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マネスキンは現代が生んだ「ヘルシーなロックスター」。セメントTHING&つやちゃんがその魅力を語る

2023年02月04日 09:00  CINRA.NET

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Text by 山元翔一
Text by 佐藤優太

2022年夏に初来日を果たし、熱狂と旋風を巻き起こしたイタリアが生んだロックの新星、Måneskin(マネスキン)。今年1月にリリースしたアルバム『RUSH!』は、本国イタリア、日本のインターナショナル部門を含む12か国でチャート1位を獲得し(UKでは5位、USでは18位)、2023年も引き続き世界中から熱い視線を集めている。

2月6日に授賞式を控える『第65回グラミー賞』では最優秀新人賞にノミネートし、今後さらなる飛躍が期待されるMåneskinについて、サウンド、価値観やアティチュード、ファッションやビジュアル表現などのポイントから、ライターのセメントTHING、つやちゃんの両名に語りあってもらった。

Måneskin(マネスキン)
上段から時計回りに:ダミアーノ・デイヴィッド(Vo)、トーマス・ラッジ(Gt)、ヴィクトリア・デ・アンジェリス(Ba)、イーサン・トルキオ(Dr)
イタリア・ローマ出身のZ世代4人組バンド。メンバーは小学校低学年からの知り合いで、一緒に音楽をやるようになったのは4人が高校時代の2015年から。2021年3月にイタリアで最も権威ある音楽祭『サンレモ音楽祭』に出場し、メンバーが作詞・作曲を手がけた“Zitti E Buoni”で優勝を果たす。また5月にはヨーロッパ最大の音楽の祭典『ユーロヴィジョン・ソング・コンテスト2021』(5月22日決勝大会)でも、同曲を披露し見事優勝。2022年8月には豊洲PITの単独公演、『SUMMER SONIC』で初来日。2023年1月20日、全世界ブレイク後、初リリースとなる待望の最新作『RUSH!』をリリースした。

─おふたりは2022年の『SUMMER SONIC』で、Måneskinのライブを観たそうですね。

つやちゃん:そうですね。私は『ユーロビジョン・ソング・コンテスト2021』の動画でMåneskinを知ったのですが、当時はいわゆる「ロックの復権」とか「ハードロック・リバイバル」みたいな言葉とセットで紹介されていて、正直あまり興味が湧かなかったんです。

でも『Il Ballo Della Vita』(2018年)をちゃんと聴くと、そういうリバイバルとは全然違って、むしろ「ポスト・ジャンル」的で、現代的な魅力のあるバンドだと感じたんです。そこからのめり込んで聴くようになったんですが、ライブでそのイメージがさらに刷新されました。

つやちゃん:あまりミュージシャンに対して使わない表現かもしれないですけど、「運動神経」がすごいバンドだと思ったんですよね。ミュージシャンだけどアスリートみたいというか、手でギターやベースを弾いてドラムを叩いているというよりも、身体そのもので楽器を弾いているようなダイナミズムを感じて、衝撃を受けました。

セメントTHING:私も音源では、シアトリカルに世界観をつくり込んだライブをするバンドなのかなと思っていたので、アグレッシブで荒削りなところもあるステージを見て本当に驚きました。

当日はスタンド席で観ていたのですが、冒頭の“Zitti E Buoni”から息をつく暇もないほどの見せ場の連続で、観客を盛り上げるエネルギーに圧倒されて最後は立ち上がって踊っていました(笑)。ライブでの煽り方は、ある意味ベタな感じなのですが、それを全力でやるのがすごくチャーミングで。

セメントTHING:あと、普段はポップスやヒップホップを聴いている2000年代以降の生まれの若いリスナーが、Måneskinの音楽やビジュアルに熱狂的に反応していたのがとても印象的でした。『SUMMER SONIC』でも、若いオーディエンスがバンドに熱く応えていて、頼もしかったですね。

─Måneskinが若いリスナーの心を掴んでいるのは、なぜだと思いますか?

