Text by 原里実
Text by 菊池良
村上龍による長編小説『MISSING 失われているもの(以下、MISSING)』が10月に文庫化され、話題になっています。
この作品は作家デビューから40年以上経つ村上龍の新境地だと言われています。何が新境地なのでしょうか。それは時代状況を取り入れながら小説を紡いできた著者が、ここにきて私小説的な手法を取り入れたからです。
さて、『MISSING』は、こんなストーリーです。
小説家の「わたし」に、あるとき飼い猫が話しかけてくる。猫は「あの女を捜すんだ」と告げる。「わたし」は冷静に、これは猫の言葉ではないと判断する。この言葉は「わたし」が考えていることに過ぎないはずだと。
猫の言う「あの女」とは誰なのか。「わたし」は、3年前に成瀬巳喜男の『浮雲』をいっしょに見た真理子と再会する。彼女は「シェルブール」というレストランに行こうと「わたし」を誘う。しかし、「シェルブール」はすでに閉店しているはずだが……真理子は「過去」へと向かう電車に「わたし」を案内する。
幼少期から「わたし」には不意に「光の束」を見るという傾向があった。光の束は刺激的なイメージとともなってあらわれ、スクリーンのようにさまざまなものを映し出す。
やがて「わたし」には母の声が聞こえはじめる。そして、「わたし」の意識は幼少期へと向かっていくのだった——。
『MISSING』は私小説的でありながら、謎をはらんだ展開をしていきます。読者を幻想的な世界へといざなうのは、「光の束」です。
村上龍は1952年生まれ。1976年、24歳のときにデビュー作である『限りなく透明に近いブルー』で芥川賞を受賞しました。セックスや麻薬に溺れる若者たちのすがたを描き、話題になりました。同作はミリオンセラーとなり、著者自らが監督・脚本を務め映画化もしています。
その後は精力的に長編小説を執筆するようになり、社会の状況を作品に積極的に取り入れながら、時代と格闘しつづけてきました。たとえば、映画化もされた『コインロッカー・ベイビーズ』(1980年)では、当時社会問題となっていたコインロッカーベイビー——新生児が駅などに設置されたコインロッカーに遺棄される事件を題材にしています。また『五分後の世界』(1994年)では、現在に至るまで、第二次世界大戦での連合軍との戦いを継続している並行世界の姿を通じて、逆説的に現代の日本を描きました。
『新装版 限りなく透明に近いブルー』『新装版 コインロッカー・ベイビーズ』(ともに講談社文庫より刊行)
一方、小説のなかで「時代」を書くことはしても、「わたし」を書くことはあまりしていない作家でした。このような私小説的な作品を書くのは異例のことです。著者自身も「これまで書いたことがない小説を書いた」と振り返っています。
『MISSING』の主人公である「わたし」はある程度の年齢になった小説家で、村上龍自身を思わせます(もちろんすべてが重なるわけではありません)。「わたし」は光の束を見て母の声を聞くことで、幼少期のことやデビュー作の執筆当時のことを思い返します。
光の束は、映画を思わせます。映写機から光を発して映像を投影する映画は、まさに光の束です。「スクリーン」にたとえる記述も出てきます。
『MISSING』では、それぞれの章のタイトルが映画から取られています。
第一章「浮雲」……成瀬巳喜男(1955年)
第二章「東京物語」……小津安二郎(1953年)
第三章「しとやかな獣」……川島雄三(1962年)
第四章「乱れる」……成瀬巳喜男(1964年)
第五章「娘・妻・母」……成瀬巳喜男(1960年)
第六章「女の中にいる他人」……成瀬巳喜男(1966年)
第七章「放浪記」……成瀬巳喜男(1962年)
こうして並べると、どれも1950年代~1960年代までの日本映画からとられています。これは著者が1952年生まれですから、著者の幼少期と重なります。本書のテーマのひとつは「記憶」なので、著者の幼少期の記憶のなかにある映画をセレクトしたのかもしれません。なかでも、成瀬巳喜男の作品が多いです。
成瀬巳喜男は戦前から戦後にかけて活躍した映画監督で、端正な人間模様を描くことを得意とした作家です。生涯に89本の映画を残しています。
『浮雲』と『放浪記』は、どちらも林芙美子による小説が原作になっています。1903年生まれの林芙美子は、職を転々としながら小説を書き、自伝的な『放浪記』がベストセラーに。『MISSING』の作中でも、林芙美子と思わしき作家について、人生経験の「すべてを小説を書くために使った」と言及されます。
第八章以降は、第八章「浮雲」Ⅱ、第九章「ブルー」、終章「復活」とつづいていきます。「ブルー」と「復活」が映画からの引用なのかは定かではありませんが、「ブルー」は著者のデビュー作である『限りなく透明に近いブルー』を、「復活」は主人公の心情を現しているのかもしれません。
村上龍は経済番組のホストを務めるなど、執筆のみにとどまらない活動をしています。この小説も2013年からメールマガジンで連載し、当初は宝飾品ブランドのブルガリがスポンサードしていました。企業の提供によってメールマガジンで連載するという、日本の小説業界においてはめずらしい試みを行っていたのです。文庫版以前には電子書籍版も出版されているのですが、こちらは連載時と同じく横書きで、小説中に多数の写真が挿入されているという、形式的にもめずらしいアプローチがとられています。
このように作品自体は私小説的な内容ですが、つくられ方は新たな時代状況を取り入れているところが『MISSING』の特徴です。また、ある種の「小説論」として読むこともできます。
この新しい作品は、表現とはなんなのかを問いかけてきます。