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矢野顕子は「愛」をどう歌ってきた? 映画『LOVE LIFE』深田晃司監督が、その歌から受け取ったもの

2022年10月08日 17:00  CINRA.NET

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Text by 山元翔一
Text by 村尾泰郎

ひとつの曲から映画が生まれた。学生時代に矢野顕子の歌“LOVE LIFE”を聴いて、胸を打たれた深田晃司監督。歌は種になり、想像力が水を与えて、映画という花を咲かせた。映画『LOVE LIFE』では、妙子と二郎という若い夫婦に思わぬ悲劇が起こり、そこから男女や親子をめぐるさまざまな愛のかたちが描かれる。深田監督は歌からどんなことを感じとったのか。矢野顕子はどんな想いで曲を書いたのか。それぞれのアプローチで愛を描いたふたりが映画と音楽をめぐって語りあった。

ー深田監督は以前から矢野さんの音楽を聴かれていたそうですね。矢野さんの音楽とは、どんなふうに出会ったのでしょうか。

深田:映画学校に通っていたころに、「このアルバム、いいよ」って友達が『Piano Nightly』(1995年)というアルバムを貸してくれたんです。それは海外盤で、日本盤と曲目が違って『SUPER FOLK SONG』(1992年)の曲も入っていたのですが、それを気に入って何度も繰り返して聴いていました。

私は小学校から大学までピアノを習っていたんです。といっても、全然うまくはないんですけど、ピアノを弾くのは好きでクラシックをよく聴いていました。日本のポップスは全然聴いていなくて、というより偏見もあってちょっと毛嫌いしていたんです。

1990年代当時のJ-POPは恋愛ソングばかりという印象があって、しかも、恋愛に対してポジティブすぎるところが自分にはあわなかったんです。

Photo by 笹森健一

深田晃司(ふかだこうじ / 左)
1980年生まれ、東京都出身。1999年、映画美学校フィクションコース入学。2005年、平田オリザ主宰の劇団・青年団に演出部として入団。2022年9月、矢野顕子“LOVE LIFE”をモチーフとした同名映画を公開した。
矢野顕子(やのあきこ / 右)
1976年、アルバム『JAPANESE GIRL』でソロデビュー。以来、Yellow Magic Orchestraとの共演やさまざまなセッション、レコーディングに参加するなど、活動は多岐に渡る。

深田:自分のごく身近に離婚している人もいて、そんなに恋愛について前向きなことを歌われても、と思って(笑)。そういうときに『Piano Nightly』を聴いて衝撃を受けたんです。

ーどういうところが衝撃的だったんですか?

深田:たとえば“How Can I Be Sure”というThe Young Rascalsのカバー(※)があるんですけど、なんて悲しそうに「I Love You」と歌うんだろうと驚いたんです。

深田:“NEW SONG”という歌も大好きなんですけど、生きる喜びを歌っているのにすごく切実な感じがあるんですよね。祈るように生きる喜びを歌っている。歌い方ひとつで曲に重層的な意味を持たせることができることを、矢野さんの歌を通じて知ったんです。

ー矢野さん独自の歌の表現に惹かれたんですね。

深田:今回の映画のテーマとも重なるんですけど、当時から「人間はひとりである」ということに関心があって。思い詰めた気持ちが強かったなかで、矢野さんの歌は自分に寄り添ってくれる気がしたんです。それで一気に矢野さんの歌にはまっていきました。

深田:『LOVE LIFE』(1991年)はすごく好きなアルバムで、“愛はたくさん(LOTS OF LOVE)”という曲の<やがて すべて 世界は夜の中>という歌詞の一節は、いずれ人間に等しく訪れる死を表現しているように思えて、「なんてすごい歌詞だろう」と驚きました。

深田:その曲に続いてはじまる“LOVE LIFE”を聴いて、とても胸に響いたんです。<どんなに離れていても 愛することはできる>という歌詞ではじまりますけど、「私たちは離れている」ということが前提にあるうえで、それでも愛することを選択している。

