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ザ・リバティーンズが明かすサマソニの真相と本音。ゲイリーに訊く日本への思いと再結成後の決意

2022年10月12日 17:00  CINRA.NET

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Text by 吉田真也
Text by 坂本麻里子

「やっぱりリバティーンズは来なかった」。今年8月に開催された『SUMMER SONIC 2022』の約1週間前にThe Libertinesの出演キャンセルが決定した。チケットを購入していた多くのファンが、落胆すると同時に妙に納得してしまったのではないだろうか。

なぜならドラッグとアルコールによる問題やトラブルの数々を起こしてきたThe Libertinesは、「来日するのはほぼ不可能」というのが定説とされてきたからである。それだけに、今回の件では、「ようやく4人揃ったリバティーンズが日本で見れると思ったのに」というショックと「やっぱりね」というあきらめが入り乱れるような、多くのファンをモヤモヤさせる結果となった。

そして現時点で、The Libertines本人たちがこの結果をどうとらえているのかという本音は、いまだメディアではあまり取り上げられていない。そこで今回、The Libertinesのドラマーのゲイリー・パウエルにオンライン取材を依頼。快く引き受けてくれたゲイリーに、サマソニに出演できなかった理由や日本に対する思いなどを訊いた。

さらに話は広がり、再結成に至った裏話や、ドラッグ中毒から立ち直ったピートの現状なども踏まえて、The Libertinesの近況も教えてくれた。かつてはピート・ドハーティとカール・バラーに振り回されてきた印象もあるゲイリーだが、それでもなぜ「この4人でまたやろう」と再結成時に決意したのだろうか。そこにあった深い友情の話から、新アルバムの構想を含むThe Libertinesの展望まで、たっぷりと語ってもらった。

The Libertines(ザ・リバティーンズ) / 左から:ゲイリー・パウエル(Dr)、カール・バラー(Vo,Gt)、ジョン・ハッサール(Ba)、ピート・ドハーティ(Vo,Gt)
2000年代前半にムーブメントとなったガレージロック・リバイバルにおける代表的なロックバンド。1997年にイギリスで結成し、2002年に1stアルバム『Up The Bracket』をリリース。2004年に発売した2ndアルバム『The Libertines』では全英1位を記録。わずか2枚のオリジナルアルバムを遺して2004年に解散。2010年に一時的に再結成を果たし、2015年には11年ぶりとなる3rdアルバム『Anthems For Doomed Youth』を発表。以降、世界各国のフェスやライブに出演するなど活動中。2022年8月、『SUMMER SONIC 2022』の出演を予定していたが、ビザ取得が困難だったため来日できず、当日の会場では日本のファンに向けて特別に収録したライブ映像が放映された。

―『SUMMER SONIC 2022』の公式発表は読みましたが、土壇場の出演キャンセルで不可解でもありました。あらためてご自身の口から事情を説明いただけますか?

ゲイリー:残念なことだけど、あれは日本政府側の決定だったんだ。必要な入国書類もちゃんと提出したし、日本に行ってフェスで演奏できるはずだった。The Libertinesが初めて日本で演奏したのが2002年の『SUMMER SONIC』だったし、日本にふたたび行ける見込みにバンドとして本当に興奮していた。

ところが、ピートの入国審査に関して一切話し合いが進まず、なしのつぶてだった。だから今回の事情は本当に、それに尽きると俺は思っている。今回、The Libertinesを楽しみにしてくれた人たちに対して、本当に俺たちはどんなにお詫びしても足りない。

オンライン取材に応じてくれたThe Libertinesのドラマーのゲイリー・パウエル @Beggars Group

―サマソニの公式発表どおり、理由はビザの取得が難しかったからだと。

ゲイリー:もしかしたら、入国書類をかなり早くに提出できていたら状況も少し違ったのかもね。コロナ禍でここ2年ほどは世界中の人々が行動制限されてきたし、日本に行きたがっている人々の入国申請が一気に殺到した、という可能性もあるんじゃないかな?

だから俺たちが日本に行こうとしていた時期までに、審査側がすべての書類処理を素早くこなすのは非常に難しかったのかもしれない。それが原因だとしたら本当に残念だね。全員が心からエキサイトしていたし、特にピートは「また日本に行ける!」とものすごく楽しみにしていたから。

―個人的にも、来日を楽しみにしていましたか?

