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齋藤飛鳥はなぜ唯一無二の存在になり得たのか? 卒業を前に、乃木坂46に残した功績を紐解く

2022年12月26日 18:00  CINRA.NET

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Text by 岩見旦
Text by 香月孝史

乃木坂46の齋藤飛鳥が、最新シングル“ここにはないもの”の活動をもってグループから卒業する。年内いっぱいで乃木坂46のメンバーとしての活動を終えたのち、翌2023年に卒業コンサートの開催が予定されている。

乃木坂46を代表する人物である齋藤は現在、日本の女性アイドルシーンにおいて最も著名なポップアイコンの一人といえる。広範な社会的認知を得ていく2010年代後半以降の乃木坂46は時折、他者との普遍的な共鳴を主題にしたシングル楽曲を発表してきたが、そのうちの一つ“Sing Out!”(2019年)で群舞の中心を預かる齋藤のパフォーマンスはまさに、近年の彼女が背負う立場の大きさを象徴的に示している。

齋藤が乃木坂46の一員として過ごしたこの11年間は、日本のグループアイドルシーンが興隆をみせ、変遷を経ながらやがて社会に定着していく期間でもあった。その流れを牽引した立役者であるAKB48の「公式ライバル」として、乃木坂46は2011年に結成される。当代随一のモンスターグループの名を拝借しつつも、初期の乃木坂46はまだオリジナルのアイデンティティーを確立しておらず、今日から振り返れば組織全体が模索期にあった。そのなかで年少メンバーだった齋藤自身も、シングル表題曲の選抜メンバーではない、いわゆる「アンダーメンバー」としての期間を少なからず過ごす。

乃木坂46が『NHK紅白歌合戦』に初出場するのは結成から4年が過ぎた2015年のこと。同年に選抜メンバーに定着した齋藤は、翌2016年夏に“裸足でSummer”で初めてシングル表題曲のセンターポジションを務める。さらに2017~2018年の『日本レコード大賞』2年連続受賞などを経てグループの社会的な影響力も強くなり、対外的に高い知名度を獲得するメンバーが幾人も育っていく環境下で、齋藤も乃木坂46の顔としてキャリアを重ねてきた。

グループが大きくなっていく一方、直近の数年はともに乃木坂46の礎を築いてきた1期生、2期生メンバーの多くが卒業し、メンバー構成が大きく転換する時期を迎えている。必然的にグループ内における齋藤の立場もより重要なものになっている。もとより、ポピュラーなグループの中心に立つことは、無数のまなざしを向けられあらゆる毀誉褒貶(きよほうへん)を引き受けることと不可分である。折にふれて齋藤が紡ぐ言葉には、そうした自身やグループの社会的立場をいくぶん冷静に俯瞰するような趣がある。それは「乃木坂46の顔」として世間と対峙し続ける彼女が、自然に身につけてきた視野の一端ではあるのだろう。しかしまた、それは単なるドライさや達観を示すものではない。落ち着いた言葉選びやスタンスは一貫しながらも、彼女の振る舞いには乃木坂46への深い愛着や矜持がしばしば強く滲む。

乃木坂46の歴史のすべてに立ち会い、グループに対する俯瞰と愛着とを示しながらセンターを担う齋藤は、いまや唯一無二の境地にある。その彼女の気高さがパフォーマンスにおいて顕著にあらわれるのが、先述の“Sing Out!”でもみられるソロダンスである。グループ在籍中ラストシングルとなる“ここにはないもの”のミュージックビデオでも、銀座線渋谷駅のホームを舞台にした齋藤のソロダンスがハイライトの一つとして用意されている。乃木坂46という共同体のなかで育まれてきた、齋藤飛鳥という演者の軌跡が集約されたワンシーンといえる。

そもそも、齋藤が11年間在籍してきた乃木坂46とはどのような演者たちを育み、いかなるクリエイティブを積み重ねてきたグループなのだろうか。

まず際立つのは、俳優業やモデル業など多くの分野への越境、そしてそれぞれのジャンルで足場を築いていくメンバーや出身者たちの姿である。メジャーのフィールドで活動するアイドルの場合、いくつもの分野にアクセスして自らの適性を探り当てたり、アイドルと多分野とを架橋したりといった活動そのものは珍しくない。そのなかでも乃木坂46は、初期から意識的にそれぞれのジャンルと長らく関係を切り結びつつ、多方面に演者を輩出してきた。

