2022年10月24日 10:31 弁護士ドットコム
「労災は絶対に申請しないように」。町工場で働いているアキラ(仮名)さんは、業務による負傷で休業を余儀なくされた際、給与を満額支払うことと引き換えに、社長から何度も釘をさされたという。
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社長は笑いながらこうも言い放ったそうだ。「紙で手を切っても、労災っていうんですか、ってはなし。それと一緒で、そんなものは労災にはあたらない」とアキラさんの症状を、一蹴した。
アキラさんは、分厚い板などをナイフでカッティングする仕事にたずさわっている。
異変が訪れたのは、ことしの春。新型コロナウイルスの影響によって鈍っていたクライアントからの発注が急増した。コロナで落ち込んだ業績をなんとか持ち直したい会社は、社員が処理できないほどの仕事を次から次へと請け負ってくるようになり、夜遅くまでの残業や休日出勤が当たり前になった。
そんななか、肩に違和感を覚えるようになった。夏ごろには違和感は次第に痛みに変わり、それからじわじわと腕から指先にかけては痺れが生じ、秋になるころには道具が持てないほどになった。
アキラさんは一時的に休業したものの、「満額給料を払ってもらいながら、会社には申し訳ないという気持ちになってしまい」、診断書の休養期間を早め、無理をおして復帰することにしたのだという。
だが、待っていたのは針のむしろだった。「仕事に穴をあけられて迷惑をかけた」「給料泥棒」。アキラさんが休業したことによって、腹を立てた上長をはじめとする同僚全員から怒りの言葉を投げかけられ、無視されるようになった。
処方された痺れ止めと痛み止めでごまかして挽回しようとしたが、これまでと同様のパフォーマンスは発揮できなくなってしまった。
業務量や残業時間の軽減を上長に求めたが、「なにか仕事を指示しても、また休まれたらたまったもんじゃないから、なにも指示できない」と仕事はすべて取り上げられた。最後には、全員の前で謝罪を求められた。
その後、症状も改善がみられず、通院と服薬、リハビリを自費で続けている。
アキラさんは現在、「このまま窓際の日々が続けば、そのうち退職に追いやられそうだ。会社の言いなりになって労災申請しなかった自分がいけなかったのではないか」と自分を責め続けている。
アキラさんの会社のように「労災隠し」がおこなわれる実態やその背景について、労災事故などに詳しい波多野進弁護士に聞いた。
まず、なぜ労災隠しがあるかというと、労災となると労基署の調査が入るからです。清廉潔白な会社だったら問題ないんでしょうけど、叩けばほこりが出ることを、会社がわかっているからというのが大きいですね。そこでお金を握らせて、労使間で完結させようとするのです。
では、今回のケースについて説明していきます。社長のコメントについてあえて言及すると、紙で手を切っても労災は労災です。
業務遂行中の明らかなけがを報告しなければ、労働安全衛生法違反になる可能性がありますが、残念なことに、けっこう多いパターンです。
ただ、申請を断念させて無理やり復帰させて、「お前は迷惑をかけている」という話ですから、悪質性が高いケースです。
この場合、どうやって痛めたかという「つながり」が大事です。たとえば上から看板が落ちてきましたとか、脚立から落ちましたといった業務遂行中の事故によって傷害を負った場合には労災事故と傷害の因果関係(業務起因性)ははっきりしているのが通常ですが、今回のケースのように長時間仕事で使いすぎて痛めました、痺れました、とかだと、業務によって引き起こされたということは必ずしも明らかではないので、雇用主の弁解や言い逃れの余地があります。
いまからでも遅くないので、まずは申請すべきだと思います。申請しておかないと、いま現在、身分がなくなりそうな状況で、さらに退職を余儀なくされたあと、後遺症も残っていて、やっぱり労災申請したいとなったときに、そもそも時効にかかっていたり、時の経過によって立証が困難になったり、労災と認められない可能性が高まってしまいます。
もっとも、会社が協力しなかったとしても、労災は申請できます。労災申請の主体は、被災者、労働者、もしくは亡くなった遺族です。会社が申請を認めない、労災申請書類に署名押印しなかったとしても、会社は申請を止めることはできず、被災労働者や遺族は労災申請をすることができます。そして、労災かどうかを判断するのは会社ではなく労基署です。
申請欄には、事業主欄の証明欄があるのですが、それがなくても申請はできます。会社側が協力しなかったら申請できないと勘違いされている方はけっこう多いのですが、そんなことはありません。
どうも迷惑をかけているとか、退職に追い込まれそうというのだったら、労災認定を得たうえできっちり治るまで労災で療養、休業するほうがいいと思います。でないと、会社からしたら従業員の都合で休んで、従業員の都合で仕事がうまくできないという話になってしまい、今回の場合も、たんなる私病で終わってしまっています。
厳しい状況といえますが、その会社に居続けるという自分の行く末とをはかったうえで、在職しつつも休職して労災認定を目指すのかどうか(その際にはいったんは傷病手当の受給を受けつつ労災申請を行い、労災認定後に傷病手当を返還するということが多い)など、早めに専門家に相談するか、もしくは、労組に入りつつ、交渉をしながら身分を守る手立てを取るのかだと思います。
【取材協力弁護士】
波多野 進(はたの・すすむ)弁護士
弁護士登録以来、10年以上の間、過労死・過労自殺(自死)・労災事故事件(労災・労災民事賠償)や解雇、残業代にまつわる労働事件に数多く取り組んでいる。
事務所名:同心法律事務所
事務所URL:http://doshin-law.com