーにおいて「魔法」と「魔術」はどちらも良く見る設定で、神秘の業である点は同じだ。
だが、作品によってその神秘の業は「魔法」と呼ばれる場合と「魔術」と呼ばれる場合がある。
この二つは何が違うのだろうか?
結論から言うとこの二つに違いは無い。
「魔法」は古くからある日本語であり、近代化において西洋から入ってきた"magic"の訳語として充てられたことで定着した。
魔術、妖術、呪術なども同様であり、基本的にこれらは同じ概念を指す。
ただし、「呪術」は学術上も別物として扱われる場合がある。
別物として扱う場合、魔法や魔術と比べてもより原始的なものを呪術と呼ぶ。
「呪いたい相手に似せた人形に釘を打ち込む」「呪いたい相手の毛髪、唾液、爪など体の一部を焼く、煮る」「呪いたい相手の名前を書いて釘を打ち込む、呪いの言葉を書く」などは原始的な魔術で世界中に類例がある。
これらは原始魔術であり、呪術とも言い換えられる。
イギリスの社会人類学者ジェームズ・フレイザーは『金枝篇』で、人形のような相手に似せたものを使うものを類感呪術(類感魔術)、相手の体の一部を使うものを感染呪術(感染魔術)と分類している。
呪術についてはわが国では丑の刻参りが特に名高い。
原始的な類感呪術をもとに江戸時代に広まった丑の刻参りは、丑の刻(午前1時から午前3時ごろ)に神社の御神木に憎い相手に見立てた藁人形を釘で打ち込む儀式で、原始的な呪術の特徴を色濃く残している。
人気マンガ『呪術廻戦』に登場する釘崎野薔薇は藁人形と釘を用いる呪術を操っていたが、モチーフは間違いなく丑の刻参りだろう。
丑の刻参りは原始魔術の特徴を残す「呪術」なので『呪術廻戦』のモチーフには相応しいと言えるだろう。
なお、縁結びの神であると同時に縁切りの神、呪咀神としても信仰される京都の貴船神社は丑の刻参りの聖地として有名だが、深夜(丑の刻)の神社に忍び込む=不法侵入罪、ご神木に五寸釘を打ち付ける=器物損壊罪に該当する。
呪いで人を殺しても法では裁かれないが、丑の刻参りを実行することそのものが犯罪行為なので厳に控えよう。
名前も重要な要素だ。
草野巧(著)『図解 魔術の歴史』によると、「名前にはそのものの本質が宿っており、ある意味では相手の毛髪、爪よりも重大なもの」とのことだ。(本稿を執筆するにあたって『図解 魔術の歴史』を全面的に参考にしていることを断っておく)
長寿マンガ『夏目友人帳』は名前が相手の存在を縛るとの設定が採用されているが、この設定は名前を使った原始的な呪術にルーツがあると考えられる。
少々脱線してしまったが、まとめると魔法と魔術は同一の存在で、作中で「魔法」と呼ぶか「魔術」と呼ぶかは結局のところ作者の好みに依存することになる。
が、「魔法」よりも「魔術」と言った方がよりダークな世界観にそぐうような響きがする……気がする。
王道のファンタジー少年マンガ『ブラッククローバー』は熱血漢の少年が主人公で正統派なバトルマンガだが、こちらは「魔法」で雰囲気的にも「魔法」の方がしっくりくる。
アニメ化が決定している佐竹幸典(著)『魔女と野獣』は「魔術」で、血生臭くダークな世界観の同作にはこちらの言葉の方が響きが合っている気がする。
「黒魔術」とは言うが、「黒魔法」という表現は聞かないので世間的にも何となく「魔術」の方がダークなイメージがあるのかもしれない。
魔法と魔術を別物として扱う作品もある。
「fate」シリーズを初めとするtype-moonブランド作品とヤマザキコレの人気マンガ『魔法使いの嫁』では魔法は魔術の上位互換的存在として描かれている。
『魔法使いの嫁』よりもtype-moonブランドの方が歴史は長いので、ヤマザキコレ氏はtype-moon作品を意識したのかもしれない。(ちなみに、同氏はtype-moonブランドのアプリゲーム『Fate/Grand Order』で一部イラストを手掛けている)
「魔力」「マナ」といった用語もよくファンタジーで用いられる。
『ブラッククローバー』や「fate」シリーズなど多くのフィクションで「魔力」の事を「マナ」と呼んでいるが、意外な事に「マナ」という言葉はヨーロッパが起源ではない。
メラネシアやポリネシアで信じられていた宗教概念で、超自然的な力の事を指す言葉だ。
フィクションの世界でこの「マナ」をRPGで魔法を使った時に消費するMPのような存在として描いたのはSF作家のラリー・ニーブンによる『魔法の国が消えていく』が初めてで、以降、他国の作品へと広がっていくことになる。
ところで「マナ」は中国を起源とする東洋思想の「気」に酷似している。
「気」も『ドラゴンボール』を初めとする数々のフィクションに登場する。結局、人類の考えることは何となく似てくるのだろう。
なお、ややこしいため以降は「魔法」ではなく「魔術」と表記する。
指しているものは同じだが、オカルト史を紐解くと「魔術」と記載されている場合の方が多いように感じるためである。
■西洋魔術の歴史
前述のとおり、「呪術」は「原始的な魔術」の意味で語られる場合がある。
ということは逆説的に「魔術」とは「原始的でない魔術」のことを指すことになる。
時代が進むにつれて人類は文化を洗練させていったが、その過程で多くの神話体系、哲学、宗教、科学思想などが誕生した。
