Text by 岩見旦
Text by 稲垣貴俊
2020年8月28日、俳優チャドウィック・ボーズマンがこの世を去った。43歳だった。その名前を世界に広く知らしめたのは、マーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)のブラックパンサー / ティ・チャラ役。しかしチャドウィックという人は、この役を演じたという以前に、もはやブラックパンサー / ティ・チャラそのものだったとさえ言っていい。
チャドウィックが主演を務めた『ブラックパンサー』(2018年)は、MCU初の黒人スーパーヒーロー単独映画。ハリウッド史上初めて、主要キャストを黒人で固めた大作映画でもある。2010年代半ばまで、映画業界には人種差別が根深く残っており、「黒人映画は当たらない」という言説が信じられていたし、2016年(まだ6年前である)の『アカデミー賞』では黒人俳優がひとりもノミネートされ ず、Twitterで「#OscarSoWhite(オスカーは白すぎる)」というハッシュタグが広く使われたことも記憶に新しい。
そんななか、『ブラックパンサー』は2018年2月に公開されるや米国興行収入7億ドル、歴代第3位(当時)の大ヒットを記録。世界興収13.4億ドルという歴史的成績は業界の古い常識を覆し、その後の映画・ドラマに大きな影響をもたらし た。また興行面だけでなく、本作は人種的アイデンティティーや政治的問題を掘り下げたストーリー、アフリカ文化とSF・科学的想像力を融合したアフロ・フューチャリズム、ケンドリック・ラマーが参加した音楽など、黒人でない観客の目にも新鮮かつシリアスなものとして映ったのである。
かくしてブラックパンサーは、またたく間に現代のポップカルチャー / ブラックカルチャーの顔となった。そして、ティ・チャラを演じたチャドウィック自身もひとつの象徴となったのだ。
もっとも、チャドウィックがその使命を担ったのは不思議なことではなかった。『42 ~世界を変えた男~』(2013年)で黒人野球選手ジャッキー・ロビンソン、『ジェームス・ブラウン 最高の魂を持つ男』(2013年)でファンクの帝王ジェームス・ブラウン、『マーシャル 法廷を変えた男』(2017年)で黒人初の最高裁判事サーグッド・マーシャルと、それ以前から実在するアフリカ系アメリカ人のアイコンを演じてきた彼が、ブラックパンサーという黒人スーパーヒーローのアイコンを務めることは運命だったはずだからだ。
ティ・チャラがMCUに初めて登場したのは『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』(2016年)。父親でワカンダ国王のティ・チャカを国連会議の爆破テロで亡くし、犯人と目されるウィンター・ソルジャー / バッキー・バーンズを追う役回りだった。若き政治家であり、ひとりの未熟な青年であるティ・チャラを、チャドウィックはきわめて誠実に演じている。その瞳に宿した覚悟と葛藤、優しさは、その後も一貫してティ・チャラという人物を表すものだ。
つづく『ブラックパンサー』は、ワカンダ国王となったティ・チャラの成長譚。彼が背負うのは一国を治める重圧、国民に対する責任、諸外国との関係、自国と王族の歴史、そして「王とはなにか、人とはなにか」という問いだった。国王・戦士・スパイを兼ねる複雑な主人公像を、チャドウィックは再び高潔さと純粋さをもって体現。肉体派アクションも難なくこなし、スーパーヒーローとしての風格も示してみせた。
映画のティ・チャラに感じられる人間性は、チャドウィック本人の性質にも大きく由来するものだ。ポップカルチャー / ブラックカルチャーにおけるブラックパンサーの重要性を深く認識していたチャドウィックは、『シビル・ウォー』ではアフリカ訛りの英語にこだわり、ワカンダの公用語をコサ語(ティ・チャカ役ジョン・カニの母語)に決めている。国連のシーンの撮影では、当日その場でコサ語の台詞を習得したという。
また『ブラックパンサー』では、脚本・演出・アクション・衣裳・振付など細部に至るまで自らのアイデアを提案。ライアン・クーグラー監督によると、マイケル・B・ジョーダンが演じたエリック・キルモンガーの最後の台詞は、チャドウィックの意見を受けて書き直され、完成版の かたちになったという。また、ワカンダの人々が王の戴冠式で踊るのもチャドウィックのこだわりだった。
