トップへ

誰もが映像クリエイターになれる時代、新進アニメ作家は何を思う? 闇鍵でぃーきぃーと『ガディガルズ』の苦闘

2022年10月15日 13:00  CINRA.NET

CINRA.NET

写真
Text by 山元翔一
Text by 小田切博

「『誰もがつくれるようになった』ことがある意味問題だと思うんです」

ウェブアニメーション作家の闇鍵でぃーきぃーは言う。

「携帯ひとつあれば動画がつくれるようになったことで、よくも悪くも『アニメーション制作』という行為も以前より特別なものじゃなくなった感じがするんですね」

闇鍵でぃーきぃーは、現在「人気芸人と新進気鋭のクリエイターの化学反応」を謳うテレビ朝日系の深夜バラエティー『アルピーテイル』に定期的に作品を寄せる「新進気鋭のクリエイター」のひとりだ。

2005年のYouTubeのサービス開始以降、インターネット環境における動画配信サービスは急速に拡大発展し、カメラや編集ソフトなどの周辺機器、ソフトウェア環境の進歩もあって、映像コンテンツの制作や公開のためのハードルが極めて低くなり、映画、テレビだけがメディアだった時代と比べ、動画の制作、発表は大幅にカジュアル化した。

YouTuberやVTuberのような職業「配信者」の存在はその象徴のようなものだが、活動を収益化するところまでいかずともYouTubeやInstagram、あるいはTwitterなどのさまざまなプラットフォーム上で気軽に動画や音声をアップロードするユーザーの姿はもはや日常の風景でしかない。

普段は芸人たちが実演している「ネタ」を、デジタル作品を制作するクリエイターたちに「ライブとは異なるかたちで」映像化させるという『アルピーテイル』のコンセプトは、長らく「映像コンテンツ」を寡占してきた地上波テレビが、こうした新しい映像メディアであるウェブプラットフォームとどう付き合っていくかを試行錯誤する試みのひとつだといえるだろう。

闇鍵でぃーきぃーは現在30代半ば、長崎県佐世保市出身、ネット配信環境登場以降にデジタルデバイスを使ってインディペンデントに動画をつくり続けてきた新世代の映像作家のひとりだ。

『アルピーテイル』内で発表されたその作品は、芸人たちの「ネタ」を独自に分析し、自身の解釈に基づいて映像化したもので、同番組のなかでもひときわ異彩を放っている。

「子どものころから映画が好きで、なんとなく『映画監督』に憧れがあったんです。小学生のときには友達と自分を監督役に映画を撮る遊びをしたりしていたくらいで。同じころマンガも描きはじめていて、もともとはマンガ家になろうと思っていました。

ただ、マンガ家の夢は二度挫折しているんです。最初は小学生のときにすごく絵がうまい子が転校してきて、彼から『絵が下手だ』といわれて一度描くのをやめた、これが最初の挫折です。

そのあと中学生になってから(今度は他人には見せずに)もう一度描きはじめ、大学進学後に上京したあと、本気でマンガ家になるつもりで出版社に持ち込みをするようになりました。就職活動もせずにアルバイトをしながら大学卒業後もひたすらマンガを描き続けていた。

ところが、またある編集部の担当編集者からかなりキツイ言葉でダメ出しをされてしまったんです。それからは怖くてマンガが描けなくなってしまいました」

闇鍵でぃーきぃー『ガディガルズ』のビジュアル

この二度目の挫折で「マンガ家」への夢を半ばあきらめるかたちになった彼は、大学卒業後のフリーター生活のなかで将来の目標を見失う。そのなかで次に試みたのがちょうどはじまったばかりの動画配信サービスに向けた動画制作だった。

「その最後に持ち込みをしたのが2008年。ちょうどYouTubeやニコニコ動画のなかで個人制作の動画が流行りだした時期だったんです。

ぼく自身、ちょうどそのころ『ゲーム実況』のはしりみたいなゲーム批評をやっている動画チャンネル『Angry Video Game Nerd』、マイ・リトルポニーとトランスフォーマーのオモチャを使ったコマ撮りアニメ動画をつくっている『My Little Transformer』という海外の動画配信者のつくった動画が好きで『個人でこういう映画をつくることができるんだ』とすごく刺激を受けた。そこで2009年の初売りでビデオカメラを買ったんですよ」

