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渡辺志保×奥浜レイラと考える、音楽の現場の課題。もっと多様で安心できる場づくりのために必要なこと

2022年12月19日 18:00  CINRA.NET

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Text by 後藤美波
Text by 小林茂太

およそ3年ぶりにさまざまな夏フェスに多くの海外アーティストが参加した2022年。国内外のアーティストのパフォーマンスはコロナ禍で盛んになったライブ配信によって現地に行けなかった人たちにも届けられ、SNSでも話題を集めた。

渡航制限の緩和などによって、海外アーティストの単独来日公演も次々にアナウンスされ、コロナ禍によって停滞していたエンタメ業界も徐々に再活性化の動きが見られる一方、クラブでのセクシャルハラスメントや、イベントラインナップでのジェンダーバランスなど、音楽の場におけるさまざまな課題も存在する。それは新しく生まれた問題ではなく、これまでずっとあった問題が人々の意識の変化とともに可視化されてきたということだろう。

『サマソニ』で長くステージMCを務める奥浜レイラと、今年の『サマソニ』ではMegan Thee Stallionのアテンドを務めていた渡辺志保は、こうした状況に対するモヤモヤを共有していたという。日本の音楽の現場がより多様で、誰にとっても安全な場になるためには、どんなことが必要なのか? 業界への問題意識から友達づくりの大切さまで、ライターやMCとして長く国内外のエンタメの現場に触れてきた2人にざっくばらんに語り合ってもらった。

左:渡辺志保(わたなべ しほ)
音楽ライター。広島市出身。主にヒップホップ関連の文筆や歌詞対訳に携わる。これまでにケンドリック・ラマー、A$AP・ロッキー、ニッキー・ミナージュ、ジェイデン・スミスらへのインタビュー経験も。共著に『ライムスター宇多丸の「ラップ史」入門」(NHK出版)などがある。block.fm「INSIDE OUT」などをはじめ、ラジオMCとしても活動する他、イベントの司会業も行なう。現在、ポッドキャスト番組「渡辺志保のヒップホップ茶話会」配信中。

右:奥浜レイラ(おくはま れいら)
1984年神奈川県出身。映画・音楽まわりのMC・ライター。2006年からテレビタレントとして活動をスタート。以降テレビ・ラジオ番組のDJ・VJや、映画の舞台挨拶、トークイベントなどで司会を担当する他、現在ファッション誌『GINZA』カルチャーページで新譜レビューを執筆中。2008年より『サマーソニック』にステージMCとして関わる。2022年は4月にカリフォルニア州で開催された『コーチェラフェスティバル』、12月にジャカルタで行なわれた88risingのフェス『Head In The Clouds』を取材した。

─今回の対談は、もともとこれまで長く音楽や映画などの現場でお仕事されてきたお二人のあいだで、問題意識やモヤモヤをシェアされていたというところから企画がスタートしました。そのときは、どんなことをお話しされていたのでしょうか?

渡辺:今年の『サマソニ』が終わった直後くらいにレイラさんがSNSでご自身の思いを発信されていて、それを見た私がDMを送ったのが最初でした。そのときは問題提起というか、出演アーティストの言動が問題になったりしたことにも触れてらっしゃって。

私自身、それまでも日本のエンタメ業界や音楽業界がグローバルスタンダードからどんどん遠くなってきちゃっているんじゃないかって感じていたんですよね。例えば海外で大きなフェスがあるとアーティストのステージ上での発言が良い意味で取り沙汰される。それは、フェスのステージが自分の意見を表明したり、自分の心情や信念をみんなと共有したりする場として機能しているということなのですが、日本ではそういうふうにはなっていない。

私はそういうモヤモヤをあまり表には出してこなかったんですが、『サマソニ』にずっと関わられてきたレイラさんがSNSで発言してる姿を見て、「レイラさんもそういうふうに思ってたんだ! 勇気をありがとう!」みたいに思ってDMしちゃったっていう感じでした。

渡辺志保

奥浜:私は12年間くらい『サマソニ』にステージMCとして立たせてもらっているんです。そのあいだに自分も30代になり、世界的にもいろいろなことがあって、アクティビズムのような社会の動きに触れることも増えていくなかで、自分のものの見方や考え方も変わってきたということもあるんですが、今年はオーディエンスの一部も変わってきているなというふうに感じたんですよね。いま起きている社会問題に対して認識が深まってるというか──。

渡辺:啓蒙されてるって感じ?

