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『バッドガイズ』原作は1600万部突破の世界的ベストセラー! Z世代を虜にする理由とは?

2022年10月13日 12:01  リアルサウンド

リアルサウンド

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 ドリームワークス製作の劇場アニメーション『バッドガイズ』が、現在公開中だ。動物が擬人化された世界を舞台に、ウルフ、スネーク、ピラニア、シャークなど、動物たちのなかでもとりわけ恐ろしいパブリック・イメージを持った“悪い奴ら”が、逆に良いことをするため奮闘するドタバタ劇を描いた一作だ。


参考:菊地成孔が語る、リュック・ベッソン自伝への驚愕 「豪快かつ赤裸々に色々なことが書かれている」


 その映画作品には原作となる、現在16巻、日本では6巻まで発売されている、人気の児童書が存在した。著者は、オーストラリアの元俳優アーロン・ブレイビー。『バッドガイズ』は、世界30カ国でシリーズが累計1600万部以上の売り上げを記録し、ニューヨークタイムズ紙でベストセラーリスト入りを果たしている。


 ここでは、そんな児童書『バッドガイズ』が、どんなものなのか、どこに際立った特徴があるのかを紹介していきながら、このヒットが示す意味を考察していきたい。


 映画『バッドガイズ』では、『レザボア・ドッグス』(1992年)や『パルプ・フィクション』(1994年)のような、クエンティン・タランティーノ監督のギャング映画を想起させるシーンがあった。実際に、原作の著者であるブレイビーは自作について、タランティーノを中心とした、さまざまな映画からの影響を認めている。タランティーノといえば、とくに初期作品はフランスや香港、そして日本のギャング、ヤクザ映画を参考に、そこへの愛情がひしひしと感じられる世界を創造していた。


 お互いに「ミスター」を名乗り合い、黒スーツとネクタイを着込んで、コーヒーショップで取りとめのないボーイズトークを繰り広げる、『レザボア・ドッグス』の冒頭シーン。そこで出演者のタランティーノ自身が語っていたほどに際どい話題は、本書にはもちろん存在しないが、そんな世界を子ども向けにアレンジしながら、物語が始まるのだ。


 『レザボア・ドッグス』のハーヴェイ・カイテルやティム・ロス、スティーブ・ブシェミやマイケル・マドセンなどを想起させる、ミスター・ウルフやミスター・スネーク、ミスター・ピラニアやミスター・シャークが集まり、冒頭から何やら悪だくみを始めるのかと思いきや、そこでみんなの取りまとめ役でもあるミスター・ウルフが、妙ことを言い出す。もう悪いことをやめ、「ヒーロークラブ」を結成するのだと。


 1巻から、ミスター・ウルフの様子がおかしいのだ……。目はらんらんと輝き、熱に浮かされたように、ヒーローとして世界を救うことに固執する。読者にとっては、もちろん初めて出会うキャラクターなので、この状態が正常か異常なのかはよく分からないのだが、仲間たちが「こいつヘンだぞ」と言うように、やはりおかしなことになっているのは確かなのだろう。バッドガイズの面々は、そんな狂気をはらんだミスター・ウルフの迫力に流されて、良い行いをしていくはめになるのだ。


 2巻以降、バッドガイズは『ミッション・インポッシブル』(1996年)のCIA本部ように厳重に警備された農園に侵入して救出活動をしたり、国際秘密組織の捜査官とともに、世界征服を狙うマッド・サイエンティストに対峙したり、絶海の孤島や宇宙にまで到達することになる。さまざまな場所で冒険を繰り広げるという意味では、日本の小学生に絶対的な人気のある『かいけつゾロリ』シリーズに近いといえるし、明快で“ユルさ”のある親しみやすい絵柄という部分も共通している。


 そのように考えると本書は、『かいけつゾロリ』がそうであるように、これまで絵本だけを楽しんでいた子どもが、児童文学や漫画、大人向けの小説などへと移行していく“ブリッジ”の機能を果たす側面があるのかもしれない。ただ『かいけつゾロリ』がテキスト主体であるのに対して、本書はよりコミックに近い形式であるという違いはある。


