Text by 辰巳JUNK
Text by 後藤美波
「世界は『侍女の物語』のようになっていく、という言い方に関しては、ずっと暴論だと思ってきました」「この物語は想像上のものだと考えていたのです。でも、本当に考え方が変わりました。私たちはいま、宗教過激派の台頭に直面している」(*1)
ドラマ『ハンドメイズ・テイル/侍女の物語』の脚本家の言葉だ。『エミー賞』を受賞したこの作品は、キリスト教原理主義国家となったアメリカにおいて「子を産むための奴隷」とされた女性たちを描いている。つまるところ「現実離れ」したSFジャンルだが、配信が開始された2017年当時、反中絶派の宗教保守層から支持されるドナルド・トランプ政権に対する抗議運動のシンボルにもなっていた。
ジョー・バイデン政権期の2022年、アメリカはより『侍女の物語』を思い起こす状況になっている。最高裁に保守派判事が増えたことにより、人工妊娠中絶の権利を保障するロー対ウェイド判決が覆されたのだ。これにより、26もの州が中絶を厳しく制限する立法へと動きだしたとされる。
世論を分つ中絶問題は、長らくアメリカの社会問題とされてきた。テレビも、この世相をある程度反映してきている。登場人物の中絶に関する物語を描いたテレビ作品の初期の例は、1970年代シットコム『Maude』とされる。しかし、テレビにおける中絶の表象は、21世紀になっても、専門家から問題を指摘されてきた。
「ハンバーガーを運ぶ店員との子どもなんか欲しいわけないでしょ?」 - (『セックス・アンド・ザ・シティ』シーズン4エピソード11「女たちの交差点」より)1998年から2004年にかけて放映されたドラマ『セックス・アンド・ザ・シティ』は「結婚を重要視しないキャリア女性」を描いて社会現象を起こした作品である。上記の引用は、予期せぬ妊娠をした弁護士のミランダが人工妊娠中絶を検討するエピソードにおいて、レストラン店員との夜遊びをきっかけに中絶した過去を明かした主人公キャリーに、親友のサマンサが投げかけた言葉。このスノッブなセリフは、専門家がたびたび指摘する問題を象徴している。
アメリカのテレビドラマや映画において、人工妊娠中絶をするキャラクターは、キャリーやミランダ、サマンサのようにお金に困っておらず、簡単に適切な医療機関にアクセスができて、子育てもしていない白人ばかりなのだ。現実の当事者は、経済苦にあえぐ子育て中の有色人種が多い。15歳から44歳の非ヒスパニック黒人の人工中絶率は、同世代の非ヒスパニック白人の3倍以上とされる。(*2)
テレビドラマの中絶表象は「あまりに現実離れ」だと問題を指摘されてきた。中絶薬摂取により流血して倒れたり、「母性」を尊ぶメロドラマに帰着したりするなど、ドラマティックな演出が定番である。制作面では、同性婚や移民問題といったトピックが「人のアイデンティティーやバックグラウンド」「ありのままの自分や他人を愛すること」といったテーマに関係するのに対し、中絶は単一の行動であり、物語全体のテーマとして扱いにくい側面があるようだ。(*3)
潮流が変わったのは2010年代だ。2011年、国民的医療ドラマ『グレイズ・アナトミー 恋の解剖学』において、サンドラ・オー演じるクリスティーナが、米テレビ史上2人目の中絶を経験したアジア系メインキャラクターとなった。(*4)
同シリーズのクリエイターであるションダ・ライムズは、2015年、さらなる一歩を踏みだす。アメリカの主要ネットワーク初の黒人女性主演シリーズたる政治ドラマ『スキャンダル』によって、大きな話題を巻き起こしたのだ。
シーズン5エピソード9「悲しきクリスマス」では、政治の問題が立て続いたあと、主人公オリヴィアが突如クリニックに行き、手術台に乗る短いシーンが入る(それまでのストーリーでオリヴィアが妊娠しているという描写はなかった)。当時800万人が視聴したというこの演出は「人工妊娠中絶を誇張せず医療行為として描いた画期的瞬間」としてテレビドラマ史を変えた。これ以降『GLOW: ゴージャス・レディ・オブ・レスリング』など、ドラマティックに描くのとは真逆の「医療行為」志向の描写がメジャーになっていったのだ。過剰な演出で物議を醸したティーンドラマ『ユーフォリア/EUPHORIA』でも、施術シーンにおいては、こうした方向性がとられている。
