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えっ、領収書を出せない「個人タクシー」が出てくる? インボイス制度開始の影響

2022年10月15日 10:01  弁護士ドットコム

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2023年10月のインボイス制度スタートまで1年を切った。事業者向けのイメージが強く一般の人にはなじみが薄いインボイス制度だが、生活の身近な場面で影響が出る可能性がある。


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例えば、社用でタクシーに乗った時にインボイス領収書がもらえず経費精算できなくなることが想定される。他にも関係する業種が多く、制度に反対する声も出ている。



いったいインボイスとは何なのか。なぜタクシーで社用対応の領収書がもらえない可能性があり、なぜ反対運動が起きているのか。制度とともに身近な税である消費税について考えてみたい。(ライター・国分瑠衣子)



● 2023年10月スタート、零細事業者に影響大

インボイス制度には「適格請求書等保存方式」という難しい名前がついている。インボイスは製品やサービスを売る側の事業者が、買う側に消費税率や税額が分かるように発行する請求書のことだ。



普段、事業者は売り上げ分の消費税額から仕入れや経費にかかる消費税額を引いて(仕入れ税額控除)、納税している。この仕入れ税額控除を受けるための要件が2023年10月から変わる。これがインボイス制度だ。これまで消費税を納めてきた課税事業者は新たにインボイス発行事業者として登録が必要になる。国税庁によると10月上旬までに約4割が登録を済ませた。



このインボイス制度は、売上高1000万円以下の零細事業者やフリーランスに大きな影響がある。今は課税売上高が1000万円以下の事業者は消費税の納税が免除される「免税事業者」だ。免税事業者と取り引きする会社は「免税事業者から仕入れました」と、帳簿に記入さえすれば税控除を受けることができた。



しかし2023年10月からはインボイスなしでは取引先が税控除を受けることができなくなってしまう。もっと細かく言えば経過措置があり、免税事業者からの仕入れに限っては3年間は仕入れ税額の8割、2026年10月からの3年間は半分が控除できる。



国は免税事業者に対し「消費税を納める課税事業者になっても、免税事業者のままでも良い。それぞれの状況で慎重に判断してほしい」という立場だ。が、実際には発注側には消費税分の税額控除、受注側には取引停止のリスクが生じる。免税事業者がインボイス制度に反対しているのはこのためだ。



● 個人タクシー組合、9割超が課税事業者へ転換

ではインボイスは私たちの日常のどんな場面で影響が出るのだろう。インボイスの影響が大きいと言われる1つが個人タクシー業界だ。例えば取引先の接待で飲んだAさん。帰り道に拾った個人タクシーでいつも通り「領収書をお願いします」と頼んだ。



運転手「お客さんすみません。うちは免税事業者だからインボイス領収書は出せないんです。。。」
Aさん「えっ、領収書を出せないってどういうこと?会社に経費精算できないじゃない」
運転手「すみません、インボイスを出せる課税事業者のタクシーに乗ってください」
Aさん「今さら言われても遅いよ!」



インボイス領収書が出せなければ、Aさんの会社は仕入れ税額控除ができなくなる。タクシー事業者が課税事業者に転換しなかった場合、このような混乱が予想される。



こうした状況を回避するために、個人タクシー業界は必死だ。個人タクシーの運転手らでつくる東京都個人タクシー協同組合は、2021年6月に3本の動画を作り、自社サイトに載せた。1つは消費税の仕組みについて、もう1つは免税事業者のままだと仕事にどんな影響が出るか。そして3本目は課税事業者になる手順の説明動画だ。



脚本を作った同組合の水野智文副理事長は「インボイス制度には反対です。でも反対を貫くだけでは取り引きに加わることができず業界が衰退してしまう。全員のインボイス登録を目指し、組合員が消費税と制度について勉強するところから始めました」と話す。



水野さんたちは他の道府県の事業者に制度を説明して回るなど地道な活動を続けてきた。もともと免税事業者が99%という業界だが10月現在、全国の組合員の9割超が課税事業者に転換済みだ。