ゲイリー:もちろん。The Libertinesとは別のかたちで俺は何度も日本に行ったことがあってね。フレッドペリーのイベントでDJをしたり、The Specialsのライブでサポートドラマーとしてプレイしたりしたこともあった。

だから日本のフェスでライブ演奏するだけではなく、これまでに日本で出会った人たちと再会するのも心待ちにしていたんだ。本当に運が悪かったし、とにかくものすごく残念だ。

思えば、俺たちのツアー体験のなかでも最高だったもののいくつかは、日本で味わったからね。2003年の春に日本各地を回るツアーをやったけど、あの頃に活動していた欧米のバンドのなかでも、俺たちはそれをやれた数少ない存在のひとつで、新幹線に乗ったのを憶えている。あれはもうマジに最高の体験だった!

―(笑)。

ゲイリー:日本を旅して回り、いろんな人々に出会い、新たな体験をして、とにかくファンタスティックだった。また日本に行けるのを全員が心から楽しみにしているよ。

―日本のファンも心待ちにしていると思います。

ゲイリー:でも俺たちはまだ、日本政府に対して「われわれは日本でライブをやり、人々にエンターテイメントを提供し、問題を起こさず帰国できる存在です」とちゃんと証明できていない。「どうか、来年こそ実現しますように」と祈る必要があるんだと思う。

―そうですね、祈りましょう。ちなみに取材に同席しているCINRA編集者は、The Libertinesのデビュー・アルバム『Up The Bracket』がリリースされた頃はまだ中学生くらいだったそうで……。

ゲイリー:マジで?(笑) (頭を抱えて)参るなぁ、ハッハッハッハッ!

―(笑)。生でThe Libertinesのライブを体験したことがないので「ついに見れる!」と今回非常に楽しみにしていて、それが実現せずとても悲しく残念に思っているそうです。彼に限らず、The Libertinesが大好きなのにいまだに4人が揃ったライブを見れていないというファンは、世界中にいると思います。

ゲイリー:うんうん。俺たちのライブについては……特にピートに関してだけど、Babyshamblesやソロでのショーが一時期、さまざまな理由でいくつもお釈迦になったことがあった。会場に彼が姿を現さなかったとか、ショーの開始時間に遅れたとか。

原因の多くはある時期の彼の思考や態度ゆえだったけれども、ここ数年、というか新型コロナウイルスの到来以前から、その面はすっかり変わった。いまは全員、もちろんピートも、できる限りベストに振る舞おうという思いがある。

で、そこに関して俺はピートに大きな称賛を贈る。以前の彼は非常に難しい状況にいたからね。ドラッグ中毒は誰にとっても良くないし、あれは一種の病気なんだと思う。ピートの心の奥にその病い、中毒を引き起こすなにかがつねに存在していた。誰がなんと言おうと、実際の病いとして扱い、治療すべきものだ。

―ピートはどのように克服していったのでしょうか。

ゲイリー:彼には自らの内面を深く見据える強さと力量があったし、「もっと良い人間になろう」と自分自身や周囲の人々のために決心した。ただ、そう思っているだけでは不十分で、能動的にベターな人間にならなくちゃならない。

それに、表層の見せかけで「何者かのふり」をするのではなく、「どんな人間になりたいか」という彼自身の本質的な姿を目指す難しさもあったと思う。でも、ピートはそれをやってのけたんだ。

現在の彼は、ほとんどもう……以前の一時期の彼の姿は「影」に過ぎなかった、みたいな感じかな? 人柄も、あのチャーミングさも変わっていない。たまに人生に対して「なすがままに任せる」っぽいアプローチをとるところも同じだけど、それは他者が彼をどう捉えて、彼自身は自らをどう提示したいのかを理解したうえでのこと。

いまのピートに会えば、本来の彼がどんな人間なのかわかると思うし、いずれ俺たちがまた日本に行くことができたあかつきには、ポジティブな訪問になるんじゃないかな。

―一部のファンのあいだでは『SUMMER SONIC 2022』の出演キャンセルの告知があったときに「ああ、やっぱり……」という一種のビタースウィートな悲しさや、あきらめもありました。The Libertinesといえば「どうなるか予測のつかない危なっかしいバンド」という印象もありますが、そうしたメディアや音楽ファンのなかのパブリックイメージについてどう思いますか?

ゲイリー:まあ、俺は「火の無いところに煙は立たない」と思ってるかな(苦笑)。ハハハハッ!

