Text by 辰巳JUNK
Text by 後藤美波
「『グラミー賞』を獲れるなんて思わなかったよ。この授賞式中継を見ている、音楽の夢を持つ子どもたちに伝えたいことがある」「(ミュージシャンとして)自分の曲を一字一句歌ってくれるファンがいたり、地元でヒーローになっているなら、勝ったも同然だ。普通の仕事をしてる人たちが雨や雪のなかでもコンサートに来てくれて、懸命に稼いだお金でチケットを買ってくれているなら、こんなトロフィーは必要ない。君はすでに勝者だ」
「音楽界一の権威」とされる『グラミー賞』にとって、この受賞演説は沽券(こけん)にかかわるものだったようだ。2019年授賞式、テレビ中継が遮断されたこのスピーチを行なったのは、カナダのラッパー、ドレイク。つまり、世界最大のスーパースターからアワードの価値を否定されたようなものだった。
この10年、『グラミー賞』は、自らの「権威」を低下させる苦節の年月を送ってきた。ドレイクやザ・ウィークエンド、フランク・オーシャンなど、ボイコットするスターも珍しくなくなっている。おおまかな理由としては、多くの人々が「獲って当然」と考えるR&B、ラップジャンルの黒人スターが受賞できないことに集約される。
もっとも物議を醸すのは、通称「BIG4」(※)の主要4部門のなかでも名誉とされる年間最優秀アルバム賞。主軸となるのは、現代最高峰のミュージシャンと言われるR&B歌手ビヨンセ、ラッパーのケンドリック・ラマーの二人である。
まず2015年、「絶対的候補」とされたビヨンセがまさかの受賞ならず。やや影の薄かったオルタナティブロックのベテラン、ベックが受賞し、当人すら「ビヨンセが受賞すると思っていた」と驚く結果となった。
翌年には「歴史的作品」との評を確立していたケンドリックの『To Pimp a Butterfly』がテイラー・スウィフトのメガヒット作『1989』に敗している。そして2017年、『Lemonade』で前作をしのぐ評価を確立していたビヨンセを抑えて受賞者となったアデルが「この賞を受け取ることができない」と訴える涙の演説を行ない、記者会見でアワードを批判した。「ビヨンセが年間最優秀アルバムを獲るために、これ以上、一体なにをしなきゃいけないわけ?」
これら3つの受賞結果の要因は作品評価とも売上ともいまいち結論づけられない。さらに、2010年から17年のうち、白人スターのアデルとテイラーは2回ずつ年間最優秀アルバム部門を受賞しており、ほかはロック系アクトが多くなっている。そのため、『グラミー賞』を人種差別的だとする批判はあとを絶たなくなった。ただし、この結果をアワードのメカニズムから掘り下げることはできる。
ザ・レコーディング・アカデミーの会員が投票権を持つ『グラミー賞』には80以上のカテゴリがあり、目立つ部門の多くはジャンルによって分かれている。そうした部門では、当該ジャンルの専門性を持つとされる会員が投票していく。たとえば、ポップ部門ではポップに詳しい会員が票を投じて候補や勝者を決定しているのだ。
ただし、ジャンルを問わない主要4部門は、10,000人以上の会員が専門分野に関係なく投票できる。「BIG4」候補の多くは人気作品である一方、たとえばクラシックや児童向けのジャンル会員など、流行りの音楽に疎い投票者も多いのだ。
さらに投票権を持つ会員は年齢層が高いうえ、2018年調査では、女性は2割ほどで、有色人種は3割に満たないとされている(*1)。ジャンル別の会員数規模では、「伝統志向」とされるロックやジャズが大きく、大衆人気のわりにラップが小さいとも言われてきた。とくに、ロックは近接ジャンルのオルタナティブ部門と合算すれば、2021年時点でも全体3割をこえる最大派閥だ(*2)(ゆえに、前出ベックはロック系会員の集団投票でビヨンセを凌駕したと推測されている)。
大雑把にまとめると「BIG4」で勝利しやすいのは、伝統を重んじる傾向にある年長白人男性に好まれる候補である。またスタジオミュージシャンの会員も多いため、高い演奏技術を持つアクトも評価されやすい。これら条件にあたる黒人のアーティスト、ジョン・バティステとH.E.R.は、近年サプライズ勝利を果たしている。一方、ビヨンセとケンドリックは「革命的」とされる作風やジャンルからして不利な立場だろう。
