老害というワードがある。小学館の『大辞泉』では「企業や政党などで、中心人物が高齢化しても実権を握りつづけ、若返りが行われていない状態」と説明されている。
昨今は老害と言えば特定個人を指しがちなワードだが、元来は高齢者がずっと居座ることで、組織全体に悪影響を及ぼすことを指しているのだということが分かる。はい、一つ賢くなりました!
さて今日は、そんな老害になってしまっていることを自覚したという人たちについての話をしていきたい。(文:松本ミゾレ)
老害になりたくないのに、気が付くと…
先日、老害(いい意味で!)の巣窟である2ちゃんねるに「【悲報】『あ、ワイもう老害になってる』って確信した瞬間www」というスレッドが立っていた。スレ主は自分を例に出して「街ではしゃいでる高校生を見ると普通にイラッとする」と書き込んでおり、そんなことを思うようになってしまったことを自覚して「うわ、老害だ」と認識したようだ。
スレッドには他にも、自分がすくすくと順調に老害になっていく様子を実感している人の書き込みも多い。ちょっといくつか紹介していきたい。
「新しい技術や価値観を脊髄反射で否定する」
「最近のラーメン屋不味くなったとか新人に講釈垂れてる時にハッと気づいたわ」
「反省がうまくできない」
「若者の価値観に反発覚えたらもう老害やろうな」
上記は自分が老害ムーブを発揮してることにさいわいにも自分で気付けた人たちの貴重な書き込み。
ちなみに僕も先日、別件の仕事でTikTokの新しい機能についての記事を書いていたんだけど、全然その魅力が理解出来ないものだから「これ、どうやって完成させればいいんだ」と苦悩してしまった。
若者文化に全く興味がなくなってしまい、実際に試してみたところで理解が出来ないというのは結構ヤバい。
ましてや「だからTikTokやる若者は終わってる」みたいなことを仮に僕が言い出したら、それこそまさに百年目という奴である(こういう言い回しが古くて既に老害化がかなり進行してるっぽいが)。
自分で「ヤバいぞ、老害になってきた」と自覚できるのはまだマシ
もっとも、僕は前項のスレッドを立てた人物と、引用した書き込みした人々については、「老害ではないと思うよ」と感じた。だって自分で「ああ、老害になってきた」みたいなこと、ガチの老害は一切考えたりしないものだ。
これまでに僕が出会った人たちのことを振り返ってみると、やっぱり老害ムーブをしとどに出しちゃってる人っていたし。老害ムーブの基本というのが、説教、自慢話、オチのない昔話、アルハラ、何かを語る上で否定から入る、若者文化への無理解を越えた敵視あたりなんじゃないかと思う。
これを完璧に兼ね備えたおしまいの老害もいれば、複数の条件を満たした陰険な老害もいる。そして彼らはほぼ全員、自分が老害であるなんて露ほどにも考えたりはしない。
ひたすら「世間はおかしい、若者はダメだ」と臭いため息交じりに憂うのみなのである。
当然こういう人の話を聞きたがる若者なんざいないので、誰も寄り付かない。
というかそもそもずっと前から友達らしい友達もいないから、こういうつまらない話をするのだろう。周りに人がいないと、批判を直接食らうことも、同世代からの「もっと視野を広げろ」という忠告を受けることもない。
自分の中だけで凝り固まった「ただしさ」を基準に生きるようになり、もはや日本語は通じるけど会話が成立しないおじさんになってしまうのである。