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AIイラストと「独創性」の違いは?イラストレーター・大友昇平が考えるデジタルがもたらす恩恵と破壊

2022年12月15日 17:00  CINRA.NET

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写真
Text by 島貫泰介
Text by 服部桃子
Text by 有坂政晴(STUH)

あらゆるところでAIの有用性や革新性が語られる時代だが、また新しいトレンドとして生まれつつあるのが「お絵描きAI」である。いくつかのテキストや文章を入力することで、AIが画像を自動生成してくれるサービスは、予想外のイメージが現れる楽しさ、プロフェッショナルが描き下ろしたような高いクオリティーで現れる驚きを伴って、多くの人の関心を引いている。

その一方でAIが収集・学習する写真や絵の所有の問題も浮上していて、AIがもたらすクリエイティブをめぐっては、さまざまな議論と思惑が渦巻いている……というのがいまの状況だろう。

そんななか、新たにお絵描きAIを使った活動を展開しているのがイラストレーターの大友昇平だ。2022年10月頃、Instagramに「杉田幻覚」と名乗りアカウントを開設。AIで生成したイラストを日々大量に投稿している。ボールペンを使って超絶緻密な平面作品を手がけてきた彼にとって、AIを使った表現はどのような驚きをもたらしているのだろう?

大友昇平(おおとも しょうへい)
1980年東京都武蔵野市生まれ。多摩美術大学卒業後、アーティストとしての活動をスタート。主にボールペンを使った作品づくりを行なう

─大友さんがお絵描きAIを知ったのはいつ頃ですか?

大友:存在自体はけっこう前から知ってたんですよ。新しいもの好きな友だちがいて、当時はいまほど手軽じゃなかったんですけど、言語コミュニケーション用のAIに絵を描かせて遊んでいて。そのときに、「面白そう。でもパソコンも英語もぜんぜんわかんないし、最新を追っかけるのも大変だしな」と思って、それきり。

それが最近になっていきなりLINEでできるようになったじゃないですか?

─「お絵描きばりぐっどくん」?

大友:そうそう、それで触りはじめたって感じです。ぼくは基本的に専門的なツールよりも一般的なツールが好きなんですよ。普段も事務用の安いボールペンで絵を描いてるし。だから初めて触った瞬間、自分のなかですごいハマるものがあったんですよね。自分の性格と生活にリンクするようなところもかなりあって、どんどんつくって画像が溜まっちゃって。それを吐き出す場所として、Instagramにアカウントをつくった、って感じです。

大友氏が「杉田幻覚」の名で開設したアカウント。日々大量のAIイラストが投稿されている

─使い始めたばかりの頃、どう感じましたか?

大友:予想以上に面白いものができるなって思ってました。触っているうちに言葉の使い方がつかめてきて、1、2時間くらいでかなりいい感じのものが。

絵を描くときって、頭のなかにある抽象的な作品イメージを具体的なモチーフや構成にひたすら変換していくんですよね。で、具体性を持ったものは当然言語化できるから、自分はいつもスマホにテキストのみの作品メモをつけてます。だから、お絵描きAIに言葉で指示するってことが、そもそも得意だったのかもしれないです(笑)。ぼくと同じように、お絵かきAIが得意なクリエイターは多いんじゃないですかね。

実際に絵を描くときのキーワードのメモ

─それが、最初におっしゃっていた「リンクする」と感じたところでしょうか?

大友:そうかもしれないです。概念として近いっていうのかな。実際に手を使って描いたものではないですけど、頭のなかのアイデアやイメージを手軽にアウトプットするツールとして優れているし、なにより遊んでてめっちゃ楽しい。

これまで思い浮かんでも葬り去るしかなかったアイデアを、本当にメモ帳やスケッチブックの走り描きのように出力できる感覚です。出てくる画像が小さいから画質も粗いですけど、それも含めていいな、って思ってます。

─大友さんは、テーマごとにAIイラストをつくり、Instagramへ投稿しています。特に「幻覚村」のシリーズ、面白いですよね。絵というより写真、昭和初期に撮られたものの忘れ去られたヤバいスナップショットみたいな質感で。どんなキーワードを使っているんですか?

大友:それ、Instagramでもすごく聞かれるんですよ。公開直後に20件ぐらいメッセージが来てびっくりしました。あんまり手を明かすとロマンがなくなっちゃいそうなので具体的には言わないですけど、例えば光の具合を調整したかったらライティングについて書くとか、あるいは好きな写真家が使ってるカメラの機種を調べて打ち込んだりだとか。

「#幻覚村の人々」とハッシュタグがつけられて投稿されたイラストたち

─機種。なるほど。

大友:正しい方法はないと思うんで、全部自己流ですけどね。というかほんの数日前に見つけたテクニック(笑)。

─大友さんのなかでいままさにアツい技術なんですね(笑)。

大友:楽しいですよ。お絵描きAIでのイラストづくりが日に日に上達していて、ドラクエのレベルアップ音がつねに鳴ってる感覚です。逆に、ずっとやってるボールペン画はもうなかなかレベルアップする感じがないですからねえ……。

