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マンガ編集者の原点 Vol.9 「あさひなぐ」「ダンス・ダンス・ダンスール」の生川遥(小学館ビッグコミックオリジナル編集部)

2022年11月30日 16:04  コミックナタリー

コミックナタリー

マンガ編集者の原点 Vol.9 「あさひなぐ」「ダンス・ダンス・ダンスール」の生川遥(小学館ビッグコミックオリジナル編集部)
マンガ家が作品を発表するのに、経験豊富なマンガ編集者の存在は重要だ。しかし誰にでも“初めて”がある。ヒット作を輩出してきた優秀な編集者も、成功だけではない経験を経ているはず。名作を生み出す売れっ子編集者が、最初にどんな連載作品を手がけたのか──いわば「担当デビュー作」について当時を振り返りながら語ってもらい、マンガ家と編集者の関係や、編集者が作品に及ぼす影響などに迫る連載シリーズ。最終回となる第9回で登場してもらったのは、小学館ビッグコミックオリジナルの生川遥氏。花沢健吾「アイアムアヒーロー」やジョージ朝倉「ダンス・ダンス・ダンスール」、東村アキコ「雪花の虎」などを担当した編集者だ。

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取材・文 / 的場容子

■ 初単行本での“血の気が引くような”大失敗
子供の頃は大の“りぼんっ子”だったという生川氏は2005年に小学館に入社。学生時代は“ずっと下北にいるような”サブカルと雑誌が大好きな少女で、リラックス(マガジンハウス)やROCKIN'ON JAPAN(ロッキング・オン)などを愛読。その頃は、岡崎京子作品などA5判のマンガを好んでいた。

「カルチャー誌が好きで、雑誌編集者になりたいというのが中学2年生からの夢だったので、就活では出版社をあらかた受けました。だけど、小学館には当時カルチャー誌がなかったので、小学一年生などの学年誌志望で入社したんです。入社してから研修期間が3カ月ほどあるんですが、その間にいろんな部署の話を聞いたときにマンガが一番面白そうだなと思って、そこからビッグコミックスピリッツ志望に変えました。まさかマンガ編集者としてこんなに長くやっていくとは思っていなかったです」

そんな生川氏がスピリッツで最初に任されたのは山口かつみの「たくなび」。2005年から連載された作品で、就活を前に右往左往する男女を通し、働くこと、生きることを問い直す就活マンガだ。生川氏は2巻から本作を担当することになったが、先輩からはほぼ“丸投げ”状態だったという。

「今考えると信じられないんですけど、新入社員として編集部に配属されて2週間くらいなのに、作品を1人で担当することになったんですよね(笑)。普通は引き継いでしばらくは先輩も一緒に担当するんですが……。今は毎年入ってくるんですけど、当時スピリッツに新入社員が入るのが相当久しぶりで、育て方のノウハウがなかったんだと思います。編集部には20代は私1人で、あとはみんな30代以上のバリバリ活躍している先輩たちでした。

『たくなび』は就職活動に関するマンガだったので、『生川はついこの前まで就活していただろう』という理由で任されて。引き継いで初めてのネームを1人で見るところから始まって、初回の入稿も見よう見まねで……と、今考えると本当に恐ろしいです。山口かつみさんは『オーバーレブ!』という走り屋マンガを週刊ヤングサンデーで連載されていたり、第一線でずっと活躍されているベテランの先生で、すごく優しくしてくださりありがたかったです。山口さんは博多在住で遠距離でのやりとりでしたが、気さくなお兄ちゃんという感じでかわいがっていただきました。今考えるとすごく迷惑をかけていたなと思いますけどね(笑)」

引き継ぎ体制が整っていない中での初仕事の数々。最初に出した単行本では、大失敗をしてしまったという。

「2巻のカバーデザインがデザイナーさんから上がって、印刷所に入稿し、色校が出てOKなら校了──という流れの中で、当然、本来なら作家さんに入稿前に確認をとってから進めるんですが、一度も山口さんに見せないまま進行してしまったんですよね。一連の流れを誰のチェックも受けずに進めてしまったので、今考えると信じられないような失敗をしてしまいました。

だけど、恐ろしいことにほとんど怒られなかった(笑)。マンガ編集者の仕事って個人プレーなので、同僚が今どんな仕事をしているか、隣の席の人でもわからないんですよ。だからこそ、今考えると血の気が引くような素人失敗をいっぱいしていたと思うんです。だけど、年末の謝恩会に出席された山口さんが、編集部の先輩に『生川はどうですか?』と聞かれた時、『すごくちゃんとしてますよ!』って褒めて自信を持たせてくれたり……全然ちゃんとしてないと思うんですけど(笑)、とにかく優しくしてくださって、感謝しかないです」

