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『すずめの戸締まり』に登場するミミズや閉じ師、猫のダイジンら、民俗学的なモチーフの意味を読み解く

2022年12月16日 18:00  CINRA.NET

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Text by 川浦慧
Text by 畑中章宏

新海誠監督の最新作『すずめの戸締まり』は、厄災(カタストロフ)をモチーフにしている点で『君の名は。』(2016年)『天気の子』(2019年)と共通している。隕石の衝突、降り続く長雨という厄災に続けて、新海監督が取り組んだのは大地震だった。

多くの日本人にとり、記憶が鮮明な大地震といえば、2011年3月に発生した東日本大震災だろう。この大震災は東北東日本大地震と、それにともない三陸沿岸を襲った大津波、福島第一原子力発電所の事故などを総称していう。

いくつかの表象から明らかなように、『すずめの戸締まり』は東日本大震災を意識している。そして、『君の名は。』『天気の子』と同じように、宗教的・神話的・民俗的な素材が作品の各所に散りばめられていて、物語を推進する動機にもなっている。

前2作の興行的な成功を受けて、破格の規模でロードショー公開されているこの新作を、筆者が研究領域とする民俗学の視点から、目に留まったいくつかのイメージについて読み解いていきたい。

『すずめの戸締まり』で、大地震は見捨てられた廃墟を震源とし、巨大な「ミミズ」の姿で出現して都市を襲う。震源地である廃墟には「後ろ戸」と呼ばれる扉があり、ふだんは扉の向こうにある「要石(かなめいし)」が地震を起こすミミズを鎮めている。

「ミミズが地震を起こす」というこの映画の因果関係は、「ナマズが地震を起こす」という一般的なイメージとは食い違う。しかし日本では、ナマズではなく「竜状」の生物が、日本列島の地中に潜んでいるという考え方がなされてきた。

日本の中世には、地震の原因を地底に求める中国の地震観の影響から、地下に潜む生物が暴れることで大地震が起こるという地震観が生まれたようである。こうした日本人の地震観は、江戸時代の初め(1624年)に刊行された『大日本国地震之図』に表されている。

この図のなかで日本列島を取り囲む生物は、鹿のような角やナマズのような鬚を生やし、口には鋭い歯が並ぶ。とぐろを巻く形状は竜のようだが脚がなく、蛇体にも見える。つまり「地震鯰」以前に、日本人は、こうした異様な生物が地震を起こすと想像していたようなのだ。

また江戸時代に頒布された「伊勢暦」(いせこよみ。伊勢神宮の門前で暦師が製作し頒布していた暦)にも、日本を取り囲む竜のような「地震の虫」が描かれ、その右上には「ゆるぐとも よもやぬけじのかなめいし かしまの神のあらんかぎりは」(地震が揺れても、鹿島の神があるかぎり、要石が抜けることはない)というまじない歌が掲げられている。

地震鎮めの要石は、映画のなかでは日本列島の東西にあるとされる。しかし、鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)と香取神宮(千葉県香取市)にある二つの要石が、長く広く信仰されてきた。要石による地震鎮めの信仰は、1855年に江戸を襲った安政大地震の際に広く知られるようになった。この大地震のあと、地震を起こすナマズを描いた「鯰絵」が人気を集める。

鹿島神宮の祭神であるタケミカヅチ(武甕槌)の神が要石の上に立ち、石の下にいるナマズを押さえている姿、地震を起こして懲らしめられるナマズや、謝罪するナマズのほか、地震によって潤った大工・木材業者がナマズに感謝しているさまなども描かれた。江戸時代の民衆は、大地震の深刻な災禍を笑いに変えて乗り越えようとしたともみられるのだ。

作中に登場する宗像草太は教師をめざす大学生で、また「閉じ師」でもある。「閉じ師」とは、常世に通じ、そこから災いがもたらされる「後ろ戸」を閉める仕事で、草太は閉じ師の家系の末裔である。閉じ師という家業はおそらく存在しないが、要石と結びついた仕事が近世まであった。地震鎮めの神である鹿島神宮に対する信仰を、日本の各地に広めた「鹿島の事触(かしまのことぶれ)」である。

鹿島の事触は踊りを踊って人を集め、作物の豊凶や運勢を告げながら各地を歩いた。いわば民間の預言者であり、宗教の普及者でもあった。事触以外にも、鹿島送り、鹿島流し、鹿島人形といった宗教習俗や芸能が生み出されていった。鹿島神の神威はこうして広まり、全国に鹿島社が勧請されていく。