 前述したように、本書は映画の魅力を、物語や演出に反映させた内容となっている。それは、著者が俳優として映画、ドラマに出演していた過去と切りはなすことはできないだろう。彼は、2014年、二人の子どもの父親として、家族を養うことができていないことで、俳優としての活動に見切りをつけ、40歳で創作の道に切り替えたのだという。そんな著者の武器は、やはり映画の世界を知っているという部分である。


 児童書よりも先に、映画やドラマの楽しみ方を先に覚える子どもも少なくない。生まれた頃からインターネットや配信で、たくさんの映像作品に触れるデジタルネイティブにとって、本を読む機会は減ってきていると考えられる。だからこそ、本というかたちで得られる知識や経験は貴重なのだ。その意味で、映画のような要素で成り立っている本書は、子どもたちを活字に慣れさせ、ページをめくっていく経験を定着させていくには、最適といえるのではないだろうか。


 興味深いのは、なぜ「バッドガイズ(悪い奴ら)」を主人公としたシリーズが、ここまで支持されることになったのかということだ。もちろん、子ども向けであるのにかかわらず、タランティーノ風の世界観であるというユーモアが、親世代の心をつかむ部分があったことは想像に難くない。だが、本作は児童書である。それ以上に子どもを夢中にしなければ、ベストセラーになるはずもない。


 考えてみれば、2000年前後に生まれた「Z世代」以降の、現在の若年層を中心に絶大な指示を受け、世界的なポップアイコンとなったビリー・アイリッシュによる、いまや近年を象徴する大ヒット曲のタイトルも、「bad guy」だった。この歌詞の内容は、“ワルぶっている”男に対し、女性の側が、その上をいくワルとしての行動を暗示することで、「私こそがバッドガイ(悪い奴)」と宣言していくというもの。


 この曲でビリー・アイリッシュがカリスマ的な人気を得たのは、重たいシンセベースを基調として、途中でテンポが遅く変化するなど、ポップソングとしての前衛的なつくりもさることながら、その歌詞やパフォーマンスに、現在の若者に共感できる部分があったからだろう。彼女の表現や発言からは、相手の好みに合わせたり都合の良い存在として評価を得るのでなく、あくまで“自分に主体がある”という強いメッセージが、上の世代よりも等身大に、ナチュラルなかたちで放たれているのだ。


 Z世代を代表する世界的な存在としては、環境活動家のグレタ・トゥーンベリもいる。これ以降の世代が、自分たちやその子どもたちが気候変動の影響にさらされる未来を知って、上の世代の行動を変えさせようとしているのは、世界的な現象であり、その状況を追った『気候戦士 ~クライメート・ウォーリアーズ~』(2018年)というドキュメンタリー映画も公開されている。そんな若年層の活動の象徴となるトゥーンベリが、16歳時の演説によって、とりわけ中年以上の男性をいらだたせることになった事実は、世代間の意識や、“見えているもの”の断絶を表しているといえよう。


 アイリッシュやトゥーンベリのように、社会的な課題に関心を寄せながら、個人の考えを優先して主体的にものを言っていくという、Z世代的な在りようというのは、その世代自身から見ると自然な感性や考え方だといえるが、その上の世代からすると、一種の挑発として受け取られる場合があるのが現実だ。だから、若い世代が物怖じせず主張を継続することは、旧弊な価値観の社会においては、「悪役」に見えてしまう瞬間もある。そういう世界を、下の世代は言葉にせずとも、肌で感じているのではないか。


 本書で描かれるのは、良い行いをしようと奮闘し続ける「バッドガイズ」の姿だ。ある種の偏見にさらされながら、それでも正しいことをしていこうとする、その奮闘は、まさに正しい生き方を望むZ世代以降の子どもたちの宿命に接近している。それこそが、これから未来を生きようとする読者の感覚に刺さったのかもしれないのである。