奥浜:そう。だからこそ、いくつかのアーティストの言動や態度がSNSを通してオーディエンスの言葉で発信されるようになったのかなっていうのは感じました。そういう意味でいまは過渡期で、さっき志保さんがおっしゃったみたいにグローバルスタンダードから置いていかれている面と、逆に海外のカルチャーにも触れているオーディエンスなどは「woke」──つまり目覚めている面と両方がありますよね。

アーティストに対して、社会の動きにつねに敏感であってほしいとか、絶対にパフォーマンスにメッセージを込めてほしいとかはまったく思わないですけど、実際アーティストのなかには問題提起を楽曲に練り込んでいる人たちもいて、どうやってそういうところで心を通わせられるのかなっていうのを今年考えていたこともあり、ほんの少しだけSNSに書いてみたという感じでした。

奥浜レイラ(おくはま れいら)

渡辺:SNSで発信したことに対する反応ってありましたか?

奥浜:志保さんみたいに「私も同じようなことを思ってた」というような反応はありました。今回のことだけじゃないですが、自分が何かSNSに意見を投稿したときに、周りの人たちが反応してくれることは年々増えているように感じますし、音楽や映画などのカルチャーの背景にある社会の動きについて問題意識を持つ人が増えている感覚はあります。

渡辺:その変化は、肌感覚として私も非常に感じますね。

─『サマソニ』でのオーディエンスの変化というのは、具体的にどんなところで感じられたのでしょうか?

奥浜:Rina Sawayamaさんがステージ上で発したLGBTQコミュニティーに関するメッセージにすごくビビッドな反応があったこととかですね。

『コーチェラ』でも彼女のステージを見たんですけど、『サマソニ』では発言が日本語だったということだけじゃなくて、冒頭のライブ中の声出しについての発言も含め、日本のオーディエンスにチューニングを合わせた言い方になっていたこともあるのかなと思いました。個人を責めるのではなくて、問題意識を広めていこうというような姿勢をオーディエンスが敏感に察知して、反応していた姿は印象に残っています。

─いままで、たとえばコロナ前はそこまでオーディエンスのあいだで意識が共有されている感じはなかった?

奥浜:もちろんこれまでもファンの人たちは、自分が好きなアーティストがどんな想いを持ってその場に立っているかということを知ったうえで、ステージを見ていたと思います。でも、この2年間でコロナもあったし、Black Lives Matterの運動や、国内の選挙が私たちの暮らしや生き方の選択に密接に関わっていると実感する出来事もありましたよね。市民アクティビズムのような動きが前よりも身近になってきたことで、変わってきた部分はあるんじゃないかなと思います。

私はよく、フェスは「街」だなって思うんです。いろんな人が住んでいて、いろんな考え方の人がいる。毎回そこにどのような人が集まり、どんなことが起きるかを気にしながらフェスに足を運んでいます。今回はその街がちょっと動いたというか、意識の変化を感じたんですよね。

─そういったオーディエンスの意識の変化に業界やアーティストも呼応してほしい、ということでしょうか。

渡辺:もっと知ってほしいな、という気持ちはあります。アメリカのエンタメを例に挙げると、テイラー・スウィフトやビヨンセなどは最たる例だと思いますけど、自分が書いた曲、発した言葉の裏にはどういう主張があるのか、その先にどういう未来を見ているのか、アーティストとしてそこまでを一つのパッケージとして活動している人たちがいる。

自分たちが良いと思う曲をつくって発表して、演奏するだけでも全然素晴らしいことだけれども、観客はその後ろにある信念やバックグラウンドまでもアーティストの一つの魅力として捉えている。だからといって、「政治的信条を明らかにせよ」なんてまったく思ってないし、そういうことを言ってるわけじゃなくて。ただもうちょっと多面的に自分のアート作品を魅力的に伝える方法、リスナーにリーチする方法があるんじゃないかって思うんです。

渡辺:あと私も「音楽の話なのになんで社会問題を持ち込むんだ」など、実際に言われることがあるので、「いやいや、それを全部ひっくるめてこのアーティストはこういうことを歌ってるんだよ」ということは言いたいですね。そうした解釈や解説を挟むというか。やっぱり、日本ではそこを切り離してる方は少なくないと感じます。

奥浜:「ここは日本なのだから、日本のルールや価値観のままでいいじゃないか」とかも言われますよね。だからオーディエンスもみんなが同じ問題意識を持ってるかというともちろんそうではなくて、かなりグラデーションがあるとは思います。

渡辺:そうですね。ただ、アーティスト側も葛藤やもどかしさは絶対にあると思います。アーティストが、こういうことを言っていいんだろうか、とか、発言をマイルドにしたほうがいいかな、とか考えざるを得ないのには、レコード会社や事務所の体制にも要因があるのかなとは思うので、それもまた一つの問題点ではありますね。安パイなものを求めてしまうような姿勢があるのかなっていうふうにも感じます。

