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ドラマ『エルピス』主題歌の歌詞は、誰の視点から、どんな意図で紡がれた?Mirage Collectiveが語る

2022年12月26日 20:00  CINRA.NET

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Text by 三宅正一
Text by 山元翔一
Text by 嶌村吉祥丸

ドラマ『エルピス —希望、あるいは災い—』(以下、エルピス)の主題歌”Mirage”を手がけたMirage Collective。その中心メンバー、STUTS、butaji、YONCE(Suchmos)が歌詞をテーマに3人で語りあった。

“Mirage”の歌詞はドラマと深く共振しており、<信じたいんだ>というサビ終わりのひと言、あるいは<どんな罪を背負い込んでも 生きてゆける>のラインは最終回を目前にいっそう重みを増している。一方で、<あまりに強い火に身を滅ぼす異教徒 / 運命に返事はしないでよ / きっと下される裁き>のように、エンディングで毎話耳にしているにも関わらず、未だ謎を残すパートも存在している。

『エルピス』というドラマに対して、この歌われる言葉たちはどのような視点から、どのような意図で紡がれていったのか。歌詞を共作したbutajiとYONCEは10話分のストーリーのどこに焦点を当て、何を表現しようとしたのか。”Mirage”を紐解くことで、ドラマ『エルピス』の新たな一面に触れられるかもしれない。

Mirage Collective(ミラージュ コレクティブ)
カンテレ・フジテレビ系月10ドラマ『エルピス-希望、あるいは災い-』(2022年)の主題歌“Mirage”を手がけた、STUTS、butaji、YONCE(Suchmos)を中心とする音楽集団。“Mirage”では、サウンドプロデュース/ミックスエンジニアリングをSTUTSが、作詞とメロディーをbutajiが、作詞とボーカルをYONCEがそれぞれ担当し、ドラマの主演・長澤まさみもボーカルとして参加している。ギターとコーラスで長岡亮介(ペトロールズ)、ベースでハマ・オカモト(OKAMOTOʼS)ら総勢12名が参加したバンドバージョンの「Collective ver.」、tofubeatsやSUMIN、Omar S によるリミックスを収録したアルバム『Mirage』が12月21日にリリースされた。

─“Mirage”のリリックは過不足なく研ぎ澄まされていると思います。そこからも3人がいくつもの戦いを乗り越えたであろうことがうかがえるなと。リリックを追いかけながらまず浮かぶのは浅川恵那(長澤まさみ)なんだけど、ドラマが回を重ね、エンディングで流れる曲のバージョンが更新されていくごとに、この歌の視点の主軸が岸本拓朗(眞栄田郷敦)にも、斎藤正一(鈴木亮平)にも、大山さくら(三浦透子)にも、当てはまっていると思えてくる。

YONCE:わかります。

─個人的に、優れた脚本というのは脇役も含めて物語のなかで呼吸している登場人物の人生の機微をおざなりにしない、置き去りしないものだと思っていて。『エルピス』はもちろん、“Mirage”の歌詞もそういうものに仕上がっているなと思いました。

butaji:ありがとうございます。この歌詞は3段階くらいの行程を経て完成したんですね。第1段階はYONCEくんに書いてもらって、第2段階は3人で意見を言いあいながら、第3段階はぼくひとりで全体を見直し、書き換えたり書き足したりし たんです。

STUTS:最終的には全部の行程がミックスされたような内容になりましたね。

butaji:そうそう。第1段階のYONCEくんはどういう感じで書いていったんですか?

STUTS:たしかにそれはぼくたちも知らない(笑)。

YONCE:具体的なところは忘れちゃいましたけど……脚本をバーッと一気に読んだときに、浅川恵那が高潔さとふしだらのあいだで絶えず絶妙に行き来しているようにと思ったんです。

ちょっと、「やめとけ!」って声をかけてあげたくなるような感じというか(笑)。おせっかいな視聴者の気持ち、みたいなものが最初のリリックには出ていたような気がしますね。

─いうなれば、最初の視聴者というか。

YONCE:そうですね。まだ映像にはなってないけど、自分の頭で想像するというか。「高潔でいい。志が高くていい。だけどもっと肩の力を抜くやり方もあるよ」みたいな気持ちというか。

