Text by 生田綾
Text by 韓光勲
2020年に『アーモンド』、2022年に『三十の反撃』で2度にわたり『本屋大賞』の翻訳小説部門を受賞した韓国の小説家、ソン・ウォンピョン。アジア人として同部門の受賞は初めてで、同じ著者が2作品続けて『本屋大賞』を受賞するのは異例である。
現代社会のひずみや抑圧を描くソン・ウォンピョンの作品の魅力とは、なんなのか。初来日にあわせて10月に大阪市内で開かれたトークイベントでの本人の言葉とともに紐解きたい。
『アーモンド』(矢島暁子訳)は世界21か国で版権が獲得され、韓国では100万部を突破、日本でも18万部のベストセラーになった大ヒット作だ。
物語の主人公は、感情をつかさどる脳の扁桃体(アーモンド)が生まれつき小さく、「怒り」や「恐怖」などの感情を読み取れない「失感情症」を抱える16歳の男子高校生、ユンジェが主人公。
ユンジェの母親は彼を「普通」にするために感情を教えようとしてきたが、ある日、ユンジェの目の前で祖母と母が通り魔に襲われてしまう。ユンジェはその光景を黙って見つめることしかできなかったが、その事件によって祖母は亡くなり、母は植物状態に。ひとりぼっちになってしまったユンジェの前に激しい感情をもつ暴力的な少年、ゴニが現れる。そしてゴニとの出会いがユンジェの人生を大きく変えていく――というストーリーだ。
BTSのメンバーが愛読していたことでも話題となった本作は、書店員が「いちばん売りたい本」を選ぶ本屋大賞で、2020年の翻訳小説部門を受賞した。
『アーモンド』書影 / 祥伝社
『アーモンド』は主人公の存在を通して、「人の感情とはなにか」「そもそも人とはなにか」を根源的に問う作品だ。人の感情を読み取れない主人公には悲劇が訪れるが、悲しみさえも感じられない。「当たり前」が当たり前じゃない主人公には一見、読者も共感が難しいように感じる。
しかし、その主人公がまわりの人たちの「愛」に触れて、ある決意をする。向かってくる人生に、とにかくぶつかってみること。そのシンプルな答えは静かで平凡なものかもしれないが、たしかな手触りのある感動を呼び起こす。日韓で多くの読者を得ていることにも納得だ。
「失感情症の人は周囲にはいないのですが……」と前置きしたうえで、ソンは「このテーマは私の物語です」と話す。
自身が出産し、言葉の通じない新生児を前にしたとき、「言葉を超えて意思疎通できるのは感情なんだ」と不思議に思ったことがきっかけだった。そこから「感情をうまく表現できない人はどうするのだろう」と想像し、インターネットや本で調べるなかで「扁桃体」(アーモンド)が小さい人々がいることを知り、着想にいたったという。
ソン・ウォンピョン / ⓒ씨네21 오계옥
ソンは小説の題材を考える際、あえて「反対側」を考えて、設定に生かすそうだ。例えば、自身はパンが好きではないものの、小説のなかにはパン屋のシーンがよく出てくる。あえて自分の好みや感情とは「反対」の設定を導入することで、自分自身が作品に投影されないようにして、普遍的な物語になるように努力しているのだという。
同作の翻訳を担当し、トークイベントにともに登壇した矢島暁子は、「読みながら映像が浮かんでくるような文章」と同作を評価する。「魅力的なキャラクターが登場し、悲劇と喜劇、生と死が交錯する物語だと思う。本屋大賞を受賞し、原作のすばらしさを改めて感じた」と語った。
『アーモンド』に続き、2022年の本屋大賞の翻訳小説部門1位を獲得した『三十の反撃』。30歳で非正規雇用として働く女性キム・ジヘが主人公で、社会の理不尽に翻弄されながらも、周囲の人々との出会いを通して、自分自身の生き方を手にしていく物語だ。
『三十の反撃』書影 / 祥伝社
『三十の反撃』は、ソンが小説家としてデビューする前に執筆した作品をあらためて整理して出版したものだという。映画製作にも携わるソンだが、映画関係の仕事をしながら小説を書き続けたといい、本作もその時期に執筆したものだ。
「小説や映画のシナリオの依頼もなく、本当につらい時期がありました。やりたいことを続けるべきか、社会に合わせるべきか、揺れ動いた。その心の葛藤を『三十の反撃』に込めました」
キム・ジヘが社会の抑圧に対して時にユーモアを交えながら「反撃」していくストーリーは軽妙で、読んでいて痛快でもある。ソンは、「私自身が面白い本を読むのが好きなんです。だから、読者も楽しいと思える本をつくりたい。どんなに悲劇的、絶望的な状況でもちょっと笑ってしまうポイントは必ずあると思う。それを表現したかった」と語る。
ソンには映画監督としての一面もある。小説の執筆と映画製作の違いについて、「映画はたくさんの人が関わってつくり上げる。それに対して、小説はキャラクターと一対一で向き合う。映画は他の人からパワーをもらえるが、小説は一人で書くので寂しいこともある。物語の創作という点では共通しているが、それぞれに長所と短所がありますね」と語った。
日本と韓国の小説の違いについても話が及んだ。ソンは平野啓一郎や恩田陸、江國香織の小説を好んで読むという。
「一般化は難しいですが、日本の小説はある事件が起きても、その事件からは少し距離を置いて客観的に叙述すると思う。清涼感があり、軽快な感じがする。それに対して、韓国の小説は個人や社会の問題を熱く語るので、強烈な描写になるのかもしれないですね」と分析した。
小説『アーモンド』の登場人物たちは、一見するとイタズラともいえるような方法で、社会の抑圧に抵抗していく。
トークイベントでは、「個人の行動が社会を変えられるか」という質問もあがった。ソンは「可能だと考えるようにしている」とコメント。
「何かを少しずつ表現していけば、次第に同調する人も生まれて変化につながる。個々人は独立して別々に存在するだけでなく、連帯できる力も持っている。個人の力は小さくないはずだ」と話した。