奥浜:これはちょっと言葉が強いかなと思ったらマイルドな表現にするとか、そういう話を私も実際に聞いたことがあります。それらが緩和されたらブレーキをかけずにもう少し自由に考えや想いを作品に反映することができそうですよね。

渡辺:例えばSIRUPさんの活動などを見ていると、ご本人にももちろん葛藤はあると思うけれども、すごくしなやかにご自身の意見やスタンスを表明していて、それにファンも呼応している感じがありますよね。オーディエンスからレスポンスがちゃんと返ってきていて、さっきレイラさんが言っていた「街」じゃないけど、コミュニティーが形成されているんだなって感じる。ああいうタイプの新しいアーティストの存在は希望ですよね。

渡辺:「大多数の意見に寄り添ってます」みたいな感じじゃないと社会にいづらいということもあるとは思うんですが、一度そういうものとは切り離して、自分と同じようなスタンスの──それが反社会的なものだったらそれはそれで問題ですけど──人たちと一緒にやっていくということが、無理せずヘルシーに続けていく秘訣なのかもしれないですね。そうすると忖度したり足踏みしたりすることもなくなっていくのかなと思いますし。

先日Rina Sawayamaさんに取材した際、売れてなかった頃、売り込みに行ったレーベルの人に人種差別的な揶揄をされたことがあったけど、いまは自分のスタンスをわかってくれるチームで仕事をしているから、もちろんそういうことは言われないし、すごくヘルシーだって言っていました。

この前、CINRAで『Zola ゾーラ』のジャニクサ・ブラヴォー監督に取材したときも(※)、彼女は性的マイノリティーや人種的なマイノリティーのみんなでチームをつくっているんですが、それはすごく大事なことだって言っていて。私は両者の言葉を同じような時期に聞いて、そのタイミングで『サマソニ』もあったから、自分で自分のチームをつくることってめちゃめちゃ大事だなっていうふうに思ったんですよね。これから、私が目指すところってそこなのかもしれない、と。『サマソニ』で来日したMegan Thee Stallionのチームとも接する機会があったのですが、彼女たちのチームからも、同じような空気を感じました。

同じ意見の者だけで固まろう、という意味ではなくて、自分の居場所として、小さな規模でも共感し合える建設的なチームをつくっていこうということなのかな、と考えています。

奥浜:お互いに守り合うシェルターみたいなものをつくっていくことの大切さはすごく感じる。『サマソニ』のとき、RinaさんのMCについて、「日本のライブで、日本語で自分たちのセクシャリティーを肯定する発言を聞いたのが初めてだった。それに衝撃を受けたしすごく嬉しかった」という声もありました。私もその場にいたのですが、ストレートな発言が道標になり、そのおかげで彼女がつくったセーフスペースに集って救われる人たちがたくさんいるのだと実感しました。

まだまだそういう場所を踏みにじろうとする発言にやられがちだけど、同じ想いを持った同志と精神的に手をつなぐと社会にいやすくなったり、道を塞ぐものを跳ね除けるパワーが生まれたりしますよね。

─それってクリエイティブなチームづくりだけでなく、友達とか普段の人間関係にも言えることかもしれないですね。

奥浜:そうですね。言葉を使う仕事をしていて、誰に向けて発言をするかで選ぶ言葉も変わりますし、もしここに私の味方が誰もいなかったらこの気持ちを口にすることはできないだろうなって思うこともたくさんあります。そういう場面は仕事に限らずありますよね。

─お二人ご自身ではそのようなチームづくり/仲間探しみたいなところで、実践されていることはありますか?

渡辺:私はジェーン・スーさんと堀井美香さんのPodcast『OVER THE SUN』をよく聞いているんですが、スーさんと堀井さんは、お二人が40歳をすぎて、ある程度キャリアを経てからお友達になられたんですよね。

私が番組を聞き始めた頃にまず思ったのが「友達がほしい」っていうことで。だからいま私は、友達を探すっていうことをライフワークにしているんですよ。レイラさんとこうやってお話する機会をもらったこともそうですし、自分が知りたいなって思う人にはどんどん声をかけていこうかなって思ってます。

奥浜:私も志保さんのPodcast番組『ヒップホップ茶話会』を聞いていて共感する話題がありました。

渡辺:ありがとうございます。

奥浜:志保さんとはこうして会う場所ができているわけですけど、実際に会う機会は少なかったとしても、そうやってメディアを通して、「あ、この人、私と似た感じのこと考えてるかも」と感じるような存在と出会うこともありますよね。同じものを見聞きしている人とつながる可能性もあると思いますし。