■ さくらももこからのプレゼントに感激
続いて、入社2年目で担当したのが曽田正人の「MOON-昂 ソリチュードスタンディング-」。バレエマンガのヒット作「昴」の続編として、完結の5年後となる2007年から連載された作品だ。バレエの天才少女・すばるの壮絶で孤独なバレエ人生を追った作品で、連載開始時から担当した。

「『MOON』は物語のスタートがドイツのバレエ団だったので、まだまだぺーぺーだったんですが、これまたいきなり曽田さんと2人でドイツ出張に行くことに。社内の翻訳出版を手がける部署に手伝ってもらってなんとかオファーを出し、ドイツのバレエ団に取材しに行きました。全9巻のうち、6、7巻くらいまで担当させてもらいましたが、とにかく右も左もわからなかったので曽田さんにもただただ勉強させてもらった思い出です。

新入社員ってまだ何もできないので、自分が主導権を握ってマンガ作りをしていくのは絶対に無理。最初のうちはベテラン先生につかせてもらって、作家さんにおんぶにだっこ状態で、なんとか迷惑をかけないように必死にがんばろうという感じでした」

そして、編集者人生初期の強烈な思い出として語ってくれたのはさくらももことの思い出だ。前任から引き継いだのは、さくらのシュールさが暴発しているギャグマンガ「神のちからっ子新聞」と、さくら自身の中学から高校時代の思い出を中心に綴ったエッセイをマンガ化した「ひとりずもう」。生川氏がさくらを担当した2006年頃は、スピリッツでは2作を交互に連載していた。

「私はザ・ちびまる子ちゃん世代で、さくら先生は神様みたいな人。子供の頃から作品を繰り返し読み込んでいたので、例えば『あのエピソードのセリフはこうでしたよね!』とすぐに出てくるような、描かれたご本人よりも詳しいただのファンでした(笑)。それもあったからか、すっごく優しくしていただいたんですよね。私はまだ大学出たばっかりの23歳とかで、さくらさんからすると小娘が来た、みたいな感じだったと思うんですが、ご飯をご一緒しても、絶対に私に払わせてくれないんですよ(笑)。編集者としては情けないんですけど、全部おごられてしまう。

一度、『ひとりずもう』のカラーの扉絵を上げていただいたときにすごく感激したことがあって。学生時代のももちゃんを色えんぴつで描いたものだったんですが、本当に繊細なタッチで、すごく綺麗で優しくて温かい絵だったんです。その、私が感激している様子をご覧になったさくらさんが、次にお会いしたときに同じような雰囲気の別の絵をわざわざ描き下ろして、額装したものをプレゼントしてくださったんです。今も家宝として大事に飾っています。さくらさんのお別れの会のときにはこの絵をお持ちして会場に飾っていただいて、皆さんに見ていただきました」

リアルタイムで「ちびまる子ちゃん」を読んでいた世代からすれば、なんともうらやましい交流のエピソードだ。絵をプレゼントしたり、編集者に支払わせてくれなかったりと、さくらのサービス精神旺盛で豪気な人柄がしのばれる。

「本当にすごく面白くてエネルギッシュな方で、夕方にご自宅にお伺いすると夜中までずーっとしゃべり続けるので、帰る頃には毎回笑い疲れていました(笑)。お仕事の傍らで趣味の好きなことを突き詰めて毎日楽しく暮らしていて、本当にみんなが思い描くイメージ通りの“さくらももこ”さんでした。私は新人で何もできない編集でしたが、すごくかわいがっていただきました。

マンガ編集者になり、ほかではできない体験をいろいろとさせてもらいましたが、特にさくらさんを担当させていただいたことは、人生において代えがたい財産だと思っています」

■ 映画会社からオファー殺到 「アイアムアヒーロー」の手応え
スピリッツでベテラン作家を次々と担当し、経験を積んでいく生川氏。その一方で、初めて企画から1人で立て、声をかけた作家は浅野いにおだった。