YONCE:ぼくはドラマのなかに出てくる番組『フライデーボンボン』の村井喬一プロデューサー(岡部たかし)のポジショニングが絶妙に大好きで(笑)。

─彼は道化としての哀愁がどうしようもなくありますよね。

YONCE:ああいうおじさんって、世間を代表している部分があると思うんです。このドラマが掲げているテーマの素晴らしさを理解したうえで、脚本の第一印象として、「こういうやついるよな」とその立ち位置や視点がすごくおもしろいなと思って。

だから第1段階の歌詞は、ドラマの世界や脚本のなかに入り込むというよりは、おせっかいな第三者みたいな気持ちで書いてました。

butaji:YONCEくんが第1段階で書いた歌詞では、1Bの<誰にだって口に出せないことがあって>というところは「あなたにだって口に出せないことがあって」となっていて。それをぼくが調整したんです。

YONCE:この歌詞の視点がいろんな登場人物に当てはまる、という部分はbutajiくんの仕業なんですよ。butajiくんが黒幕なんです(笑)。

─YONCEさんのアングルは浅川をピンでとらえていたんだけど、butajiさんがレンズを変えてほうのキャラクターにも広角でとらえていったというような?

YONCE:そう、ぼくは完全にピンスポで物語を追いかけていたんです。「ちょっと立ち止まって!」という気持ちを言葉にしていた。

─butajiさんはどのような意図があって広角でとらえていったんですか?

butaji:ぼくはポップスの歌詞の肝となるのは「いかに抽象化するか」ということだと思っているんですね。だから「あなたにだって」を「誰にだって」に変えたんです。

─その抽象性は普遍性にも換言できるだろうし。

butaji:そうですね。

STUTS:いかに抽象的にするかということは、ぼくも最初にデモのビートを組む段階で考えていたことかもしれないです。

butaji:YONCEくんが書いてくれた第1稿は、本当に叙情的で雰囲気のある歌詞だったので、それを具象の部分と仮定して、ぼくは抽象の部分をバランスのいい塩梅で書いていこうと思ったんです。

歌詞を書くときにはいつも「どこを軸にとらえていくか」という、レンズの倍率みたいなことを考えてて。どんな歌詞でも、対象のとらえ方がミクロかマクロの違いだけで、結局ひとつのことを言っている んじゃないかって思うんです。

─すごくわかります。どうとらえるかは受け手に委ねている。

butaji:そうやって受け止め方は個々人であってほしいからこそ、歌詞の核になる「火種」は、いわゆる「あるある」であってほしくない。ポップスの歌詞は、その発端がどこにあるかが一番大事だと思うんですよね。

STUTS:今回もbutajiさんの言葉からbutajiさんの核を、YONCEくんの言葉からもYONCEの核を感じました。

YONCE&butaji:ありがとうございます。

─ミクロかマクロで描くのか、そして抽象性に普遍性が宿るというところでいうと、“Mirage”という歌では「愛」という言葉を使っていませんよね。誰もその正体を具現化できないからこそ、愛という概念は表現における強い火種になると思うんですね。得体がしれない、ときにすごく暴力的で、ときに圧倒的なほど美しいと思える概念が、“Mirage”の核になっているんじゃないかなと。「愛」というものをリスナー個々人がどうとらえるかという歌詞でもあるなとも思いました。

butaji:たしかに愛という言葉は入れなかったですね。思い返せば、YONCEくんが第2段階くらいのときに書いてくれた<can't stop the fire / 信じたいんだ>というフレーズがすごく大きかったんですよね。

STUTS:そうだね、かなり大きかった。

YONCE:シンプルに書いたフレーズだったから、ここがフックとしてフィーチャーされる感覚は個人的にはあまりなかったんです。だけど、2人がものすごく好意的に反応してくれたことで、歌詞全体としても炎というモチーフが強くなっていったところはあると思います。

STUTS:もっというと“Mirage”というタイトルも、炎のなかで揺らいでいる感じからきているんです。だから、YONCEが持ってきてくれた炎というキーワードはすごく大きかったですね。