――なるほど(笑)。

ゲイリー:人々が俺たちを予測不可能だとか、危なっかしいと考えるのは、一時期たしかにそういうバンドだったからであって、その事実から逃れることはできない。だから、「バンドとして信頼できない」と断定する人もいるのも、ある程度は理解できる。

ただ、以前はどうだったかという証拠の量に較べて、俺たちが「いまどんな人間か」を証明する要素はあまり多くないんだ。自分たちのやることに徹しているだけだし、ショーで演奏し、人々と一緒に遊んで……そういったことは誰も気にかけないし記事にならない。

当たり前のことをネタにしても、誰もおもしろがらないからね。最初からトラブルを漁るつもりでいたらなにかしら見つかるものだし、かつて人々が俺たちに関して探し回っていたのもそれだった。

ゲイリー:いまはショーに遅れることもプロモーターと揉めることもないし、ファンとつねに良い関係を保ち、できる限り良い演奏をやっている。だけど、マスコミは決してそういう視点から物事を見ない。

なにか書き立てられるのは誰かが間違いをしでかしたときだけで、それは必ずニュースになる。人々の心の眼をはじめ、マスコミやソーシャル・メディアでなにより重視されるのは「ネガティブさ」だ。最近の報道をサーチしても「『いい話』を読んだのはいつだったっけ?」と思ってしまうくらいに。

―たしかに。

ゲイリー:とにかく「ネガティブさ」は売れるんだ。俺たちにはたしかに前歴があったし、一部の人々はその過去に固執することにし、俺たちに対する見方や考え方も変わらない。

で、一部の人々が俺たちについて否定的なことを言おうとするのなら、その見方が間違っていると証明するのは、バンドの一員である俺たちにかかっていると思う。否定的な人たちの見方を正すこと、俺たちにできることはそれだけだよ。

―せっかくの機会なので、The Libertinesの過去と未来についても訊かせてください。2014年に再結成が発表された際は、それまでバンドが経てきたトラブルや不運を考えても「まさか、あのThe Libertinesが!?」と驚きでした。最大の動機が気になるのですが、「やり残したことがある」とか「自分たちを証明し、ポテンシャルをまっとうしなくては」という思いが解散以来、続いていたのでしょうか?

ゲイリー:いや、そうしたこととは一切関係なかった。再結成に至るまでのあいだ、全員がじつに多くのことを取り組んでいたからね。カールにはソロのプロジェクトがありつつ、俺とDirty Pretty Thingsを組んで来日して世界中もツアーした。俺はDJをやったり自分のレーベルも立ち上げたりしたし、ジョンも彼自身のバンドを組み、各自忙しくしていた。

音楽に対する愛情と信仰は誰ひとり失っていなかった。ピートはもっとアーティストっぽくなって、アートをつくり、詩を書き、本を執筆し、ソロもやっていた。というわけで、別に再結成の機会を逸していた、ということではなかったんだ。俺自身も当時の状況としては、The Libertinesを復活させる必要性は特に感じていなかったよ。

―では、どのような流れで再結成することになったのですか?

ゲイリー:どうだったかというと、再会する機会が訪れ、いったんみんなで顔を合わせたところ、やはり全員の目のなかに「友情」が見えたんだ。ほんと、それに尽きる。実際に彼らに会い、目をしっかり見たら、俺がこれまでやってきたこと、そのなにもかものチャンスを与えてくれた友人たちがそこにいた。

―いろんな問題が起きてバンドは解散したけれども、友情は変わらずにあったと。

ゲイリー:そうだね。俺たちはなにもないところから始めたんだ。全員で金を貯め、ピートとカールの書いた曲をリハーサルするために、狭くロクでもないスタジオをいくつも借りたものだった。

パブに入っても、金がなかったから全員小さなグラスで飲み物を注文してこぢんまり座ってね。あくせく働き、家賃を払い……俺たちもそういったことはすっかり体験してきたうえで、全員で必死に努力してある程度までようやく漕ぎ着けたんだ。

―苦労なさったんですね。

ゲイリー:だからThe Libertines以外のこともやれるようになったのは、本当に全員の努力の賜物だと思う。ピート、カール、ジョンがいてくれなかったらいまの俺はないだろうし、それは承知している。

そりゃたまに、一人で過ごしたいとか、自分自身の活動をやりたいと思うこともあるけど(笑)。たとえそう思う瞬間があっても、彼らに抱く愛情は別物なんだ。

いまのピートは、昔に較べてはるかにいい友人になった。カールは本当にいい友人で、一貫してグレイトな奴だ。っていうか、もういちいち話さなくてもわかり合える仲だね。ジョンとは、リズムで結びついている。

だから4人のあいだに、完全になにもかも超越する絆が存在しているんだ。そうしていまや、一緒に演奏をエンジョイしながら顔を見合わせ「いまの俺たちは最高なポジションにいるな」と感じ合える。素晴らしい音楽を書けるし、よりアメイジングなバンドになれるし、多くの人がやりたいと思うようなことをやれているんだから!

