2023年01月23日 10:11 弁護士ドットコム
妻を殺害したとして罪に問われた講談社元社員の男性について、最高裁は2022年11月、懲役11年とした高裁判決を破棄し、東京高裁に差し戻した。
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男性は「妻は自死だった」として一貫して無罪を主張。また妻の父も含め、友人ら関係者が支援する会を結成している。4人の子どもを抱えているため、保釈も求めている。
今後、審理はどういう経緯をたどるのか。また、否認している被告人が保釈される可能性はーー。刑事弁護に詳しい神尾尊礼弁護士に聞いた。
非常に痛ましい事件でした。
ある日、自宅で30代の女性が亡くなりました。頸部圧迫による窒息死でした。当時自宅にいたのは、夫と小さいお子さんたちでした。夫が刑事裁判にかけられました。妻を絞殺させたという、殺人罪に問われました。
主な争点は、夫が首を絞めたのか、妻が自死したのか、という点でした。
検察官は、夫が寝室で背後から腕で妻の首を絞め、窒息死する前に階段から落とすなどの偽装工作をしたとし、殺人罪に問えると主張しました。妻のおでこからは出血がありましたが、この偽装工作時についたものとしました。
弁護人は、妻が包丁を出したのでもみ合いになり、夫は寝室で押さえつけ、子ども部屋に逃げた、部屋の外では物音がし、しばらくして部屋を出ると階段の手すりで首を吊っていた、つまり自死であって殺人罪ではないと主張しました。おでこの傷は、活動時に生じた傷であるとしました。
1審の裁判員裁判は懲役11年と判断、高裁も支持しました。2022年11月、最高裁は「顔の血痕について審理が不十分」だとして差し戻しました。それぞれの判決のポイントについてはこちら。
刑事裁判は三審制ですが、高裁も最高裁も「事後審」とされています。一から審理をやり直すのではなく、原判決が合っているか間違っているかを審理するというものです。
判決を紹介するときに、原判決に言及する形で判示されているのは、この事後審としての性格を反映したものです。したがって、証拠を無制限に出せるわけではなく、審理の対象は限定的になります。
また、差し戻し審は、上級審の判断に拘束されます(裁判所法4条参照)。上から「ここが間違っている(足りない)」といわれたのに、それを無視して独自に判決を出したら、また差し戻されるというエンドレスなやりとりになってしまいます。
本件では最高裁の注文どおり、具体的には、顔面の血痕、おでこからの出血を中心に主張立証がされ、さらにそれを踏まえて他殺・自死の可能性を検討していくことになります。
ただ、よく考えると、最高裁はどうして「当事者に主張立証させる」ことが重要と考えたのでしょうか。裁判所は証拠をみて有罪か無罪か判断すればいいはずで、当事者の意見をそこまで聞く必要があるのでしょうか。
最高裁は「争点として顕在化させたうえで十分の審理を遂げる必要がある」とし、このような措置をとらなければ、被告人に対し不意打ちを与え、その防御権を不当に侵害するものと判示しています(いわゆるよど号ハイジャック事件最高裁判決)。
最高裁は、顔面の血痕などについて、きちんと争点化しないと不意打ちを与えると考えたことになります。
ここでやや皮肉に感じるのは、高裁は血痕の少なさに関して争点化する必要はないと述べています。確かに「血痕が少ない」という事実があるのであれば、それをどう評価するかは裁判所の専権事項(独自で決めていいこと)のようにも思われます。
ただ、「血痕が少ないのが事実だとしても、それがどういう意味があるのか当事者の意見を聞いたか」という観点からみれば、争点をはっきりさせる必要があったように思います。つまり、血痕の少なさが判決において重要な重みをもつのであれば、その評価についても当事者の意見を十分に聞いておく必要があったということです。
特に裁判員裁判が始まり、当事者の意見を評価する判断手法がより強く要請されるようになっています。具体的には、裁判員を含めた評議では、検察官の意見(論告)と弁護人の意見(弁論)を比較対照して結論を出すという手法が一般的になっています。
また、公判前整理手続という争点や証拠を整理する手続が採られるケースが増え(裁判員では必須)、より争点を意識した手続が求められるようになっています。
裁判所が二項対立のように、双方の主張を過度に争点に押し込めることは弊害もあります。しかし、当事者の意見を比較対照して結論を出す以上、アンパイアが当事者の意見を無視した判断をすべきではないといえるでしょう。よど号事件は昭和の判決ですが、現在はより一層意識されるようになっています。
事後審ですので、証拠の請求は限定されます。差し戻した理由に即した証拠にまずは絞って提出され、主張を尽くしていくことになります。