つやちゃん:いまはプレイリストにいろんなジャンルが並列に入っているのがデフォルトですが、Måneskinの音楽もそういった状況、リスナーの視聴環境を前提にしていますよね。

Rage Against the MachineやArctic Monkeys、Red Hot Chili Peppersにも通じる、ヒップホップ的なリズムを取り入れたミクスチャーなロックをベースにしつつ、ダンスミュージックやハードロックの要素も使い分けて作品や演奏に落とし込んでいる。

そうすることでいろいろな感情や気分を聴いている人に喚起させていると感じるのですが、Måneskinはそれが本当に上手いし、そこにすごくいまっぽさを感じます。

セメントTHING:リスナーを「踊らせること」の快楽性に素直で、サウンドや歌詞も含めてすごく享楽的なバンドだというのもポイントかと思います。

つやちゃんさんが挙げられたこと以外にも、ポストパンクやファンクの要素も参照するなど、自分たちが好きなものや気持ちいいと思ったものを、ジャンルを越境して取り入れて、どんどん打ち出していくダイナミズムは単純にとても楽しいなと。

たとえば、2022年の『Coachella Valley Music and Arts Festival』では、The Stoogesと並んでブリトニー・スピアーズのカバーも演奏していましたが、ロックバンドがブリトニーのカバーをあの場でてらいなくやるというのは、いままではなかなか考えづらかったと思うんです。Måneskinはジャンルの垣根のようなものも、単に「好きだから」みたいな感じで軽々と越えてしまえている。

つやちゃん:私もブリトニーのカバーには感動しました。『コーチェラ』はいまでこそポップスターも出るフェスですが、昔はそうではなくて、むしろブリトニー的なものと距離を置いたフェスだった。

そうした歴史を踏まえても、あの場でブリトニーの曲を、めちゃくちゃ楽しそうにカバーするのは、すごく批評性も感じられてカッコよかったです。彼ら自身が変に自分たちを型にはめようとしていないし、そこに時代の変化も同時に感じましたね。

セメントTHING:そうですね。Måneskin以外に、たとえばblack midiみたいなバンドも、いろんなジャンルの音楽を通常ならありえないようなかたちで組み合わせた、越境的な音楽をやっていますよね。いい意味で、文脈と離れたところで、カタログ的に音楽を参照して、自分たちの表現に落とし込む。その「自由さ」をいまの若いバンドに感じます。

つやちゃん:Måneskinの場合、さらにイタリア出身ということも関係しているかもしれませんね。

英米のバンドは「ロックの正史」に対する接続が強固な分、そのことが足枷になるケースも多い。その意味では、Måneskinはオルタナティブな価値観を体現しているともいえるのですが、じつはそういうバンドって日本も含めて世界中にたくさんいるような気もします。

ただ、やっぱりポップミュージックには英米中心の価値観があるので、なかなかそこに入っていけていないだけで。Måneskinには、そういう道を切り拓いている功績もあるのかもしれない。すでにそうなりつつありますが、今後、彼らのあとに続くかたちでもっと世界中から従来の英米中心主義の価値観に縛られないいろんなバンドが発掘されてほしいです。

セメントTHING:実際、彼らはグローバルに活動しつつも、ローマ出身であることをすごく大切にしていますよね。ローマ出身だからこその持ち味や強さを、しっかりと理解しながらグローバルに打ち出している。

ローカリティーとグローバルな活動のバランスや、それゆえの彼らの自由な活動の姿勢は、ファッションの面は、地元のイタリアのメゾンとの協働というかたちで継続的に表現されています。『サンレモ音楽祭』や『ユーロ・ビジョン』のときはすごく鮮やかな衣装をETRO(※)とコラボレーションしていましたし、それ以降はGUCCIとガッツリと手を組んでいます。

『RUSH!』の先行シングル“SUPERMODEL”のMVで着用したGUCCIの衣装に身を包むMåneskin / Photo by Francis Delacroix(YouTubeを開く)

セメントTHING:彼らのファッションには、レザー使いやボンテージルックといったBDSM(※)やクィアカルチャーの要素が取り入れられていますが、先日辞任が発表されるまでクリエイティブディレクターとしてGUCCIを率いていたアレッサンドロ・ミケーレは、服のジェンダー表現において、2010年代に非常に大きな影響力があった人物です。彼と一緒に活動できたことは、Måneskinのビジュアルイメージをつくっていくうえで大きかったと思います。

つやちゃん:私も同じ意見です。ミケーレの服は、ジェンダーの表現に加えて、どこかグロテスクであると同時に、おとぎ話的でファンタジックで、服を着る人や見る人に「夢」を見させてくれるものですが、Måneskinもシアトリカルな表現などを含めて、そういう側面のあるバンドです。その意味でも、お互いの世界観や価値観が合致した素晴らしいコラボでした。

