2022年10月12日 12:11 リアルサウンド
主人公である北条義時(小栗旬)が2代目執権となるなど、いよいよ佳境に差し掛かってきたNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(NHK総合)。現在の「鎌倉殿」は、3代将軍・実朝(柿澤勇人)だ。けれども、そこで思い出してほしいのは、初代執権・時政が失脚した「牧氏事件」の時点で、実朝はまだ満12歳の少年だったという事実である。12歳で将軍となり、13歳で京より公家の妻を娶り……武士として初めて「右大臣」となった26歳にして、その短い生涯を終えた「実朝」とは、果たしてどんな人物だったのだろうか? そこでまさに今、このタイミングで読むことをおすすめしたいのが、佐藤雫の小説『言の葉は、残りて』(集英社)だ。
参考:鎌倉時代小説に新たな切り口ーー『女人入眼』が描く、大姫の秘められた悲しき過去
2019年に、第32回小説すばる新人賞を受賞(応募時のタイトルは「海の匂い」)した本作。その主人公は、源頼朝の次男である実朝と、その正室となった信子(『鎌倉殿の13人』では“千世”という名で登場している)だ。後鳥羽上皇とも関係の深い京の公家・坊門信清の娘である信子は、12歳にして、ひとつ年上の実朝の正室となることを父に命じられ、はるばる鎌倉の地にやってくる。「私は、そなたが鎌倉に来るのをずっと待っていたのだよ」。信子の予想に反して、武家らしからぬおっとりとした美少年である実朝は、不安げな信子に優しく語り掛ける。一方、生まれて初めて訪れた海ではしゃぎながら、実朝を真っ直ぐ見つめて「きっと私、鎌倉を好きになると思います」と言う信子。互いに身を寄せ合うようにして、次第にその距離を縮めてゆく13歳の夫と12歳の妻。そのぎこちなくも初々しい様子は、たまらなく愛おしい。けれども、そんな若いふたりの周囲には、何やら不穏な空気が漂っている。鎌倉の御家人たちによる、熾烈な権力争いだ。
本作に登場するのは、実朝の母・政子、政子の弟・義時、そして実朝の乳母(めのと)である阿波局など、『鎌倉殿の13人』でもお馴染みの人物たちだ(阿波局は『鎌倉殿』の“実衣”にあたる)。彼/彼女たちはそれぞれに、若い実朝にはあずかり知らぬ「苦い過去」の記憶を、胸の奥底に抱えている。幼いながらも仲睦まじい実朝夫婦の様子に、亡き娘・大姫と義高を重ね合わせてしまう政子など、それぞれの「苦い過去」が、物語の要所要所で明らかにされながら、それぞれの人物の深みが増してゆくところも本作の魅力のひとつではあるけれど、やはり特筆すべきは、実朝が愛し、やがて自らも詠むようになる「和歌」が、物語の随所に効果的に用いられている点だろう。信子が京より持参した『古今和歌集』をきっかけに、「言の葉」の世界にのめりこんでゆく実朝。「和歌」は、実朝夫婦にとって、ある種の「心の拠り所」でもあるのだ。やがて実朝は、畠山重保(重忠の子)、和田朝盛(知盛の孫)、北条泰時(義時の子)ら、自身と歳の近い御家人たちを巻き込みながら、自らも「歌会」を開くようになっていくのだが……風雲急を告げる鎌倉の情勢は、彼ら若者たちの「運命」を、容赦なく変えていくことになるのだった。
20代になろうとも、「武家の棟梁」とは名ばかりで、次々と巻き起こる「悲劇」を、けっして止めることができない自らの無力さを痛感し、日々苦悩する若き将軍・実朝。しかし彼はやがて、ある「信念」を、その胸の内に持つようになるのだった。「言の葉」こそが、これからの世には必要なのではないか。血なまぐさい争いで決着をつけるのではなく、あらかじめ定められた「言の葉」で、ことごとく清冽な答えを出す――そんな世にしたいと願うようになるのだ。あるとき実朝は信子に言う。「私は、言の葉で世を治める将軍になりたい」「言の葉の力は、武の力より無限だ。言の葉があれば、何だってできる」と。しかし、自らの意思によって「政」を行おうとする、そんな実朝の存在を、疎ましく思う者たちがいる。それは、果たして誰なのか。
無論、その史実は動かせない。やがて、鎌倉最大とも言える「悲劇」が、実朝自身に訪れる。しかしながら、その「悲劇」が起こったあと、読む者の心に強く浮かび上がってくるのは、本作のタイトル――「言の葉は、残りて」という言葉なのだった。実朝の死後、京に戻り「西八条禅尼」として長い余生を過ごすことになる信子が手にすることになる実朝の歌集『金槐和歌集』、あるいは、主君・実朝と父・義時のあいだで煩悶する泰時が、のちに制定することになる、日本最初の武家法「御成敗式目」。それは、実朝という人物が、確かに存在したという「証」ではなかったのか。その「悲劇性」と「歌人」としての名ばかりが後世に伝えられている実朝の「生」を、これまであまり描かれることのなかった正室・西八条禅尼との「絆」を主軸に据え、小説という形でありありと描くことによって、そのイメージ自体を刷新してしまうほどの力をもっているようにも思える本作。誰も知らなかった実朝――作者自身が惹きつけられ、愛してやまないという人間・実朝の姿が、ここにある。