「新人時代はいろんな作品を先輩から引き継がせてもらう一方で、“自分で作家を取ってこないと一人前として評価されない”。そんな雰囲気が、今より当時のほうがより濃厚にありました。それで、徐々に好きな作家さんに当たりはじめ、入社1年目の終わり頃に、ちょうど『ソラニン』を描き終わった頃の浅野くんに声をかけて会いに行きました。その直後の夏の合併号に短期集中連載を描いていただいたのが最初で、それらを短編集としてまとめたのが『世界の終わりと夜明け前』。浅野くんは厳密に言うと私の2歳上ですが、初めて同世代の作家さんと同じ目線で作品作りをして、単行本になったときはうれしかったですね」

少しずつ編集者としての手応えをつかんでいく生川氏。最初に大ヒットを経験したのは花沢健吾の「アイアムアヒーロー」だった。2009年にスピリッツで連載開始し、入社4、5年目だった生川氏は3巻の冒頭から引き継いだ。同作は、35歳の崖っぷちマンガ家・鈴木英雄を取り巻く世界が、ZQNと呼ばれるゾンビのような感染型の食人鬼が蔓延る世界に変わっていくさまを描いたパニックアクションだ。鈴木の覇気のない日常と、身近な人が食人鬼に変わっていくリアルな恐怖との対比が爆発的に話題となった。当時私も、なんともいえない不穏な世界観や、動く死体のおどろおどろしさにおののいていた読者の1人だったが、編集者である生川にとって、それはそれは「強烈なヒット体験」だったという。

「ちょうど先日、オリジナルの新編集長になった直属の上司である菊池という、すごく優秀な先輩が立ち上げた作品でした。菊池はいわゆる“起こし屋”で、いろんな作家さんと次々に新作を起こし、2巻くらいでほかの編集に引き継ぐというヒットメーカー。『ヒーロー』も『2巻までできたから、あとは任せた!』という感じで引き継ぎました。

私も以前から花沢さんの作品のファンで、前作の『ボーイズ・オン・ザ・ラン』までもめちゃくちゃ面白いんですけど、そこまでの大ヒットとはいかなかった。だけど『ヒーロー』では、1巻ラストの引きが強烈だったこともあり、徐々に口コミが広がり、ちょうど私が担当した頃から勢いがつき始めたんです。あの頃は毎週のように重版がかかり、ほとんどすべての映画会社から映画化のオファーがくるという状態で(笑)。『売れるってこういうことなんだな……』という感覚を味わわせてもらいました。強烈な体験でしたね」

花沢を一躍大ヒット作家に押し上げた「アイアムアヒーロー」について、生川氏はこう分析する。

「私が語るのも不遜ですけど、花沢さんはもともとすごく才能がある方なうえに、『どうやったら売れるのか?』ということをかなり戦略的に考えられていたと思います。『ヒーロー』に限らず花沢さんの作品って、主人公像が極めてご本人に近いんですよ。ビジュアルもそうですが、性格も似ている。当時、ご本人がリアリティを持って描けるキャラクター像が、ルサンチマンを抱えている、いわゆる“負け組”っぽいメガネ男子だったのだと思います。同じような葛藤を抱える男性読者からはすでに強烈な支持を得ていましたが、主人公が負け続けるドラマでは、女性なども含んだ“マス”の心はつかみづらい。そこがセールス的な課題でした。

であるならば、そうした花沢さん的なキャラクター性を守りながら、引きこもりがちで、友達があんまりいないキャラだからこそ活躍する設定ってなんだろう?と考えたときに、“外に飲みに行くような人のほうが早く病気に感染する”、ゾンビが蔓延する世界という設定が見えてきた。臆病で慎重だからこそ主人公は猟銃免許を持っていて、生き残り、ヒーローになっていく。その様子を、たくさんの読者がカタルシスを感じながら読んでくれた。優れた作家性を最大限に生かすことでヒットとなった、お手本のようなケースだったように思います。そうした成功の過程を間近で見せてもらえたのはものすごく勉強になりましたね」

■ 「生川遥」が作品内に登場 「ダンス・ダンス・ダンスール」
「アイアムアヒーロー」で初めて爆発的なヒットを経験した後は、2015年にジョージ朝倉のバレエマンガ「ダンス・ダンス・ダンスール」を立ち上げから担当。中学生の潤平が、バレエへの憧れと“男らしさ”への葛藤に悩みながら、一流のバレエダンサーへと成長していく物語だ。今年アニメ化もされた人気作で、生川と同名の「生川はるかバレエ団」が登場する。