Måneskinの2022年のアーティスト写真

セメントTHING:Måneskinのビジュアルって、すごく「キャンプ」(※)ですよね。“MAMMAMIA”で『ミーン・ガールズ』を引用したり、ミュージックビデオ自体も「ジャッロ」とかに影響を受けた感じのケバケバしい照明が印象的です。

ほかにもジャンプスーツやコルセット、ゴージャスなファーを使った衣装など、悪趣味の領域に片足を突っ込むような、ドラァグとかとも隣接するイメージを打ち出している。

それが彼らのダイナミックでシアトリカルな楽曲と組み合わさって、すごくポップでハッピーな表現になっています。そうした構造全体を、最初につやちゃんさんがおっしゃっていた強い身体性が支えている。その結果として、あの密度の濃いステージや表現が生まれているんじゃないかなと思います。

セメントTHING:あと、私は4人のあいだのフルイディティー(流動性)もすごく好きな部分です。Måneskinでは、ベースのヴィクトリアだけがウィメンズを着るようなことはない。バンドとして表現したい統一されたイメージやムードが先にあって、そこに個々の好みや表現を反映したうえで4人のルックを調整している感じ。

特にそれを象徴しているのが、“Le parole lontane”のビデオで4人がオーバーサイズのジャケットにパンツのセットアップで出てくるシーンです。男女混合グループであってもメンズ/ウィメンズの垣根なく、それぞれが好きな服を、統一のテーマのもとで着ているフルイッドな感覚はすごく現代的です。

セメントTHING:彼らの得意とするグラム的なケバケバしさや華やかさは、昔からロックバンドのファッションの表現のなかにあったものですが、それがジェンダー的なフルイディティーと組み合わさっているのがMåneskinのルックの魅力ですね。

つやちゃん:フラットな関係性もそうですし、立ち振る舞いや歌詞やパフォーマンスを通して伝わってくる、嘘も建前もないような4人のキャラクターの一貫性にもとても魅力を感じます。

いまってひとりの人間が分人的に、バラバラのコミュニティーに向けて自分のさまざまな側面をプレゼンすることが求められがちな時代ですよね。たとえば、ひと口に「音楽が好き」といっても、「ロックが好きな自分が話せるのはこのコミュニティーだけど、アイドルが好きな自分が話せるコミュニティーはこっち」みたいなことが当たり前にある。そして、それが個人のメンタルに負荷を与えることもある。

もちろん分人主義とは自分を偽りなく開放することなので、本来であればむしろメンタル的にはポジティブなはずなんですが、一歩間違うとバラバラな自分の顔をすべて完璧に演じないといけないという脅迫観念にとらわれたりもします。

MåneskinはそういったSNSが助長する完璧主義みたいな風潮に対して批判的な発言もしていて、建前や嘘偽りのないコミュニケーションをもっとシンプルにしていくことを、本人たちとしても心がけているように見えます。一見突飛なことを言っていると誤解されがちだけど、じつはすべての発言や振る舞いに一貫性があるし無理がないんですよね。

つやちゃん:いまでもアーティストによっては「メディアの前だからあえてこういう発言をするけど、実際にやっていることは全然違う」みたいなことって、普通にあると思います。でも、Måneskinからはそれをほとんど感じなくて、彼らの自然体や本音をそのまま受け取っている感覚がある。

そこにとても共感を覚えるし、共感だけではなくて、積極的に「信用したい」と思わせてくれるようなバンドへのエンゲージメントが自分のなかで積み重なっている感覚があります。

セメントTHING:Måneskinは旧来のロックスター的な自己破滅性が全然ないバンドですよね。メンタルヘルスの重要性もよく語っているし、薬物のスキャンダルに巻き込まれたときも、自分たちは薬物を一切使わないといったことも発言している。

快楽主義的な歌詞を書くイメージもありますし、実際セックスについてはそうともいえるのかもしれませんが、全体としては、人々のウェルネスをすごく重視している。それはいまおっしゃったような、嘘偽りのない姿勢の表れなのかもしれないですよね。

セメントTHING:そしてそうした価値観を気負うことなく、自然に身につけている印象です。

LGBTQの権利を当然のものとしてとらえて、そうした価値観について頻繁に発信してくれることで、彼らの音楽やそれが生み出す空間が、クィアの当事者やそれ以外の人にとっても「安心して自分の感情を出せる」セーフスペースになってくれているとも感じます。

気候変動のような問題に対しても、きちんと自分の意見を発信していますし、Måneskinの活動を見ていると、彼らのヘルシーさが印象に残る。現代ではそういうロックスター像も「アリ」なんだと実感できて、時代の変化を感じますね。いまの若いリスナーが、彼らのロックスター的なイメージに対して違和感なく入っていけるのは、そういう理由もあると思います。

─1月20日には、新作アルバム『RUSH!』が発売されましたが、おふたりはどう聴きましたか?