ぼく、本当に手が遅いんですよ。最近は1年に1枚ぐらいしか描けない。じゃあ何をやってるかというと、ずっと考えてる。メモ帳にアイデアになるスケッチや言葉を描き連ねて、ぐるぐる考える。アウトプットよりもその作業が好きすぎるのもあって、描くのが後回しになっちゃうんです。「もっといっぱい描け!」って知り合いから言われまくってるんですけどね。なかなか。

だからお絵描きAIは革命的なんですよ。ちょっとした合間に200枚、300枚とつくっちゃう。nstagramって1日にアップできる枚数が100枚ぐらいらしくって、アカウントつくった初日に速攻で停止処分をくらうという。

─「おめえ、さてはスパムだな?」と判断されちゃって。

大友:「もっとアップさせろ!」っていうね(笑)。インスタのアカウントは、自分にとってTumblrという感覚です。自分の好きな画像をひたすらコレクションして理想の部屋をつくるのに近くって、ずっと遊んでます。クリエイティブってそういうひたすら楽しい遊びのフェーズがいちばん重要ですからね。

それを焦って、コンセプトを決めて、プロジェクト化して、みたいになると極端に表現の可能性が狭くなっちゃうし、そもそもやってて面白くない。だからそういう動きは意図的に遠ざけています。いまは徹底的に遊びながら学ぶ、「赤ちゃん期」です。

「幻覚美人」シリーズ

─AIから少し離れて、大友さんの作品についてもお聞きしたいです。ご自身の作品では、警官や刺青がモチーフになっていることが多いですよね。

大友:一貫して描きたいものを描いてるだけなんですけど、描きたい世界観が警察官とか女子高生とかの記号性の強いものなんですよね。一人の人物のなかにいろんな記号を散りばめて描き込んでいくけれど、その大枠自体も記号になっていて、全部記号の集積。

『吸う警官』シリーズ(2015年)

『つむじ風』(2020年)

─なんてことない記号が集積していくと、なんとなくアブノーマルな雰囲気を纏っていくのが面白いと感じます。秩序を守っているはずの警官が、夜の無秩序な世界の住人になっていくというか。

大友:毒を入れちゃうのも自分の性分ですね。あと匿名的なものが好き。例えば、アニメっぽい絵って目の力がすごい強いじゃないですか。それによって「キャラクター」が立つわけですけど、ぼくの場合はあえて目を描くことを避けて、キャラクターではなく存在感を際立たせたい。そのためには記号性とか匿名性はかなり使える要素で。

目を描くと、なんとなく魂が宿っちゃって、自分の感覚的に「絵じゃなくなっちゃう」んですよね。AIイラストでお面や覆面をかぶらせているものが多いのはそういうことかも。

「幻覚侍」シリーズ

─「幻覚村」とかまさにですよね。東北の土着のお祭りみたいな感じで。

大友:父親が宮城なので、つながるところがあるのかなあ。実際、ぼくも東北好きですし。よく山形に遊びに行きますよ。

─大友さんのAIイラストを見ていると、写真家の木村伊兵衛や土門拳が撮ったかつての日本を思い出しますし、写真家でありつつ修験道の行者でもある内藤正敏さんの世界観を想起します。最先端のテクノロジーを介して、古いものや忘れ去られそうなものに偶然出くわしたような。

大友:内藤さんすごく好きです。「#幻覚村の人々」とハッシュタグをつけたシリーズは完全にその世界観ですよね。日本の神と祟りを同時に感じるような世界をもっと見たいと思っているから、続けている感覚すらあるぐらい。

そういう不思議な世界を感じられるものが好きで、いい本とか見つければ買うんですけど、自分のなかにあるそれを求める気持ちに供給量が追いつかないんですよね。そこにどんどん生成してくれるAIが現れて、ボタンを押すだけで理想の世界が開けていくのがたまらなく楽しい。

─なるほど! 自分の妄想を広げたり加速させたりするツールとしてお絵描きAIを使っているところもあるんですね。

大友:そうなんですよ。だから作品って感覚じゃないんですよね。どこかの誰かのイメージに触れているようなところがあって、でもその人は実在しないから、やっぱり神さまの世界を感じちゃったり。

仮面や布一枚かぶるだけで、存在が人間ではなくなるというか。匿名性・記号性を介して神と人の世界の境界が明示されたり、逆に曖昧になったりする部分に惹かれるんですよね。

そういえば、最近、幻覚村のファンアートを描いてくれた人がいたんですよ。

─おお、二次創作ですね。

大友:自分にとってAIは魂を感じさせない幻覚みたいなものだから面白いんですけど、そこに別の人が魂を入れてくれて、いきなり実体を帯びた感じがしました。AIには心がないと思っていたけど、ぜんぜんそんなことないんだなって。また上手に言語化できない感覚なんですけど、すごい新鮮。

ファンアートといってもただ模写しているわけじゃなくて、その人なりの角度の視点が入っていて、「幻覚村の人々」が自ら動き出しているというか。自分のこれまでの作品にはなかった反応ですし、というか、「幻覚村の人々」はAIがつくったものだから、嬉しいんだけど、喜び方がわからない、みたいな。

