大河ドラマ『どうする家康』、先週の終盤では「待ってろよ、俺の白兎」という印象的なフレーズが話題になったが、1月15日放送回の第2話は、またしても衝撃的な“絡み”が目に飛び込んできた。
松本潤演じる主人公の家康(この時点ではまだ松平元康)に迫る岡田准一演じる織田信長らの軍勢。さらに家康と信長の間の過去のアレコレが劇中でたびたびインサートされるという仕組みで話が展開されていった。
が、いちいちその内容がBL風味溢れていて、面食らった視聴者も多かったのではないだろうか。かくいう僕もその視聴者の一人だった。(文:松本ミゾレ)
主役を「俺のおもちゃ」と評し身柄を預かって散々投げ飛ばすドS信長
劇中、今川の元に送られるはずの家康が尾張の織田信秀(演:藤岡弘、)に差し出されるシーンがあった。この史実通りの展開に大胆な脚色をしたのが本ドラマ。
信秀が家康を殺そうとしたところに、信長が躍り出てきて家康を助け「こやつは俺のおもちゃ」と宣言。処断を中止させるという鮮烈なシーンが演出されていた。そしてそのおもちゃに対して、信長は相撲だかプロレスだかを仕掛けて投げ飛ばし、投げ飛ばし、また投げ飛ばす。その上で家康を「白兎」と呼んで挑発。
これには家康も「地獄だ」と死にそうな顔で弱音を吐くんだけども、その一連のシーンが戦国時代のドラマというかBL時代劇みたいで(そんなジャンルはないはずだが)、観ていてどう反応していいか分からなくなってしまった。
これじゃあ『どうする視聴者』じゃないか、みたいなことを漠然と考えながら様子を見守ると、ブチ切れた家康が信長に関節を決めるようなモーションを見せて、「白兎じゃない、わしは虎じゃ」みたいなことを言って啖呵を切る。
そこでちょっと信長もにやりと笑って……みたいな展開となり、何を見せられているのか脳が追い付かない状態に追いやられてしまった。
本多忠勝のツンデレっぷりも見逃せない
一方、家康の擁する三河家臣団の中にも、BLテイストを全身に纏った人物がいる。本作の本多忠勝(演:山田祐貴)は、序盤の家康の情けなさ、主足り得ない様子を目の当たりにし、落胆と失望相まった状態で仕方なくお供をするというキャラクターであった。
それが、大草松平家の追手をかわしながら逃げ込んだ大樹寺において家康が切腹をしようとした際に介錯を申し出たところから関係性に変化が見られるようになる。
自分の血族の中に、松平の父祖のために死んでいった者がいると言って聞かせ、「おぬしを主君と認めぬ」と言い切る、そこそこ無礼な忠勝。
「とか言いながら、主君が自刃しようとした瞬間にどこからともなくやって来て刀を抜く辺り、武将として見れば既に立派な家臣として機能してるじゃん」と、こそばゆい感覚をおぼえた。ここは結構いいシーン。
要は「あんたなんて主君として認めないからな」と言っておいて、バリバリ誰よりも(陰から見ていた数正らよりも)率先して主君の意図を読み取り従おうという、いわゆる本多の血が既に滾っているわけで。
その上で、大樹寺を取り囲んだ大草松平当主・松平昌久(演:角田晃広)の軍勢の前に覚悟を決めた家康がにじり寄って一喝した際に、雷に打たれたような顔をしていた忠勝が印象的である。
自分の家臣を「わしが守るんじゃあ!」と絶叫家康は、史実にあるような家康像とはだいぶ異なるんだけど、これはもう本作はそういうキャラクター付けをしちゃってるので、四の五の言わず受け入れた方がいいのだろう。そもそも昔のことなんだから、今に伝わる逸話なんかも大体後世の脚色ありきだろうし。
今作の家康や周辺人物の描き方は個人的には全然アリとは思う(とはいえ、そういうのなしで描いても普通にいい作品になると感じるけど)。ただBLにあまり造詣が深くない人にとっては混乱するだろうな。
この時代には普通にあったとされる衆道をあからさまに描いているわけでもなく、あくまでもBL風味で描いているため、「せっかくそういう脚色するなら、いっそ衆道をがっつり掘り下げてもいいのに」という気も、しないでもない。
色んな意味では過去の大河ドラマとは切り口が違って新しい感じがする『どうする家康』。
なんだかんだ新機軸の要素が入るとついアレルギー反応を起こしてしまうものだけど、新機軸を入れないままでは大河ドラマ自体の鮮度も落ちてしまう。新しい試みは大いに結構ということで、今後も応援していこう!