つやちゃん:最初にニュースを読んだときに「Radioheadの影響を受けている」とあって、少し不安だったんです(笑)。

ブレイクを経たバンドが、続くアルバムでエクスペリメンタルな方向に進んで、本来の魅力を損なってしまうのは比較的ありがちなケースだと思うので。ただ、インタビューなどをよく読んでみると、ペダルを使った音の細部や世界観のつくり込みの部分を参照したという話でした。

つやちゃん:実際にアルバムを聴いてみると、たしかにRadioheadのサウンドづくりを参考にしたような、すごく雰囲気のあるギターフレーズなんかもあるものの、全体としては弦楽器の音が重くソリッドで引き続きヒップホップやダンスミュージックからの影響も強い。

神経を尖らせて緻密につくり込むところと、勢いを活かしてラフにいくところのメリハリがこれまで以上にしっかりした作品で、従来のバンドの魅力は残しつつ、より力強くレベルアップした、すごくいいアルバムだと思いました。

セメントTHING:私も前作の『Teatro D'ira: Vol. I』でバンドが到達したスタイルを推し進めて、さらにスケールアップして拡張させた作品だと思いました。

『グラミー賞』のサイトのインタビューによれば(※)、今作で一番古いのは3年前の曲になるそうで、バンドが忙しく世界を飛び回るなかでつくり溜めていた曲で構成された、世界的なブレイクの勢いに乗る彼らの「いま」が総合パッケージされた作品と表現できるのかなと。

セメントTHING:いろいろなアイデアを試しながら、前のめりにオーディエンスに訴えかけるアグレッシブさも健在で、「次はどんなライブを見せてくれるのかな」というワクワク感も含めて、聴いていてとても楽しいアルバムです。

つやちゃんさんのおっしゃったギターの表現力も深まって、ハードロックやメタルにも通じるダイナミックな曲も増えている。特に、ロシア軍によるウクライナ侵攻に対してのプロテストソングでもある“GASOLINE”の終盤のギターとか、めちゃくちゃカッコいいですよね。

つやちゃん:“GASOLINE”はヤバいですよね。「ギターがいて、ベースがいて、ドラムがいる」というバンドのフォーマットや、楽器演奏そのもののさらなる可能性さえ感じました。

つやちゃん:アルバムを聴いてると、「ギターってこんなにカッコよかったっけ?」とか「ベースってこんな音が鳴るんだっけ?」みたいなことを何度も感じるし、彼らの音楽がきっかけになって、楽器をはじめる人が今後ますます増えるんじゃないかな。

ほかには“SUPERMODEL”や“GOSSIP”のリリックでの、華やかな自分たちにちょっと疲れている感じも印象に残りました。“SUPERMODEL”はLAに滞在したときに彼らが感じた、有名人が外面ばかりを自意識過剰に気にしている様子を揶揄した曲なのですが、そういう皮肉が効いていてユーモラスなトーンは今作でも強まった気がします。

セメントTHING:今回のアルバムでは、自分たちの名声の高まりに対する距離の取り方みたいなテーマが頻繁に出てきますよね。

それも「自意識が極まりすぎてつらい」みたいな話ではなくて、自分たちの成功とクールに距離を置いている感じ。そのあたりの醒めたユーモアのセンスはこのバンドの特色だし、世代が近いほかのバンドとも共通するところなのかなと思います。

つやちゃん:たしかに、そのあたりも従来のロックスター的な価値観とは全然違いますよね。昔のロックスターは「自分対世界」の構図のなかで、ときに自分を見失って、破滅的に振る舞ってしまうことも少なくなかったと思いますが、Måneskinはそこの距離をとても上手くとっている印象です。

加えて、現代ではいろいろなリスナー側の欲望がつねにSNS上で飛び交って可視化されている状況で、探そうと思えばいくらでも「こうしてほしい、ああしてほしい」というコメントを見つけられてしまう。そういうなかでも自分を見失わないためにクールに自意識と距離をとるのは、すごく大切なことだと思います。

