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『チェンソーマン』キスシーンはなぜ刺激的? 読者を惹きつける“命懸けの恋心”

2023年02月03日 07:11  リアルサウンド

リアルサウンド

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※本稿は『チェンソーマン』のネタバレを含みます


 藤本タツキによる漫画『チェンソーマン 第二部』119話「泥棒」が、2月1日に「少年ジャンプ+」にて公開され、そのキスシーンが波紋を呼んでいる。


 主人公のチェンソーマン=デンジと“戦争の悪魔”に体を乗っ取られている三鷹アサは、お互いにさまざまな誤解や勘違いをしながらも、デンジの家で映画鑑賞デートをすることになる。しかし、デンジの家には共に暮らしている“支配の悪魔”ナユタがいるため、彼女の前で決してイチャイチャしてはいけないなど、さまざまなルールがある。もしもルールを破ると、何やら恐ろしいことが起こるらしい。ところが、アサの体を乗っ取っている“戦争の悪魔”ことヨルは、デンジを武器にしたいがため、その心を奪おうとしてアサと入れ替わり、突然デンジにキスをする。そこにちょうど、ナユタが帰宅してしまい……。


 『チェンソーマン』ではこれまでもたびたび刺激的なキスシーンが描かれてきた。その都度に読者を大いに沸かせているのはなぜか。漫画編集者の島田一志氏にポイントを聞いた。


「まず、デンジとアサが二人で映画を観るというシチュエーションから考えてみましょう。藤本タツキの漫画では『チェンソーマン』に限らず、『さよなら絵梨』『ファイアパンチ』などで男女が共に映画を観るシーンが印象的に描かれてきました。藤本タツキ作品における映画は“人生の象徴”であり、男女が同じ映画を観るシーンは、共に自らの人生と向き合い、同じビジョンを共有する瞬間を描いていると見ることができます。


 例えば『チェンソーマン』5巻では、デンジは憧れのマキマと映画館をハシゴして観まくり、同じシーンで涙するなどして価値観を共有し合う。ところがその後、デンジがマキマに『アンタの作る最高に超良い世界にゃあ糞映画はあるかい?』と問うと、マキマは『私は… 面白くない映画はなくなった方がいいと思いますが』と答える。対するデンジは『うーん…じゃやっぱ殺すしかねーな』と言って、バトルが始まります。デンジは糞な映画=人生にも意味はあると考えている一方で、マキマはないと考えていることが、決定的な価値観の違いとして現れるんです」


 同じ映画を観ることで人生における価値観を共有しつつも、その関係性には常に緊張感があることが、読者を惹きつける一要因となっていると島田氏は指摘する。


「『チェンソーマン』における恋愛は、どれもこれも“命懸け”です。第一部のデンジとマキマの恋もそうですし、アニメ化でさらに人気キャラクターとなった姫野も、命を賭してアキを守ろうとしました。『チェンソーマン』の登場人物たちはみんなエキセントリックで、過激な暴力表現や死のイメージに目が行きがちですが、実は誰もが“純愛”によって突き動かされている。命懸けの恋、死ぬほど/殺したいほどの愛は、作品を通して繰り返し描かれてきたテーマであり、緊張感のある状況で展開されるからこそ、強く印象に残るのだと思います」


 最新話のキスシーンは『ナユタの前でイチャイチャしたら死ぬ』という強烈な縛りがあるからこそ、さらに興奮させられるのだろう。性と死を同時に描くことも、藤本タツキの作風だ。


「藤本タツキの漫画は『ファイアパンチ』から一貫して、近親相姦やカニバリズムなどのタブーが織り込まれてきました。『チェンソーマン』ではデンジとパワーの関係が近親相姦的ですし、マキマはデンジに食べられてしまいます。相手を食べてしまいたいほど愛しているという、エロス(生きる情動)とタナトス(死の衝動)が強調された過剰な表現が多くの読者を獲得しているのは、人間の心の奥底にはそのような願望が秘められているということの証なのかもしれません」


 デンジとアサのラブコメムードから一転、またしても危機的な状況へと陥った『チェンソーマン』。二人が抱きつつあった淡い、しかし命懸けの恋心は成就するのか。予測不能な展開から目が離せそうにない。