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キッド・カディが与えた衝撃。「心の弱さ」を吐露するラップは、いかにしてヒップホップを変えていったか

2022年10月17日 20:00  CINRA.NET

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Text by 山元翔一
Text by アボかど

Kanye West(カニエ・ウェスト)率いる「GOOD Music」での活動で知られるKid Cudi(キッド・カディ)。オハイオ州クリーブランド出身のこのラッパーは今年、多くのニュースを振りまいてきた。

7月にはベストアルバム『The Boy Who Flew to the Moon, Vol. 1』をリリースし、名作ミックステープ『A Kid Named Cudi』を各種ストリーミングサービスで解禁。9月には原案・制作・主演声優を務めたアニメ『Entergalactic』をNetflixで配信し、同名のニューアルバムもリリースした。さらに10月17日には東京の豊洲PITで来日公演も実施される。

Kid Cudi(キッド・カディ)
アメリカ合衆国オハイオ州クリーブランド出身のラッパー、歌手、ソングライター、音楽プロデューサー。2010年からは本名のスコット・メスカディ名義で俳優としての活動をはじめており、音楽、テレビ、映画など幅広い分野で高い評価を得ている。

来日公演は8月から行なっているワールドツアー『To The Moon 2022』のうちのひとつで、これまでにはアメリカの各都市やカナダに訪れ、北米ツアーの締めくくりとなった9月17日の地元・クリーブランド公演は初の主催フェス『Moon Man’s Landing』の枠で実施。

フェスにはPlayboi Carti(プレイボーイ・カルティ)やHAIM(ハイム)といったKid Cudiとの共演曲を発表している大物アーティストのほか、初期からKid Cudiとともに活動する地元のラッパーのChip Tha Ripper(チップ・ザ・リッパー)も出演した。このことが指し示すように、最近のKid Cudiは原点回帰ムードが強い。

『Moon Man’s Landing』のサイトより(外部サイトを開く)

Netflixアニメとニューアルバムのタイトル「Entergalactic」は2009年リリースの1stアルバム『Man on the Moon: The End of the Day』収録曲“Enter Galactic (Love Connection Part I)”から取ったものだし、アルバムの中身もトラップやUKドリルなども取り入れていた近作と比べて初期作品に立ち返ったような路線だった。

2008年に発表した『A Kid Named Cudi』の再リリースやベストアルバムもまさにその流れで、フェスでも初期の曲をいくつか披露していた(*1)。

こういった初期作品にスポットライトをあてるような動きを通じて、Kid Cudiの登場がヒップホップに大きなインパクトを与えて現行シーンの形成につながっているということ、そしてそのメッセージが現在も有効であるということをあらためて考えさせられる。

そこで今回はKid Cudiの功績を振り返り、その重要性を再確認していく。

Kid Cudiから影響を受けたと公言するアーティストは非常に多い。

Travis Scott(トラヴィス・スコット)は自身の芸名「Scott」をKid Cudiの本名「Scott Mescudi(スコット・メスカディ)」にちなんだと話すほどの心酔ぶりで、ほかにもScHoolboy Q(スクールボーイ・Q)やA$AP Rocky(エイサップ・ロッキー)、Lil Yachty(リル・ヨッティー)……などなど、現行シーンを代表するようなラッパーが口々にその存在の大きさを語っている(*2)。

そのなかのひとり、Logic(ロジック)は「Kid Cudiが俺に不安とかメンタルヘルスとか、そういうことについて話す気にさせてくれた」と2018年にZane Lowe(ゼイン・ロウ)の番組に出演した際に話していた(*3)。

Logicは2017年に全米自殺防止ライフラインの番号をタイトルに冠したシングル“1-800-273-8255”をヒットさせていたが、メンタルヘルスに悩む人々に自殺以外の選択肢を示す同曲が生まれた背景にはKid Cudiの影響があったのだ。