チャドウィックは撮影の準備段階から、『ブラックパンサー』の製作における自分たちの決断がこの世界にどんな影響を及ぼすかを つねに考えていたという。クーグラー監督に対して、「この映画は(アフリカ系アメリカ人である) ぼくたちにとって『スター・ウォーズ』や『ロード・オブ・ザ・リング』以上のものだ」と時折語っていたそうだ。
ブラックパンサー . ティ・チャラを、一本の映画だけにとどまらない重要な存在として捉えていたのはマーベルも同じだった。『ブラックパンサー』と並行して製作された『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』(2018年)ではワカンダが主要な舞台となり、ティ・チャラはキャプテン・アメリカらを率いる立場に。続編『アベンジャーズ/エンドゲーム』(2019年)で一同が結集した際も、最初に姿を見せたのはティ・チャラたち。その後の大きな役割を予感させるには十分な存在感だった。
「ブラックパンサー/ティ・チャラとチャドウィック・ボーズマンは、今後のMCUとハリウッドに欠かせない存在になる」。そう誰もが思っていたからこそ、チャドウィックの訃報は大きな衝撃をもたらした。またファンだけでなく関係者をも驚かせたのは、彼が2016年の時点で大腸がんのステージ3と診断されていたこと。実際には『ブラックパンサー』の撮影前から闘病生活に入っていたものの、彼はその事実を家族以外にほとんど明かさず、治療を受けながら数々の映画に参加していたのだ。
700万以上の「いいね」数で、史上最多を記録したチャドウィックのツイート
チャドウィックはこの世を去る約1週間前まで、必ずがんを克服し、再び体重を増やして『ブラックパンサー』続編に出演するという意志を変えていなかったという。クーグラー監督やマーベル・スタジオの幹部でさえ、その病状を知らなかったのも無理はないだろう。
ティ・チャラを演じた最後の作品は、アニメシリーズ『 ホワット・イフ...?』(2021年~)。マルチバースのティ・チャラ / スター・ロードをはじめ、いくつかのエピソードで新しいティ・チャラ像を好演した。その軽やかなキャラクター性を気に入り、『ブラックパンサー』続編にも活かそうとしていたというから、やはり本人はこの役柄を長く演じ続けるつもりだったのだ。ブラックパンサーという存在を通じて、世界に語りかけたいことはまだまだたくさんあったに違いない。
ブラックパンサー役に殉じたチャドウィックの逝去を受け、マーベルは彼の代役を起用しないこと、また生前の姿をCG技術で再現しないことを決定。ティ・チャラは『アベンジャーズ/エンドゲーム』後に病死した設定となり、クーグラー監督は、すでに完成していた続編の脚本を大幅に書き直した。ティ・チャラの物語は、こうして突然の終幕を迎えたのだ。
しかしティ・チャラ自身の言葉を借りるなら、「ワカンダでは死は終わりではない」のである。『シビル・ウォー』で初登場した際、彼は「死は終わりではありません。むしろ出発点なのです」と祖国の伝承を口にしていた。最後の作品である『ホワット・イフ...?』でも、やはり「ワカンダじゃ死は終わりじゃない。我々が忘れない限り、みな近くにいる」と言っている。
ワカンダの戦士たちはブラックパンサーを代々受け継いできた。だからティ・チャラが遺したものも、きっとワカンダの人々によって受け継がれていく。そしてチャドウィックが遺したものも、必ずや周囲の人々が――あるいはハリウッドそのものが――受け継いでゆくはずだ。
『ブラックパンサー』以降、ハリウッドではアフリカ系のみならず、さまざまな人種が映画のなか で表象される機会が飛躍的に増えた。非白人のクリエイターによって多種多様な物語が語られ、たくさんの映画が興行的に成功し、賞レースでも高い評価を得ている。「黒人映画は当たらない」という言説は過去のものとなり、業界の人種差別も解消の方向に進んでいるのである。
2022年11月11日には、『ブラックパンサー』の続編映画『ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバー』が公開される。MCU史上初、主役不在の続編だ。チャドウィックのレガシーを継ぐことを命題とした本作を、マーベル・スタジオのケヴィン・ファイギ社長は「チャドウィックの仕事に捧げる」と公言。彼の新しい演技をもう観られないことは痛恨の極みだが、その精神はこのようにして、これから先もこの世界に残り続けていく。
ティ・チャラ、そしてチャドウィック・ボーズマンよ、永遠に。私たち観客も、作品を観ることで何度でも彼と出会い直すことができる。かつてティ・チャラが神秘のハーブを飲み、草原で先祖たちに出会ったときと同じように。