Text by 生駒奨
Text by 白鳥菜都
Text by 服部芽生
5・7・5・7・7の31文字で構成された文章が、Twitterでバズるのをよく目にする。書店に行けば、特設された歌集コーナーがある。じわじわと、短歌ブームがきているのではないか。そんなふうに感じている人は少なくないのでは。
そんな最中、今年9月に発売された歌人・枡野浩一の作品全集『毎日のように手紙は来るけれどあなた以外の人からである 枡野浩一全短歌集』(左右社)は早くも4刷が決定。大型書店のレジ付近に山積みになった同書を幅広い年代の人々が手に取っていく。
さらに、近い時期には歌人・伊藤紺の歌集『肌に流れる透明な気持ち』『満ちる腕』(ともに短歌研究社)が新装版で発売。自費出版した歌集が入手困難な状況になり、出版社から新装版が出るという異例の事態であった。
なぜいま、短歌が注目を集めているのだろうか。25周年を迎えた枡野浩一と注目の若手歌人・伊藤紺の対話から、短歌の魅力や人気の理由を紐解いていく。
ーおふたりは以前からお知り合いだったとうかがいました。どんな出会いがあったのでしょうか?
枡野浩一(以下、枡野):「うたよみん」という短歌のアプリがあって、ぼくも伊藤さんもそこに短歌を投稿していたんです。最初はそこで伊藤さんを見つけて、弟子の佐々木あららという歌人と一緒に「あの人の歌すごくいいよね」とよく言っていたんですよね。その後しばらくして、佐々木あららがワークショップをしたときに、伊藤さんがいらして会ったのかな。
伊藤紺(以下、伊藤):「枡野浩一さんがいいねしました」って通知を見て、「ええ!」ってよく驚いていました。ワークショップもすごく緊張しながら行きました。
枡野浩一(右)と伊藤紺。取材は南阿佐ヶ谷の「枡野書店」で行なわれた
枡野:伊藤さんの短歌、圧倒的によかったんですよ。「うたよみん」の投稿のなかでも、なんだかひとりだけすごく上手くて特別なニュアンスがありました。
ー当時、伊藤さんは短歌を始めてどれくらいだったのですか?
伊藤:まだ始めたばかりでした。大学生4年生の冬に、急に俵万智さんの「サラダ記念日」の歌を思い出して「あの歌ってこういうことだったのか」って気づいた瞬間があったんです。その日のうちに歌集を何冊か買って、3日後くらいにはTwitterアカウントをつくって短歌づくりを始めていました。
枡野:そのときはどんな歌集を買ったの?
伊藤:『サラダ記念日』(俵万智)、『ラインマーカーズ』(穂村弘)、『プライベート』(佐藤真由美)を買いました。
枡野:『プライベート』まだ売ってた? 私がプロデュースした佐藤真由美さんの歌集で、<今すぐにキャラメルコーン買ってきて そうじゃなければ妻と別れて>という歌が有名ですね。
伊藤:まさにその歌に感銘を受けて。自分で短歌を詠もうと思った直接のきっかけはその歌でしたね。でも、新品はもう売っていなくて中古でしか買えませんでした。枡野さんはどんなきっかけで短歌を始められたんですか?
枡野:18歳の時に『サラダ記念日』のブームがあったんですよね。母が買ってきた『サラダ記念日』の初版本を読んで、すごく面白いけれどとても真似できないと思いました。でも、ちょっとやってみようと思ってつくった歌のひとつが<しなくてはならないことの一覧をつくっただけで終わる休日>です。当時の歌のうち、この一首だけは本にも入れました。『ますの。―枡野浩一短歌集』(実業之日本社)と今回の『毎日のように手紙は来るけれどあなた以外の人からである』に入っています。
枡野:その後、1度専修大学に入学したのですが、すぐに辞めて予備校生になったんです。予備校在籍中の20歳のとき、漢文の授業中に突然100首くらい短歌ができて。それが本格的に短歌を始めたきっかけです。
伊藤:そのときはどんな歌をつくったんですか?
枡野:最初は<卒業も留年もない学年を「一浪? 二浪?」と名のらせる場所>ですね。いま思うと説明的で、たいした歌じゃないですよね……。
伊藤:でも、すでに音が枡野節ですね!
枡野:そうですね。あまりよくない歌もたくさんあるのですが、当時の歌で代表作も結構あって<毎日のように手紙は来るけれどあなた以外の人からである>とかもそのあたりの歌ですね。
その後、受験に失敗して結局働き始めたのですが、25歳のときにもう一度ちゃんと短歌をつくろうと思って、すごく気合を入れて『角川短歌賞』に応募しました。でも、最終選考で1番票が入ったのに落選したんですよね。それで当時のぼくは雑誌ライターをしていたので、『週刊SPA!』という雑誌の「中森文化新聞」というコーナーで『角川短歌賞』の最高得票落選についての記事を書きました。自分で書いてるんですけど、歌人へのインタビュー記事という体にして、ひとりでインタビュイーとインタビュアーの両方になって書きました。短歌もきちんと50首載せてくださったんですよね。ものすごく生意気な記事だったのですが、なんだかそれがウケて。実質その記事が、ぼくの歌人としてのデビュー作になったと思っています。
ー近年の短歌界についてもうかがえればと思います。おふたりとも最近、短歌集を出されていますがどんな本になりましたか?