―デビューから20年も経つのに、現在も変わらずに友情を保ち続けているバンドはそう多くないと思います。

ゲイリー:バンドの一員をやっていくのは、おそらくこの世の中の力学のなかでも最も維持するのが困難なものでね。バンドが生まれては消えていくのもそのせいだ。いったんレコード契約を取り、ツアー活動を始めると、友情はビジネスと化してしまう。

金の問題が生じると、「誰がほかの連中より稼いでいるか」「曲を多く書くのは誰か」「最も取材を受け注目されるのは誰か」などといったすべてがバンドの力学の一部になっていく。でも、俺たちにそうした問題はない。

たとえば、ピートとカールに取材が集中しても俺は気にしない。マスコミ側がピートとカールについてポジティブに書いてくれれば、それは俺自身にもポジティブに反映されるだけのことだから。

―その強い絆も傍から見ると、いわば「ピートとカールの愛憎サイコドラマ」に見えることもあり、あなたとジョンは彼らに振り回されっぱなしのようにも思えました。あなたやジョンが仲介役を担おうとしたことはありましたか?

ゲイリー:その要素は間違いなくあった。かつて二人のあいだで起こっていたいろんなことを子どもじみた大さわぎというか、スポットライトの奪い合いだと思い込む人もたまにいる。

でも、本当のところは相手を負かしたいとかではなく、ピートとカールそれぞれがより良い人間になろうとしていただけだったんだ。彼らのあいだに起きた過去の出来事の多くは、二人の心に抱えた問題のせいでもあったからこそ、当事者のピートとカールで事態を解決する必要があった。

その点をやっと理解したところで俺とジョンはある意味、一歩退き、彼らのやりたいようにやらせなくちゃならなかった。その結論に達するまでにかなり時間はかかったけどね。

―結果的にそのスタンスがうまくいったのでしょうか?

ゲイリー:もちろん、全部がうまくいったわけじゃない。二人が両者のあいだの適正な力学バランスを見つけようとする過程で、俺たちは間違いをいくつかおかしたよ。

でも、どのミスからも全員が学んだ。とにかく耳をオープンにし、周囲で起きていること、自分の心の声、周りの人間の声に耳を傾けなくてはならないし、話し合うことにも積極的じゃないといけないって気づいた。

それからは全員がそういう意識をつねに持っていた。多くはカール自身がみんなをリードしたんだけど、みんなで腰を据え、話し合い、議論し、激しく口論を闘わせ、進んで問題の核心に達しようとしてきた。

うまくいかないたくさんのバンドが「こんなゴタゴタにはつき合えない」と言ってしまうわけだけど、それはメンバーの誰かが、自分のことで頭がいっぱいになって全体像が見えていないからだ。俺たちはつねに全体像を見ようと、できる限り努めてきた。だから、どんなことがあってもお互いを支え合ってこれたんだと思う。

―今月、デビュー・アルバム『Up The Bracket』が20周年アニバーサリーDXで再発売されます。いまも愛されるモダン・クラシックなわけですが、あの作品の最大のレガシーはなんだと思いますか?

ゲイリー:見当もつかない!

―(笑)。

ゲイリー:正直、考えたことはないなぁ。ただ、あの作品をレコーディングしたときのことは憶えているよ。毎日スタジオに入って4人で作業することや、一緒に音楽に取り組みクリエイトしていくのは最高だった。

でも、レガシーといわれると、まったくわからない。もしかしたら結果論として、多くのキッズが後に続くように、道ならしをしたのかもしれないけどね。俺たちの音楽を聴いて、「あいつらにやれるなら、自分たちだってきっとできる!」とたくさんの人が思ったんじゃないかな(苦笑)。それは遺産としてあるかもね。

―『Up The Bracket』をきっかけにThe Libertinesを好きになった人も多いでしょうし、たしかに影響を受けたミュージシャンもたくさんいそうです。