「もともとジョージさんの大ファンで、それこそ新入社員の頃から執筆をお願いして、念願叶って連載を始めていただきました。自分の名前が登場するのは、本当に恥ずかしくて。最初は、背景のポスターに『生川はるかバレエ団』って小さく書かれていただけだったんです。よくあるじゃないですか、ノリで物語中に編集者の名前が出てくるみたいな。『ジョージさん、やめてくださいよー(笑)』って軽く受け止めていたんですが、話が進むと、主人公がそこに入団する展開になってしまって……こんなことになるなら最初から真剣に止めていたんですけど(笑)。今年放送されたアニメも素晴らしく出来がよくて感激しました。今もディズニープラスなどで配信されているので、ぜひたくさんの方に見てもらい、もっと原作も読んでいただきたいです」

ここまでの取材でわかる通り、いい意味で開けっ広げというか、オープンなコミュニケーションが魅力の生川氏。話すうちに、「この人になら何を話しても大丈夫だな」という安心感が生まれていた。自然と人の懐に入るのが得意なタイプなのかもしれない。作家との付き合い方について心がけていることを聞いた。

「若い作家さんに比べて、私と同世代や目上の方、つまりすでにある程度自分でマンガを作れる方たちに対して、編集者である私がやれることってそんなにないんです。アイデアとかコマ割りについても、口を出す割合は減ってくる。じゃあ私はなんの役に立てるのかと考えたときに、いかにストレスなく、モチベーション高くベストなパフォーマンスをしてもらえる状態で描いていただくか──そのお手伝いをすること以外、できることは特にないんですよね。

となると、そのためには信用していただかないと始まらないので、そこはめっちゃがんばります。具体的に何をがんばるかは、1人ひとり対応が違うのでなんとも言えないんですが。マンガ編集者って正解の形がなくて、対する作家さんごとに多少キャラを変えているところがありますし、自分1人でもそうなので、ほかの編集者たちも私とはみんな違うスタンスで作家さんと付き合ってると思うんですよね。そのうちどれが正しいという正解がなくて、みんなバラバラでよくて。

その中の1つの在り方として、私の場合はプライベートにまで首を突っ込みがちかもしれません。引っ越しの手伝いや結婚式の司会や子守りや家事など、けっこうあらゆることをやっていますね(笑)。よくない言い方をすれば、ずぶずぶになってしまうタイプですが、そこまでしてもまず信用してもらわないと始まらない、というのが大きいです」

同コラムでのこれまでの取材でもわかるとおり、編集者と作家の距離感はさまざまだ。

「私のやり方が間違っていると思う人もいると思うんです。お話ししたとおり、私は作家さんと仲良くなりすぎちゃうタイプなのですが、プライベートはもっと別にしたほうがいいとか、土日や夜中まで対応しないという考え方の編集者もいる。あんまり私がいろいろやりすぎると引き継ぎづらくなる問題もあるので、そこは神経を使うところでもありますね。あと、逆に自分より年下の作家さんとは、ちょっと緊張感があったほうがいいだろうなということで、あんまり仲良くなりすぎないように気をつけています」

■ 天才・東村アキコ「数時間で50ページ」ネームのすさまじい速さ
さまざまな作家との仕事を振り返り、自らを「作家運があり、天才としか仕事していない」と語る生川氏。その中でもすさまじかった天才の例として、東村アキコのエピソードを語ってくれた。

「『雪花の虎』という上杉謙信が主人公のマンガを準備していたときのことです。舞台となる上越に一緒に取材に行って、城跡や山を見たりして1日歩き回ったのですが、次の日の夜に、50ページ以上の第1話のネームを見せられたのには驚きました。しかも、東村さんは当時『東京タラレバ娘』を連載中で、同じ日の昼間に『タラレバ』の原稿を30~40枚くらい描いたともおっしゃっていて……。取材に行った翌日で疲れているはずなのに、その仕事量って……ちょっと意味がわかりませんでしたね。規格外にすべてが速い。

50ページのネームを数時間で仕上げてくるのがまずおかしいですし、あのときは常識が壊れるなというくらいの驚きがありました。東村さんは頭の回転も手も速いだけでなく、マルチタスクができる人なので、しゃべりながらネームを描けるという稀有な人です。作画中にしゃべりながら手を動かす作家さんは多いですが、さすがにネームもできる方というのはほとんど聞いたことがないですね。いろんなタイプの才能を持つ方がいますが、東村さんはまぎれもなく天才だなと思います」

数々の逸話を持つ作家、東村アキコにまた新たな伝説が加わった。『雪花の虎』は2015年から連載された、東村にとって初となる歴史マンガ。上杉謙信が女性だったという説に基づいた大河のため、通常のフィクションよりもネームも複雑だと思うのだが……恐ろしい作家である。

