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KinKi Kidsメンバー分析 第1回:堂本光一、エンターテイナーとしての美学 ジャニーズエンタメを追求する揺るがぬ信念

2022年11月04日 06:01  リアルサウンド

リアルサウンド

KinKi Kids

 2022年7月21日に、デビュー25周年を迎えたKinKi Kids。東京ドームでの周年記念イベント『24451~君と僕の声~』の開催、YouTubeチャンネルの開設、25周年にかけて25円でのCMタイアップ、そして『中居正広の金曜日のスマイルたちへ』(TBS系)をはじめとしたスペシャル番組への出演、デビュー前から続くラジオ『KinKi Kidsどんなもんヤ!』(文化放送)の生放送スペシャル……などなど、2022年は祝福ムードで大いに盛り上がった。年末年始には東京と大阪にてドーム公演も決定し、ファンの楽しみはさらに続く。そこで、改めてKinKi Kidsの魅力をおさらいしていきたい。まずは堂本光一から。


(関連:堂本光一、F1マシンをバックに晴れやかな笑顔 King & Princeとの遭遇も報告


■何かに導かれるように出会った2人の関係性


 同じ“堂本”という名字、同じ1979年生まれ、同じ関西出身。堂本剛と堂本光一の出会いは、運命的としかいえないものだった。偶然の一致にしては、できすぎている。それがKinKi Kidsという不思議なデュオの最初の魅力だ。バラエティ番組のトークシーンを振り返ると、2人が同時に同じフレーズでツッコミを入れたり、同じ動作で笑いを取ろうとする瞬間が多数ある。その驚異のシンクロ率は歌声にも当てはまり、彼らの楽曲を多く手掛けてきたシンガーソングライターの堂島孝平が「まるでひとりで歌っているように聞こえる瞬間がある」と証言したほどだ(※1)。


 一方で、お互いに連絡先も知らないというドライな関係を漂わせる2人。彼らの持つ運命的なものは何なのか。そんなふうに考え始めたら、もうKinKi Kidsの魅力にハマっている証拠。「みんなが思っているほど剛くんのことを知りません(笑)」とは、堂本光一が雑誌のインタビューで答えていた言葉(※2)。やはりドライな感じを受けるが、そのすぐあとに「ただ、この2人だったから、今がある。それがすべてです」と続くからたまらない。この一見クールでシビアに感じられる眼差しや言葉の中に、堂本光一の美学や愛情を見出すこともまた、ファンの喜びでもあるのだ。


■ジャニーズの「記録」と「記憶」を塗り替えてきた日々


 KinKi Kidsの歩みを振り返ると、「日本のチャートにおいてシングル1位獲得最多連続年数」「デビュー時から最も多く連続でNo.1を獲得しているシングル数」とギネス記録の認定を受け、堂本光一ソロでいえば舞台『SHOCK』シリーズで国内ミュージカル単独主演記録を更新し続けるなど、レジェンド続きだ。彼が『SHOCK』シリーズの座長になったのは、21歳の時のこと。帝国劇場史上最年少での座長だった。よくジャニー喜多川とぶつかり、「褒められたことがない」とも明かしている。舞台のクライマックスの演出に「YOU最悪だよ」と言われ続け、それでも「絶対にいいシーンになるから」と食い下がり、最後は「勝手にすれば」と突き放されたこともあったそう。考えてみれば、ものすごい度胸である。事務所の社長であり、ジャニーズという文化を築いたジャニー喜多川に、20代の青年が自分の意思を貫くというのは。