スタジオの反対を押し切って同エピソードを放映させたというションダ・ライムズだが、彼女自身は、中絶を選択しない考えを持っている。にも関わらず近作『ブリジャートン家』にいたるまで「妊娠を終わらせる決断をする女性」を描き続けている彼女のスタンスは、「プロ・チョイス(人工妊娠中絶の選択尊重派)」の信念をも示している。「個人として、中絶を選ぶことは決してないでしょうが、女性たちが自分自身で選択ができるようになるために戦いたい。それこそが、チョイスの意味するところです」。(*5)
2020年ごろにはロードトリップ・ジャンルが流行した。『PLAN B(原題)』などの映画を含めて、望まぬ妊娠やその可能性を負った若者が、隣人とともに医療機関や避妊薬購入を目指して旅に出る青春ものであることが多い。
このトレンドは、トランプ政権以降、複数の州でリプロダクティブヘルスケアへのアクセスがはばまれていったことに起因する。特に「ロー対ウェイド」判決が覆されて以降、厳格な中絶制限法が成立した地域で妊娠を終えることを望んだ場合、州外に出なければいけなくなることが多いという。当然、費用や時間の障壁に直面するため、経済的に余裕がない層を圧迫する社会問題になっている。
「本気で考えなきゃだめなの 妊娠は命にかかわる ビヨンセも出産で死にかけた」 - (『Pバレー: ストリッパーの道』シーズン2エピソード7「ジャクソン」より)よりリアリスティックな物語として注目を集めた作品が、ドラマ『Pバレー: ストリッパーの道』だ。シーズン2中、黒人ストリッパー、メルセデスの14歳の娘が妊娠し、医療機関までドライブすることになる。母子間の会話では、友人の家庭で「中絶すると癌になる」と信じ込まされていた娘の問題など、適切な情報が行き届いていない問題がさしこまれていく。クリニックに行きついても、施設前で反中絶運動をしている団体にはばまれる。クリエイターいわく、これらはミシシッピの黒人コミュニティーの現状だ。
こうした有色人種女性の表象は、いまだ十分でないと指摘されている。カリフォルニア大学を拠点にする研究グループの調査「Abortion Onscreen」によると、2021年のテレビドラマにおいて、中絶の施術を受けるキャラクターの68%が白人女性だった。アメリカ疾病予防管理センターによる調査では、2019年度の合法的な人工中絶経験者のうち、非ヒスパニック黒人女性は38.4%、非ヒスパニック白人女性は33.4%である。また、人工妊娠中絶をするキャラクターで子どものいる割合は14%に過ぎなかったが、現実では6割ほどとされる。(*6)(*7)
『Pバレー』のように社会の現状を取り入れる描写は増えてる。前出『侍女の物語』も、劇中でディストピア化する以前のアメリカを描くシーズン4のエピソードにおいて、医療機関を装った危機妊娠センターという組織を登場させた。中絶を希望する人の決断を変えさせるため、だましうちのようなことをして心理的圧力をかけていく宗教的施設は、いまも存在しているという。
現実志向の中絶描写は、ロー対ウェイド判決が覆されたことにより、より促進されていくだろう。人気テレビ番組が大衆に与える影響は大きいため、評価する医療専門家も多い。一方、テレビの専門家たるションダ・ライムズは、警鐘も鳴らしている。
「はっきりさせましょう。現実の女性の選択の権利が標準化されないかぎり、テレビの中絶描写がそうなることはありません。大きな変化をキャラクターに求めるのはやめるべきです。それを要求すべきは、現実の選挙で選ばれた議員でしょう」(前出*5)
少なからず、ライムズの提言は、現実で実を結んだ。2022年11月に行なわれた中間選挙では、予想以上に民主党が善戦。その一因には「経済問題によってかすむ」と思われていた人工中絶問題への高い関心があった。AP通信調査によると、有権者のほぼ半数がロー対ウェイド判決問題に影響を受けたと答えている。特に高い割合を記録したのは、黒人とヒスパニックの女性、そして、未来を担う30歳未満の若者だった。(*8)