渡辺:みんなどうやって友達をつくってるんだろう? 自分も歳を重ねたりライフステージが変わったりするなかで、悲しいかな友達と思っていてもいまは全然考え方が違うなとか、いま見ているものがそれぞれ違うんだなって感じることもあるから。

奥浜:確かに大人になってから友達をつくるって難しい。

渡辺:ですよね。社交辞令的に「今度ご飯行きましょう」とかは何千とあるけど、実際にご飯に行って下の名前で呼び合うみたいなことはあんまりないなー、みたいな。友達と何時間も電話するとか、もう何年も経験してない。

奥浜:そうですよね。ただ最近はSNS上に感じたことを書いていると、久々に会った友達が「レイラにこのことを聞きたかったんだよね」とか「あの話題にモヤッとしてたんだけど、どう思う?」みたいに話してくれることはあるかも。

渡辺:たしかにSNSは出会いやすいというか、どんな人かをキャッチしやすくはあるかもしれないですね。私もDMのやりとりしかしたことがない女の子とランチして、結果、友達になった経験があります。

奥浜:治安のいい自分に合ったSNSで、自分が思っていることを発言してみると意外と出会えるかもしれないですね。

─友達じゃなくても『OVER THE SUN』だったらリスナーを指す「互助会」みたいなものにも、なんとなく仲間感があったりしますよね。それってファンダムでもありうるのかなと思います。

奥浜:それはきっとありますよね。

渡辺:同じ想いを持った仲間ってことですもんね。

─そうやってファンダムやライブなど音楽の場が居場所になりうることがある一方で、クラブでのセクハラや出演者のジェンダーバランスの偏りといった課題もあります。そういう意味で、いま身近な音楽の場が誰にとっても安心安全の場になっているのか? という問題もあると思います。

渡辺:そうですね。そこは本当に歪さを感じます。やっぱりクラブは、オーナーや店長も出演者も男性の方が多い場所だと思うので、そういう場で自分が性的な被害に遭ったとして、果たして迷わずに言い出せるだろうかと考えてしまいます。

そのような環境が改善されていけば、女性や性的マイノリティーの方がもっと安心して遊べる場所になるんだろうなと思いますね。自分がクラブ好きだからこそ。

奥浜:言い出しやすい環境という意味ではジェンダーバランスも大事ですし、女性が性的な被害に遭うことを、あまり真剣に捉えてもらえないという状況も変えていく必要があると思います。

痴漢や性被害に遭っても、「命は奪われていない」「何も減っていない」という人もいるけど、尊厳を傷つける行為ですし、すり減っているものはとても大きいんですよね。自分はどんなことをされても守ってもらえない人間なんだと思いながら生きていくことはメンタルヘルスにも多大な影響がありますし、生涯引きずるものだという重大さを浸透させないと。

─クラブとかだと、最近は減ってきたかもしれないですが、「そういう場所だから」っていう空気もありますよね。

渡辺:そうですよね。いろんな種類のクラブがあるから一概には言えないけど、最近では、女子トイレに「強引なナンパに遭ったら店員に言ってください」というような注意書きが掲示されているクラブもあります。そういう小さなところから変わっていくんだと思うし、それがセーフスペースをつくることにつながるんだと思います。その辺も、もっとスピード感を持って変わっていくと良いですよね。

─さっき「友達をつくる」っていう話が出ましたけど、クラブってそういう場でもあったりするから、本当に誰もが行きやすい場所であってほしいですね。

渡辺:本当にね。私も18歳で上京して、そこからできた友達はクラブで知り合った子ばかりです。夫もクラブで知り合ったので、そこが自分のコミュニティーの基盤みたいな感じなんですよね。だからこそ余計にそう思います。「ライブに行ってこんなに怖い思いをした」とか、「それが原因で足が遠のいちゃう」みたいなメールを女性からいただくこともあって、すごく悔しさを感じますね。

─お二人が業界でお仕事をされるなかでも、そういった歪さや課題は感じますか?

