2023年01月21日 09:21 弁護士ドットコム
さまざまな仕事に従事する、または従事してきた中高年がその内情や悲哀、やりがいなどを赤裸々に綴る「職業日記シリーズ」が人気だ。シリーズを手がける出版社・三五館シンシャによると、2019年の『交通誘導員ヨレヨレ日記』を皮切りに、これまでコミカライズ版も含め16冊が出版され、累計出版部数は51万部だという。
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2022年9月刊行の『メガバンク銀行員ぐだぐだ日記』は、タイトルの通り、勤続25年以上の現役メガバンク行員が執筆している。本書では支店名や登場人物は全て仮名。所属部署や在籍年数などもぼかしてある。目黒冬弥という筆名ももちろんペンネームだ。現役行員である著者の個人特定を防ぐために細部に工夫を凝らしている。
ところが、勤めるメガバンクがどこか、ということだけは推測できてしまう。本を開いたソデ部分に、いきなりこう書かれているからだ。
〈M銀行は最近、世間を騒がせるいくつかの不祥事を引き起こした。多くの行員がその対応、事後処理にあたり、私もその最前線にいたひとりだった。〉
本書は、ひとりの現役行員による仕事日記であると同時に、中の人が見たM銀行の実態に触れることができるドキュメンタリーとしての顔も持つ。もちろん、収められた数々のエピソードは実話である。2023年の仕事始めの夜、退勤直後の目黒氏に話を聞いた。(ライター・高橋ユキ)
本編冒頭から描かれているのは、2021年2月下旬に発生したM銀行におけるシステム障害の対応にあたる様子だ。家族で出かけているところ、緊急連絡用の携帯電話が鳴り、副支店長からこう告げられた。
『目黒課長、今、大丈夫ですか? 大きなシステム障害が起きていて、ATMが使えず、お客さんがあちこちで大騒ぎしているらしいんですよ。今から支店に来れますか?』
M銀行は過去にも複数回、大規模なシステム障害を起こしている。目黒氏も書籍で〈またか……。〉と嘆く。そして2002年、三行統合初日の障害発生で疲労困憊となったことを振り返る。
プロローグでは、かつて〈現役M銀行女子行員、脱いじゃいました!〉と見出しのつけられたグラビア記事が週刊誌に掲載された際、役員が『こいつを捜し出せ』とグラビアモデルの犯人探しを命じていたことが綴られていた。
システム障害対応も含め、業務にあたるリアルな内情を書けば、このグラビアモデルのように、勤務先において目黒氏は一体誰だという“犯人探し”が始まっているのではないか? 読んだ者は皆、まずそれを心配するだろう。ところが目黒氏によれば「なんの反響もないんですね」という。
「なにか緘口令でも敷かれているんじゃないかというぐらい、何もないんです。ですので、出版社から売れ行きが好評だと聞いても、手応えを全く感じないんですよ。とんでもないことになるんじゃないかと、書いてる途中も不安でしたし、発売日が近づくにつれ、やばい一線を超えてしまったんじゃないかと思っていたんです。ところが、これまで誰からも反響や書籍の話を聞いたことがないですね。
私はこの会社に入って25年以上、何かしら嵌(は)められる毎日でしたので『何もない』というのが逆に怖いんですね。しばらくしたら本当にとんでもないことが起きるんじゃないかと思いながらも、何事もない、無風な状態。刊行から早3ヶ月経ったいま、それに慣れてきました」(目黒氏。以下「」内同)
本人特定されないために転勤先の支店名や登場人物を全て仮名にしていることが、いまのところは功を奏したともいえるようだ。だが目黒氏は、それだけでない、もうひとつの要因に気づいたという。
「社風として、他人の人生に対して、あまり関心がない。あるいは加害者や被害者だったら、加害者って被害者のことをさほど覚えてはいない。そんな気がします。強烈なエピソードが続いていても、そのひとつひとつが別人からの加害。そういう意味で、これはあいつのことだな、っていう発想にもならないんじゃないかなと。
転勤で勤務地が頻繁に変わるうえ、グループには5万人以上の従業員がおりますので、ひとりひとりをトレースする術もなければ人に対する関心もない。誰が辞めようが誰が問題を起こそうがあまり気にしない。そういう無関心な風土があるのかなとは感じます」
出版自体、目黒氏にとってリスクある行為である。それでも描きたかったものは本書あとがきに込められた「会社への感謝」からだった。「やはり仕事を通じて、自分自身の成長、或いは人の成長。部下や仲間や同僚の成長が一番の願いであり喜び」と笑う。
目黒氏が感謝を述べるM銀行については、第二章『銀行の常識は、世間の非常識』では、支店長に気に入られなければ出世が望めない現状や、行員が結婚する際に『披露宴をやるかやらないか決めるのは支店長』なる、奇習ともいうべきしきたりを含め、支店長ファーストな実態も明らかにされている。機密情報を扱うがゆえに、異動は前日に知らされ、配偶者が妊娠していても、それは考慮されない。現在も残る“銀行の常識”はあるのか。