Kid Cudiはエレクトロニカやロックなどを取り入れたサウンドや歌うようなフロウも特徴だが、Logicが語るように「心の弱さ」について歌っていたことがヒップホップ史において特に重要だった。

現在ではLil Uzi Vert(リル・ウージー・ヴァート)の“XO Tour Llif3”やXXXTENTACION(XXXテンタシオン)の“Jocelyn Flores”のような心の弱さを歌う曲はすっかりヒップホップに定着したが、歌詞解説などを行なうサービスのGeniusによる記事「A Decade After ‘Man On The Moon: The End Of Day,’ The Legacy Of Kid Cudi’s Debut Is Still Evolving」が指摘するように(*4)、Kid Cudiがいなかったらその景色はなかったかもしれない。

Kid Cudiが登場した2000年代後半のヒップホップシーンでは、Rick Ross(リック・ロス)に代表される強気なギャングスタラップや華やかな暮らしを歌ったもの、Soulja Boy(ソウルジャ・ボーイ)のようなダンスヒット系などが人気を集めていた。そこに属さないKanye Westのようなタイプでも自信満々な姿勢は共通しており、それ以前のヒップホップでもメンタルヘルスはトピックとして定番のものではなかった。

そんななか、Kid Cudiが2007年に発表したシングル“Day ‘N’ Nite”は孤独から来る不安を紛らわせるために大麻を吸う曲だった。

同曲をきっかけにKid Cudiは注目を集め、Kanye West率いるGOOD Musicに加入。そして2008年にミックステープ『A Kid Named Cudi』を発表し、人気を拡大していく。

Kid CudiをフックアップしたKanye Westは、Kid Cudiからの影響をかなり強く受けていた。

2008年にリリースしたアルバム『808s & Heartbreak』ではKid Cudiを数曲で起用しており、関わっていない曲でもダークなサウンドやトピックなど共通点を多く発見できる。心の弱さを歌った同作は、Kid Cudiとの出会いなしでは完成しなかった作品といえるかもしれない。

そして2009年にはKid Cudiは『Man on the Moon: The End of the Day』をリリース。孤独や鬱、それらを解消するための薬物の使用などを扱った曲でシーンに大きなインパクトを与えた。

この前後にDrake(ドレイク)などが内省的な路線でブレイクを掴んでいったが、これもKid Cudi以降の流れといえるだろう。

Kid Cudiの登場はヒップホップにおける重要な転換点になったといえるが、それ以前の楽曲で弱さを吐露するラッパーがまったくいないわけではなかった。

The Notorious B.I.G.(ノトーリアス・B.I.G.)は“Suicidal Thoughts”で自殺願望を歌い、2Pac(トゥーパック)は“So Many Tears“で荒んだ生活の不安を取り上げていた。

『A Kid Named Cudi』のタイトルの元ネタであるA Tribe Called Quest(ア・トライブ・コールド・クエスト)も“Stressed Out”でストレスをテーマに据えていたし、そもそもKid Cudiが“Day ‘N’ Nite”をつくったのもGeto Boys(ゲトー・ボーイズ)による精神的苦痛と疲れを歌った名曲“Mind Playing Tricks on Me”からインスパイアされてのことだったという(*5)。

しかし、The Notorious B.I.G.も2PacもGeto Boysも、不安といってもギャングスタライフの緊張感のような文脈の曲で、弱さを見せつつもやはり強くあろうとする姿勢が見えるものだった。また、非ギャングスタ系のA Tribe Called Questの“Stressed Out”は「なんとかなる」というようなポジティブな内容だ。

Kid Cudiはその点、ギャングスタではない一般市民の人間関係や孤独から来る不安をネガティブなまま描いたことに違いがあった。このことが共感を集め、Kid Cudiを特別な地位に導いたのだろう。

