Text by 生駒奨
Text by 白鳥菜都
Text by 大西陽
2022年11月に発売された小説集『これはちゃうか』(河出書房新社)。お笑いコンビ「Aマッソ」でネタづくりを担当する加納愛子の初の小説集だ。同じアパートに住む元気がなさそうな友人との会話を描いた「了見の餅」、年上のイトコのことを思い出しながらバズ記事を書こうとするライターを描いた「イトコ」など、6篇の作品が収録されている。「陽気な短編集」と銘打って紹介されているこの小説集。本作の発売を記念して、12月2日にジュンク堂書店池袋本店にて対談イベントが開催された。
対談の相手となったのは、本作に帯コメントを寄せた作家・高瀬隼子だ。高瀬は『おいしいご飯が食べられますように』(講談社)で第167回『芥川龍之介賞』を受賞している。
同い年、兼業作家であることなどじつは共通点もあるふたり。どんなトークが展開されたのだろうか。本記事では対談の様子をレポートする。
この日が初対面だったというふたり。お笑い芸人兼小説家、会社員兼小説家と互いに二足の草鞋を履く生活のなかでどのように小説家デビューに辿り着いたのか。小説家としての活動の原点を聞き合うところから対談はスタートした。
イベントはジュンク堂池袋本店の「MJブックカフェ」で実施。ファンも詰めかけた
加納:『おいしいご飯が食べられますように』を読んだのですが、オモロすぎて、自分のを書いたあとに読んでよかったなって思いました。私は「セコ技ルート」で小説を載せてもらったと思っているんですけど、正規ルートみたいなのを知りたくて。高瀬さんはどうやってデビューされたんですか?
高瀬:私は3年前に『犬のかたちをしているもの』(集英社)という作品で『すばる文学賞』っていう集英社の賞でデビューしました。どの賞に出そうかなっていうのは、じつは書き終わってから、締め切りが合うもののなかから決めました。賞によって通りやすい作品の傾向はあるらしいんですけど、私は全然勉強をしていなくて(笑)。だから私、大学2年生から小説家を目指していたのに10年間落選し続けていたんですよ。傾向と対策を勉強したほうが良かったですね。
加納:うちらのお笑いとまったく一緒ですね。傾向と対策を勉強せずに闇雲にやってた結果、10年間ずっと地下でやっていたので。うちらは10年間仕事が増えないなかでも「覚えとけよ」という気持ちが大きなモチベーションだったのですが、高瀬さんが書き続ける原動力は何ですか?
高瀬:「覚えとけよ」は誰に対して思いますか? 賞レースで落としてきた審査員とか、笑わなかったお客さんとか?
加納:あいつ笑ってへんかったなって?(笑)でも、そうですね。オーディションで「何が面白いかわかんない」と言ってきたおっさん、テレビのむかつくディレクター、鬱陶しい先輩とかですね。
加納愛子(かのう あいこ)
1989年、大阪府生まれ。2010年に幼なじみの村上愛とお笑いコンビ「Aマッソ」を結成。ネタ作りを担当している。著書にエッセイ『イルカも泳ぐわい。』加納愛子(かのう あいこ)1989年、大阪府生まれ。2010年に幼なじみの村上愛とお笑いコンビ「Aマッソ」を結成。ネタ作りを担当している。著書にエッセイ『イルカも泳ぐわい。』
高瀬:すごく具体的なイメージが沸きました(笑)。文学賞は1次から4次選考まであってようやく最終選考になる、という場合が多いのですが、1次や2次だと選考している相手の顔も見えないのでムカつく先もないんですよね。毎年、応募作が2000くらいあるなかで受賞作が1、2作品なので、「一生デビューできないかもな」とも思ってました。それでも40代、50代、60代と書き続けるんだろうなという気もしていました。31歳でデビューできたのはラッキーでしたね。
加納:やめようとは思わなかったんですね。しかもダメ出しをもらえないなかで続けるのもすごいですよね。芸人だったら、賞レースでダメでも、スベったところがわかるじゃないですか。それがまったくわからん状態で次のネタを書き続けるみたいなもんですよね。
高瀬:そうなんです。デビュー作が最終候補に残ったときに初めて編集者の方から電話がかかってきて、そのときになんかすごくほっとして。自分が小説だと思って書いていたものは、少なくとも小説のかたちをしていると認められたんだなって、安心したんです。加納さんが小説を書き始めたきっかけは何ですか?