日本においては、戦前からあった映画制作会社が戦時統合され、戦後再編成された影響もあり、1950年代には映画産業が黄金期を迎えるが、60年代以降労働争議などが頻発し、70年代以降、制作環境自体が変化していく。

その要因のひとつになったのが、個人映画作成用の8ミリ映画フィルムの発売とそれを利用した自主製作映画の登場だった。特に1977年に『ぴあフィルムフェスティバル』が開催されるようになって以降、自主映画が映画製作者の登竜門のひとつになっていく。

闇鍵も高校時代、このシーンに触れ、映像制作に憧れを抱いたひとりだ。

「高校時代、いろいろあって不登校になっていたんですが、部屋に引きこもらせてくれるような家でもなかったので日中学校に行くふりして街中をふらふらしてたんです。

長崎でもその時期にオタク系のイベントがいくつかあって、長崎県で自主映画制作をしていた吉村文庫さんという人がいらっしゃるんですが、当時イベントの内容と無関係にこの人を中心に自主映画の上映会をよくやっていました」

「高校時代はその作品をただ見て面白いと思っただけなんですが、YouTubeのような動画配信サービスがはじまってからまたそのときの自主映画に再会するわけです……すると、高校のときにはわからなかった撮り方がわかるようになっていたんですね。

それで2009年から自分で動画をつくるようになったんですが、そこで参考にしたのが、さっきいった『My Little Transformer』というオモチャを使った人形劇でした――ぼくもトランスフォーマーは集めてたんで、これなら自分でも映画ができるんじゃないかと思って、オモチャを使った短編映画をたくさんつくるようになりました」

「当時配信した動画がすごく話題になったとか、すごく再生数が高かったわけでもないんですが、当時のYouTube配信のコミュニティーって、いまと違って規模が小さかったがゆえの親密さがあったんですよ。そこからオモチャ関連のオフ会に参加したり、ネットを通じて自分の世界が広がっていきました。

オモチャ以外でもコミュニティーを通じてつながりができて『歌い手』さんの動画もつくるようになった。そのころから自分の技術がコマ撮りではない、いわゆる普通の『アニメーション』にも応用できることがわかって、そこで久しぶりに絵を描くようになったんです。

それが2013年くらいなんですが、当時いわゆるYouTuberの人たちが登場してきてちょうど動画配信が収益化できるようになってきた時代だったんですね。

機材などで特撮の費用がかさむようになってきたこともあり、そこで周囲の仲間とも『少しお金になることをやろう』と相談して今度はオモチャレビュー動画の配信をはじめたんです。これがけっこううまくいって、多少なりとも動画をマネタイズできるようになっていきました」

闇鍵が動画制作をはじめた2000年代半ばは、動画配信サービスの登場による作品発表のためのプラットフォームの増加とともに、2ちゃんねるなどで発表されていたアニメーションGIFやFLASHアニメのようなシンプルなものから、動画ソフトやCGを活用したより本格的なアニメーションへとウェブアニメ自体の表現が進化し、複雑化していく過程でもあった。

そうして新しい表現手段を獲得したことによって彼は、マンガ家をあきらめた際に一度は捨てたはずの「自分なりの物語」を紡ぐ夢を再発見することになる。

「そのあと、知人からの紹介で、小さな企業がやっていたサバイバルゲームの情報サイト上でストーリーのあるオリジナルアニメーションを制作することになったんです」

「高校時代、不登校だったころ、小池一夫さんのマンガの描き方本を愛読していまして、読むとそこには『マンガはキャラクターをいかに立てるかが重要だ』と書いてあったわけですよ。

そこで高校時代のぼくはそれを実践しようと思って、実生活では他人とまったく会話しないけど、頭のなかに架空のキャラクターをつくりあげてはそのキャラクターたちとずっと対話しているような生活をしていました。

サバイバルゲームの情報サイトで、ストーリーのあるアニメーションをつくれることになったときに思い出したのも高校時代にずっと寄り添うように過ごした当時のキャラクターたちだったんですね。

