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梨泰院での悲痛な事故。今夏出版された明石歩道橋事故の遺族の記録を読み、雑踏警備の重要性を知る

2022年11月11日 14:00  CINRA.NET

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Text by CINRA編集部

韓国の首都ソウルの繁華街・梨泰院で10月29日、156人(2022年11月2日時点)が亡くなる事故が起こった。午後10時頃、幅3メートルほどの坂道に約300人が折り重なるように倒れ、犠牲者の多くは強い圧力を受けて呼吸ができなくなったことによる窒息死したとみられている。

韓国ドラマ『梨泰院クラス』がNetflixでヒットし、世界的にも有名な観光地で起こった悲劇。連日続く報道のなかで、ずさんな警備計画と雑踏事故の軽視、生かされなかった通報も明らかになった。

日本では事故当初から、2001年に兵庫県明石市の花火大会で起こった「明石歩道橋事故」を連想する人が多かった。「群衆なだれ」によって11人が亡くなったこの事故は、雑踏の危険性や雑踏警備についての知見が日本社会に広く共有されるきっかけの一つとなった。

今年7月に出版された『明石歩道橋事故 再発防止を願って』(神戸新聞総合出版センター)には、民事裁判を通して明石市や兵庫県警などの責任を問い、再発防止を訴え続けた遺族たちの歩みが綴られている。「明石歩道橋事故」とはいったい、どのような事故だったのか。遺族たちはどのように闘い、雑踏警備のための大きな教訓を残したのだろうか。

2001年7月21日、兵庫県明石市であった花火大会の会場、大蔵海岸とJR朝霧駅をつなぐ、長さ約100メートルの歩道橋上で事故は起こった。

本の冒頭では、その様子が綴られている。

「JR朝霧駅の改札からはき出された人の流れが歩道橋に吸い込まれていく。駅から会場に向かう流れと会場から駅に戻る流れが鉢合わせとなり、時間の経過とともに歩道橋の中の群衆密度が増す。『どーん』と花火が夜空に上がるたび、群衆の動きが止まる。花火が終わる頃には、前後左右を人に挟まれ、身動きもできず、金魚のように上を向いて呼吸する人たちであふれた。大人の叫び声や子どもの泣き声が響き渡る中、群衆がじわじわと倒れていく。他人の体の上に倒れこむ人、背中に後ろの人の重みを感じながら身動きできない人…。上に倒れていた人が助け起こされ、ようやく立ち上がって初めて自分の下に人がいたことに気付いた人もいた。」 - (本書冒頭プロローグより)事故では「群衆なだれ」が発生し、11人(10歳未満9人、70歳以上2人)が亡くなり、247人が負傷する惨事となった。

明石市がまとめた事故の調査報告書によると、「群衆なだれ」は次のようなメカニズムで発生することが多いという。

①周囲から押されて身体が浮き上がるほどになるが、四方からの圧力は一応バランスしていて互いにもたれあっている。そのため倒れることはない
②そのとき密集の中で人のいない空隙ができるとつっかい棒がはずされた状態になり、その空隙に向かってバランスを 失った人々が周囲から倒れこむ
③続けて後押しする強い力が働くと、転倒はさらに大規模になる

帰ろうとする人たちは駅に向かって歩道橋上に密集して駅側に押し出ようとしたが、これと反対に、夜店会場に行こうとする群衆は会場側に出ようと押し出した。歩道橋上で2つの相反する群衆の力が衝突し、「群衆なだれ」が起きたのだ。

歩道橋上には約6,400人がいたとされ、極度に密集した部分では1平方メートルあたりに13~15人がいたという。「群衆なだれ」には300~400人が巻き込まれた。

梨泰院の事故現場では、多数の花がたむけられている

「なぜ家族は死ななければならなかったのか」「事故が起きた本当の原因を知りたい」――。事故から「四十九日」を迎えた2001年9月6日、遺族たちは「明石歩道橋犠牲者の会」を結成した。さらに事故から約1年後には弁護団が結成され、2002年10月、遺族らは明石市・兵庫県警・警備会社を相手取って神戸地方裁判所を提訴した。原因の追及と、「私たちのような遺族を二度とつくらない」「雑踏警備における改善策など再発防止を訴えたい」などの思いからだった。