加納:5、6年前に小説誌の編集の方から「書いてみませんか?」って言われたことがきっかけでした。でも、下手すぎて掲載されなかったんですよ。私もわかっていたので、そこからしばらく自分で書くことはなかったです。でもその後、エッセイ集の『イルカも泳ぐわい。』(筑摩書房)を出したときに、小説も載せさせてもらったのが2作目かな。
高瀬:幻の1作目があって、2作目が出ているんですね。『文學界』(文藝春秋)2022年3月号に載っていた中編「黄色いか黄色くないか」と今回の短編集はどっちを先に書いたんですか?
加納:短編集のほうが先かな。「了見の餅」が3年ぐらい前の作品で、「黄色いか黄色くないか」は1年くらい前ですね。
高瀬:すごくスパンが早いですね。3年前に「了見の餅」があって、それからいままでの間に3年でこんなに書いて。しかもその間にネタを書いたりほかのお仕事もされているんですもんね。私も平日はフルタイムで仕事をしていて、仕事終わりや土日に書いているのですが、加納さんはいつ書いてます?
加納:「この日は書きます」ってマネージャーさんに伝えて、作業日をもらったりすることはあります。「執筆日です」って嘘ついて、後輩と旅行に行ったこともありますけど(笑)。基本はお休みないですね。その分、ライブの日は何もつくらずに楽しめています。
完全フリートークで進んだ今回の対談イベント。続いて話題は、今回のイベントの主役『これはちゃうか』へ。高瀬からのコメントによって、いままで気づいていなかった自分の小説の特徴を知ったと加納は語る。
加納:高瀬さんに帯を書いていただいて、帯と一緒にコメントもいただきました。それで気づいたんですけど、私の小説は「喋りすぎ」らしいんですよ。セリフを喋る登場人物が多いって言ってくれはって。
高瀬:私の小説は人物同士が没コミュニケーション気味で、言いたいことが言えない登場人物が出てくるタイプ。一方で加納さんの小説は、人物同士がちゃんとコミュニケーションを取っているんですよね。ズバッと言い合ったり受けとめ合ったりしてて、でもそれで話が進んでいく。それは私が書けていないところで、すごいなって思いました。
高瀬隼子(たかせ じゅんこ)
1988年愛媛県生まれ。立命館大学部文学部卒業。2019年『犬のかたちをしているもの』で第43回すばる文学賞を受賞し、デビュー。2022年『おいしいごはんが食べられますように』で第167回『芥川賞』を受賞。著書に『水たまりで息をする』(集英社)がある
加納:没コミュニケーション気味な表現はあえてしてますか? 私の「喋りすぎ」は無意識やったから、言われて恥ずかしかったんですよ(笑)
高瀬:私も無意識で没コミュニケーションですね。加納さんの作品には、思っていることがぱっと口に出ちゃう人物が多かったと思うのですが、書いていたら自然とそうなりますか?
加納:そうなんです。いままでコントや漫才を書いてきたのですが、ほとんどセリフしか書いてないんですよ。自分のなかでセリフを書くのがベースにあって、セリフ以外を書いたのが小説っていう感じ。
高瀬:なるほど。でも、見た目の描写がたくさんあるわけじゃないのに、会話文に添えられたちょっとした描写で「きっとこういう見た目の人なんだな」とぱっと浮かぶような書き方をされているのが、すごく上手だなと思って読みました。映像化や舞台化もできそうですよね。私の小説は難しいだろうなと思うのですが……。
加納:映像化、舞台化してほしいな。高瀬さんの作品は、内側で「思っている」ことが多いから映像がしにくい?
高瀬:そうなんです。内面でぐるぐる考えるタイプなので、映像化しにくそうって自分で思っています。私は季節感覚や時間の間隔がないまま小説を書いて、あとから季節を設定したりするのですが、加納さんの小説は最初からちゃんと世界が頭のなかにあって、それを取り出すかたちで書かれているのかなって勝手に思いました。
加納:登場人物の視点からワンシーンを書いてみることはあるので、そういう意識もあるかもしれないですね。
高瀬:ちなみに、小説を書くときは頭から書きます?