そうして制作したのが『サバゲ―女子サバ子ちゃん』というアニメだったんですが、担当者から『ある程度続いたらサバイバルゲームというネタから逸脱してもいい』といわれていたこともあって、だんだん彼らの人間ドラマを描く方向にコンテンツの内容を変えていってしまった」

『サバゲー女子サバ子ちゃん』ビジュアル

「もちろんそういうニッチな情報サイトでやっている企画アニメですから、それほど注目されたわけでもないんですが、中学高校時代から一緒に過ごしてきたようなキャラクターたちだし、そのサイトの閉鎖が決まってこの作品を続けられなくなったとき、当時のぼくにとってはこの作品が『よく出来すぎていた』んですね。

『いまの自分にはこれ以上の作品はつくれないんじゃないか』と思ってしまって、それからいろんなアニメ制作会社にサバ子ちゃんのキャラクターの企画を持ち込んで回ったんです」

運よくそのキャラクターはあるアニメ制作会社の眼に留まり、闇鍵がイマジナリーフレンドのように同じときを過ごしてきたキャラクターたちは、三人の少女たちがスーパーヒーロー活動をするという設定の短編アニメーションシリーズ企画『ガディガルズ』としてリニューアルされることになった。

『ガディガルズ』より

ところが、制作がはじまり、作品自体はつくられながらも思いもよらぬかたちで壁にぶち当たることになる。

「企画内容自体も制作開始以降二転三転して、一本あたりの時間が変わっていったり、それに伴って物語の内容もどんどん重く暗いものになっていってしまったりしたんです。さらにその後アフレコも終えて、作品自体は出来あがっているのにコロナ禍で企画自体がペンディングになり、作品を公開できなくなってしまった。

ぼくはもともとコミュ障気味で、水商売のバイトをするようになってから人と話せるようになった人間なんですが、こういう状況だと、もともとのそういう自分の性格が出てきて、会議なんかで人と話をすることがどんどんつらくなってきてしまって。もちろんこの状況自体は誰が悪いとかいうことではなく、仕方ないことだとは思っていますが」

「ぼくはやっぱり語りたい物語があるんですよね。

いま『アルピーテイル』に参加しているようなクリエイターの方たちはどちらかというと、ある種の実験精神とかコミュニケーションツールとして『アニメ』をつくっていると思うんですね。

『誰もがつくれる』ようになったことで、すごくカジュアルに、絵を動かすことそのもので得られる快感やそれを通じたコミュニケーションが目的になっていて、それはべつに悪いことではない。もともと1920年代のアニメーション映画はそういうものだったわけですし。

ただ、ぼくはマンガ家になりたかったのもあって『語りたい物語』が強固にある。それはこの『ガディガルズ』の登場人物たちが抱えている問題だったりするんですが、ぼくは自分が完全に10~20代のすごくニッチな層に向けて作品をつくっている自覚があるんです」

「いってしまうと、これまで自分の周囲にいたような屈折した感じの同世代以下の若者たち、ネットや水商売で出会ってきた社会のメインストリームに馴染めない人たちに向けてつくっているんだと思っています」

闇鍵自身には伝えたい物語が明確にあり、それが届くだろう相手もはっきり見えている。にもかかわらず、作品を公開できないことに強いストレスを抱えていたという。

「ぼく自身は、まず公開してしまえばいいと思っているんですよ。ただ、これまでのアニメーション制作のビジネスモデルでは『コンテンツそのもの』を売るのが常識で、先行して作品を公開し、それによってキャラクターやコンテンツの認知を高めていく手法に理解を得づらい。

その意味ではぼくが純粋なインディーではなく、アニメ制作会社を通して作品を発表しようとしたこと自体が裏目に出てしまっている気はします。

もちろんこの作品の制作によっていろいろな経験をさせてもらいましたし、それはすごくありがたいことだと思っているんですが、いまはもう一度インディーに戻って作品を制作したいというのが正直な気持ちです」

闇鍵でぃーきぃーのオリジナル作品『ガディガルズ』は本記事執筆後に10月14日~21日シネ・リーブル池袋、テアトル新宿での限定公開が決まった(期間中にはトークイベントなどもおこなわれる)。

『アルピーテイル』での新作「コントアニメ」の放映もあわせ、今後の彼の活動に注目していきたい。