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新進作家・くどうれいん「人生ってどうなるか分からない」会社員との両立から専業作家への道程

2022年10月13日 12:21  リアルサウンド

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 リトルプレスながら異例の1万部以上を発行した食エッセイ集『わたしを空腹にしないほうがいい』(BOOKNERD)にはじまり、初の中編小説にして芥川賞候補となった『氷柱の声』(講談社)、最近では絵本『あんまりすてきだったから』(ほるぷ出版)も手掛けるなど、文芸の世界でさまざまな発表をしてきた作家のくどうれいん。


 9月には、文芸雑誌「群像」(講談社)で連載していた『日日是目分量』をまとめたエッセイ集を上梓した。みずみずしい筆致で自身の生活を捉えた『虎のたましい人魚の涙』について、盛岡出身で現在もその地で暮らす彼女の生い立ち、そして会社員と物書きの“二足のわらじ生活”から専業作家へと独立を果たした今の思いについて聞いた。


書くことへの原体験、作家活動のベースをつくった学生時代


――『虎のたましい人魚の涙』の発売おめでとうございます。くどうさんは短歌、エッセイ、小説、絵本などさまざまな文芸ジャンルで書かれていますが、どのようなきっかけで文章を書き始めたのでしょうか。


くどう:石川啄木にゆかりのある玉山村(現在は盛岡市に編入合併)の渋民小学校に通っていて、読書感想文と詩のコンクールがあったんです。そこで国語の先生から「書いてみない?」とたまたま言われたのが最初でした。学級会長とかを進んでやるタイプの生徒だったので、白羽の矢が立てやすかったんだと思います。


 そこで書いた作品で江間章子賞をいただいたんですね。そうしたら家族がものすごく喜んでくれて。『のうみそ』っていう詩だったんですけど、おじいちゃんに皺があるのは、勉強しすぎて脳みそがはみ出したからという詩でした。他の生徒が「風のささやき」とか「さくらんぼ」とかで入賞しているなかで、私の表彰の時だけ「脳みそ?」ってざわついていましたが(笑)。その時の受賞を周りが褒めてくれたので、それで味をしめて今に至るといっても過言ではないですね。


――小学校の頃から文芸に触れられていたのですね。その後は、どのような関わり方をしていたのでしょうか。


くどう:毎年の読書感想文や学期ごとの宿題としての作文など、他のみんなが嫌がるところをノリノリで書いていました。外に向けて発信という意味では、中学2年生頃からブログが流行り始めたので、自分のブログを立ち上げて隠れて書いていました。今思うと絶対に読まれていたと思うけど(笑)。


――そして進学した高校は文芸部の活動が活発なところでしたね。


くどう:母がもともと書店員で、自身が作家に憧れていたこともあったと思います。進学を考える時に、この高校の文芸部は文部科学大臣賞とか読売新聞社賞とか取ってるよ、と教えてくれて入学しました。でも、書くのが好きだと思ってはいたのですが、文芸部に入りたいとは思いませんでした。実際に体験入部をしてみたのですが、漫画やアニメが好きな人が多くて、私は漫画もアニメもほとんど知らなかったので話が合わないと思ってしまったんです。悩んでいた時にたまたま剣道場を通りがかり、剣道部がとても格好よく見えました。すぐに入部したんですけど、私、運動が全然できなくて。蹲踞(そんきょ)というしゃがむ姿勢も辛くて、結局文芸部に入ることにしたんです。


――文芸部ではどんな活動をしていたんですか?


