他人の不幸は蜜の味。そういう言葉があるんだけども、なかなか表立ってこれを支持することはできない。でも、たとえばそれがパチンコをやっている人の味わう不幸だとしたらどうだろうか。なぜか笑い話になりがちなのだ。今日はそういう話をシェアしていきたい。(文:松本ミゾレ)
「やっぱパチンコなんて行くもんじゃないね」と言っているが……
先日、5ちゃんねるに「【悲報】大学生ワイ、仕送り6万をパチンコで溶かした上に自転車を盗まれてさすがに泣く」というスレッドが立っていた。スレ主は大学生なんだけど、残念なことにパチンコ、パチスロにハマってしまっている。
まあ、バイトして自分で稼いだお金で適度に遊ぶ分には良い社会勉強なんだけど、彼の場合は親御さんからの仕送りまで使っていた。これは良くないお金の使い方だ! そんな彼の、ある日の不幸な顛末をちょっと引用する。
「やっぱパチンコなんて行くもんじゃないね」
「(自転車を)パチンコ屋の駐輪場に止めておいたら盗まれました」
「ティガ投資14k単発、ユニコーン投資23k単発、バジリスク絆2投資19k天井スルーで6万溶かしたんだ」
パチンコ2機種、パチスロ1機種乱れうちの挙句に自転車も盗まれたという塩梅。可哀想っちゃ可哀想だけど、そもそもこの不幸のすべてはパチンコをしなければ起きなかったわけで。もっと言えば、親の仕送りをちゃんと大事にしていれば、そもそもこんなことも起きなかったということでもある。
これが大学の構内でカツアゲに遭って、なおかつ自転車が消失したとかなら流石に取り上げないけど、そうじゃないからなぁ……。
普通は最低限の生活費は残すもの
ちなみにこのスレッドを立てた可哀想な大学生。かなり将来有望な人材でもある。もちろん、この場合の「将来有望」とは、パチンコ打ちとしての話である。
というのも、書き込みを遡っていくと「いやもうマジで来月給料入るまでパチンコはおろか自販機でジュース買う事さえ困難や」という発言が。本当に切羽詰まった人間は、最低限の生活費は残すもの。これはパチンカスであっても変わらない。
しかし彼の場合は、結局最後は親がなんとかしてくれるであろうという甘えがあるのだろう。マジで全部使っちゃうのだ。結果、ジュースを買うことも困難という状態になっても、まだスレ立てをする余裕があるのである。
さらに「給料入るまで」という一文も気にかかる。アルバイトだろうか。給料もらっておいて親からの6万の仕送りも溶かし、そしてジュースは買えない。彼はどんだけパチンコホールに通っているのだという話になってもくる。
また、自身を棚上げして他人を腐すムーブも忘れない。お金を借りてリベンジすることを提案する悪いユーザーに対して「お前みたいになんJに張り付いてる社会のゴミとは違ってワイはまだ借金してパチンコはダメだと思える理性兼ね備えてるんだ」との返信が煌めく。争いは同じレベル同士で起こるという言葉があるが、その通りの事態になっちゃっている。
そして極めつけは「ワイちゃん自転車がないと大学に行くのすら面倒くさい」という書き込み。考えてみれば20年ぐらい前、パチンコホールにはこういう大学生が結構いたなぁー。みんな今頃何してるんだろう。
なんかこう、スレ主はクズっちゃクズだけど、懐かしいダメ大学生の香りを感じさせるタイプのクズで、何というか、懐かしい気持ちにさせられた。元気に育ってほしいものである。