トップへ

【一番好きな戦国武将ランキング】2位は「独眼竜」とも呼ばれた伊達政宗! 圧倒的人気で1位になったのは?

2022年11月07日 14:01  マイナビニュース

マイナビニュース

画像提供:マイナビニュース
NHKの大河ドラマや映画などでも繰り返し多く取り上げられ、大人から子どもまで話題に上がることが多い戦国武将。歴史の授業には興味がなかったという人も、近年ではゲームやコミックなどの影響で、男女ともに盛り上がり、中にはアイドル的人気を誇る武将なども登場して、聖地巡礼やグッズ販売なども行われているようです。



そこで今回は、好きな戦国武将のアンケートを実施。最新の戦国武将人気ランキングをご紹介します。


では、早速「戦国武将」のランキングを見て行きましょう。どんな武将が選ばれているのでしょうか?

○好きな戦国武将ランキングで紹介!


1位:明智光秀 153票

2位:伊達政宗 86票

3位:真田信繁(真田幸村) 81票

4位:石田三成 47票

5位:織田信長 26票

6位:上杉謙信 23票

7位:大谷吉継 22票

8位:細川忠興 21票

9位:細川幽斎 20票

10位:最上義光 17票

11位:武田信玄 15票

12位:織田信忠 12票

13位:黒田官兵衛(黒田孝高) 12票

13位:直江兼続 12票

14位:伊達輝宗 11票

15位:浅井長政 10票

15位:真田昌幸 10票

15位:島津義久 10票

15位:竹中重治(竹中半兵衛) 10票

15位:本多忠勝 10票



○1位:明智光秀 153票


たくさんの戦国武将の中で、圧倒的な人気で1位に選ばれたのは明智光秀でした。戦国時代から安土桃山時代に生きた戦国武将で、織田信長に仕え、活躍しました。しかし、光秀と言えば、謀反を起こし主君の信長を「本能寺の変」で自害させた張本人として知られ、その後、天下を取るが10日間ほどで羽柴秀吉によって捕らえられ「三日天下」という言葉を生み出したと言われています。こうした史実からかつては「裏切者」というイメージが強かった光秀ですが、最近の歴史コミックなどでは、信長を信頼・尊敬し、さまざまな働きをして重用されていたことなどが丁寧に描かれているものが増えています。



また、最終的に主君を裏切り天下を目指した理由についてもいろいろな説が語られ、謎の多い光秀にはロマンを感じている歴史ファンが多いようです。


【Twitterでのコメント抜粋】

「迷いましたが明智光秀に投票。」

「明智光秀に入れました。」

「明智光秀に投票しました」

「もちろん明智光秀さまです」



○2位:伊達政宗 86票


2位は出羽国と陸奥国の戦国武将、伊達政宗でした。政宗は伊達氏の17代当主で、仙台藩の初代藩主としても知られています。幼少の頃に天然痘を患い、右目を失明し隻眼になったことから、「独眼竜」という異名も持っていました。豊臣秀吉の信頼を得て、秀吉の没後は徳川家康側につき、関ヶ原の戦い、大坂夏の陣などでも活躍しました。機転が利き、戦場でも強かった政宗ですが、さらに失明した右目に黒い眼帯をし、大きな金の月が美しい黒塗りの兜や甲冑をつけた姿から「伊達者」という言葉も生みました。コミックやゲームでも政宗のカッコいい姿が描かれ、人気につながっています。


【Twitterでのコメント抜粋】

「伊達政宗サマ一択ではあるんだけど……」

「政宗様に清き一票を!!!!」



○3位:真田信繁(真田幸村) 81票


3位は、父の真田昌幸と同様、軍略家として知られる真田信繁でした。真田幸村の名前でよく知られています。秀吉の臣下となって、秀吉の死後も豊臣方につき、大坂夏の陣では敗れはしたものの、家康の本陣まで攻め入ったことで、のちに「日本一の兵(ひのもといちのつわもの)」と言わしめたという史実が残っています。2016年に放送されたNHKの大河ドラマ『真田丸』でも信繁を演じた堺雅人さんと、父・昌幸を演じた草刈正雄さんの演技が人気となり、評判を呼んだことを覚えている人も多いでしょう。ちなみに「真田丸」とは、信繁が実際に大阪城に築いた出城のことです。


