Text by 岩見旦
Text by バフィー吉川
『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』や『アンチャーテッド』といった競合がひしめき合うなかで、インド史上最高額97億円をかけて制作されたインド映画『RRR』が、全米興行ランキングで初登場3位を記録した。その背景としては、もちろんS・S・ラージャマウリ監督の前作である『バーフバリ』シリーズ2作が世界的ヒットになったこともあり、そのときに獲得したファンによる熱量が根底にあることは違いないが、じつはそれだけではない。
いま、世界中がインドのコンテンツに注目しているのだ。その証拠に海外映画サイトの大手IMDB(インターネット・ムービー・データベース)のメニュー欄には、インド映画という項目が存在している。ほかの国はないというのに、インドだけがある。
その理由の一つとして考えられるのは、IMDBはAmazonの子会社だからだ。実際にアメリカやイギリスなどのAmazonプライムビデオでは、多くのインド映画やドラマを配信している(日本ではほとんど配信されていないため、実感がないかもしれないが……)こともあって、Amazonが早々にインドのコンテンツが世界的にヒットすることを見越していたといえるだろう。またNetflixもインドの若手クリエイター育成のためにワークショップを行なうなど、積極的にインドのコンテンツを取り入れようとしている。
インド映画の世界的ヒットには、在国インド人コミュニティーの力も大きいことは前提としてあるものの、インド映画自体が動画配信サービスで観ることができる基盤がインド国外で根づいたことで、インド映画が劇場公開された際に足を運ぼうとする客層が圧倒的に増えたといえるだろう。
またインド自体の映画に対する考え方が年々変化していることも大きい。インドにとって、映画というのは、インデペンデント系など例外的なものもあるものの、メジャー作に関してはお祭り的にみんなで騒いで観るものだった。コメディー、ミュージカル、アクション、サスペンス、ラブロマンスなどをごった煮したような「マサラ映画」というジャンルがあるように、幅広い層が、どこかのパートだけでも楽しめれば良いという考えのもとで、ストーリーよりも娯楽性を重視するパターンが多かったのだ。
「マサラ映画」という文化も、インド映画の個性のひとつとして、海外で受け入れられなかったわけではない。世界市場を視野に入れて制作された『チェンナイ・エクスプレス ~愛と勇気のヒーロー参上~』(2013年)は、実際に大成功を収めている。そのほかにもプチムーブメントになったことは何度かあった。しかし、問題はあとに続かないことだった。
もちろん、当時は動画配信サービスも普及しておらず、インド映画に興味をもって、観てみようと思ったとしても選択肢が圧倒的に少なかったのだ。しかし、いまでは動画配信サービスが一般的に普及したことによって、インド映画に興味をもてば、簡単にアクセス可能となった。またインド国内でも他国の作品も簡単に観られるようになったことで、ただ娯楽性ばかりを強調していては客を呼ぶことができないという意識に変わっていったのだ。
ちなみに、いまの日本がいままさに『RRR』でインド映画に興味をもって、ほかの作品を観てみようと思っても、コンテンツが圧倒的に少ない状況にある。配信もかなり少ないし、劇場公開作品も年間で10本あるかないかだ(インディアンムービーウィークや大インド映画祭などのイベント上映は例外として)。これを機に日本はインドのコンテンツの輸入率を見直さなければ、世界のムーブメントに乗り遅れてしまう可能性が高いだろう。
その意識変化は映画製作会社だけではない。インドのメジャー映画はダンスシーンが多いことで知られているが、それはある事情が大きく関わっている。インド映画のメジャー作には、ソニー・ミュージックやサレガマといった音楽レーベルが製作に入っていることもあって、曲だけを切り取って、プロモーションとして使用するためにダンスシーンが盛り込まれていることが多いのだ。