ゲイリー:その点はThe Libertinesとしても、いろんな人々と関わる機会をもたらしてくれたと思っている。たとえばThe Libertinesのレコード売上数を考えても、ものすごいヒットではないと思う。ファン層の数も巨大ではないし、カーディ・Bみたいに何百万もファンがいるわけじゃない。

でもその代わり、俺たちには一群の「筋金入り」とでもいうか、骨の髄までThe Libertinesという連中がついている。The Libertinesの「ただのファン」ではなく、彼ら・彼女らがThe Libertinesなんだ。俺たちの一員であり、俺たちは彼ら・彼女らの一部。

―はい、わかります。

ゲイリー:2014年にロンドンのハイド・パークで行なった再結成ギグの演奏を終えたとき、客席に向かって「君たちはThe Libertinesだ」と言ったんだけど、あれは俺の真意でもある。

俺たちの旅路に参加することにした人が、俺たちの音源を聴き、カールとピートのボキャブラリーに入り込み、音楽と歌詞が合わさって生まれるエモーショナルなダイナミクスを心から吸収する。そして懸命に働き稼いだお金をはたいて、ライブに来て精いっぱい一緒に歌ってくれる。その誰もが、俺たちと同じくらいThe Libertinesのライブをつくり上げるんだ。

ゲイリー:2002年の『SUMMER SONIC』で初めて大阪でショーをやったときも印象的だった。日本人客のノリがどんな感じなのか、事前に人に聞いてみたら、「日本の観客はとても丁寧で、アーティストが登場すると拍手し、演奏中は静かに立ったまま観ていて、演奏が終わると拍手を送る」と言われて。開演まではそのノリだろうと思っていた。

でも、演奏を始めた途端彼らは熱狂的に盛り上がり、ものすごい騒ぎになり、文字どおり最高に楽しんでいた。一人の男性客はステージによじ登ってみせたし、ツアーマネージャーはステージ袖から「いったいどうなってるんだ? あり得ない!」と驚いていた。

―(爆笑)。

ゲイリー:その男性客はカールからマイクを奪って歌い始め、終わると観客のなかへとんぼ返りしてクラウド・サーフィングを決めて、お客は完全に大熱狂。そうなったのは、俺たちがいままで観たことのないくらい驚異的に良いバンドだったからか?

いいや、そうじゃない。そうではなく、俺たちを見に来たオーディエンスが「自分もThe Libertinesというコミュニティーの一部だ」と感じたからだよ。彼らもThe Libertinesのコミュニティーの連中がやるように振る舞い、自らをエンジョイし、俺たちと楽しいひとときを過ごしたんだ。

―4作目のアルバムを心待ちにしているファンも多いと思いますが、近況としてはいかがですか?

ゲイリー:いままさに新アルバムに取り組みつつあるところだよ。ピートとカールは今週末(※本取材日は9月14日)の9月17日に、ソングライティングのためにジャマイカに飛ぶことになっている。俺もここのところ曲を書いてきたし、これらのマテリアルをすべてまとめて、みんなに聴いてもらえる新しい作品をつくれたらいいね。

―現時点の個人的な感触で構いませんが、新作の音のイメージやビジョンがあれば教えてもらえますか?

ゲイリー:答えにくい質問だけれども、どんなサウンドになるかはピートとカールがエンジニアとどう作業するかに大きくかかっている。

前作『Anthems For Doomed Youth』の音が最初のアルバム2枚ほど粗く攻撃的で「ロンドン」的なサウンドでなかったのは、タイでレコーディングしたからだと思う。美しいスタジオを使用し、すぐそばにビーチもあった。制作環境は、アルバム全体を実際どういう響きにしたいかのアプローチに影響するんじゃないかな。

ゲイリー:あと、俺自身は次のアルバムのプロデュース面にも多く取り組めればと思っていて、The Libertinesサウンドの「核」に回帰したい。でも、特定のスタイルや流儀じゃなくちゃいけないとか、そうした考えには興味がないんだ。

俺たちはテンポが速まったり遅くなったりすることもあるけど、「ラジオでかけてほしいならこういうサウンドにしなくちゃいけない」など一般の慣例には従ってこなかったし、自分たちの思うままに演奏したい。なぜならメンバー各自のベストを引き出せれば、そこに素晴らしくグレイトな核が生まれると知っているからね。

そういった点が次のアルバムでも強力な要素になってくれたらいいなと思う。ほかにもいろいろアイデアはあるけど、まだ言わないでおくよ。誰かにマネされちゃうかもしれないからね(笑)。