くどう:文芸部では、俳句、短歌、詩、随筆、小説、戯曲、児童文学という7ジャンルの創作活動をしていました。コンクールを目指してそれぞれが書いて、週2回の集まりでお互いの作品を読みあって赤字を入れるという活動がメインでした。県や全国のコンクールがあり、そこでは部活でまとめた「部誌」というジャンルもあるので、それを充実させるためにみんなで企画を立てて一冊にまとめる。それこそ「群像」を作るような感じでしたね。部誌を作っていると、短歌の本数が足りていないとか、小説がまだ少ないとかがあるので、みんなジャンルをまたいで書いていました。今となって私はマルチ作家みたいに言われるのですが、私としては部活動がずっと続いている感じで、多ジャンルを書いているという感覚はあまりないんですよね。


――高校で今の作家活動のベースがすでに出来上がっていたのですね。その後、処女作である『私を空腹にしないほうがいい』を出されました。


くどう:大学進学でもいろいろあって、それは『うたうおばけ』(書肆侃侃房)の「一千万円分の不幸」に書きました。行くはずだった地元の大学の推薦入試の日程を間違えて、落ちてしまって。仙台の大学でまちづくりを学ぶことになったんです。地元の大学を出て、国語の先生にでもなるんだろうなというぼんやりとした未来を考えていたんですけど、自分の未来を自分の手によってつぶしてしまった。どうなっちゃうんだろうと思っていたところ、東北大学の短歌会に誘ってもらって、短歌や俳句の同世代の友人もたくさんできました。そこで俳人の神野紗季さんから「ウェブマガジンで連載してみない?」と誘われて、書き溜めた俳句とエッセイをまとめて自費出版したのが、『わたしを空腹にしないほうがいい』でした。



二足のわらじで駆け抜けた日々「人生ってどうなるか分からない」


――仙台の大学を卒業後は、地元の盛岡に戻られて会社員をしながら作家活動をされていましたが、書くことを辞めなかったのはなぜでしょうか?


くどう:もともと作家になりたいとかは、思っていなくて。卒業後は営業職に就き、とても忙しい毎日だったのですが、働きながらも書きたい時に書ける環境はずっと持っておきたいと思っていました。集中して書いて、書き終わった瞬間「私、天才かも!」って肯定的に読み返している時間ってやっぱり楽しいんですよ。私にとってのストレス解消が書くことだったので、すごく忙しくて、しんどいなっていう時に何かを書きたいと思うことが多かったです。会社員時代は、自分の書いたものに癒されている時間がありましたね。


――新刊の『虎のたましい人魚の涙』を書くことになったきっかけは?


くどう:『わたしを空腹にしないほうがいい』を「群像」の編集長さんが見つけてくれて、お声をかけてくださり『日日是目分量』の連載が始まりました。『空腹本』は原稿用紙2、3枚分の量だったのに、この連載は10枚分だと言われて、最初はどう書けばいいかわからなかったですね。テーマは特に決めませんでした。連載が長く続くことが決まっていたので、あまり無理をしない方がいい。そして、せっかく書きながら会社員としても働いているので、同じように働いている人たちが読んで疲れを分かち合えればいいかもなと。おしゃべりが好きなので、書きたいことはいくらでもありました。


――収録作品のいくつかは、くどうさんの昔の話が多く書かれていますが、その解像度の高さに驚きました。まるで自分がその場にいると錯覚するかのような感覚に陥りました。


くどう:私は主に自分のことについて書いているのですが、自分と向き合おうとすると昔の話になるんです。今の自分の話をしたいはずなんだけど、「それでね、それでね」って話していると昔話が出てきちゃう。読者の方に言われたんですけど、この連載を読んでいると、キューブ型の飴が2色入った「キュービィロップ」を思い出すって。それがすごく嬉しくて。なんだかそういう気持ちで書いている気がします。あの飴って、緑と黄色の組み合わせでも、それぞれが何味かわからない。私の文章も一つの話をしようとすると他の話が出てきて、それが一つになって混ざり合っている感じですね。


――実際に一冊にまとめられた本書には、くどうさんの2年間の出来事が凝縮されています。ご自身で読み返されてみていかがでしたか?