一方、少数だが同組合には免税事業者の道を選ぶ事業者もいる。組合は乗客が混乱するとして公正取引委員会に相談の上、免税事業者の組合員については、タクシー車体上部につける行燈(あんどん)を変え、車体のブルーのラインも外すことを決めた。利用者に課税か免税かの見分けがつきやすいようにするためだ。



タクシー業界だけではない。建築や音楽、出版業界などインボイス制度が影響する業種は多岐にわたる。個人事業主や税理士らでつくる「STOP!インボイス」の発起人で、フリーランスのライター、小泉なつみさんは「免税事業者、課税事業者どちらを選んでも負担は大きいと感じます。フリーランスは組合に所属していない人が大半です。業界団体の後ろ盾もなくまとまった声を上げるのが難しい」と話す。



小泉さんたちは近くインターネット上で集めた10万筆の署名を国に提出する予定だ。また10月26日には東京・日比谷でインボイスに反対する集会を開く。



● 租税法の専門家「国民に情報が共有されていない」

租税法の専門家はインボイス制度をどう見るか。国税庁、税務大学校教官などのキャリアがある中央大学法科大学院の酒井克彦教授に聞いた。酒井教授は「インボイスを発行できないことで、取引から除外される可能性がある非常に大きな影響がある制度です。それにも関わらず課税事業者の登録が約4割しか進まないなど、国民に情報が共有されていません」と話す。



酒井教授はインボイスが浸透しない背景には、これまでの国の「施策の情報提供のまずさ」も関係しているのではと見る。代表例がマイナンバーカードだ。国はマイナカードを普及させるために最大2万円分のポイント付与などインセンティブをつけてきたが、制度開始から5年半以上経過した9月末時点で普及率は49%と広がりは鈍い。



ついに国は紙の保険証を廃止し、マイナカードに一本化することを発表したばかりだ。酒井教授は「国民は『持たなくても特に困らない』というおかしな意味での〝成功体験〟を引きずってしまっていて、今回のインボイスでもそれほど響いていないということがあるのでは」と話す。



国税庁は1カ月1000回以上、インボイスの説明会を開くなどしている。酒井教授は国税庁の取り組みを評価した上で「例えば国税庁のサイトで業種別の説明や、インフルエンサーを起用した動画配信など発信の工夫が必要です。業界団体との連携も重要です」と話す。「取引先から排除されるかもしれない」という強いメッセージがなければ危機感を持ちづらいという考えだ。



● 「免税事業者を残すことに一定の合理性はある」

国がインボイス制度を導入する背景には、公平性の担保もある。免税事業者が消費税を納めないことは、事業者の手元に残る「益税」との指摘もある。消費税は所得税や法人税と異なり「税の脱漏(だつろう)」を排除できる税だ。酒井教授は「益税をそのままにしておくことで消費税の良い面が機能しなくなる懸念はあります」と語る。だからこそ今回のインボイス制度で仕入れや経費をはっきりとさせるという目的がある。



では実際に零細事業者が消費税を上乗せした価格設定ができているのか。立場の弱い零細事業者やフリーランスは、発注側の言い値で仕事をせざるを得ないというケースも多いだろう。このためインボイスに反対する人たちは「そもそも益税などない」という主張だ。



「インボイスに反対する人たちが指摘する通り、益税という概念が消費税法にないことは事実です。ただ個別の取引を見れば益税のようなものが残っていることもあるでしょう。そもそも消費税は価格上乗せなどは別問題として制度ができているという面もあります」(酒井教授)。



免税事業者がインボイスを発行する課税事業者に転換できる一方で、国は免税事業者のままでいることもできる選択肢を残した。「零細事業者が益税で利益を増やしているかというと、財政当局もそれは微妙だと考えているでしょう。海外にも免税事業制度はあり、免税事業者を残すことは一定の合理性はあると考えます」(酒井教授)。



国は免税事業者が課税事業者になることで約2480億円の増収になると見込む。租税体系を考えた時に消費税だけが狙い撃ちにされていないだろうか。消費税は税の脱漏を排除できる税である一方、所得の少ない人の負担感が強い逆進性がある。



酒井教授はコロナ禍で経済が停滞した時から、消費税率の時限的な引き下げを提言してきた。「所得と消費、そして資産の課税バランスがとれた租税体系を構築するタックス・ミックスという考え方が重要です」と話している。