ブレイク後の2010年に受けた「Rap Up」のインタビューでは「自分はJustin Timberlake(ジャスティン・ティンバーレイク)のようなスターじゃない。自分自身を大きく見せようとしたことはない。音楽にもそれが表れていると思う」と話していた(*6)。

このスタンスは少なくとも当時のラッパーとしては珍しいものだったが、Kid Cudiには大きな反発もなく自然とシーンに受け入れられた。

2000年代半ば頃のLupe Fiasco(ルーペ・フィアスコ)のブレイクなどに伴うナーディでクリエイティブなラッパーの快進撃や、Kid Cudiのアルバムデビュー前にKanye Westが『808s & Heartbreak』をリリースしたことでヒップホップに幅が生まれたことなどがその要因として推測できる。

そんなKid Cudiだが、近年は音楽以外の分野でもマルチに活動している。

2020年には音楽制作・マネージメント会社の「Mad Solar」を立ち上げて、トラウマや人間関係などを扱った小説『Real Life』の映画化や先述したアニメ『Entergalactic』の制作などで活動。

Mad Solarの立ち上げと同年、Kid Cudiは音楽アプリ「Encore Studio」をローンチしている。これはファンとアーティストの結びつきを強めることなどを目的としたアプリで、ライブ配信やチャットでの交流などを行うことができる(*7)。人間関係の悩みを描く映画制作も、ファンとアーティストの交流を促進するアプリも、どちらもKid Cudiがつくる音楽と同様の「孤独感の解消」につなげるような動きといえるだろう。

一貫して孤独や人間関係の不安を扱ってきたKid Cudiは、いまでは孤独どころかシーンの中心人物のひとりとなった。2010年代後半から盛り上がったエモラップのムーブメントも、Kid Cudiがいなかったら生まれなかっただろう。

The Kid LAROI(ザ・キッド・ラロイ)がお気に入りアルバムとして挙げるなど、エモラップへの影響が語られることが多い『808s & Heartbreak』は先述したようにKid Cudiの功績のひとつである。

エモラップの重要人物であるXXXTENTACIONとJuice WRLD(ジュース・ワールド)のふたりと共演しているTrippie Redd(トリッピー・レッド)は、Kid Cudiと同郷のオハイオ出身のラッパーだ。2020年にはKid Cudiとも共演曲“Rockstar Knights”を残しており、「Kid Cudi的なもの」をもっとも継承しているラッパーのひとりといえる。

Kid Cudiは「Wicked Awesome」という自身の作品しかリリースしていないレーベルを長く運営しているが、2021年になって「新しいアーティストを迎える準備ができている」と宣言していた(*8)。それも方向性を同じくするアーティストが増えてきたからかもしれない。

このままKid Cudiはシーンの重要人物であり続けることが予想されるなか、先日トーク番組「Hot Ones」に出演した際に「音楽をいつまでもやるかはわからない。しばらくアルバムを出したくない」「Kid Cudiに関するあらゆることが終わりに近づいている」と引退を示唆していた(*9)。いま興味があるのは教育の分野で、幼稚園の先生をやってみたいとのことだ。

しかし、Kid Cudiは1stアルバムをリリースする直前にも引退宣言をしたことがあり、このときは1週間後には『SXSW』に出演して「俺にはみんなが必要だし、みんなも俺を必要としている。だから辞めない」と引退を撤回している(*10)。

今回の引退宣言がどのくらい本気なのかは不明だが、人とのつながりを大切にしながら孤独を解消するために活動してきたKid Cudiなので、(希望的観測ではあるが)ファンとのつながりがある限りきっと音楽活動をやめないだろう。そして、このように悩む姿を見せながら活動しているところも含めて共感するファンも多いのではないだろうか。

スターとして振舞わず、虚勢を張らずに弱さを歌うKid Cudi。その姿勢はヒップホップ史において初めての本当の意味での「等身大のラッパー」であり、ある意味ヒップホップの「リアルさ」をより一歩進めたといえるかもしれない。

Kid Cudi