「2016年に、浦沢直樹さんの個展があって、その際に公式ガイドブック『描いて描いて描きまくる』を作らせていただいたのもいい経験でした。浦沢さんにこれまでの連載作の創作秘話などについて14万5000字にのぼる超ロングインタビューをさせてもらったんですが、マンガ作りにおいて大事なこと、ヒントになることがほとんどすべて詰まった本になっていると思います。浦沢さんは分析力と言語化能力も超一流なので、10年以上にわたって浦沢さんを担当させていただいていることで、どれだけ鍛えていただいたか計り知れません」

■ 面白さとは「脳が喜ぶかどうか」
さて、これまで星の数ほどマンガを読み、ネームを見ている生川氏に、「面白いって何?」と問うてみた。答えはシンプルで身体的。「理屈じゃない」と語る。

「面白さって、最初にネームを読んだときに脳が喜ぶかどうかでしかなくて。ページをめくって、『あーもうオーケー!』ってなる感覚が1話の中に最低1カ所あるかどうか、読み終わったときに『面白かった!』っていう感覚があるかどうかがすべてだなと思います。それはコマ割りやセリフ、テンポなどが作用し合って生まれるグルーヴ感みたいなものだと思うんですよね。音楽のライブとも似ていて、理屈じゃなくてグルーヴ感があるか、場の熱気に観客が呼応したときにのみ生まれる感覚と等しいものがある。同じアーティストの同じツアーであっても、今ひとつなライブといいライブってあるじゃないですか。それはライブを構成している複数の要素の化学反応の結果なんですよね。体でわかる感じがしています。

だから、読んだときにその感覚があるかどうかにすべてがかかっていて、それがないと『何が足りないんだろう?』って考えますし、逆に言うとそこさえあればあとは破綻していてもいい。整えることは後からいくらでもできますから」

常々、面白い作品や推しは「脳の栄養」だと思っているが、生川氏の「脳が喜ぶ」感覚に似ているのかもしれない。そんな氏が編集者として大事にしているのは、「作家がすべて」という一言に尽きるという。

「マンガは、とにかくマンガ家さんがいないと始まらないんですよ。だから、マンガ家さんが一番いいパフォーマンスするためには何ができるのかを考え抜いて、そのためなら、私はなんでもやります。アイデアを求められれば当然必死に考えますし、資料集めや取材の手配ももちろんやる。同じように、プライベートのお手伝いをすることで時間が空いて、その間に作品に集中できるのであれば私が代わりにやる、というだけです。

やっぱりマンガを描いて世に発表するってとてつもないエネルギーがいることで、もちろん物理的にもそうだし、精神的にもめちゃめちゃ削られるんですよね。今はSNSがあるから、良くも悪くもいろんな反響を目にすることができる。叩かれても嫌だし、反響がないならないでへこむ。そうした部分も作家さんは1人で引き受けていて、すごくしんどいんです。それらを抱えながら、自分の名前で発表し続けている人たちへのリスペクトがすごくあるので、その努力や葛藤をないがしろにしたくないと思っています。

『俺がこの作品を作ったんだ』みたいなことを自信満々で言える編集者にはどうしたってなれないんですよ。なりたくもないですが(笑)。作家さんがいないと何も始まらない仕事ですから。ただ、私もどうしても人間なので、惚れた作家さんのためじゃないとがんばれないというのもあって、本当に好きで才能があると思っているからこそできる仕事のやり方だなと思います。そう思える作家さんたちを担当させてもらえていることは、心底ラッキーだなと思いますね。セールス的な部分も含めて、作家さんがその作品を描くことによってご自身も報われるというか、描いてよかったなと思っていただけるように仕事をしたい。その先にはきっと、喜んでくれる読者がいるんだと思っています。逆に言えば、読者が喜ばないと作家は満足しないので、そこは表裏一体だとも思います」

■ 編集者にとってはトライアンドエラーでも……
自分が惚れ込んだ作家へのとめどないリスペクトと、その先の読者を見つめるまっすぐな視線──編集者としての誠実な振る舞いに頭が下がる思いだ。現在生川氏は、ビッグコミックオリジナルで複数の作品を担当している。リチャード・ウー原作、中村真理子作画の「卑弥呼」、こざき亜衣「セシルの女王」、吉田戦車「出かけ親」、むつき潤「ホロウフィッシュ」など、多種多様だ。歴史もの2作の見どころを紹介してもらった。