早くから大劇場ミュージカルに居場所を求めてきた生田絵梨花や、ファッション方面へアクセスする旗手として雑誌モデルなどへの道を切り開いた白石麻衣らは、その象徴的存在である。あるいは、ラジオパーソナリティー業を中心に、言葉の発信に活路を見出した山崎怜奈のような、グループ草創期にはさほど想定されていなかったコースの存在もまた、歴史を重ねながら可能性を広げてきた乃木坂46の充実度を物語る。多くの分野への越境ないし架橋という点で乃木坂46は現在、最も充実したグループといえるだろう。

齋藤もまた、2015年のANNA SUIアジア圏ビジュアルモデル起用をはじめ、今日まで数多くのファッション関連メディアやイベントに登場し、活動歴を重ねるにつれファッションアイコンとしての側面を強めてきた。それは乃木坂46の後輩メンバーたち、あるいはのちの櫻坂46や日向坂46といった坂道シリーズのメンバーたちがファッション分野へ道を開拓していくうえでも、重要な歩みであった。一方でまた、MONDO GROSSO“惑星タントラ”へのゲストボーカル参加などのパフォーマンスを踏まえるとき、生田や白石のように特定ジャンルでグループ内のトップランナーになっていくのともまた異なる仕方で演者としての回路を開く、齋藤特有の存在感が浮かび上がる。

こうした演者たちを育む土壌を下支えするのが、乃木坂46が手がけるクリエイティブの数々である。グループのイメージをかたちづくるCDジャケットや衣装などの繊細なアートワーク、演技の場を豊富に設けてきた数々の舞台作品なども特徴的だが、ここではデビューから継続的に蓄積されてきた、映像コンテンツの充実について少し触れておきたい。

乃木坂46はシングルリリースのたびに、4~5曲程度のMVを制作するが、加えてデビュー当初からメンバー個々を主役にしたショートフィルム「個人PV」を制作してきた。シングル制作ごとにメンバー一人ひとりに異なる映像作家を充て(つまり初期はシングル制作のたびに30人以上の映像作家を招聘していた)、自由度の高い短編映像を大量に生み出していくこのいとなみは、グループが多忙の度を増すにつれて本数や頻度こそ減少しつつも、2022年現在まで継続している。

特筆すべきは、この絶えざるショートフィルム制作の場が、新進の映像作家を開拓する機会となり、また同時にメンバーにとって重要な演技の場ともなってきたことだ。映画『愛がなんだ』(2019年)などで知られる今泉力哉は、2014年に個人PVに招聘されて掌篇『水色の花』を監督するが、このドラマで主演を務めたのが、まだグループの中心となる前夜の齋藤だった。以後、今泉は乃木坂46の映像コンテンツにたびたび起用されていく。

個人PVで関係を結んだ映像作家が、やがてMVの監督を務めるケースも少なくない。今年、前田敦子や菊池風磨、元乃木坂46の伊藤万理華らが出演した監督作『もっと超越した所へ。』が劇場公開された山岸聖太もまた、乃木坂46の個人PVを幾度も手掛けてきた人物である。山岸がMVの監督を務めた楽曲“逃げ水”や“あの教室”では、齋藤の飄々とした佇まいと山岸独特の不条理さを醸す空気感とが絶妙に溶け合い、彼女の演者としての魅力が刻印されている。

これら映像作品に代表されるように、齋藤が長らく身を置いてきた乃木坂46とは、一種異様なクリエイティブを膨大に、ときに実験的な試みを含みつつ続けてきた場所でもあった。

他方で乃木坂46は、はっきりとしたブレイクポイントを説明するのが難しいグループでもある。

乃木坂46は間違いなく現行アイドルシーンを代表し、大きな支持を受ける著名グループだが、人々の耳目を集めやすい企画性が先行したわけでもなく、明快で強力なコンセプトを社会に強く提示するような在り方とも異なる。それゆえに、グループの特徴が語られる際、ともすれば「清楚」などの表層的な紋切型に回収されることも多かった。