ある種のJ-POPのポジティブさには鼻白んでいましたが、この曲のポジティブさには胸を打たれました。もちろん、そういう歌詞の解釈は勝手な思い込みで、矢野さんがどういう思いでこの曲を書かれたのかはわかりませんが。すみません、自分ばかり一方的にしゃべってしまって(笑)。

ーいえいえ(笑)。監督が矢野さんの歌に強い衝撃を受けたことが伝わってきました。矢野さんは当時、どういう思いで“LOVE LIFE”という曲をつくられたのでしょうか。

矢野:特に誰かのために書いたわけではないですね。いま深田さんがおっしゃったように「私たちはひとりである」ということは私がものをつくるうえでの基本姿勢です。

「LOVE LIFE」を直訳すれば「愛の生活」というふうになりますが、みんなひとりだからこそ、家族、夫婦、友達として、愛を示しあうことが大切なんですよね。だって、それは人間だけができることですから。そして、「愛を示すこと」というのは、私にとっては愛する人の命を願うことなんです。

ー“LOVE LIFE”には<ほほえみくれなくてもいい でも生きていてね>という一節がありますね。

矢野:商品になる恋愛ソングというのは「私はあなたが好き」ということを歌っていて、そこに「命」の話が入ってくると曲が重くなっちゃいますよね。恋愛だけを歌った曲なら、名曲がいっぱいあるのでそちらをお聴きください、と私は思っています。

私の場合は、サビで「生きていてね」と歌う。「自分を愛してほしい」とか「振り向いてほしい」とか、そんなことは関係ないんです。愛する相手が生きていてくれればそれでいい。

ー生きてさえいてくれれば、離れていても愛することができる、と。

矢野:この曲を書いたときは、ニューヨークに引っ越したばかりだったので、日本で離れて暮らす友人や家族に向けた気持ちも強かったのかもしれませんね。シンガーソングライターというのは、そのときどきの気持ちを歌で表現するものなので。

ー本来、孤立している人間が、どんなふうに相手を思うことができるのか。どんなふうに他人と関係を結べるのか。矢野さんが歌う愛は、映画『LOVE LIFE』で描かれたことと重なりますね。

深田:今回の映画は結果的に家族の物語にもなっていますが、家族を描こうとは思っていなくて、その奥にある「個人」を描きたかったんです。個人が自分自身や他人とどう向きあっていくのか。それが映画の根幹になっています。

深田:矢野さんの『GRANOLA』(1987年)というアルバムに入っている“わたしたち”という歌には<わからないから見つめ合う>という歌詞がありますが、“LOVE LIFE”だけではなく、矢野顕子さんの歌全体に「距離」というモチーフを感じます。人と人のあいだに距離があるから見つめあうし、愛しあう。そんな矢野さんの歌の世界観の奥行きみたいなものが素晴らしいんですよね。

ー監督はそういう歌を聴いて想像力を刺激されたわけですね。

深田:“LOVE LIFE”を何度も聴くうちに、これは男女の歌ではなく、親子の歌かもしれないって思いました。もしかしたら、「離れていても」というのは、死んでしまった人と生きている人との距離かもしれない、とか、いろいろ妄想が膨らんできた。

妄想が膨らむのが、矢野さんの歌の面白さであり、すごさだと思うんですよね。矢野さんの歌はシンプルな言葉で書かれていて比喩的な表現がない。シンプルな言葉だからこそ、聴く人それぞれが、その言葉が自分にとってどういう意味を持っているのか考える。聴く人それぞれに委ねられる歌だと思います。

左から:大沢二郎(永山絢斗)、敬太(嶋田鉄太)、大沢妙子(木村文乃) ©2022映画「LOVE LIFE」製作委員会&COMME DES CINEMAS

矢野:自分が好きな歌は、歌だけじゃなくてインストゥルメンタルでもクラシックの曲でもそうですけど、聴く人の想像力が入り込めるものなんですよね。映画みたいな歌ってあるじゃないですか。待ってる人が来ない、そこに雪が降ってくる、とか。

ー具体的な状況や情景を描き込んでいるような?