裁判では事前の準備や計画のあり方も問われ、2005年の判決で、神戸地裁は明石市・兵庫県警・警備会社の3者に計約5億6,800万円の損害賠償を命じた。原告、被告ともに控訴せず、確定判決となった。

民事だけではなく、遺族たちの闘いは刑事裁判でも続いた。刑事裁判では、当日の警備に関する現地責任者の警察官1人、警備会社の責任者1人に禁固2年6か月の実刑、明石市職員3人に禁固2年6か月(執行猶予5年)が言い渡された。

しかし、遺族たちは明石署長と副署長の不起訴処分に納得しなかった。両者の刑事責任を問うため、冊子「遺族に時効はない!~歩道橋事故・検察の不起訴処分を問う~」を発行。「署長、副署長には事前の準備段階においても、当日の警備実施においても重大な過失があった」と訴えた。遺族たちが初めて検察審査会に申し立てたのは2003年3月。検察審査会は「起訴相当」とする議決を行なったが、神戸地検は不起訴処分を繰り返した。ところが、2009年の法改正によって審査会の議決に基づき強制起訴ができる制度が導入され、2010年1月、史上初めて強制起訴が決まった。このように、遺族たちの粘り強い活動は、副署長の起訴(同年4月)を勝ち取ったのだった。

しかし、一審の神戸地裁は2013年、副署長を無罪判決とした。「時効が成立していた」として「免訴」。大阪高裁も同様に「免訴」の判決を下した。そして2016年、最高裁が上告を棄却し、「免訴」が確定した。

遺族たちが求めた副署長への刑事責任の追及は、刑事裁判の場では果たされなかった。しかし、その闘いは司法制度改革の動きとも重なり、刑事裁判のあり方、あるいは司法のあり方自体を根源から問うものであった。裁判の過程でさまざまな事実が明らかになり、雑踏の危険性、雑踏警備についての知見が社会的に共有された意義は極めて大きい。

遺族たちは講演会やシンポジウム、冊子の発行など、さまざまなかたちで雑踏の危険性や雑踏警備の重要性を訴えてきた。「事故を風化させない」という思いからだった。

毎年7月21日には、いまでも慰霊碑の前に遺族らが集まって献花と追悼が行なわれ、その様子はメディアでも報道されている。遺族の一人、白井義道さんは書籍のなかで、「私は、(遺族たちの:引用者註)訴えや活動が、歩道橋事故以後のいくつかの雑踏事故の発生を未然に防ぐ要因になったのではないかと思っております」と書いている。

それと同時に、兵庫県警の「雑踏警備の手引き」は「これまで一度も改編されていません」として、建物に映像を投影するプロジェクションマッピングを活用して混雑を回避する方法など、「変化や進歩に即した、手引きの改編が必要です」とも論じている。

渋谷のハロウィンで警備にあたる警察官。警察車両の上から注意を呼びかける警察官は「DJポリス」と呼ばれ、「風物詩」の一つにもなっている

本書を読むと、遺族たちの闘いはその後の雑踏警備のあり方に大きな影響を与えたことがわかる。コンサート後の規制退場は広く普及し、渋谷で交通整理をする「DJポリス」は日常の風景となっているからだ。

事故の原因を究明すること。残された遺族の心のケアをすること。事故があったことを忘れず、経験を語り続けること。本書には、悲惨な事故を経験した社会が心にとどめておくべきヒントが多く詰まっている。

今回、梨泰院で多数の若者らが犠牲となる事故が起こってしまった。梨泰院では当日、ハロウィーンのため10万人以上が集まったのに対し、配備された警察は137名だったことも明らかになっている。

その一方、同日にソウルで開かれた保守系、進歩系団体の集会には機動隊員4,000名あまりが投入されていた。10月に釜山で行なわれたBTSのコンサートでは、約5万5,000人に対して1,300人の警察官が配置されていたという。梨泰院での警備がいかに手薄だったかがわかるだろう。

事前の警備計画、当日の警備の実施状況などは今後、警察の捜査や裁判、メディア報道によって問われることになるだろう。

明石歩道橋事故の遺族、下村誠治さんは毎日新聞の取材に対し、「目の前で友達を亡くした人もいるだろう。ダメージはとても大きく、長期にわたる心のケアが必要だと思う」と語っている。誰にでも事故に巻き込まれる可能性があるとして、「意識を持って行動してほしい」とも呼びかけた。