顔面の血痕については、最高裁は「狭い範囲の写真と、顔面全体が写っているものの色調が不鮮明な写真」が証拠提出されているとしています。裁判員裁判では、写真はかなり絞られて証拠になります。
具体的には、多くの写真が貼付された写真撮影報告書はその一部が抜粋されて統合捜査報告書として、あるいは抄本化されたもののみが証拠となり、裁判所には提出されません。特に顔面の血痕は、ご遺体の写真であり、刺激的な証拠として裁判所が提出を認めないことが多いです(イラスト化される、白黒にされるなど)。
高裁ではそういった制限は通常ないのですが、最高裁の判示からみると、争点化されていなかったためか当事者の証拠提出も不十分だったと思われます。写真撮影報告書に添付された写真は元データが残っているはずですので、まずは元データの選別・証拠請求が先行するかと思います。
おでこの傷からの出血量や出血態様について、複数の医師が証言してきたようですが、さらに法医学者の意見を聞くことになろうかと思います。これらを踏まえて、他殺・自死の両ストーリーからどう説明できるか(説明できないか)を主張していくことになると思います。
ここで気になるのが、最高裁が「注文」している点です(最高裁のなお書き)。
顔面の血痕がないことを他殺の根拠にするならば、自死の場合に顔にどのような痕跡を残すか、当事者の主張立証を尽くさせる必要がある。証拠上明らかでなければ、他殺を認定できるか検討する必要がある。さらに、失禁の痕などやひっかき傷から他殺が認定できないとしても、なお他殺が認定できるか検討する必要がある。
近時の最高裁は、このように差し戻し審に注文してくるケースが増えた印象です。顔面の痕跡が認定できなくても失禁の痕などから他殺を推認できるか、失禁の痕などから他殺を推認できなくてもなお他殺とできるかさらに検討する必要があると述べています。失禁の痕などは、自死のストーリーからも説明できるように思います。
そうであるとすると、失禁の痕以外に他殺を認定できるものがあるかを検討する必要があるように思え、検察官に対し主張を(網羅的に)整理するよう求めているように読めます。逆に言えば、失禁の痕などに頼らない立証を示唆しているようで、助け舟のようにも読めます。いずれにせよ、この注文を素直に読めば検討の対象は広く、差し戻し審でも相当に審理に時間がかかるのではないかと思われます。
報道によれば、保釈を求めているが認められていないとされています。
私の扱った事件では、殺人既遂で保釈が3件認められていますが、全て自白事件です。本件のように否認の殺人事件で保釈が認められた経験はありません。
1審段階では権利保釈といって、罪証隠滅を疑うに足りる相当な理由がないなど一定の条件を満たせば、保釈を「許さなければいけない」という規定があります。これが控訴審以降は認められなくなり、保釈を「許す」という裁量保釈が主に適用されることになります。
権利保釈は実務上ほぼ認められず、専ら裁量保釈が適用されますので、権利保釈が認められなくなるという一事をもって保釈が通りにくくなるわけではありません。
ただ、控訴審は保釈保証金が5割増しくらいになるなど、保釈が認められにくくなるのは事実です。
本件について考えていくと、どうして否認事件は保釈が認められにくくなるのかを考えることに行きつきます。
結局、否認事件は、罪を逃れたい→外に出すと証拠を隠滅したり逃亡したりされやすいという発想が根幹にあります。本件では、もう事件から何年もたっており、現場ももう保存されていませんから、外に出たとしても隠滅できるような証拠はほとんどないといえます。
あとは逃亡のおそれや、外に出る必要性などを検討していくことになりますが、これだけ報道された事件で、簡単に逃亡するとも思えません。長期間勾留されていますから、外に出る必要性も高まっているでしょう。保釈保証金は高額になる可能性はありますが、保釈自体は認められてしかるべきであると考えます。
特に本件の弁護人は著名で実績のある弁護士が就いており、これでもなお否認事件の保釈は通らないのかと少し暗澹たる気持ちにもなります。
争点をはっきりさせるための議論は、まさに被告人も当事者として主張立証すべきという考え方が根底にあります。それなのに、現在はいうなれば当事者が他方当事者の監視下に置かれた状態で反論していく構造になっており、フェアであるとは思えません。逃亡のおそれは保釈保証金の多寡のレベルで検討すべきであって、否認事件も保釈を認めるべきではないかと考えています。
【取材協力弁護士】
神尾 尊礼(かみお・たかひろ)弁護士
東京大学法学部・法科大学院卒。2007年弁護士登録。埼玉弁護士会。刑事事件から家事事件、一般民事事件や企業法務まで幅広く担当し、「何かあったら何でもとりあえず相談できる」弁護士を目指している。
事務所名:弁護士法人ルミナス法律事務所
事務所URL:https://www.sainomachi-lo.com