─「実態のなさ」はAIイラストの面白さですし、危うさでもある気がします。これまで人間がつくってきたものを共有の財としつつ、イラストが自動生成されていく感覚が面白い。でも、著作権や所有の概念が曖昧であるがゆえに、法的な問題はつねにあって、クリエイティブを成り立たせる境界線の引き方が本当に難しい。

大友:たしかに。でも一方で、自分のなかにはある種の達観もあるんですよね。例えば、ペンタブや3D技術の発展でデジタルアートの可能性がぐっと広がったように、技術革新がもたらす恩恵と、それによって破壊される既存の価値観はつねにせめぎ合っていて、それに自分たちはつき合っていくしかない。

全部諸刃の剣というか。AIの登場で活動が厳しくなるジャンルや人もかなり多いと思います。絵も音楽も映像も。だから、デジタル絵師界隈でAIによる画像生成に拒否反応があるのもよくわかります。

ただ、デジタルを主体にしているかぎり、同時にテクノロジーに依存していることも事実なので、デジタルアーティスト自身もなんとかアップデートして対応していくしかない。難しいし、厳しい話ですけど、いくら反対してもこの技術はもう無くならないですからね。

大友:一方で、人間がつくりだすものの源泉がどこにあって、どうやってつくり手の手元にやってくるんだろうって考えると、いろいろと疑問も湧いてきます。

ぼくが描いている絵は記号の集合体という話を先ほどしましたが、その言葉がどこから来ているかといえば、これまでの経験や感覚の蓄積のデータベースから引っ張りだして組み合わせているだけで、そこに本当の独創性なんてないと思うんですよ。ひょっとすると人類は偶然以外にゼロから何かを生み出したことがないのかもしれないとすら思う。

その前提に立てば権利の所在なんてものも曖昧で、それについてこんこんと考える時間は自分にはないんですよね。それよりも自分の作品について考えたり描いたりしていたい。

―SNSの登場により、著作権や所有の概念が曖昧になっている部分もありそうですが、それについてはどのように思いますか?

大友:SNS全盛の時代になって、アーティストが自分の作品……というか自分のポジションを守る傾向がすごく強くなった気がします。一度投稿したものはつねに悪用や盗用のリスクに晒されるわけですからね。それだけでなく、アカウント上での作家のメンツというか、作品以外にも守らなきゃいけないものもあるだろうから。

当然作家は自分の作品や立場を守る必要があるけれど、そこに精神力を使い過ぎるのはクリエイティブにとってあまり健全ではないと思います。著作権って、他人の作品を悪用して商売する人たちがいたからつくられた権利なわけで、アーティスト自身が望んでつくったものじゃないはずなんですよね。荒らす人がいるならルールをつくらざるをえないし、そのルールができたら、そのゲームに参加せざるをえない。

―少し前に、AIが描いた作品がどこかのコンテストで賞をとったという話が話題になりました。

大友:あれは単純にほかの作品よりもAIのつくった作品のほうが優れていると審査員が感じてしまったわけで、その事実は認めるしかないと思うんです。その賞をもらったアーティスト自身も、もしアーティストのマインドがあれば、そこに大した満足度はないだろうし。いま、この瞬間はまだ。

─テクノロジーがもたらす質感、共通の時代感覚のようなものがあるじゃないですか。同時代の表現がある程度似通ってしまうのを前提としつつ、そこから逸脱しようとチャレンジすることこそが今日においてはクリエイティビティーである、ともいえますね。

大友:たしかにそんな感じがします。ただ、逸脱しようと考えている時点で、時代のなかにいるというジレンマもあると思いますね。身も蓋もない話だけど、新しい時代をつくる人はそもそも最初からその時代や社会から逸脱しちゃってますから。

それに、いまの時代変化の速度は昔とはケタ違いで、戦略的に新しいものを生み出したところで瞬間的に消費されて終わっていく時代なので、やっていくのは本当に大変なことだと思います。

ぼくみたいに新しい技術で自由に遊んでるだけの身分は気楽なもんです。

人物だけでなく、古美術や富士山をテーマにしたイラストも生成

─アーティストの創造性や想像力にルールが付加されることで、新たな問題や経済的な価値に置き換えられる。そこに難しさがあるわけですけど、例えば大友さんが現在進行形でハマっているAIを使った「楽しい遊び場」のような場所はクリエイティビティーにとって絶対に必要で、そこに立ち戻るチャンスはどんな時代にもあってほしい。

大友:昔のmixiからFacebookやInstagramをぼくらが渡り歩いて来たのだって、新しい遊び場を求めているからなんでしょうね。最初の頃はただただ楽しくて、だけど次第に社会が形成されて規則が生まれて、自由が失われていく。そしてまた自由な土地を求めてさまよい歩く。そんな感じがします。

─うまくまとめるつもりはないんですけど、幻覚村もそういう自由を求めてたどり着いた場所のひとつ、みたいな。

大友:そうですね(笑)。だからいま自由ですね。最高な時期だと思います。