現在放送中の『機動戦士ガンダム 水星の魔女』。ガンダムシリーズでは初の、女性が主人公となるテレビ作品となる。
この作品、既に新旧問わずガンダムファンからも一定の評価をされているところ。主役のスレッタ・マーキュリーは臆病な部分もあるが正義感もあるといったキャラ付けをされており、これまでのシリーズの主人公と比較すると素直というか、正直な部分が強調された節もある。
もちろん、素直で正直な主人公は過去にもいるにはいたけど、なんかこう偏屈な奴が多いのが、ガンダムシリーズの主人公あるあるだったので、新鮮に見えてしまうのである。
ただ、偏屈な奴が多いのにも理由があるもの。人間、親世代の影響を受けて人格形成される部分も大きいところだが、従来作品の主人公たちは、この親の影響もあって若干素直でない性格になったのでは? と思える面々もあった。(文:松本ミゾレ)
カミーユに比べてスレッタは親に恵まれている!
先日、おーぷん2ちゃんねるに「ワイ、Zガンダムを見始める」というスレッドが立っていた。スレ主は『水星の魔女』も視聴中のようで、『Z』の主人公カミーユの親たちを見て「水星の魔女の親たちっていい親やな」と書き込んでいる。
また、『水星の魔女』作中で実の娘に「ダブスタクソおやじ」と蔑称で呼ばれているデリングという人物と比較して「ダブスタクソ親父めちゃくちゃちゃんと親してるじゃねーか! 不倫してないし」とも評価。
「不倫してないし」と書いているあたり、これはもう完全にカミーユの親父、フランクリンと比較していると思われる。フランクリンは有能なMS開発者の一人で、連邦の士官でもある。
仕事と愛人のことにかまけて家庭を顧みない困ったお父さんとして旧来のファンからおなじみ。しかもリック・ディアスを勝手に持ち出しちゃうし。スレ主にとってはこの親父の存在は、あまりにも酷いものに映ってしまったようだ(実際滅茶苦茶な親父だけど)。
一方で『水星』に目を向けるとスレッタの父・ナディムは娘想いの優しい父親。テストパイロットという立場ながらプロローグにて実戦をこなし、妻子を助けるために奮闘し力尽きている。
死の間際には愛娘の誕生を祝ってもいるという、なかなかどころか、相当に出来た父親であった。
ところでガンダムシリーズの父親キャラと言えば『機動戦士ガンダム』のテム・レイが恐らくもっとも有名だろう。息子であるアムロとの関係性はやや微妙なところで、連邦の技術士官としてV作戦に従事してMSを開発していったが、反面、親子らしい会話は劇中ではあまり見ることが出来なかった。
のちに再登場するも、既に酸素欠乏症の影響でまともな会話もままならないという有様。未成年のアムロには立場上どうサポートして良いかも分からなかっただろうし、アムロ自身から父の介護のためにホワイトベースを降りるという声はついぞ出ることはなかった。
アムロの母親・カマリアも劇中ではバリバリ息子とは考え方がすれ違う女性として登場。ジオン兵に銃を向けたアムロに対して「情けない子」と意気消沈し、アムロもアムロでそんな母親に失望をしたのか、母親と地球に残る選択肢も提示されていたにも関わらず、決別を選択している。
『Z』における主役の母親となるのがヒルダ。彼女も連邦の士官で、あのドゴス・ギア建造にも関わっているという設定だ。フランクリンが不倫をしていることを知りつつ、仕事優先でそれを黙認するような親で、カミーユからも信頼を勝ち得てすらいない。顔はそっくりなのに。まあ、カミーユみたいな子供をまともに育てるのは、相当苦労するだろうけど……。
ガンダムでは親がいてもいなくてもポジティブに育つケースも
こういう話を書いていくと、これまでの作品に登場した主人公の両親ってどういう存在だったっけ? そして親の存在がどれぐらい主人公の精神性に影響してたっけ? という疑問が湧いてきた。
『機動戦士ガンダムZZ』ではジュドーの親御さんは行方不明。それなのにシャングリラで妹と一緒に明るく懸命に生きていたわけで、なんかこう、両親が健在なのに全然家庭的に恵まれてなかった人たちもいる中で、その特異性に驚かされる。
でも実際、普段から両親が険悪だったり、仕事で家にほぼいないまま、子供は鍵っ子生活を強いられているような状態だと、親の愛情をなかなか感知できないのは現実でも同じこと。
それならばいっそ、両親なんか最初から登場させないままのほうが、逆に明るい主人公になるんじゃないか? と、ジュドーを見ていると感じてしまう。
『機動戦士Vガンダム』主人公ウッソなんて典型的な親の愛情不足な子供だ。闘争に身を投じた挙句我が子を放り出してしまっている、ちょっと困った両親との再会が劇中で描かれるが、母親のミューラは衝撃的な形で死亡するし、親父のハンゲルグは生死不明。
下手に親御さんが出てこないほうが、子どものメンタルにはいいよな……みたいに思っちゃう展開だったもんなぁ。
『機動新世紀ガンダムX』の主人公ガロードは、ジュドータイプで劇中に両親は登場しない。無法者の襲撃で家族は皆殺しにされており、過酷な少年時代を歩んだとされているが、がらっぱちな性格と声のおかげで、悲壮感がない。
元々前向きな性格だったことも起因していると思われるが、やっぱりこちらの例でも、「親が出てこない主人公のほうが明るい、素直な子に育つのでは?」とか思ってしまうところである。
もちろん、実際には両親が登場するものの、関係性がいわゆる普通の親子の範疇にある『機動戦士ガンダムF91』のシーブックの例などもある。ただ、『F91』の場合、親との不和はヒロインのベラに与えられた属性といえるだろう。
そのベラは父親であるカロッゾと対立し、何とか生き延びたのちにシーブックに庇護されるようになる。シーブックは指導者となったベラを支える側になるわけだ。これはシーブック自身の父親が妻の仕事を理解し、サポートしていたというのが大きいのではないだろうか。ある意味、現代的とも言えそうだ。