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連載:道玄坂上ミステリ監視塔 書評家たちが選ぶ、2022年9月のベスト国内ミステリ小説

2022年10月09日 07:01  リアルサウンド

リアルサウンド

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 今のミステリー界は幹線道路沿いのメガ・ドンキ並みになんでもあり。そこで最先端の情報を提供するためのレビューを毎月ご用意しました。


参考:「騙さなくてはいけないという使命感がある」 ミステリー作家・市川憂人が語る、異色のラブストーリー『灰かぶりの夕海』誕生の背景


 事前打ち合わせなし、前月に出た新刊(奥付準拠)を一人一冊ずつ挙げて書評するという方式はあの「七福神の今月の一冊」(翻訳ミステリー大賞シンジケート)と一緒。原稿の掲載が到着順というのも同じです。さて今回選ばれた作品は。


千街晶之の一冊:白井智之『名探偵のいけにえ 人民教会殺人事件』(新潮社)


 どれを月間ベストに選ぶか、一秒たりとも迷わなかったのは何カ月ぶりだろう。9月ベストは『名探偵のいけにえ 人民教会殺人事件』で決まりである。ある新興宗教に潜入した探偵が遭遇した密室殺人。トリックの解明もさることながら、本書の最大の読みどころは、登場人物それぞれが信じる世界観次第で、真相が完全に構図を反転させるよう巧緻に設計された怒濤の多重解決だ。著者の作風の特色だったグロテスク趣味を薄めたことで誰にでもお薦めできる作品になったものの、逆に本格濃度は途轍もなく濃厚な域に達している。これぞ必読の傑作。


若林踏の一冊:白井智之『名探偵のいけにえ 人民教会殺人事件』(新潮社)


 9月は謎解きの力作が揃っていたが、その中でも図抜けて素晴らしいのが本書である。カルト教団の集落で起こった奇怪な殺人事件に探偵が挑む話で、最初から最後まで推理の場面が詰まっている高密度の長編だ。百頁以上に渡って描かれる解決編では怒濤の伏線回収とともに、あまりにもアクロバティックな多重推理の使い方に唖然とするはずである。なるほど、まだこんな趣向を生み出す余地があったのか。白井作品の特徴だったグロテスクな要素を抑えつつ、探偵の存在を巡る物語として読ませる点も良い。現時点における著者の最高傑作だ。


橋本輝幸の一冊:潮谷験『あらゆる薔薇のために』(講談社)


 難病「オスロ昏睡病」に対する治療を受けて快復した後、身体に必ず薔薇の形の腫瘍ができる。そんな特徴を持つ元患者や、関係する医師を標的とした連続殺人事件に、自身も患者だった警部補が立ち向かう。


 特殊設定ミステリの勢いがめざましい今年だが、本作はとりわけ、SFあるいは伝奇的な設定で、特殊度が高い。青春小説要素もやや加わった面白い味つけだ。登場人物たち個人の物語に収束するのでSF読者には「この先」がむしろ気になる人もいるかもしれないが、終盤のスケールアップや将来像に十分胸をおどらされるはず。


野村ななみの一冊:東川篤哉『仕掛島』(東京創元社)


 瀬戸内の孤島に建つ館、集められた一族、過去の事件、迫り来る台風。そこに東川篤哉とくると、著者の代表作の一つ『館島』を思い浮かべる人も多いに違いない。読者の期待通り『館島』と繋がりつつ、独立した長編でもある本作の舞台は奇妙な形の館「御影荘」。滞在していた探偵の隆生と弁護士の沙耶香は、嵐の夜に起きた殺人事件に巻き込まれる。足並みが揃っているようで揃わない二人は、事件の謎、館を有する一族の秘密を解き明かすことができるのか。ユーモア溢れる東川節の中に張られた伏線とロジックに魅せられる、本格推理長篇。


酒井貞道の一冊:奥田英朗『リバー』(集英社)


 渡良瀬川の河川敷で女性の遺体が相次ぎ発見される。その手口は十年前の未解決事件と酷似し、周囲の街は恐怖に包まれた。本書はこの事件を多視点で描き出す。複数の容疑者たち、新旧刑事、新聞記者、犯罪心理学者、被害者遺族など、各視点から見た事件と、彼らの人生の断片が、浮つかず落ち着いた筆致で紡がれる。だがこれだけならただの群像劇だ。本書の肝は、ストーリーが落ち着くどころの話ではなく異様な発展を見せる点にある。奔流のような物語展開が読者を容赦なく呑み込む。割り切れなさが残るリアリスティックな終結も秀逸である。


藤田香織の一冊:奥田英朗『リバー』(集英社)


 厚いな! と誰でも思うボリュームである。なのに後半ともなれば、いやもうこれしか残ってない! と気が焦る。読み終えたときには、もっと読みたい、もっと知りたい! と飢えていて、そんな自分に呆れた。群馬県と栃木県を流れる渡良瀬川の河川敷で相次いで発見された女性の遺体。10年前に起きた同様の事件との関連も含め、両県警、かつての被害者遺族、県警の番記者らの多視点で綴られる物語は、誰の気持ちも分かる気がするが、その実分かった気になっているだけだと気付かされる。「すっきり解決」させないところがいいのだ。巧いなぁ。


杉江松恋の一冊:歌野晶午『首切り島の一夜』(講談社)


 他にも秀作が目白押しだったが、悩んだ末にこれ。県立永宮東高校の修学旅行は弥陀華島だった。同窓会で意気投合した元生徒が数十年ぶりにその旅行を再現しようと同地を訪れた晩、一人が殺されてしまう。おお、歌野版孤島ミステリーか。来訪者それぞれがままならない人生を送っていることが、視点人物を替えながら諧謔交じりに綴られていく。この苦味が歌野作品だ。もちろんそれは無駄な装飾ではなく、謎を構成する重要な部品なのである。ちなみに帯の法月綸太郎を今年の「ベスト・オブ・読めば読むほど味のある推薦文」に認定したい。


 このミス年度の〆切になっていたこともあって、力作が目白押しでした。これ以外にも話題作は数多く、読み逃したものを今慌てて追いかけています。年末にかけて、いよいよ気が抜けなくなりました。次回またお会いしましょう。