だが、ポップグループが人々に共鳴やエンパワーをもたらすとき、必ずしもわかりやすい強さや具体的なメッセージがよりどころになるとは限らない。乃木坂46はデビューから即座に社会を席巻したわけでも、強力なコンセプトでインパクトをもたらしたわけでもない。しかし、先に記したような演者たちの成長やクリエイティブの洗練を幾年も重ね、キャリア的にも年齢的にも一定の成熟を手にしつつあるタイミングで静かに、大きなポピュラリティーを獲得していった。それはいわば、グループとしての自然体の進化を体現するようないとなみといえる。

そこにあるのは、誰の目にも明らかな強さやメッセージ性などではない。しかし、ごくナチュラルに人生を歩み成熟を示していくその軌跡のうちにもまた、主体性の発露やエンパワーの契機は確かに見出しうる。きわめて短い刹那の輝きに注目が集まってしまいやすいジャンルだからこそなおのこと、ゆっくりと歳月をかけて進化を示す姿は、アイドルを生きる人々の生について、あらためてとらえ直す機会をもたらしてくれる。

11年超にわたる長い時間をかけてグループを牽引する立場へ、そしてアイドルシーンを代表するポップアイコンへ歩んでいった齋藤の姿にもまた、そうした静かな成熟のありようをみてとることができる。

あるいはまた、先述の充実した映像クリエイティブを支えるキーパーソン、乃木坂46の映像プロデューサー・金森孝宏の次のような言葉は、齋藤の姿に別の角度から光を当てるものかもしれない。

あの人たち(乃木坂46メンバー)はわかりやすく汗水垂らしてという印象を欲しがらない。でも、それは努力してないということじゃなくて。きっちり練習するし準備してくるけど、「毎回頑張ってます」と強く表に出すことなく仕上げてくる。

齋藤飛鳥とか仕事量がめちゃめちゃ多いときとか、台詞がある企画が渡されれば100パーセント台詞を覚えてくるし、楽器も練習してくる。でもその努力をわざわざ強調したりせずに「自分だけ大変でした」とかも出さないようにしている。 - 『クイック・ジャパンVol.157』(太田出版、2021年)金森は、このような齋藤の立ち振る舞いがいつしかほかの乃木坂46メンバーに継承されていく様子にまで言及しているが、ここで指し示されるのもやはり、わかりやすく表出される強さや自己主張とはいくらか異なるものだ。日々の自然な歩みのうちになにげなく宿るそうした成熟は、乃木坂46の足跡を支える、静かな強靭さとも呼ぶべきものである。

乃木坂46という共同体はしばしば、メンバーが互いに強い愛着や慈しみ合うさまがクローズアップされ、それがファンにも好意的に受け止められてきた。2019年のドキュメンタリー映画『いつのまにか、ここにいるDocumentary of 乃木坂46』において見出される主題も、日常性のなかにあるメンバー相互の慈愛だった。

当たり前のようにそうした基調を帯びているグループのなかにあって、齋藤はあからさまな愛着表現をする人物とされてきたわけではない。けれどもそれはおそらく、単なる「孤高」のような在り方とは大きく違う。特に、キャリアに大きな差がある3期生以降のメンバーが多くなるにつれ、齋藤は一見クールな振る舞いでありつつも、後輩らを引き立てながらグループへの信頼を示してきた。

それは、齋藤本人の直接的な言動以上に、周囲のメンバーたちから明かされるエピソード群として色濃くあらわれる。齋藤の振る舞いについての語りを介して、メンバー同士の慈愛や敬意がいっそう引き出されるような光景はいまや珍しくない。

乃木坂46のパフォーマンスにおいて、あるいは対外的にグループを代表する「顔」としての活動において、齋藤飛鳥が代表選手であったことは間違いない。ただしまた、ひとつの共同体において互いのリスペクトや愛着を誘引するような、懐の深い求心力をもったエースでもあったといえるだろう。韜晦(とうかい)気味に自身やグループにふれる齋藤の姿こそは、何より饒舌に彼女がいかなる存在であるかを物語っている。