モダンなR&B、ラップスターが受賞しにくい問題は有権者層のバランスによるところも大きいため、改善策は新会員の増加となる。実際、ここ数年、ザ・レコーディング・アカデミーは若年層や有色人種、女性の会員を増やしつづけている。中長期的な受賞傾向に反映されるまで時間がかかるかもしれないが、2019年には、チャイルディッシュ・ガンビーノの“This Is America”がラップソングとして初めての年間最優秀楽曲に輝いた。
しかし、2020年に入り、決定的な騒動が起きてしまった。ビルボードチャート史上最大ヒット曲“Blinding Lights”を筆頭にトップヒットを連発していた黒人歌手、ザ・ウィークエンドが1つのノミネーションも獲得しないサプライズが起きたのだ。これにより、当人のみならずホールジーやゼイン・マリクといった人気歌手も『グラミー』批判を開始。一部会員がノミネートを審査し調整する「秘密委員会」の不正疑惑も浮上し、メジャー部門における同制度が撤廃されるに至った。
このとき、ドレイクは提言を行なった。
「影響力のあった音楽を評価しないアワードにショックを受けるのは、もうやめどきだと思う。ああいった賞は、かつて最高の栄誉だった。でも、いま、そして未来のアーティストにとっては、もう重要じゃなくなっている」(Instagramストーリーズの投稿より)
今日の音楽シーンを代表するスターの言葉は、『グラミー賞』の「権威」低下の背景をも示している。ストリーミングやソーシャルメディアが普及した2010年代以降、新人アーティストたちは、アワードやテレビに頼らずとも有名になれるようになった。逆に、『グラミー』を含めた大手アワードの注目度は下がり、テレビ視聴率は低下傾向にある。
もちろん、大半のミュージシャンにとって、有名アワードの受賞歴はキャリアの助けになる。「必要ない」と言い切れる存在は、それこそドレイクのようなごく少数のトップスターばかりかもしれない。しかし、『グラミー』側も、スターを欲しがる。授賞式の視聴率を獲得するには、人気者の出演が外せないからだ。大衆文化における注目度は存在感につながるため、ある面では、『グラミー賞』の「権威」の一翼はトップスターの授賞式出演にかかっている。
『グラミー賞』の「権威」はこのまま失墜の一途を辿っていくのだろうか? しばらくは大丈夫かもしれない。意外なことに、ストリーミング時代の人気者にも同賞の獲得に熱心なアーティストはいる。筆頭例は、2012年にレーベル契約し「インターネット経由で売れたスター」代表格となったラッパーのトラヴィス・スコット。彼のA&Rによると、2016年の『グラミー』落選の悲しみこそ、その後のメガヒットアルバム『ASTROWORLD』の糧だった。
「『グラミー賞』のリスペクトを得ること、それがトラヴィス・チームの使命だ」「『グラミー』とは音楽制作の最大の成果だ。我々は、我々が最高峰だと示したい」(*3)
加えて、人気アーティストによる批判が珍しくなくなった今でも、本当に「ボイコット」するスターは少ない。『グラミー賞』はエントリ方式で、ノミネートされるにはアーティストやレーベル側(ときには会員)が作品を提出しなければいけない。ドレイクやウィークエンドはこれをしないことで不参加を表明しているわけだが、現状、多くのトップスターが出願自体は行なっている。
『グラミー賞』の受賞結果に反発がもたらされるのは、結局のところ、この賞が「権威」とみなされているからだ。ほかの音楽アワードだったらここまで怒りを買っていない。たしかに、ドレイクの言うとおり、いまの若手アーティストは賞の「権威」なくとも大成できるし、ストリーミング再生数やソーシャルメディア拡散指数など、さまざまな評価の尺度も参照できる。しかし、多様かつ加速度的な環境だからこそ、トップアーティストが「達成しがいのある目標」にできるほどの伝統的「権威」は『グラミー賞』くらいなのかもしれない。
ただし、ボイコットするスターが増えていったら「権威」が減じる可能性は変わっていない。2023年の授賞式では、かつて波乱を巻き起こしたビヨンセとアデルが再度「BIG4」争いを繰り広げる。その結果は『グラミー』の評判をどう変えていくのだろうか。「音楽界一の権威」とは変動的なものだ。だからこそ、アワードウォッチは、スリリングで刺激的とも言える。