奥浜:やっぱり構造から変わらないといけないところは多いですよね。女性で音楽業界にいると、男性社会のなかでマスコット化されたり、男性たちが良しとする女性像を演じないとお仕事を続けていけないのかな、と感じることはありました。

渡辺:そうなんですよね。私は音楽業界のなかでも特に男性の多い、ヒップホップのジャンルで働いてるから、一緒に仕事をしている周りの方はほぼ全員男性なんですよね。ということは、その男性たちが私に仕事を発注して私にギャラを払ってくれている、ということになりますから、突き詰めていくと、彼らからの承認がないと、仕事が成り立たないという状況なのかな、と思って。「あれ? やばくね?」とふと我に返ることがあるんです。その構造をちょっと変えていきたいというのは思います。

レイラさんはそういうことないですか? 担当している番組のつくり手が全員男性だなとか。

奥浜:あります。スタッフの方で権限を持っているのは男性が多いですよね。いまはだんだん変わってきましたが、最初のうちは女性のMCが良いってだけだから、そこに座って相槌を打っていてくれればいい、みたいなこともありましたし。

渡辺:「野郎ばかりで華がないから来てよ」みたいなね。言ってるほうも悪気があるわけではないのはもちろんわかるんですけど、もし私が男性で、同じことを喋ったり書いたりしていたら仕事がないのかなって思うこともあります。業界自体は好きだし、自分がヒップホップを好きでやっていることだからそこに関しては迷いはないですが、構造として考えるものがありますよね。それに、このままだと後続の人たちのためにもならないと思うから。

奥浜:ロックの界隈も昔から偉大な女性のライターさんたちがいて、私もそういう方たちに影響を受けて仕事をしてきたんですけど、いっぽうで男性社会を生き抜くための処世術として「ミーハー」を武器に開拓してきた歴史もある分、いまだに「女性はミーハーであれ」みたいなことをある程度求められる部分もあると思います。

いまはそういうことが減ってきているとは思うし、そもそもミーハーが悪いということではなく、その感度の高さによって日本国内の洋楽シーンにもたらされたものや、その歴史を築いた先輩方に感謝もしています。しかし、過去にもさまざまなタイプの書き手がいたとは思うのですが、女性の論者がミーハーでなく、いわゆる「かわいげ」がない語り口でものを語ることを期待されていない風潮をいまでも感じることがあります。

渡辺:「かわいげ問題」ありますよね。どこまで「かわいげ」を出すべきなのか……。決定権を持っている男性から「かわいげがない」とジャッジされて、そのまま居づらくなってしまう、という問題はありますよね。

でも評論の分野で言うと、いまは雑誌の吸引力が落ちてきているなかで、昔よりも自由になってきている感じがするんです。だから、これから若い書き手の人がもっと増えたらいいなって思っています。自由にZINEとかつくってる若者を見ると、すごく元気をもらえるし、背中を押したくなる。私も若手をフックアップするっていうとおこがましいけれども、彼らのきっかけづくりの一端を担うことができればなと思っています。

─下の世代のフックアップも含め、今日お話いただいたいような課題も希望もあるなかで、今後お二人がご自身のフィールドでやりたい、考えていきたいと思っていることがあったら最後にお聞かせいただけますか?

渡辺:若い人の背中を押すということは、日々つねに考えていることですが、あとは引き続きいろんな人とお話ししたいですね。想像や憶測で発信をするのはめちゃくちゃ危険なので、いろんな立場の当事者の話を聞くということは本当に大切だと思っています。多様性とかインクルーシビティーとか言ってても、え、じゃあ自分はどうなの? って思うことが日々たくさんあるので、物事を受容する幅を広げるということを自分の個人的な課題にしています。

─奥浜さんはどうですか?

奥浜:ちっぽけな課題でお恥ずかしい限りですが、気がつくと映画も音楽もずっとインプットばかりしてしまうので、もっとそれを必要としている人々のところに届けないといけないなと。その音楽や映画を知ることで救われる人がきっといるだろうから、必要な人々に届けてつながったり、そこでコミュニティーをつくったりしていかなきゃなとは思うんですけど、いかんせん筆不精でつねにそこが課題ですね。

渡辺:たしかに、私もそうだけど、こんなにたくさんの作品に触れることができるのって特権じゃないですか。それはどんどんシェアしたほうがいいですよね。レイラさんからのシェアを待っている人がたくさんいると思います。

奥浜:そうですね。この特権を正しく使って、作品に出会って救われる人を増やすこと。それと若いつくり手や、女性のつくり手をサポートして、伝えていきたいなと思いますね。

特に映画だと、表現の現場調査団の「ジェンダーバランス白書」でも発表されているように過去から現在まで男性の監督が数としても多いですし、映画監督=男性という印象を持ちやすい構造が続いていて、女性のつくり手には大きな予算の作品を任せられないというような勝手なイメージがついていることもあります。かつてどこの馬の骨ともわからない自分を見つけて引っ張りあげてくれた先輩たちのように、自分もフックアップしていきたいと思っています。