 しかし、そうして自分を出していく姿勢にも、「YOU出ちゃいなよ」でおなじみのジャニーズイズムがあると本人は振り返っている。届けようとするエネルギーは最大限に、でも迷いや不安は最小限に。悩んでも意味のないことは削ぎ落とす。堂本光一の信念は実にシンプルだ。かねてより、F1好きで知られる堂本光一。その理由のひとつに、いらないものを削ぎ落として作られたF1カーの美しさにあるそうだ。「美しさって、作られたものじゃないと僕は思うんですね」(※3)と語る彼は、年齢を重ねるごとにアイドルに求められる華美なイメージを削ぎ落としていった。コンサートではファンサービスよりもパフォーマンスに集中するスタイルを取り、ラジオなどでは早々に素の姿を披露してきた。ファッション好きな堂本剛に対して、「ただの布だぜ?」と言ってしまう堂本光一のバランスも、飾らないからこそ見えてきたもの。かっこつけないかっこよさ。自分を必要以上に大きく見せない潔さ。不器用ながらにやるべきことを続けていく勤勉さ。その結果としての美しさ。彼の信念は、ジャニーズアイドルの魅せ方の一つとして確立されていったのだ。


■“Show must go on”を体現していく存在に


 この数年を振り返っても、個人の力ではどうすることもできない現実が多々あった。芸能界の親とも言えるジャニー喜多川が旅立っていったこと。そして“兄さんたち“として敬愛していたSMAPが解散したことも、堂本剛を襲った突発性難聴も、そして世界的パンデミックに見舞われてエンタメのあり方が揺らいだこともそうだ。しかし、堂本光一という人間はいつだって毅然と、そして愛情深く、残酷な現実と向き合ってきた。その姿は『SHOCK』シリーズで語り継がれてきた“Show must go on”そのもの。


 そして、その言葉の持つ響きも時代によって変わってくると語っている。かつては何があっても幕を開け、何があっても途中で閉じることはあってはならない、という意味だったのに対して「つまずいた時に何ができるか。振り返って、そこから新しいものが生まれていく。そういったものにニュアンスが変わっていった」とし、「何があっても、柔軟性を持って動いていけたらいいなと思っています」とコメントしている(※4)。


 今ではすっかりおなじみになった“ジャニーさんイジり”も、KinKi Kidsが最初だったと言われている。そのスタンスはジャニー喜多川が旅立った後も変わらない。音楽特番『音楽の日2020』(TBS系)という大きな舞台で、堂本光一はジャニー喜多川風の衣装に身を包み、「KANZAI BOYA」を歌うショーを見せてくれた。MCを務めた中居正広に絡んでいく流れも、SMAPとKinKi Kids双方のファンを喜ばせるものだった。悲しみにくれるよりも、今できることで笑顔を届けたい。堂本光一のエンターテイナーとしての熱い思いを感じられる瞬間でもあった。


 堂本剛の突発性難聴に対しても、2人での合作「Topaz Love」へと昇華。20周年記念イベント中にファンの前で披露し、堂本光一の希望により堂本剛が急きょ詞の一部を書くというグッとくる展開もあった。さらにこのパンデミックを受けて舞台が中止になった際には、帝国劇場からInstagramで2時間以上に渡って生配信を決行。これは帝国劇場としては1911年の開館以来初のことだったと言われている。


 いつだって何か新しいことを探し、柔軟にステージの幕を上げてきた。その姿があまりにも凛としていたため、泥臭く感じられないのも、彼のスター性ゆえだろう。しかし、こうして振り返ると彼の貪欲さが見えてくる。そして、その熱意はこれから後輩たちの舞台を通じて受け継がれていくのだろう。


 2020年からは舞台『DREAM BOYS』の演出家として正式にクレジットされ、2023年1月から始まる『JOHNNYS’ World Next Stage』では、東山紀之、井ノ原快彦と共に演出を務めることが発表された。3人での演出というのは、長年舞台に携わってきた堂本光一も未知の挑戦だ。そしてなおも彼の口からは、あの人の名前が挙がる。「ジャニーさんが残した大切な作品から継承していくべき部分、そして、これから生まれてくる新しい部分を融合できればと思っています」(※5)。Mr.“Show must go on”とも言える堂本光一が、これからも時代の変化と共に新しいジャニーズエンタメを届けてくれるのを楽しみにしている。(佐藤結衣)


※1:https://rockinon.com/news/detail/166240
※2:https://baila.hpplus.jp/51550
※3:https://maquia.hpplus.jp/life/news/74625/
※4:https://news.dwango.jp/moviestage/58828-2102
※5:https://www.oricon.co.jp/news/2255339/full/