Text by 川谷恭平
Text by 長谷川町蔵
近年のハリウッド映画を観て、アメリカでは人種問題がすでに解決されているかのような錯覚を覚える人もいるかもしれない。
たとえばマーベル・シネマティック・ユニバースの作品群。メイン・キャストが全員黒人の『ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバー』(2022)は大ヒットを記録したし、『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』(2021)のゼンデイヤを見て「なんでヒロインが黒人?」と疑問を挟む人もいないだろうから。
それでは「彼ら / 彼女たちはもう十分映画に出演している」といえるのだろうか? こうした疑問について答えてくれるドキュメンタリー映画が『ブラック・イナフ?!? -アメリカ黒人映画史(Is That Black Enough for You?!?)』である。
監督は「ニューヨーク・タイムズ」などに寄稿してきた黒人映画評論家エルヴィス・ミッチェル。彼はその問いに回答するため、ハリウッド映画の歴史を遡る。そこで明かされるのは、初期における「黒人の不在」である。
世界初の長編トーキー映画『ジャズ・シンガー』(1927)で主演を務めたアル・ジョルソンは、顔を黒塗りにして黒人のような歌声で歌って人気を博した白人シンガーだった。その後も黒人俳優が映画に出演しても、本筋とは関係ないウェイターやウェイトレス役ばかり。
『風と共に去りぬ』(1939)で気丈な召使いを演じたハティ・マクダニエルがようやく黒人として初のアカデミー助演女優賞に輝いたものの、授賞式の会場のホテルが「白人オンリー」だったため、オスカー像を置いておく倉庫部屋で待機させられたという。
白人俳優オーソン・ウェルズが顔を塗って黒人将軍を演じた『オセロ』(1951)や、当初予定されていた黒人女優リナ・ホーンの代わりにエヴァ・ガードナーがヒロインを演じた『ショウ・ボート』(1951)からのフッテージは観る者をやるせない気持ちにすること間違いなしだ。
『カルメン』(1954)でアカデミー主演女優賞にノミネートされながらキャリア構築に苦しんだドロシー・ダンドリッジや、ジャズシンガーに転身せざるを得なかったアビー・リンカーンのやりきれないエピソードも語られる。
こうした状況を動かしたのがシドニー・ポワチエだった。知性派キャラで白人の抱く偏見を打ち破ったポワチエは、『野のユリ』(1963)でアカデミー主演男優賞を獲得すると、人種差別問題に取り組んだ作品にも取り組んでいずれもヒットさせた。
「白人にとって都合の良い善良な黒人ばかり演じた」と批判されることもあったポワチエだが、本作の監督であるミッチェルは、人種差別主義者の白人に平手打ちを返す『夜の大捜査線』(1967)のシーンが現実社会にいかに影響を及ぼしたかを例に挙げて、彼へのリスペクトを表明している。
もう一人のスター、ハリー・ベラフォンテの活動も忘れてはならない。日本ではヒット曲”バナナ・ボート”によってもっぱら歌手として認識されているが、それは自ら製作した主演作『拳銃の報酬』(1959)のあと、1970年までハリウッドから去ったから。
いまでこそ同作はフィルム・ノワールの傑作とされているが、公開当時は人種差別に憎悪を燃やす主人公のキャラクターが危険視されたのだ。
圧倒的な人気を持ちながら、映画に敢えて出演せずにハリウッドに抗議したベラフォンテを、ミッチェルはベトナム戦争の徴兵を拒否したモハメド・アリと重ね合わせている。
白人中心のハリウッドを見限って、1960年代後半になると黒人映画監督や黒人俳優が中心になって活躍する「インディー黒人映画」が製作されるようになった。
アイルランドが舞台のジョン・フォード監督作『男の敵』(1935)を黒人社会に置き換えた『Uptight』(1968)や写真家ゴードン・パークスによる『知恵の木』(1969)、ロバート・ダウニー・ジュニアの父ロバート・ダウニー・シニアが撮ったシュールな『パトニー・スウォープ』(1969)、シンガーのデイオンヌ・ワーウィックが主演した『Slaves』(1969)といった「ニュースタイル」と呼ばれる作品群だ。