Mirage Collective(左から:butaji、STUTS、YONCE)

YONCE:ある程度曲が完成に近づいてきた段階で、曲全体が燃えさかっている感じがして。その大事な部分はbutajiくんが担ってくれたなって思う。ちょっと偉そうな言い方になっちゃうかもしれないけど、俺もbutajiくんの気持ちをちゃんと燃やし尽くすように歌いたいと思ったし。

butaji:楽曲制作において3人がお互いを鼓舞しあったし、焚きつけあうことができたなと思います。

butaji:あとぼくが担当したところでいうと、脚本を読んでいて、何かに物怖じしている様子とか、正義感に自己陶酔してしまっている感じや、そして歌詞のなかの「火」というキーワードから ぼくは『ウィッカーマン』という映画を想像したんです。

非キリスト教の宗教が信仰されている島にキリスト教徒の警察官がやってくる映画なんですけど、異教徒の島で、最後にその警察官が木組みの人形に閉じ込められて焼かれてしまうんです。

誰も自分自身を「異教徒」とは思わないわけですよね。それは相手に対して思うことで。このドラマの登場人物もお互いがお互いを異教徒だと思っているなと 。それが「火」という部分と合わさって 宗教というモチーフが浮かんで、<あまりに強い火に身を滅ぼす異教徒>というラインを書くに至りました。

butaji:もうひとつ、映画でいえばぼくのパートナーが教えてくれた『その手に触れるまで』という作品にもインスパイアされたところがありました。

選択肢が頭のなかにいくつもの用意されていることが豊かさや教養とされるなか、選択肢が閉ざされ、妄信することが宗教のひとつの側面だと思うんです。『その手に触れるまで』にあった妄信的な正義感によって突っ走ってしまうところを『エルピス』の脚本と重ね合わせたんです。

─妄信的であるからこそ危うさと透徹さ、ですよね。

butaji:そうそう、すごくピュアなんですよね。

butaji:浅川や岸本たちの戦い方がどういう結末を迎えるのか。<きっと下される裁き>という言葉は、それがいいことなのか、悪いことなのかわからないけど、何らかの結論が出る、どこかに回収されていくという意味合いで書きました。

あらためて歌詞を読むと、YONCEくんと自分の言葉のバランスがとれていると思うし、そこはすごく達成感があります。どちらかがなかったら成立していないなと。

─そう思えることもコライトの醍醐味であると思いますし。

YONCE:そうですね。歌詞に限った話じゃなくて、音楽そのもので挑発しあう行為だったと思います。キモい言い方をすると、「ここがええんか?」ってお互いのツボを押しあうみたいな(笑)。

STUTS:やっぱりこのふたりが共作したからこそ生まれた歌詞ですよね。それぞれ単体で書いたらこういう歌詞にはならなかっただろうなって思います。

YONCEくんが自分で書いたパート歌うときは、すごくYONCEくん節だなと思うし、butajiさんが書いたパートをYONCEくんが歌ってるときも新鮮な感じがある。そのバランスがすごくおもしろいと思いますね。

YONCE:butajiくんとSTUTSくんに開発されましたね(笑)。

─ドラマがクライマックスに向かうとともに、この歌がどのように届いていけばいいと思いますか?

butaji:どう届いたらうれしいというのはいつもあまりないんですが、でも、もっとみんなこの曲を深読みしてもいいのにとは思いますね(笑)。

偉そうに聞こえるかもしれないけど、能動的に思考と解釈を展開していってほしい。そうやって深く向き合ってもらえたら、いいことだなと思います。

YONCE:内容もあいまって、シリアスなドラマで、シリアスな歌だと思われている部分もあると思うんですけど、結局自分たちは、すごく贅沢な遊びをさせてもらったという気がしているんです。

だからこそ、butajiくんの「もっと解釈の幅を持とうよ」という言葉にはまったく同意見だし、「みんなもっと贅沢に遊ばない?」って思いますね。

STUTS:ドラマの最終回までバージョンが変わっていく“Mirage”を楽しんでほしいと思いますね。歌詞についてぼくも今日初めて知ったエピソードもあったので、butajiさんとYONCEくんの話を聞けてうれしかったです。