「図らずも、現在担当している『卑弥呼』と『セシルの女王』が、2作とも女王を主人公にした作品です。『卑弥呼』は異動したときに引き継がせてもらった作品で、リチャード・ウーさんこと長崎尚志さん原作、中村真理子さん作画の歴史大作です。もともと編集者だった長崎さんは歴史を含めとにかくいろんなことに造詣が深く、『魏志倭人伝』や『日本書紀』、『古事記』などからいろんなエピソードを引っ張ってきながら、邪馬台国=九州説に基づいてこのお話を組み立てています。

邪馬台国の女王・卑弥呼って、一般的には呪術を使う祈祷師みたいなイメージが強いと思います。だけど、本作では兵法を駆使し、自らの頭の良さで道を切り拓きながらカリスマになった好戦的な女として卑弥呼を描いていて、強い女が実力でのし上がっていく話です。登場するエピソードには歴史的な文書からの裏付けがきちんとあることが多いので、歴史ファンからすると何倍にも楽しめる作品ですが、何も知らなくても、新しい卑弥呼像にワクワクさせられるお話なので、ぜひ読んでいただきたいと思います。現在11巻まで出ています」

続いて、「セシルの女王」のこざきとは、前作「あさひなぐ」からの付き合いだ。

「2年前に『あさひなぐ』が完結したタイミングでちょうど私がオリジナルに異動になり、こざきさんも一緒に移籍してきていただいた形になります。『セシル』は始まったばかりでもうすぐ3巻が出るところ。こざきさんって、登場人物たちの感情を描くのが鬼のようにうまいんですよ。『あさひなぐ』も薙刀マンガというスポーツもののふりをした女子たちの感情爆発バトルみたいなところがありましたが(笑)、歴史上のキャラクターたちの感情をまるで友達のように身近に感じられる形で描いたら、誰も見たことのない歴史マンガになるんじゃないかという目論見でスタートしました。

16世紀のイングランドを舞台にした、エリザベス1世と彼女を支えた忠臣の物語で、絶対君主・ヘンリー8世の2番目の妻である王妃アン・ブーリンとある少年の出会いから始まるんですが、歴史上の出来事なのに、友達の話を聞いているみたいなリアリティで、読者も一緒に悲しんだり喜んだりできるような作品になっていると思います。歴史ものがとっつきにくくて苦手とか、世界史は全然わからないという人も絶対に楽しめると思うので、ぜひ読んでいただきたい作品です」

そんな生川氏の野望はシンプル。大ヒットを作ることだ。

「マンガ編集者の野望は大ヒットを作ること以外ないんですよ。担当する作品は常に大ヒットしろ!って思いながらやっています。それが結果として作家さんに返ってくることになるので、その目標はブレずにやり続けたいですね」

編集者人生の中で、「ヒット作のための条件」についてわかっていることはあるのだろうか? ここでも、生川氏の頼もしいスタンス「なんでもやる」が聞けた。

「うーん、それがわかるなら教えてほしいです(笑)。繰り返しになりますが、私はやれることはなんでもやる、と思っています。マンガは昔に比べて刊行点数がとにかく増えていて、この15年くらいで2倍以上になっています。それは1点あたりの売り上げが減ってきているから、刊行点数を増やして売り上げを保とうという出版業界全体の流れがあったり、Webサイトなどマンガを掲載する媒体が増えていたり……とにかく単行本がたくさん出て1点1点が埋もれちゃう中で、どうやって目立っていくか。その話にどうしてもなってしまう。

考えられる限りのことは全部やっているつもりなんです。1巻目の引きをこうしたら?から始まって、いろいろと挑戦する。だからといって必ずしも売れるわけではない。編集者はトライアンドエラーだと割り切れますけど、作家さんはその作品に何年も人生をかけているので、『トライアンドエラーされてたまるかよ!』っていう立場じゃないですか。その意味で、編集者が本当にがんばらないといけないし、やれることはやらないと、と思います。可能性が少しでもあるならと思いながら、日々足掻き続けていきたいです」

■ 生川遥(オイカワハルカ)
2005年に小学館に入社。週刊ビッグコミックスピリッツ編集部に15年間在籍したのち、2020年にビッグコミックオリジナル編集部に異動。主な担当作品に浦沢直樹「あさドラ!」、花沢健吾「アイアムアヒーロー」、こざき亜衣「あさひなぐ」、ジョージ朝倉「ダンス・ダンス・ダンスール」、東村アキコ「雪花の虎」、真造圭伍「トーキョーエイリアンブラザーズ」など多数。