枡野:短歌の世界では、最初の歌集は自費出版や私家版(※)でつくることが多いんですよ。伊藤さんの『肌に流れる透明な気持ち』と『満ちる腕』も私家版として自費出版したものが、あらためて短歌研究社から出ることになったんですよね? すごく珍しいですよね。短歌でこんなふうに本が出るパターンは初めて聞いたので、衝撃でした。手触りとか中の文字の組み方まで大人っぽくて可愛さもある、こういう工夫のある短歌の本はいいですよね。
歌集『満ちる腕』(左)と『肌に流れる透明な気持ち』
伊藤:歌集を買うって不思議な体験な気がしているんですよね。好きな歌があったら覚えておくこともできるし、電子書籍でもいいかもしれない。それでも本にするのなら、形には絶対にこだわりたいなと思いました。
枡野:なるほどね。改行とか、くるくるとしているところとか、文字組みはデザイナーさんにお任せしたの?
伊藤:「うねらせたい」とか「改行したい」みたいにこちらから依頼するところもあれば、自由にお願いしているところもあります。雑誌の『装苑』でデザイナーの脇田あすかさんを見つけて、自分から連絡して、デザインをお願いしました。
枡野:すごい行動力だね。ぼくの全短歌集は最初から増刷しやすいデザインにしてくださいと、名久井直子さんにお願いしました。
歌集『毎日のように手紙は来るけれどあなた以外の人からである 枡野浩一全短歌集』
枡野:過去に出した『ますの。』は伊藤さんの本みたいにデザインを工夫していて、赤い綴じ糸を使ったり、わざと透けやすいような紙を使ったりしてあります。祖父江慎さんのデザインです。
伊藤:あの本、大好きです! 祖父江さんのデザインだったんですね。脇田さんは祖父江さんのもとで働いていたので、なんだかそういうご縁も感じますね。
枡野:そうなんですね。デザイン面での歌集の素敵さはまだまだこれから広がってきそうで、楽しみですね。
ー社会的に短歌への関心が高まっているように感じるのですが、おふたりが短歌ブームを実感することはありますか?
伊藤:ものすごく大きなブームを感じているわけではないのですが、じわじわときている感じはしています。
枡野:書店に行ったときに目立つところに短歌の本があるのは『サラダ記念日』のブーム以来だなと思います。あと、最近はたまたま見たテレビで短歌のことを放送していることも結構あって、それも珍しいことですよね。
伊藤:私はコピーライティングの仕事もすることがあるのですが、最近はコピーとして短歌を書かせてもらうことが増えました。昔から短歌の韻律でコピーを書くことってあったんですか?
枡野:ないない。ぼくもやりたかったけど、なかなか提案が通らなかった。ぼくの時代は「なんで短歌なんですか?」って言われてしまっていたのに、いまだと「短歌いいですね」ってなるのを見るとちょっとブームなのかもしれないですね。
ー多くの人が潜在的に「短歌っていいな」と感じるようになった、ということですね。その要因はどこにあると思いますか?
枡野:やっぱり出版社が頑張ったというのは第一にあると思います。前は「詩歌のコーナーに行くのは悩んでいる人だけだ」なんて言われて、短歌の本なんてそんなに本屋さんになかったんですよ。でも、いまはレジ前に短歌の本が山積みになっている。出版社が広く流通させられるように頑張ってくれたんでしょうね。
そして、もちろん穂村弘さんとか加藤千恵さんのような歌人の方々が少しずつ積み上げてきた下地があるのは大前提ですが、ぼくのときはポツンとひとりで目立っていた。いまは同じ時代に人気の歌人が複数いるので、ちゃんとブームになりつつある。それに、Twitterがあるので短歌がもっと広がる。短歌がバズるなんてちょっとすごいことですよね。ぼくは自分の投稿でバズったことはないのですが、伊藤さんはバズったことある?
伊藤:あります。<フラれた日よくわからなくて無印で箱とか買って帰って泣いた>っていう歌がバズりました。でも、枡野さんのもよくバズってないですか?