「読む人が見れば、昔話だね、昔はこんなことあったよね、と感じることの方が多くなってきているとは思います。ただ、一番変わらないのは『内向きな体力を使う』場面がものすごく多いこと。本来はお客様商売ですから、お客様や世の中、また社会のためになど、外向きの力を使うべき業種であるにもかかわらず、どうしても内向きな体力を使ってしまう、それは今もあります。
いまはコロナ禍ですから自粛していますが、やっぱり飲み会も多いんです。支店長が神様で、その支店長の集まり、みたいなものが、ずっと脈々と続いている。これがとても面倒くさいんですよ(笑)。支店長を囲む同窓会みたいな集まりでは、支店長が在任していた2~3年のあいだ関わった数十人に集合の号令がかかります。毎年定期的に開かれる場合、会の会計口座まで作ったりします。
また、コミュニケーションを円滑にしようと社内のSNSが運用開始になってもなかなか盛り上がらず、役員がつぶやいたら、皆が秒で『いいね』を押しにくるんですね。『いいね』を押さないと、何かとんでもないことが起こるんじゃないかという気になる。
こうした風土のためか、若手の離職率がものすごく高いです。今の若い人は、ここに一生を捧げるという気持ちには、やっぱりなれないでしょう。この異常さに気づき、辞めてやり直す。そういう若手の部下や同僚をたくさん見てきました」
離職率の上昇にもかかわらず、中途採用者を受け入れない雰囲気もあると目黒氏は言う。
「本当に人が足りないので、中途採用の方を集めてくるんですが、残念ながら中途採用の方に非常に冷たい。どこかの会社で一旗あげて、鳴り物入りでこの会社に飛び込んできて、まさにすぐにその実力を発揮してもらいたいはずなんですけど、社内では、歓迎するのではなく『できるんでしょ?』とか『わかってるんでしょ?』とか、分かってる前提で接しちゃうんです。
もともと業務のマニュアルについても、一子相伝の、自分で修行して自分で苦労して汗かいて、自分で作ったマニュアルしか信用しないし、そのマニュアルを人に見せない。お寿司屋さんの修行で10年経たないと魚を捌いちゃダメ、みたいなそんな世界ですね。
冒頭申し上げた『人に関心がない』というところに、やはり大きな要因があると思うんですね。人を育てる、同僚を育てる、仲間を育てるというマインドが弱い。それがやっぱり会社の風土に現れているように思います」
昨年のシステム障害後に、監督官庁である金融庁から資料提出を求められた際も、印象に残る出来事があったという。複数の部署が同じような資料を作成し、金融庁に提出してしまっていた。「隣の部とは全く連携取ってないもんですから、同じものを提出しちゃったりするわけです」と目黒氏は振り返る。
「この会社って縦割りの最たるモノなので、隣のセクションとは全く連携を取らない。すると金融庁の方から『提出物について横で連絡取り合ってないのか』と聞かれるわけですよね。『取ってません』と会社は答える。そうしたことを受けて『言われたことしかしないし、言われてないことは一切しない』という文化や雰囲気を指摘されました。
やっぱり経営側は社員に対していろんな策や方針を押し付けます。皆は腹落ちしておらず、何のためにやっているかわからないまま、真面目だから必死でやる。ところが、役員やトップが交代になった瞬間、過去を全部否定するんですよね。だから長期間のプロジェクトが全く育たなくて、社員もどこに向かっていけばわからない状態になりつつある」
銀行がおそらくこれからの5年、10年で大きく変わる予感もある。そして目黒氏が現場で働ける時間も、定年というタイムリミットがある。変化の時代に自分を保つモチベーションは“自分にしかできないことを全うするプライド”だという。
「支店の数も、ATMの数もどんどん減っていくでしょう。そうした変化についていくためのモチベーションをどう保つか。また定年が近づくと処遇も悪くなるほか、役職定年後は、今の給与の6割となり、通常の支店勤務はまず見込めなくなり、退職勧奨を暗に匂わす異動が続く可能性が高くなるかもしれません。ならばそんなに時間はない気もします。自分の仕事を続けるモチベーションとして一番大きいのは、この場所で自分にしかできないことを全うするプライドだと考えます。
苦情処理、トラブル対応や人材育成、ミスの未然防止など窓口顧客対応や社員教育、事務の分野には「事務手続書」というマニュアルが行内に存在するものの、異例な対応時には経験が極めて重要になってきます。この人になら任せてもいい。そう思える後進を育てること。そうでなければ自分が浮かばれないと思っています。
以前、営業職を解かれ目の前が真っ暗になった自分がいましたが、その後も苦しいことの連続のなか、自分が輝く以上に部下が活躍することが何よりも尊いと知ることができた時間でもありました。それこそが自分がこの仕事を全うするためのモチベーションであり、存在意義ではないかと思います」