鹿島社は東北地方の三陸沿岸、福島県、宮城県の海岸地帯に広がり、石巻市の日和山にある「鹿島御児(みこ)神社」もそのひとつである。つまり、鈴芽たちが北上した道筋には、地震除けの鹿島社が数多く鎮座しているのだ。

宗像草太(©2022「すずめの戸締まり」製作委員会)

草太が変身させられてしまう「椅子」は、何を表わしているのだろう。映画のなかでこの椅子は、岩戸鈴芽と、震災で亡くなった母をつなぐアイテムでありアイコンというべきものだが、厄災による死者を「椅子」の姿で表した作品がある。松谷みよ子の児童文学作品『ふたりのイーダ』(1969年)がそれだ。

松谷は、絵本『いないいないばあ』や童話『龍の子太郎』、「ちいさいモモちゃん」シリーズなどで、子どもの頃、だれもが親しんだことのある児童文学者である。『ふたりのイーダ』は松谷が戦争や社会問題に取り組んだ「直樹とゆう子の物語」と呼ばれるシリーズの第1作で、幼い兄と妹が無人の洋館で出会った木製の「椅子」との交流を描いている。言葉を話し、歩き回る古びた椅子は、「イーダ」という女の子を待ち続けている。しかしイーダは、広島への原子爆弾投下で死亡してしまっているらしい……。

「カタストロフの死者」のメタファーとして椅子が用いられる点で、『ふたりのイーダ』は『すずめの戸締まり』を先駆けているとも言える。

草太が変身させられた椅子(©2022「すずめの戸締まり」製作委員会)

後ろ戸が立つ場所に現われ、地震の原因とも、地震を予知するとも考えられるダイジンは猫の姿をしている。しかし、神仏の眷属(けんぞく。従者・使者)のようなかたちでも、民俗的、宗教的に猫が信仰されることは日本ではみられないものだった。しかし、猫への信仰が近世から近代をまたぐ時期に新たに生まれたのだ。

明治時代から昭和初期に至るまで、生糸は日本の主要な輸出品で、生糸のもとになる繭を生み出す養蚕は重要な産業だった。農家にとっても、一年に数度収穫できる繭は、貴重な収入源になったことから、蚕を食い荒らすねずみを退治してくれる猫が重宝がられたのである。

そこから猫は民間信仰の対象となり、猫を祀った神社や、猫の絵を描いた絵馬を奉納したり、猫の姿をあしらったお札が領布されたりするなどの、豊蚕祈願がさかんになっていく。

こうした民間信仰は、関東から中部、東北地方でとくに隆盛し、宮城県丸森町、岩手県一関市花泉町、長野県の霊諍山(れいじょうざん・千曲市)、同県の修那羅峠(しょならとうげ・筑北村)などには猫神の石像がある。なかでも霊諍山の猫神のうちの一体はどこかダイジンに似ていて、その表情もユーモラスだ。

ダイジン(©2022「すずめの戸締まり」製作委員会)

霊諍山の猫神(長野県千曲市)

宮崎県の廃墟で、鈴芽が後ろ戸の向こうから抜いてしまう要石は、逆三角形の顔を持ち、長野県の八ヶ山麓、中ッ原遺跡(茅野市)から出土した「仮面の女神」と呼ばれる縄文土偶を彷彿とさせる。また『新海誠本』に掲載されている劇場アニメーション企画原案にも、ミミズの表現を検討するなかに「縄文(土・神)感」というメモ書きが見える。

『君の名は。』で隕石の衝突で陥没し、湖のように水に漬かった盆地の風景は、八ヶ岳連峰がその一部を取り巻く諏訪湖に似ているという指摘があり、諏訪湖を見下ろす公園が「聖地」と化した。また、『天気の子』で離島から東京に家出してきた少年は「森嶋帆高」と言い、長野県北部にある「穂高山」、あるいは海民の祖を祀る「穂高神社」を思わせる名前だった。

新海監督は八ヶ岳連峰の東にあたる佐久地域の出身で、そこには新海三社神社という古い神社があり、故郷へのアイデンティティーを感じさせる。『すずめの戸締まり』にはこうして監督の「産土(うぶすな)」がそこはかとなくにじみ出しているのであった。