『RRR』に関しても「Tシリーズ」という大手音楽レーベルが参加していながらも、作中には「ナートゥ・ナートゥ」とエンディングの「エッタラ・ジェンダ」しかダンスシーンがない。これは音楽レーベルが参加していても、プロモーションよりもストーリーを重視する方向性になってきた証拠といえるだろう。実際に音楽レーベルが参加していながらも、1曲もダンスシーンのない作品も年々増えてきており、音楽レーベルも意識改革が進んでいるのだ。つまり作品の質、映画制作に対する探求心がここ数年で圧倒的に上がってきている。そしてそれは、まだまだ過渡期にすぎない。
作品としての質が向上したからこそ、映画評論家やセレブ、インフルエンサーなどの目にとまり拡散されやすくもなったし、アカデミー賞にノミネートされると噂されても真実味が増してくるのだ。
よって、『RRR』の世界的ヒットの背景には、一言では言い表せないほど、さまざまな要素が組み合わさっているといえるだろう。長年かけてつくられてきた基盤があり、そこに作品の質が世界に通用するものに進化してきたからこそ、いまがあるし、今後も快進撃は続くだろう。
インド映画と一言に言っても、インドは多言語国家であり、それぞれの言語に、それぞれの映画産業がある。例えばボリウッドというのは、ヒンディー語映画のことだ。ほかにもタミル語映画はコリウッド、マラヤーラム語映画はモリウッド、そして『RRR』の場合は、テルグ語映画トリウッド。また、そういったものには属さない言語の映画やインデペンデント系作品などを含めると、新型コロナの影響で多少減っているかもしれないが、年間で2,000本近く制作されている。その圧倒的母数で、さらに良質な作品が世界に押し寄せてこようとしているのだ。
2023年は、シャー・ルク・カーンの役者人生30周年超大作『Pathaan』や、サルマン・カーンの『タイガー3』、カラン・ジョーハルの待望の新作『Rocky Aur Rani Ki Prem Kahani』など、新型コロナで延期になっていたザ・ボリウッド大作が一斉に公開されるなど、話題作も豊富だ。
またその一方で、課題点がないわけではない。多言語国家であると同時に、多宗教国家でもあることで、ヒンドゥー至上主義者による圧力やボイコット運動が足を引っ張っていることだ。
もともとそういった論争はあったものの、ナレンドラ・モディ首相がヒンドゥー至上主義的思想を持っていることから、拍車がかかったとされている。さらに全米ボックスオフィスにもランキング入りを果たした『カシミール・ファイルズ』の内容がイスラムの武装勢力がヒンドゥー教徒を襲う物語であったことから、さらにイスラム教徒への嫌悪感が増したとされている。
8月に公開された『フォレスト・ガンプ/一期一会』(1994年)のヒンディーリメイク『ラール・シン・チャッダ』も主演のアーミル・カーンの過去の発言が問題視され、標的にされたことで、ヒットにつながらなかった。
宗教間の問題は、インドにおける長年にわたっての社会問題のひとつであり、それを問題視し、変えていきたいと考えている映画人も少なくない。『マイネーム・イズ・ハーン』(2010年)では、911テロ以降のイスラム教徒への迫害を容赦なく描いており、宗教が違うのは、あくまで個性であって、すべての人間は平等。悪いのはテロリストであって宗教ではないというメッセージ性に満ちていた。
一見、社会問題とは無縁のような娯楽アクション大作『SOORYAVANSHI/スーリヤヴァンシー(レンタル版はジャスティス・スクワッド)』(2021年)でも、テロリストの攻撃からイスラム教徒とヒンドゥー教徒が助け合ってガネーシャの像を守るシーンがある。先日開催された『第35回東京国際映画祭』で上映された『アヘン』のなかでも、同じ人種で争うことがいかに無意味であるかが描かれているなど、インドのなかで宗教間の差別や迫害を無くそうと訴えようとしている動きも活発化している。
ネガティブな部分ばかりが取り上げられてしまう風潮のなかで、平和的な想いをもった映画人がメッセージを訴えかけ続けているのも、また事実。そういった考えをもった映画人はもちろん、アーティストや政治家たちが良い方向に導き、差別と偏見を乗り越えた先には、インド映画は何倍にも発展していくだろう。