その点、Måneskinは、主観と客観、ベタとメタのバランスのとり方が本当に上手い。メタや客観に傾きすぎて冷笑的な態度に陥ってしまうこともいまの時代にはすごく多いですが、彼らの場合は、歌詞の部分でどんなにメタな視点が入っても、あの熱量の高過ぎる演奏と組み合わさることで決して冷笑っぽい空気にはならない。

つやちゃん:むしろ、ガチ感があるというか、実直にちゃんと向き合っているんだ、という誠実さが感じられます。その部分も自分が惹かれて、熱中する理由なのかなと思います。

─Måneskinは2月6日に授賞式を控える『第65回グラミー賞』で最優秀新人賞にノミネートされていますが、おふたりがMåneskin、あるいはもっと広くロック、バンドフォーマットの音楽の今後について、どういったことを考えているのか教えてください。

セメントTHING:Måneskinのアティチュードは、ロックバンドとしては珍しいかもしれませんが、ポップミュージック全体で見れば決してそうではないんですよね。

たとえば、「集団のなかでのフルイディティー」や「ポスト・ジャンル」は、2010年代にThe InternetやBROCKHAMPTONといったグループに、クィアの当事者が何人も参加して実践していたことでもある。そうした流れを踏まえて、彼らを「特異なロックバンド」と見なすだけではなくて、カルチャーの積み上げや流れのなかで、現在の地点まで辿り着いた存在なんだという視点を持つことは、とても重要なことだと思います。

Måneskinがノミネートされている今年の『グラミー賞』最優秀新人賞には、ほかにもクィアなリスナーと親和性の強いアーティスト──Omar ApolloやWet Leg、Anittaなどもいます。Måneskinは非常に強力なプレーヤーですが、同時にこの時代全体の流れの一部でもあるんですよね。

つやちゃん:「ポスト・ジャンル」的な傾向はますます強まっていますが、このままジャンルの境界線が完全に消滅するとも、一概にはいえないのかなと個人的には思います。ジャンルの壁はなくなってきていますが、コミュニティーの壁はむしろ強まっている感すらある。

Type Beat文化みたいなものもありますし、サウンドのラベルのような概念はやはり強固に残り続ける可能性が高い。では、何が変わっていくかといえば、それらを自己表現の手段のひとつとして自由に選んでプレゼンテーションしていくスタイルを、より多くのアーティストが採用するようになるのではないかと思うんです。

たとえば、UKのPinkPantheressはMåneskinと同じような世代の人たちに人気のアーティストで、彼女も最初は「ドラムンベース・リバイバル」みたいなイメージで出てきましたが、Mura Masaも参加した2022年末の『Take Me Home』EPでは、ジャージー・クラブやアマピアノ風のビートを導入しています。

Måneskinも同様で、新作の“TIMEZONE”という曲では、My Chemical Romance的なエモの表現を使って、感情を爆発させるような表現をしている。そうやっていろんなジャンルのビートやリズムを、自分のいまの感情やムードに合わせて選んでクリエイトしていくようなかたちで、「ジャンル性」のようなものが残っていくのかなと思います。

セメントTHING:先ほど「クィアなリスナーにとってのセーフスペース」という話もしましたが、Måneskinのサウンドはもちろん、アティテュードのところでも影響を受けたバンドが今後どんどん出てきてほしいなと思います。

というのも、MåneskinはLGBTQの権利をすごく熱心に訴えていますが、かといってイタリアがヨーロッパ諸国のなかでLGBTQの権利保護について、とりわけ熱心かというとそうではないんですよね。

シビル・ユニオン(※)は認められてはいるけど、同性婚は法制化されていないし、マイノリティに対する差別禁止法案(いわゆる「ザン法案」)についても2021年に大きな論争が起きました。でも、そういうなかでも、積極的に声を上げて、自分たちの意見を大切にして、いろんなリスナーにとって安心のできる場所を提供していく姿勢には、ものすごく共感します。

セメントTHING:自分自身もクィアなリスナーとして、いろんなロックバンドを聴いてきましたが、自分の存在を本質的に脅かさないだろうなって安心できる存在が以前からもっといてくれたら、すごくよかっただろうなって本当に思います。

その意味では、いまの世代が羨ましいと思うと同時に、Måneskinだって不利な場所からがんばって立ち上がって声を上げているんだから日本からそういうバンドが出てきたって全然おかしくないよなとも思います。

彼らに影響を受けて、そのアティチュードまで共有したバンドがどんどん出てきてほしい。そして、Måneskinにも引き続きメッセージを強く持ってシーンの流れを先導していってほしいですね。