加納:え? ほかにどこから書くの? 魚の食べ方の話してるみたい(笑)。
高瀬:私は頭から書いてなくて。例えば『おいしいごはんが食べられますように』は二谷という登場人物がオフィスでお菓子を潰すシーンを最初のほうで書きました。嫌なやつだなとか思いながらもこのシーン使いたいなと思って、また別のシーンを書いて入れ替えたり組み合わせたりしてつくってます。
加納:そんなのあるんや。そんな方法があるのを初めて知った。
高瀬:ほかの作家さんも割と先に好きなシーンから書いて、そこが映えるようにほかのシーンを書くって聞いたことがあります。でも、加納さんもあるシーンが先に頭のなかにあって、それが取っかかりで世界が広がっているのだとしたら、文字に起こしていないだけで、同じ書き方なのかもしれないですね。
加納:なるほど。私もこれまで書いたことがない長編小説を書いてみるとそういう作業も出てくるのかな。
『これはちゃうか』以外の加納作品にも注目しているという高瀬。そのなかでも今回のトークイベント中にたびたび話題に上がったのが、今年3月の『文學界』に掲載された中編小説「黄色いか黄色くないか」。この作品がお気に入りだという高瀬は、加納作品には共通して「温かさ」があると話す。加納が持つ独特の「温かさ」の根源にあるものとは?
高瀬:「黄色いか黄色くないか」すごく面白かったです。「黄色いか黄色くないか」は、劇場に出ている芸人さんじゃなくて劇場のスタッフの方の視点のお話ですよね。それから「劇場が好きな人」と「芸人さんが好きな人」の両方がいるというお話も出てきます。どちらの視点も、私がいままで全然考えたことのなかったことでした。劇場のスタッフさんにお話を聞いたりして書かれたんですか?
加納:いや、聞いてはないですね。でも仲の良いスタッフは何人かいて、ならではの悩みとかは聞いたりしていました。劇場ではスタッフをスタッフとしてしかとらえない、自分が滞りなくネタを披露するためだけに動いている存在として扱う芸人も結構いるんですよ。でも私は「スタッフだって人間やで」って思っています。高瀬さんみたいに芸人の世界を知らない人にも読んでほしいし、芸人にも読んでほしいと思って書きました。
高瀬:今回『これはちゃうか』の帯に「人間をシビアに見つめてよく知っているのに、底のところがぬくいままで、ずるい」と書かせてもらいました。
『これはちゃうか』の帯には高瀬からのコメントが掲載されている
高瀬:いまのお話を聞いて「黄色いか黄色くないか」でも、この短編集でも、人間をすごく観察されているんだろうなってあらためて思いました。一人一人をすごくシビアに丸裸にしていくような視点を持っているのに、そのベースに温かさがあるから、劇場のスタッフさんのこともそれぞれの人生の主人公だと考えられるんだろうなと。人間が好きなんだろうなって勝手に思いました。
加納:「人間が好き」ってどういうことなんやろうって思うんですよね。嫌な意味ではなく、人間が好きってどういうことかもうちょっと深く考えてみたいなって。人間が嫌いな人なんておる?