【Twitterでのコメント抜粋】

「もちろん、真田幸村を投票しました。」

「真田信繁(幸村)しか勝たん! 」



○4位:石田三成 47票


4位に選ばれたのは、安土桃山時代の武将、石田三成でした。秀吉の子飼いとして育ち、秀吉が天下人となってから徐々に台頭していった光成は、戦国時代きっての頭脳派と呼ばれています。秀吉に「堺奉行」を任じられた際には、堺を完全に掌握し、兵站基地として整備。また、その後の九州平定や関東の小田原征伐、後北条の支城制圧にも光成の頭脳が遺憾なく発揮されました。中でも現在の埼玉県行田市にあった忍城では、近くの元荒川の水を引き水攻めを行いました。この際に作られた堤は現在でも「石田堤」ととして見ることができます。関ヶ原の戦いで家康に敗れはしたものの、家康に「こういう家臣が欲しかった」と言わしめたという史実も残っています。

○5位:織田信長 26票


5位にランクインしたのは、尾張国に生まれ、戦国時代から安土桃山時代に活躍をした武将、織田信長でした。信長は、「桶狭間の戦い」や「長篠の戦い」で大勝利をし、「天下布武」を旗印として天下統一を目指していましたが、それを目前とした1582年、重臣だった明智光秀の謀反によって「本能寺」で自害に追い込まれました。信長と言えば、豪快で介達なイメージがある一方で、「比叡山焼討ち」などに代表されるようにきわめて残虐で家臣に対しても厳しい人だったと言われています。しかし、常人とは違う感覚とこの時代の人としては先進的な目を持つ武将で、戦国時代を代表するひとりと言っても過言ではないでしょう。

○6位:上杉謙信 23票



6位は、「越後の龍」と呼ばれた上杉謙信でした。謙信は自らを「毘沙門天の生まれ変わり」と称し、生涯で70もの戦を行いましたが、一度も負けたことがないほど、神がかっていたと言われています。隣国の甲斐の武田信玄とは生涯を通じて対立、川中島を境にして何度も戦いましたが、いずれも上杉軍が勝利を収めています。また、信長と戦ったときには、「案外弱い」と評したそう。そんな強い謙信でしたが、信長家臣の柴田勝家との戦いに勝利したあと、急死。天下を取ることは叶いませんでした。現在でも、生涯無敗の「軍神」のストイックなカッコよさは多くの人の心を引き付けています。

○7位:大谷吉継 22票



7位に選ばれたのは、豊臣秀吉の臣下で有能な軍略家でもあった大谷吉継でした。吉継は、近江に生まれ、秀吉の小姓となって「播磨国攻略」や黒田官兵衛とともに「備中高松城」の水攻めなどに参加。九州征伐では石田三成の配下となって活躍し、敦賀城城主になります。このころから三成との友情を深めていったようです。そして、「関ヶ原の戦い」で当初、徳川家康側の東軍として参戦する予定だった吉継は、西軍の長だった三成と会い、西軍へと寝返ります。秀吉にもその能力を高く評価されていた軍略家だった吉継が、絶対不利だった西軍につき、最終的に小早川秀秋の謀反によって自害に追い込まれたエピソードは、三成との深い友情を現したものとして高評価を受けています。



8位には、若くして「織田信長」に仕え、数々の武功で名を上げた細川忠興、9位は細川幽斎、10位は最上義光、11位は武田信玄と続きます。ほかにも伊達政宗の実父である伊達輝宗、近江の武将で信長の義弟(妻が信長の妹)だった浅井長政、真田幸村の父の昌幸、薩摩の戦国武将で秀吉、家康の配下で生きた島津義久、羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)を支えた参謀、竹中重治(半兵衛)が選ばれています。



下位になると、華々しい活躍をした人よりその当主を支えた縁の下の力持ち的武将が多く選ばれているのが特徴的です。しかし、こうした人たちがいたからこそ、主役たちが輝かしい活躍を見せることができたことは間違いないところでしょう。


今回の「好きな戦国武将ランキング」は、これまでとはまた違った結果になっているように感じられますが、どうでしょうか? それぞれの戦国武将に対しては、かつては、有名な逸話や後の時代になってから作られた創作などが入り混じって語られていたこともあったようです。しかし、最近では違う解釈がされたり、違う側面から見たら「こんな人だった」というような見解も多く出てきています。それらとゲームやコミックなどの姿を総合することで、人気の武将も変わってきているのかもしれませんね。


●調査概要

調査期間:2022年10月13日~10月18日

有効回答数:907

※80件の選択肢から、上位15位までのランキングとなります。(フォルサ)