「ニュースタイル」は低予算ながら、ハリウッドが目を背けがちな人種差別を中心とした社会問題を正面から取り上げてセンセーションを巻き起こしたという点で、黒人にとっての「アメリカン・ニューシネマ」と呼べるものだった。
フッテージを観る限り、どれも興味を掻き立てられるものばかり。日本では2022年にようやく『パトニー・スウォープ』が公開されたけど、他作品の上映も期待したい。
個人的に「ヤラれた」と思ったのは、「ニュースタイル」とその後のアメリカ映画のシーンをつないだ黒人映画の重要作として、メルヴィン・バン・ピープルズ監督の『スウィート・スウィートバック』(1971)とともに、白人監督ジョージ・A・ロメロの『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』(1968)を取りあげていること。
今日のゾンビ映画のルーツとなったマスターピースである『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』は、じつは主人公が黒人青年なのだ。
そして1970年代、「ブラックスプロイテーション(Blaxploitation※) 」と呼ばれるB級娯楽映画の時代がやってくる。
テレビの人気に押されて大手映画スタジオの経営が崩壊し、監督が主導権を取ったこの時代、内省的かつ虚無的な作品を撮った白人作家たちとは対照的に、黒人作家たちは、黒人スターをフューチャーした低予算の娯楽映画を次々と世に送り出した。
ただでさえ熱い『ブラック・イナフ?!?』がもっとも熱気を帯びるのが、このパートだ。
ステレオタイプな黒人像を描いていたことでのちに、黒人社会内部から「黒人のイメージを悪化させた」との批判もあった作品群を、ミッチェルは全面肯定する。「観客が求めるヒーロー像を否定するだけだった白人作家に対して、黒人作家は自信満々で沈着冷静なヒーローのあるべき姿を描いた」からだ。
ミッチェルはそれが決して個人的な思い込みでないことを実証する。この時代の数少ない白人娯楽映画の傑作『スティング』(1973)と『ジョーズ』(1975)のプロデューサーであるデヴィッド・ブラウンは、ブラックスプロイテーション映画『ウィリー・ダイナマイト』(1974)をプロデュースしている。
さらに、ジョン・トラボルタの出世作『サタデー・ナイト・フィバー』(1977)にブラックスプロイテーションの影響が見られることも示される。
また、白人女性アクション・スターがまだ存在していないこの時代にパム・グリアやタマラ・ドブソンら黒人女性がスターとして活躍していた事実は評価に値する。
さらには、当時キャリアのピークを迎えていた黒人音楽の旗手が、こぞってサントラ・アルバムを製作していたのもこのジャンル映画の魅力である。
ソウル・ミュージックファンなら必須アイテムのアイザック・ヘイズ『シャフト』やカーティス・メイフィールド『スーパーフライ』、マーヴィン・ゲイ『トラブルマン』といった傑作アルバムは、もともとブラックスプロイテーション映画のサウンドトラックとして製作されていたのだ。
こうしたジャンル映画の魅力を『ブラック・イナフ?!?』で熱く語る黒人スターたちは、いずれもその後の時代において黒人俳優の地位を向上させたレジェンドでもある。
ウーピー・ゴールドバーグの映画デビュー作は、スティーブン・スピルバーグ監督の『カラーパープル』(1985)。しかもいきなり主演と、黒人女優として空前絶後の抜擢だった。
サミュエル・L・ジャクソンはスパイク・リー作品の常連であり、ブラックスプロイテーションにオマージュを捧げたクエンティン・タランティーノ監督作『ジャッキー・ブラウン』(1997)や『ジャンゴ 繋がれざる者』(2012)にも重要な役割で出演している。
それでは、こうしたスターたちによってハリウッドは「黒人はもう十分」な状況になったのだろうか? ミッチェルの答えは「ノー」だろう。
もしあなたが「イエス」と感じたなら本作を観てほしい。そして実写版リメイクされる『リトル・マーメイド』(2023)のアリエルを黒人女優ハリー・ベイリーが演じることが発表されたときにネット上を飛び交った酷い言葉の数々を思い出そう。彼ら / 彼女たちの闘いは道半ばなのだ。