高瀬:います。例えば家から出ると、道で人に出会うじゃないですか。ほとんど知らない人ですけど、私はちょっと嫌いですね。目が合って、どっちに避けようとか意思疎通が何かしら取れたら嫌いじゃなくなるんですけど。
加納:「ちょっと嫌い」から入るんや(笑)。小説は人間がちょっと嫌いでも書けるものですか。
高瀬:噂話では、「作家は人間のこと好きじゃないとなれない職業だよね」と何回か耳にしたことがあるので、悩んでます……。
加納:でも、こんなに面白い本が書けるんやったら、私も「人間ちょっと嫌い」のほうがええわ。
高瀬:ありがとうございます。ただ、『これはちゃうか』でも、いち読者として勝手に感じた「底のところの温もり」みたいなのが自分にはないなと思ったので、「わ、ずるいな」と思ったんですよね。
加納:たぶん、ひとりでお笑いすることがないからですね。小説はひとりでも書けるけれど、お笑いはお客さんがおって初めて成り立つ。だから、人を無視できひんのかもしれないです。ただ、一方でちょっとずつ小説の感想をいただくようになって「共感しました」っていうコメントを見ると、「共感」が1番心に残ってるようじゃ私の作品はまだまだだなと思ってるんですよね。共感せんでも、読ませなあかんよなと。
高瀬:ストイックですね。私はどんなコメントをもらってもめちゃくちゃ嬉しいです。でも、私の本を「全然共感できなかったし、嫌な人しか出なかったけど、一生手元に置いておく本」みたいにSNSに書いてくださった方がいて、とくに嬉しかったですね。スクリーンショットして寝る前とかに見てます。
書き手でもあり、読み手としても小説を愛するふたり。小説のどんなところに魅力を感じているのか。また、世の中には数えきれないほどの小説があるなかで、今後ふたりはどんな作品を書いていくのだろうか。トーク終盤に差し掛かった加納と高瀬はフィクションの世界の魅力を語る。
加納:私は高瀬さんの作品を読んだときに、もうこのジャンルはオモロい人がオモロいこと書いてるから、手を出さなくてええわって思ったんですよね。高瀬さんは自分の得意ジャンルとか、自分が書くべきって思っている領域はありますか?
高瀬:毎月文芸誌とかを読んで、「めっちゃ面白い。先に書かれた、悔しい」と思うことはありますね。でもやっぱり私が興味があるのは、真面目に粛々と働く人が抱えているしんどさとか、女性の性に特化した苦しみみたいなものですかね。同じようなテーマの素晴らしい小説はたくさんあるので、そのなかで私がこれから新しく書けるものはあるのかはすごく考えましたが、掲載してもらえるかどうかは最終的に編集者の方に決めてもらえればいいなって思っています。なので、私はテーマが被っていても自分が書きたいことを書こうかなと。
加納:なるほど。私は『犬のかたちをしているもの』を読んで、女性で出産もできる年齢でって考えると自分も心当たりのある話だなとは思ったんですよね。でも、自分の仕事上の立場や生活を思うと、日常的にこういうことを考えるのは正直面倒くさい。そんなときに、めちゃくちゃ傲慢ですけど、私が考えなきゃいけないことを高瀬さんが代わりに書いてくれているって思う女性も多いんじゃないかなって。そういう意味で、フィクションのなかにある「ホンマ」が好きですね。
高瀬:その感覚はすごくわかる気がします。苦しい話ってフィクションでいっぱいあると思いますが、苦しい話を読むと苦しくてつらいのに、救われる気持ちにもなりますよね。
加納:例えば私は「子どもとかどうするんですか」と聞かれたら、「うるさい!」って言います。答えなくていいし、いつも真実を言わなくてもいいと思うんですよね。そういうときに、フィクションのなかの登場人物や出来事が、私の「代理向き合い人」として気持ちを浄化してくれる気がする。『犬のかたちをしているもの』で言ったら主人公の薫が、セックスレスや子どもというテーマに向き合ってくれてるんですよね。だから、小説っていろんなかたちで生きやすくしてくれる。本を閉じた瞬間に、「おもろ!」もあるけど「ありがとう!」って思うことが多いです。
トークの最後には、イベント参加者からの質問が寄せられた。「小説家としての目標は?」と尋ねられると、加納は「長編を書く」、高瀬は「生き残る」と答えた。シンプルながら、実直に小説に向き合うふたりの姿勢が感じられる。誰かの「代理向き合い人」となってくれる作品が今後も生み出されていくのだろう。
イベント終了後、「フィクションのなかに『ホンマ』を残すために何を意識しているのか」と加納に尋ねると、「他人への興味を失わないこと」と返ってきた。何をしたら人は笑うのか、何に人は違和感を感じるのか。芸人として張り巡らせてきた感情のアンテナは、加納の作品作りにも充分に活かされているに違いない。そしてこれは、高瀬の言うような「温い視点」が欠けがちな現代社会において重要な視点なのかもしれない。