くどう:意外とちゃんと辛そうだったかもって(笑)。元気に明るくやっていたはずなんだけど、読み返してみたら、ちゃんと働いているし、ちゃんと辛そう! って思いましたね。


 連載当初は、「なんで私が『群像』に?」っていうくらい他の仕事でほとんど書いたことがなくて。ずっと会社員をやりながら、楽しく書いて少し原稿料をもらえたら嬉しいな、と思っていたくらいだったので。まさか作家という職業になると思っていなかったし、小説を書いて芥川賞の候補になるとも思わなかったし、まして仕事を辞めるとも思っていなかった。「人生ってどうなるか分からない」っていうのが、ぎゅっと詰まった2年間を伴走してくれたエッセイ集になりました。


会社員と作家、生活なき両立の先に見えた独立


――くどうさんは会社員と作家を両立した生活を続けてこられましたが、会社をお辞めになりましたよね。そのきっかけを教えてください。


くどう:身体が一つしかなかったからです。それと、実は私、“生活”というものをしてこなかったんです。会社員としての4年間は、仕事が二つある代わりに生活のすべてを両親に頼り切っていた時間でした。よく、働きながら執筆もしてすごいですね、という文脈でインタビューされることもあったのですが、私はみんなが当たり前のようにしている“生活”を蔑ろにしてきたので。パートナーと同棲することになり、より原稿の仕事も増えるかもしれないってなった時に、すべてが中途半端になるのが嫌になり、ちょっと集中しようと思って会社を辞めました。


――専業作家として独立されての生活はいかがですか?


 原稿一本の生活は楽しいです! 今までは、芸能やエンタメなどは自分とは全然違う世界の人たちの仕事だと思っていたんですけど、いざ自分が作家という立場になった時、「どれも同じ仕事なんだな」と実感しました。私はどこかで、作家さんの仕事は、ものすごい才能によってできているとか、センスで生み出されていると思っていたのかもしれません。


――これからも盛岡で暮らし続けていくのでしょうか?


くどう:暮らす場所として盛岡を選んでいるわけではないんです。たまたま盛岡に生まれ育ったから盛岡にいるだけで。1週間に7日間あるうち、4日以上を会いたい人がいる場所で暮らしたいと思っています。だから今のところ、家族やパートナー、好きな喫茶店の店長などがいる盛岡に住んで、あとは仙台と東京にも会いたい人がいるという感じです。盛岡は自分にとってちょうどいい規模の街で、盛岡にいるとちゃんと自分で選んだ暮らしだなと感じることができるんです。だからといって、地元愛が強いですね、と言われると、そういうわけじゃないんだよ、ってなっちゃうんですけどね(笑)。


――最後に、私(インタビュアー)はこのエッセイ集を読んで、自分の昔の記憶が呼び起こされて、自分もアウトプットしてみたいと感じました。読者にはどのように届いてほしいですか?


くどう:『空腹本』を出した時も、日記をつけ始めましたと言ってくださる方がたまにいて、それが私にとって結構嬉しいことでした。「くどうさんみたいに面白い日常じゃないし……」と言われることもあるけれど、私は自分の特別な日常を見てほしいとはまったく思ってないんです。みんな同じくらい、いろんなことが日々起こっていて。その中でたまたま私が変なことばかり覚えていて、書かないともったいないと思って書いているだけなんです。


 あえてどういう風に読まれたいという思いはないのですが、私が会社勤めをしていたように働くすべての同世代の方々に届いてほしいですね。辛い時に、なんとかドリアを食べて、元気を取り戻してやり過ごす20代後半ってきっといるだろうし。


 私にとっての連載中の2年間は、作家になるまでの2年間だったようです。でも、もし文章を書くことに対して特別なセンスが必要だとか、選ばれた者にしか書けないと思っている人がいるのであれば、このエッセイを読んで、私でも書けるかもしれないと思ってほしい。私も面白いから書いているわけじゃなく、書いていたら面白くなっていったんです。だから、「あなたの日常も書いていくうちに面白くなるんじゃないのかな?」と伝えたいですね。



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