矢野:そうそう。それは悪いことじゃないんです。そういう曲が好きな人はいっぱいいるし。でも、私にはそういうものはつくれない。そういうパッとわかる歌詞が、どうして自分では書けないんだろう? って考え込んだ時期もあったんです。でも、やっぱり私の場合は「生きていてほしい」とか「ラーメンたべたい」とか、ふっと思った気持ちが歌になるんですよね。

深田:たしかに映像的な歌詞の歌というのはありますが、ぼくは逆に矢野さんの歌のような映画をつくりたいと思っているんです。

できるだけシンプルに「自分にはこういうふうに世界が見えています」というのをスクリーンに差し出して、スクリーンとお客さんの距離が、日常生活の人間関係の距離感に近づいてほしい。だから、観客全員が映画に共感できなくてもいいんです。日常生活でも、みんな周りの人たちにそんなに共感ばかりもしていないだろうし。

矢野:そうですね。

深田:結局、他人のことってわからないと思うんですよ。なんとかわかろうとしながら生きていくしかない。矢野さんの“ラーメンたべたい”という曲を聴くと、「どうしてこの人はラーメンを食べたいんだろう?」って考える。その人のことが気になって、いろいろ想像してしまう。自分の映画もそんなふうに、観客との関係を結んでいきたいと思っています。

Photo by 笹森健一

ー『LOVE LIFE』に出てくる登場人物たちは、映画を見ているうちに印象が変わっていきますね。それぞれいいところもあれば、ズルさや弱さも持っている。そして、それぞれの距離が近づいたり、離れたりする。そういった描写に引き込まれて、自分も当事者のひとりになったような気持ちで映画を見ていました。

深田:この作品に限らず、3人称で映画を描くということは意識しています。ちょっと引いたポジションから人間関係の推移を描く。そうすることで、私たちが普段、他人の行動を見てあれこれ想像しているときの感覚に近づくんじゃないかと思っているんです。

それはキャラクターにあまり入り込まない、と言えるかもしれませんね。私の映画を見ていただいた方から「共感できなかった」というご批判をいただくこともあるんですけど、これまで自分が映画を見てきて、共感できるかどうかが面白さの基準になったことがないので、いろんな見方があるんだなと気づかされます。

『LOVE LIFE』より ©2022映画「LOVE LIFE」製作委員会&COMME DES CINEMAS

ー矢野さんは映画を見て、深田監督が描く人間関係や愛についてどう思われました?

矢野:映画の終わり近くでそれぞれが部屋に帰ってきて、そこでお腹の空き具合を言うところがいいなと思いました。あそこで、それぞれの背負ってきたものを降ろすというか、“LOVE LIFE”という曲が生きてくる。

私の曲がこういうかたちになるんだ! と思って面白かったです。ひとつの曲からこういう物語が、こういう風景ができたんだと思うと、なんだかありがたい気がしました。

ー「ありがたい」っていいですね。矢野さんの映画に対する気持ちが伝わってきます。

矢野:だって私には絶対思いつきもしないし、考えもしない物語ですからね。それがすでに書き終わった曲から生まれた。深田さんが私の曲からなにかをキャッチしてくれたと思うと「I feel grateful」っていう感じです。

ー矢野さんの歌、深田監督の映画、それぞれが愛ってなんだろう? と問いかけてくるように思えました。

矢野:<これも愛 あれも愛 たぶん愛>って歌があったじゃないですか(笑)。愛にはいろんなかたちがあることが、この映画で描かれているなって思いました。

左から:パク・シンジ(砂田アトム)、大沢妙子(木村文乃) ©2022映画「LOVE LIFE」製作委員会&COMME DES CINEMAS

深田:愛って関係性によって変わってくるし、そもそも不確かでよくわからない。だから「愛とはこういうもの」というのを、映画で押しつけることは絶対したくないと思っていました。

誰に対しても同じような気持ちで愛することができれば素晴らしいかもしれませんが、誰か特定の人を愛するということは、同時に誰かを愛さない、ということでもある。そういう残酷さを人間関係は本質的に持っていると思うんです。

自分が映画を撮るときには、そういったことを外すわけにはいかない。だから映画を見終わったあとに、共感できてもできなくても、観客一人ひとりの愛に対する捉え方があぶり出されるような作品になればいいな、と思います。