枡野:引用されることはありますね。<野茂がもし世界のNOMOになろうとも君や私の手柄ではない>という歌は、日本人が何か成し遂げたときにみんなが騒ぎ始めると、必ず誰かがツイートしてますね。
伊藤:そうやって、ことわざみたいになっていくのは面白いですよね。
枡野:そうなって欲しかったんだけど、ぼく自身の本が売れたりすることにあんまり繋がってなくて。Twitterでバズって印税が入ればいいのにね(笑)。
伊藤:私は、若い人たちがテキストコミュニケーションに慣れていることも短歌ブームの要因のひとつかなと思います。語尾が句点なのか、絵文字なのか、どこで区切って送るのかとか、細かいことを日々気にしているからこそ、文章は書き方で印象がものすごく変わるということを嫌でもわかっていると思うんですよね。だから短歌に対する印象も、「これの何がすごいのかわからない」と思っていた層が減って「なんかすごい。やってみたい」という人たちが増えてきたんじゃないかなと思っています。
枡野:なるほど。少し前にぼくの全短歌集の読書会をしてもらったのですが、嫌いな歌を聞いてみたら「これだったらTwitterで流れてきそうだし、もっと上手く文章にしてバズっている人がいそうな気がする」というコメントがありました。ぼくも確かにそうだと思いました。これまでは短歌は閉じた世界のものだったけれど、もっとひらけてきてTwitterの言葉とも比較されてしまう。面白いけれど、大変な時代ですね。
枡野:一方で、裾野が広がった結果、野球の大谷翔平選手のようにものすごい才能の人が出てくる可能性もありますね。それを見た若い人がまた真似してつくり始める循環ができてくるのかもしれないですね。
伊藤:そうですね。あと、短歌は何回も組み立て直して31文字をネチネチといじれるので、それも若い世代にハマりそうだなと思います。スマホでの文章編集に慣れた若い世代は、文章を頭から終わりまで一気に書くのが苦手。喋るのも同じで、頭のなかですべて組み立てなきゃですよね。そういうのが苦手だけど、何か言葉にしたいことがある人には短歌が合いそうです。
枡野:いつまでも直せるもんね。言いたかったけれど言えなかったこととかを、どうしたら上手く伝わるのか考えて書くと、結構力の強い短歌ができるよね。
ーおふたりはライターやコピーライターなどのお仕事もされてきたとお話しいただきました。「短歌を本業にしよう」と思った決め手は何だったのでしょうか?
枡野:ぼくは、あるジャンルのなかでまだ存在していないものをつくれるのが才能なのかなと思っています。短歌の業界で評価されやすいものは頭のいい人であればすぐにわかると思うのですが、自分の場合はそこに寄せて行きたくはなかったんですよね。
逆に、若かった当時、短歌は古典で習った「けり」とか「たり」といった文語を使う習わしが根づいたままだったから、現代語だけの短歌をつくってもいいんじゃないかって思ったんです。すでに多くの作品があるなかでも、自分が違うものをつくってもいいんじゃないかって思えたのが短歌だったので、短歌を選びました。
伊藤:腑に落ちました。私の場合は、「自分には短歌しか書けない」と思ったんですよね。コピーライターもライターも頑張ったけれど、結果が出なくて。頑張って書いても誰も読んでくれないし、もっと上手くできただろうって後悔することも多かった。結局、短歌を書くのが1番楽しくて……、なので、「決め手」と言われると難しいですね。
枡野:それはね、「短歌に選ばれた」んだと思うよ。
伊藤:短歌の世界では、そういう言い方をしますよね。
枡野:歌人はみんな、「方向音痴だから遅刻する人が多い」とか、「車の運転が下手」だとか、自分も含めてちょっと欠けている人が多いですよね。ただの偏見ですが、サッカーや野球が上手でみんなの中心にいるような子は短歌が上手くなれないんじゃないかって。短歌の世界の裾野が広がって、そんな偏見を覆してくれる人が出てきたら楽しいなとは思います。
伊藤:「世渡り上手」な人は、わざわざ言葉をずらしたりせずに、人に1番伝わりやすい言葉を選びますよね。だから、短歌を選んだりしないのかもしれないですね。
枡野:確かに。でも最近は、短歌に関心を持っている芸人さんなんかも増えてきましたよね。芸人さんは違和感に着眼するのも上手いし、言葉も巧みなのできっと短歌も上手いと思うのですが、そこまで広がっていくと本当にブームになるのかもしれないですね。
ー誰もが使える言葉だからこそ、まだまだ幅広い面白さが短歌に見出せそうです。
伊藤:短歌は受け皿としての器が広いですよね。いろんな人のこぼれ落ちる気持ちや、届かない気持ちを掬い上げることができます。例えば芸人さんだったらいろんなものを吸収するなかで、笑いには昇華できないものもあるはず。笑いにならない「面白い」を発散できる場所が短歌になったりもするかもしれないですね。
枡野:声に出して笑ったりはしないけど、なんかニヤニヤしちゃうとか、いろんな「面白い」がありますもんね。そういう意味では、短歌は喜怒哀楽のどれを表現しても大丈夫なのもいいところですよね。悲しい気持ちにしてもいいし、怒りが歌われていてもいいので、短歌だと何でも言えるなと思ったことはあります。
伊藤:オチがなくてもいいのも良いところですよね。
枡野:そうそう。結論がない、すごくささやかなことを言ってもいいのが短歌です。それを知ったら、案外もっと多くの人が短歌を面白がってくれるかもしれないですね。