宗教思想や哲学を成長素材に古代世界で以下のような魔術が誕生している。(挙げるとキリがないので代表的なもののみ独断で選出)
「占星術」……古代メソポタミアで誕生。天の星に神々を対応させたもの。国家や国王の未来を占うのに用いられた。後、エジプト、ギリシャに伝わる。さらに後の時代には陸伝えで中国にも伝わる。
「古代エジプトの魔術」……死後の再生を目指す魔術。死者はいずれ肉体に帰ると信じ、肉体の保存技術(ミイラ)が進化した。
「古代ギリシャ・ローマ・エジプトの密儀宗教」……エレウシス密儀、ディオニュソス密儀、オルペウス密儀、イシス=オシリス密儀、ミトラ密儀、キュベレ密儀など。部外者には秘密の密儀に参加し特別な宗教体験をするもの。この秘匿性はフリーメイソンを初めとする秘密結社へと繋がっていく。
「古代ギリシャ・ローマの神秘思想」……新プラトン主義、新ピタゴラス主義、グノーシス主義、ヘルメス主義など。どちらかと言うと哲学の思想。
また、科学思想が魔術発展の歴史に関わっていることに違和感を感じる方もいるかもしれないが、科学とオカルティズムの関係は意外なほどに深い。
魔術の一種である錬金術は古代エジプトを発祥とするが、その基礎となっているのは古代エジプトで発展した冶金術や染色術などの工芸技術だ。錬金術はその発展の過程で「蒸留」という人類史上でも非常に重要な化学の発見もしている。万有引力の法則の発見はじめ、その功績を挙げるとキリがないアイザック・ニュートンは錬金術師でもあった。
ビッグバン理論の基礎を提唱したジョルジュ・ルメートルは天文学者で宇宙物理学者であると同時にカトリックの司祭でもあった。
医学はヒポクラテスによって臨床と観察を重んじる経験科学へと発展したが、それ以前、古代ギリシャにおいて病気とは「神から与えられた罰」と考えられており、オカルトと同義だった。ギリシャ神話に登場すアスクレピオスは医学の神とされ、紀元前5世紀から紀元3世紀ごろに地中海世界で信仰されていた。その聖地であるエピダウロスの特別な場所でアスクレピオスの夢を見ると病気が治るとの信仰があった。
古代においてオカルトと科学が紙一重の差すらなかったことがわかる例だ。
時代が進むと、派閥の中から重要な魔術師が誕生する。その代表格が、ティアナのアポロニウス(紀元前一世紀ごろ)とシモン・マグス(一世紀ごろ)だ。
アポロニウスはピタゴラス学派の聖人でエフェソス(今のトルコ)からペストを追い払った、吸血鬼ラミアを退治したなどの逸話を持つ。
シモン・マグスはグノーシス派の魔術師で、幻術を使い、病をいやし、死者を復活させた逸話を持つ。
吸血鬼退治の物語は山ほど存在するが紀元前に既にあったようだ。
これらの古代思想が西洋魔術の基礎になっているが、しかしながら、西洋で本流になるにはルネサンス(十四世紀から十六世紀ごろ)を待たなければならない。
キリスト教が四世紀にローマの国教と定められたのに際して、キリスト教がこれらの思想を弾圧したからだ。
一神教のキリスト教からすればこれらは異教のものであり、存在を認められなかったのだろう。
中世の魔女狩りによる魔女の弾圧もこの文脈上で起きたものだ。
以降、キリスト教はヨーロッパ文化の根底を成すことになるが、実のところヨーロッパを発祥とする「キリスト教のもの」と思われがちなイベント、習慣には異教の要素が顔見せしているものがある。
ハロウィンをキリスト教のイベントと思っている方は少なくないと思うが、ハロウィンの起源はサウィン祭というケルト民俗土着宗教の祭りで、キリスト教は関係ない。
カーニバルは、ゲルマン民族土着宗教の祭りがキリスト教に吸収されたものだ。
クリスマスが祝われる12月25日はイエス・キリストことナザレのイエスの誕生日ではなく、もともとはローマの太陽神ミトラを祀る密儀宗教「ミトラ教」の祭日で、イエスの誕生日がいつなのかは聖書にも歴史書にも明確な記述が無い。
余談だが、『新約聖書』によるとイエスの父母であるマリアとヨセフは、イエスの生まれる直前に住民登録のために出身地のベツレヘムに旅をしたとの描写があるが、当時の旅は命がけだったはずので、寒さの厳しい冬だったとは考えにくい。聖書の描写を信じるならば、イエス・キリストの誕生日が真冬(12月)である可能性は低いと思われる。
その後、ルネサンス時代になってカトリック教会は相対的にその権威が低下する。
ルネサンスによってギリシャ、ローマの文化が見直され、西洋魔術は大きく進歩を遂げることになる。
以上の概略からお分かりいただけるものと思うが、魔術には人類の思想史としての一面がある。
ふわっとした「神秘の業」のイメージで描かれがちだが、type-moonブランド作品で三田誠(著)のライトノベル『ロード・エルメロイII世の事件簿』、『ロード・エルメロイII世の冒険』シリーズで描かれる魔術は人類の思想史としての側面を見せている。
同作では最初のエピソードとなる「剥離城アドラ」だけでも、錬金術、数秘術、修験道、占星術など様々な種類の魔術が登場する。
『ロード・エルメロイII世の事件簿』はバトルもあり、あくまでもライトノベルの領域に留まってはいるが、思想史としての魔術の顔が覗くことで独特の雰囲気を醸しだしている。
文=ニコ・トスカーニ